「ま、いっか」という言葉は僕にとって悪魔の囁きである。日常で見舞われるあらゆる小さなトラブルをいとも簡単に解決してしまう魔法の言葉なのだ。昔、そんな「ま、いっか」を僕と同じくらい操る女子と付き合ったことがある。彼女の血液型は僕と同じB型。つまり、僕らは恐怖のB型カップルだったわけだ。

僕らのデートは常にトラブルの連続だった。例えばいつかの休日。その日は鎌倉あたりまで遠出しようと前々から約束していたのだが、なぜか前日につい一緒に酒を飲んで夜更かししてしまい、そのまま目覚ましもかけずに二人揃って爆睡してしまった。当然、起きると昼過ぎである。

「今から用意しても鎌倉に着くのは夕方頃なんじゃない?」

そんな彼女の言葉に僕は寝ぼけながらこう答えた。

「ってか、鎌倉ってどうやっていくの?」

僕らは前もって鎌倉までの行き方も所要時間も何にも調べておらず、出発時間の予定さえ一切たてていなかったのだ。しかし、そんな状況でも僕と彼女はまったく動じなかった。

「ま、いっか」

魔法の言葉にかかれば小さなトラブルなどカンタン解決なのだ。

その後、「夕方になってもいいから鎌倉に行こう」と決意した僕らは急いで出かける準備を始めた。ところが、それもスムーズに進まない。途中でついテレビに夢中になったり、何度も読んだことがある雑誌をなぜかもう一度読みふけったり、今頃になって急激に部屋の掃除がしたくなったり、とにかくウニャウニャと寄り道しまくっているうちに気づいたら夕方になってしまったのだ。しかし、そんなトラブルにも僕らは魔法の言葉を繰り出した。

「ま、いっか」

またもカンタン解決。いかなる状況でも慌てず騒がず、泰然自若の精神である。結局、鎌倉に着いたのは夜の7時ごろだった。

「さあ、どうしよっか?」

何を隠そう僕は鎌倉での行動予定も一切立てていなかった。大体、鎌倉って何をするとこなのかいまいちわかんないんだよね。ふむふむ、大仏ねぇ。でも、もう暗くなっちゃったし、今日はそんな気分じゃないし。とりあえず御飯でも食べようか?

「でも、さっき食べたばっかじゃん」

僕の提案を彼女はあっさり一蹴した。確かに出かける前に二人とも家で腹いっぱい食ってしまった。「食事は鎌倉に着いてからのほうがいい」という考えが脳裏をよぎったのは確かだが、それもまた「ま、いっか」の一言でカンタン解決してしまい、二人ともその場の空腹を満たしてしまっていたのだ。しかし、そんな満腹中枢にも僕らの悪魔はこう囁いた。

「ま、いっか」

どうせ数時間後には再び腹へってメシ食うんだから、今強引に満腹の胃袋に詰め込んでも結果は同じ。大体、空腹だからメシを食うって誰が決めたんだ。満腹時にメシを食ったっていいじゃないか。……かような理屈でカンタン解決である。 ってなわけで、僕らは食事処を探した。しかし、なかなか食欲がそそられる店に巡り合わない。腹がへっていないのだから当然である。

結局、僕の目に止まったのはよりによってチェーン店の牛丼屋だった。特に食べたい物がなかったので、逆にいつでも食べられる物でいいんじゃないかと思ったのだ。当然、彼女は「鎌倉まで来てなんでチェーン店の牛丼なの!?」と反対したが、僕が「ま、いいやん。牛丼うまいし」とにこやかに笑うと、彼女も面倒くさくなったのか次第に寛容になってきた。

「ま、いっか」

ほ～ら、カンタン解決。つくづくすごい言葉ですな。このように僕らはせっかくの休日を夕方までゴロゴロ過ごし、夜に二時間以上も電車を乗り継いで鎌倉くんだりまで出かけた挙句、腹もへっていないのにチェーン店の牛丼を食べて帰ってくるだけという意味不明なデートに費やした。

帰りの電車の中、なんて無駄な休日だったんだ、なんて愚かなデートなんだと、少しだけ後悔する僕と彼女。しかし、それも魔法の言葉でカンタン解決である。

「ま、いっか」

恋とはときに愚かなものなのだ。

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