前回までのあらすじ
大雑把な30代独身B型作家である僕(山田隆道)の彼女は、チーという名の几帳面なA型女子。このたび、そんな正反対の二人ではじめての大阪旅行をすることになり、チーを大阪にある僕の実家に連れて帰ることになったのだが――。
男にとって、結婚には三つの段階があると思う。一つ目はもちろん相手女性へのプロポーズと承諾、二つ目は男性側の両親への報告と承諾、そして三つ目が相手女性の両親への報告と承諾だ。
そして、今の僕はまだ一つ目の段階をクリアしたにすぎない。いつも些細な喧嘩ばかりしている様子を本連載に細々と綴っているため、いまいち説得力がないかもしれないが、僕とチーは確かに近い将来の結婚を約束しあっている。したがって、そんな僕らの目下の課題はいつどのタイミングで次の段階に進むか、つまり僕の両親(特に父親)にチーとの結婚をいつ報告するか、ということなのだ。
これが意外に難しい。何を隠そう、僕は自分の父親が苦手なのだ。
これは子供の頃からずっとそうなのだが、僕はなぜか父親と二人になると無性に緊張してしまい、何を喋っていいかわからなくなる。父親と息子が男同士で飲みに行くなんて絶対ありえない話であり、父親が運転する車の助手席に座るのさえためらってしまう。きっと子供の頃に父親にこっぴどく怒られた記憶しかないからだろう。僕は30代も半ばに差し掛からんとしているくせに、いまだに父親が怖いのだ。
だからして、僕はなかなか父親に結婚の話を切り出せなかった。別にそんなに難しいことではなく、ただ「結婚するよ」と言えばいいだけのことなのだが、どうしてもきっかけがつかめない。誰か偉い人に「明日までに報告しなさい」と命令されたら楽なのになあ。締め切りを提示されたいと願うのは、文芸業者の習性なのだろうか。
そんなある日のこと、僕が大阪の実家にチーを連れて帰っている最中、実家のリビングでひょんな人物から突然その締め切りとやらを通達された。
「隆道、明日までにお父さんに結婚の報告せなあかんで」
それは僕の一歳年上の姉ちゃんだった。
高校卒業後上京した僕と違って、姉ちゃんは生まれてこの方ずっと大阪に住んでいる。つまり、姉ちゃんのほうが僕の何倍も父親とコミュニケーションをとっているわけで、だからこそ父親の気持ちを代弁するような次の言葉が出てきたのだろう。
「おまえ、もっと自分の年齢とか立場を客観的に見つめなあかんわ。おまえは軽い気持ちで彼女を連れて帰ってきただけかもしれんけど、普通30過ぎの独身息子が彼女を実家に連れてきたら、どんな親でも結婚の話やって期待するやろ。実際、お父さんは内心めっちゃ期待してんで。そういう気持ちをないがしろにすんのは無神経や」
まっとうすぎて、僕は反論できなかった。おっしゃる通りです、お姉ちゃん。確かにこのときの僕は33歳。そこそこ大きな子供がいたっておかしくない年齢だ。
今まではそういう圧倒的な現実を見て見ぬふりしてきて、どこかまだ20代さながらの青春を引きずっているような感覚があったが、それはきっと現実逃避の一種なのだろう。「30代なんてまだまだ若い」などと嘯いて、いつまでも少年少女らしさを求めようとする、あるいは青春を延長させようとする昨今ありがちな若さ礼賛の風潮が途端に滑稽に見えてきた。アンチ・エイジングを追求し、年齢のわりに若々しくいるということは、決して無条件の美徳ではない。ある意味では、年相応に求められる「人間としての責任」みたいなものから逃げているという見方もできるわけだ。
あの坂本龍馬の斡旋により薩長同名が締結されたのは、龍馬が31歳の頃だ。日本プロ野球の歴史において、いまもなお"史上最強の助っ人"と根強く称えられる元阪神のランディ・バースが初めて三冠王を獲得したのも、バースが31歳の頃だ。
えーっ、龍馬もバースも今の僕より年下じゃないか!
特にバースなんか、子供の頃の僕の中では海の向こうからやってきた舶来の怪物だった。あの化け物よりも今の僕のほうがお兄さん、いやオッサンということか。
これはさすがにやばい。この事実を知って、「あの頃はそういう時代だから」と言い訳しているうちは、いつまでたっても先に進めない気がする。人間として成長できない気がする。きっと、今の僕はもっと焦るべきなのだろう。自分の年齢に真摯に向き合い、責任感と使命感を強めるべきなのだろう。僕は決して若くないのだ。
かくして僕はようやく意を決し、父親に結婚の報告をした。
「チーと結婚しようと思ってる」緊張のため、手短な言葉しか出てこなかった。
すると、父親は一瞬戸惑うように目を丸くしたあと、呟くように言った。
「そうか」
言葉はそれだけだった。その後は否定も肯定もせず、ずっと黙り込んでいた。
しかし、かさついた頬がわずかに緩んでいたのを、僕は見逃さなかった。
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