JR北海道は、2025年3月15日のダイヤ改正で5駅を廃止し、1駅を自治体管理に移行すると発表した。日本最東端の駅として有名な東根室駅や、日本最北の木造駅舎として存続運動が展開された抜海駅も含まれる。廃駅の理由は利用者数の少なさ。鉄道事業者としては経営に支障があり、自治体も積極的に維持できない。有名駅で情緒があっても、実績がなければ存続できない。悲しい現実だ。
廃止される駅とその背景
東滝川駅(根室本線 / 滝川市)
1913(大正2)年11月10日、釧路本線(当時)の滝川~下富良野間開業と同時に設置。当初の駅名は幌倉駅で、アイヌ語のポロクラ川が駅名の由来だという。1954(昭和29)年11月11日に現在の東滝川駅へ改称された。滝川市の住居表示の変更が契機となった。改名により、滝川駅(函館本線)の隣という印象が強くなった。
滝川市は空知地方において岩見沢市に次ぐ都市で、企業も多く、東滝川駅周辺の通勤者向け住宅開発に力を入れた。しかし自動車の普及と国道38号の整備で鉄道離れが進み、2019~2023年の1日平均乗車人員は1.8人となってしまった。
2024年7月22日、JR北海道は地域住民向け説明会を実施した。利用者が少ない上に、除雪費を含めて年間数百万円の維持費がかかる。行違い設備を持つ駅のため、駅としての規模も大きく、維持費も高い。2024年8月22日、滝川市は東滝川駅の廃止を受け入れる方針を決定した。市の試算では、年間維持費が約1,000万円になったという。
駅舎は1950年に改築された木造平屋建て。全国的にも数少ない木造駅として鉄道ファンに知られていたが、滝川市は2024年9月25日、駅舎や渡線橋などの撤去を求めたという。
東根室駅(花咲線 / 根室市)
1961(昭和36)年2月1日、根室本線花咲~根室間に仮乗降場として設置された。仮乗降場は「国鉄本社が認めた正式な駅ではなく、地方管理局が便宜的に旅客扱いを行う場所」であり、きっぷは花咲~根室間を含む形で発券された。7カ月後の9月1日に正式な駅として認められたが、停車する列車は気動車に限られた。蒸気機関車と比べて停止と発進が容易だったからだ。
東根室駅は根室市域の拡大に対応して設置された。駅付近に航空自衛隊根室分屯基地がある。米軍が1954年に設置した警戒監視基地を航空自衛隊が継承した施設であり、おもな任務はレーダーによる航空警戒監視とのこと。こうした就業人口の増加も駅の設置につながったとみられる。
しかし、周辺人口の多さに比べて、東根室駅の1日平均乗車人員(2019~2023年)は7.8人。そのほとんどが通学生で、休日は日本最東端の駅へ訪問する人がわずかにいる程度だった。市域の拡大によって駅から遠い住宅や施設が目立ち、JR線を使うよりバスや自家用車、自転車で根室市中心部に行く人も多いという。根室市は2023年度から住宅地と高校、市立病院を結ぶバスを試験運行しており、好評となっている。バスの運行が拡充すれば、東根室駅の利用者数はさらに減るだろう。
東根室駅はそれまで日本最東端だった根室駅から約0.5km東寄りに設置されたため、開業時から日本最東端の駅になった。鉄道ファンの中には東西南北端の駅を巡る人もいるし、観光で根室市を訪れる人も、最東端と聞けば立ち寄る人もいただろう。
しかし、「最東端」は積極的に観光活用されなかった。「最東端駅 東根室到着証明書」の配布場所は、東根室駅ではなく根室駅前の観光協会である。2023年度の配布実績は6,425枚で過去最高だったが、2024年の配布と同時に実施した調査の結果、実際に東根室駅を訪れた人は46%だったという。訪問も鉄道とは限らず、レンタカーや自家用車、レンタサイクルなどが多いだろう。皮肉なことに、「最東端の駅」キャッチフレーズは駅の利用者数に貢献していなかったようだ。
雄信内駅(宗谷本線 / 幌延町)
1925(大正14)年7月20日、天塩南線(現・宗谷本線)の問寒別~幌延間延伸開業時に設置された。駅名の「雄信内(おのっぷない)」は、天塩川に合流する川「オヌプンナイ」の名に由来する。駅は幌延町にあるものの、おもな周辺集落は天塩川の対岸にある天塩町にあった。駅の開業当時、橋が架かっておらず、天塩川を渡船で渡る必要があったという。
地理院地図の航空写真をたどると、1960年代までに雄信内集落近くに橋が架かり、その後、天塩川の蛇行を改修する工事が行われた。天塩川を渡る雄信内大橋の完成は1970年代。橋が架かったとはいえ、雄信内駅から集落まで約2kmも離れている。
雄信内駅が川向こうに設置された理由は、おそらく天塩線(現・宗谷本線)が天塩川の架橋を避けたからだろう。旭川駅から幌延駅に至るまで、天塩川の西岸に沿って建設されている。宗谷本線は旭川と稚内を結ぶ目的で建設され、名寄や音威子府など主要な町も天塩川西岸にあった。小さな集落のために2度も鉄橋をつくる必要はなかった。
ただし、集落から遠くても、雄信内駅は林業の発展に寄与していたようだ。開業当初から旅客と貨物の両方を扱う一般駅であり、駅の周辺には集落もできていた。
現在の駅舎は1953年に改築された。木造駅舎の秘境駅として鉄道ファンが訪れる。2024年には、開業99周年を祝う「雄信内駅白寿祭」が地元有志によって開催され、にぎわったという。幌延町も2021年3月から除雪等の維持管理費として年間250万円を負担している。しかしJR北海道から、木造駅舎の改修費用と、南幌延駅のホーム改修費用として約750万円の負担を求められた。
雄信内駅の1日平均乗車人員(2019~2023年)は0.2人、利用者がいない日のほうが多い。幌延町は「これ以上の負担は町民の理解を得られない」とし、2025年度以降の維持費負担を取りやめる。2025年7月に開業100周年を迎える予定だったが、その4カ月前に歴史を閉じることになった。
南幌延駅(宗谷本線 / 幌延町)
1959(昭和34)年11月1日、宗谷本線の安牛~上幌延間に設置された。周辺は牧草地で酪農家が3軒のみだが、貨物扱いを行わない旅客専用の駅だった。1日平均乗車人員(2019~2023年)は0.0人。こちらも閑散とした秘境駅といえる。
国土地理院による1970年代の航空写真とGoogleマップの航空写真を比較すると、現在も周辺の酪農家が残り、風景は変わっていないように見える。この少数の酪農家のために設置された駅のように思えるが、現在は自動車利用が中心と考えられる。かつては通学生がいたかもしれない。
JR北海道は2016年、幌延町に南幌延駅、下沼駅、糠南駅の廃止方針を伝えた。幌延町は3駅分の維持管理費として163万円の予算を計上した。2019年、JR北海道は宗谷本線の沿線自治体に対し、29駅の自治体管理または廃止を提案。幌延町は安牛駅、上幌延駅の廃止を容認する一方で、両駅の中間に位置する南幌延駅を自治体負担による維持管理に移行した。
2024年7月3日、幌延町は前出の雄信内駅と合わせて、2025年度の維持管理費を支出しないとJR北海道に通知。両駅の廃止が決まった。
抜海駅(宗谷本線 / 稚内市)
1924(大正13)年6月26日、天塩北線(現・宗谷本線)の兜沼~稚内間開業に合わせて設置された。貨物を取り扱う一般駅だった。当時は相対式ホーム2面2線で、列車の運行上も必要な駅だったようだ。北海道新聞の2024年9月10日朝刊に、読者の声として「抜海漁港から馬車でニシンなど貨物を運び、鉄道貨車で出荷された。ニシンの豊漁が終って抜海も駅も衰退した」と掲載された。
1970年代後半、駅前へ通じる道に数軒の民家があり、線路に沿って酪農場が3棟あった。しかし、現在の駅前は民家が1軒。酪農場は駅南側の道路沿いに移転しているようで、自動車利用に便利な場所へ移ったような印象を受ける。
抜海駅の1日平均乗車人員(2019~2023年)は2.2人。JR北海道は2019年、稚内市に廃止の意向を伝えたが、稚内市は抜海駅を利用する高校生がいるとして、2021年度から年間約100万円を支出し、維持管理を引き継いだ。その後、高校生はスクールバス、地域住民は乗合タクシーという代替交通のめどがついたため、2022年度で維持管理費の支出を終了する方針を示した。これに対し、一部住民が反発。2024年に開業100年を迎えるまで予算を継続した。
稚内市の地域公共交通活性化協議会は、2024年8月から抜海・クトネベツ地区と稚内市街地を結ぶ乗合タクシーの実証運行を始めた。予約制とはいえ、抜海・クトネベツ地区は自宅前で乗降でき、稚内市街地では南稚内駅や市立病院など14カ所で乗降できる。実証運行中は無料。2025年度から有償化して本格運行を予定しており、観光客も利用可能とのこと。抜海駅と抜海漁港がある集落まで、道のりにして約2.2km。周辺の住民にとって、乗合タクシーのほうが便利だろう。
抜海駅は2024年6月に開業100年を迎え、地元有志の働きかけで記念碑が建てられた。披露式典に約100名が参加し、市民の他に全国から鉄道ファンも訪れたという。現在は日本最北の無人駅、日本最北の木造駅舎があり、鉄道ファンの訪問もある。
地元の有志は抜海駅の存続を求めるオンライン署名を実施し、6,782筆を稚内市に提出した。署名は道外や海外にも及んだが、抜海駅の利用促進には結びつかない。観光客を含めた利用者の増加が期待できず、稚内市は2024年度限りで予算を停止した。これで廃止を容認する方針となった。
国の「監督命令」以降、99駅が廃止に
JR北海道は経営状況の厳しさから、線路および車両において保守の脆さが潜在化していた。2011年に発生した石勝線列車脱線火災事故や、軌道検査データの改ざんなどでそれが露呈した。2014年1月、国土交通大臣から「輸送の安全に関する事業改善命令及び事業の適切かつ健全な運営に関する監督命令」を受けた。
これを受けて、JR北海道は2016年7月に「持続可能な交通体系のあり方」を示し、経営資源を北海道新幹線と「安全施策」に集中すると宣言した。その結果、鉄道事業の仕分けが行われ、赤字路線については廃止かコストダウンを決断した。同年11月、「当社単独では維持することが困難な線区について」を公開。路線の廃止、駅の廃止または自治体の費用負担を求める内容だった。
この方針の下、2016年に16駅が廃止された。2017年に10駅、2018年に1駅、2019年に3駅、2020年に19駅が廃止に。この中には札沼線北海道医療大学~新十津川間の廃止による16駅が含まれる。その後も2021年に18駅、2022年に7駅、2023年に8駅、2024年に12駅が廃止された。この中には根室本線富良野~新得間の廃止による8駅が含まれる。そして2025年に5駅が廃止される。
国土交通省の監督命令以降、これで99駅が廃止となる。JR北海道は1日平均乗車人員3名以下の駅を合理化の対象としているようで、該当する駅はまだある。東根室駅は1日平均乗車人員が3名超10名以下の駅だった。今後は1日平均乗車人員10名以下の駅も、通学生の減少等の影響により、廃止候補の駅になるかもしれない。
駅の廃止は、わずかとはいえ利用者にとって困るだろう。しかし路線全体で見れば良いこともある。駅数が減ることで普通列車の所要時間を短縮でき、利用者増も期待できる。
北海道とは対照的に、本州以南では新駅の開業も多い。鉄道路線があって、まちづくりの進展があれば駅は新設できる。それは北海道にも言えることではないか。そのためにも、まずは路線をしっかり維持する必要がある。