産地復興の焦点は、未来への持続性
宮城県のイチゴ栽培は、気候が温暖な太平洋側の亘理町と山元町で特に盛ん。東日本大震災による津波により、産地一帯が生産基盤のほとんどを失う壊滅的な被害を受けましたが、そこからの復興は目を見張るものがあります、従来主流だった土耕栽培から高設養液栽培への転換、新たな販路の開拓、六次産業化などにより、現在は東北一の産地へ復活を果たしています。
その中でも、山元町に新風を吹き込んだのが株式会社一苺一笑です。同社の代表取締役を務める佐藤さんもまた、栽培施設を失ったイチゴ生産者の一人。「山元町のイチゴは個人農家が多く、再びイチゴを作りたくても、一緒に働く人を失ったり、家族が別の仕事に就くなどで、諦めざるを得ない生産者も多く居ました。個人農家として再建しても高齢化などでいずれ人材不足になるのは明らか。持続可能性を考える上で、組織化の判断は必然でした」(佐藤さん)。震災翌年、当時20代後半だった幼馴染みの生産者3人で法人を立ち上げ、新たな一歩を踏み出しました。
高度なICTを活用した環境制御システムの導入は来たる時代への投資です。「栽培管理が人の感覚に左右されるのは好ましくありません。プロフェッショナルが居なければイチゴが作れないようでは、持続しないという危機感がありました」と佐藤さん。ICTの活用で、生産性と品質の向上、省力化を目指してきました。「環境に応じた管理を自動化し、集積したデータを分析して毎年改良を重ねていく。人が考えることと機械に任せることの線引きをしました」と言葉を続けます。その成果が後の経営に表れています。
産地に飲まれないための観光農園
一苺一笑という社名には、「1粒のイチゴで一人ひとりを笑顔にしたい」という思いが込められています。2018年、同社は仙台市内にイチゴの摘み採りが体験でき、直売所も備えている松森農場(仙台市泉区)をオープン。当時は市内にイチゴの観光農園はなく、その取り組みが注目を集めました。
松森農場は1月中旬ごろから営業開始予定
「松森農場は社員教育が大きな目的です。消費者が求めるイチゴを知るために直売できる部門を設ける必要があると感じました」と佐藤さんは振り返ります。
山元町の本社農場(以下、山元農場)では当時、スーパーやホテル、洋菓子店等に出荷するため「日持ちのする」イチゴを生産してきました。その結果、出荷に視点が置かれ、販売に目を向ける機会が無くなっていました。佐藤さんはそれを「産地に飲まれる」と表現します。創業の理念である一人ひとりを笑顔にするイチゴを作るために、お客さんが買い求めるイチゴを見届けてマーケティングすべきと考えたのです。
松森農場は、立地の交通量調査から着手し、車で15分圏内の人口の1%が来園する想定で経営面積を割り出しました。食べ頃を迎えた完熟イチゴをその日に完売すれば配送車を確保する必要がなく、流通の課題にも対応することができます。一方の山元農場は生産性を高めて規模拡大をはかり、新しいイチゴ品種の栽培に取り組み、松森農場で直販した反応を生産計画にフィードバックするなど、マーケティングも回り始めました。現在の販路は、直販2割、スーパーやホテル・洋菓子店などが3割、その他の卸先が5割でバランスが取れています。
また、松森農場には消費者視点を持つ子育て中の女性従業員を中心に配置し、その活躍を促したことも同社にとって大きな収穫でした。
未経験からの就労と柔軟な働き方を敷いたワケ
ICTの活用によって未経験者が就労できる環境が整い、自動化によって時短勤務などの柔軟な働き方に対応する基盤ができた同社。イチゴ栽培は7月後半から8月までが農閑期に当たり、子供と休暇を合わせられる利点もあり、特に女性にとって働きやすく、人材が定着するようになりました。
これにより、現場では女性ならではの視点で品種や売り方の意見が交わされるように。消費者のニーズに即した品種や高い品質が受け、同社の成長の根幹を支えました。加工品の開発にも取り組み、イチゴを練り込んだ麺、フルーツビネガー、ジャム、焼菓子などの商品をラインナップしています。生産設備は持たず、商品開発は発案者を中心としたプロジェクトで進めることで合理的かつ参画機会のある運営をしています。
現在、従業員数は16人でうち9人がパートタイム。男女比は1対3で女性が多い職場です。法人設立から10年余りが経ち、30〜40代が中心の組織へと成長しました。
「2年前まで人材の定着率は宮城県の農業生産法人でナンバーワンでした。しかし、定着率が高いことが本当に良いことでは無くなってきていると実感しています」と佐藤さん。成長するためには新しいことへのチャレンジが必要です。慣れは変化を嫌うため、居心地が良すぎる組織では現状に満足してしまうことを懸念しています。
変化の時代、次の10年へかじを切る
変化をいとわず挑戦し続けるために、同社はこの2年間、新たに若手社員を採用するなどして組織の再活性化に努めてきました。
佐藤さんが十数年前に予測したように、ここへ来て家族経営の個人農家は働き手不足が深刻です。東北地方には外国人実習生も少なく、働き手が欲しいが雇用の仕方が分からないという年配の生産者も少なくありません。持続するために組織化したことの答えが出始めています。
しかし、松森農場のある仙台市には大手製造業なども進出しているため、人材の確保が難しくなってきているのも確かです。「これまで生産と販売の両方をやりたい人材を採用してきましたが、そのルールも見直す時が来ているのかもしれません」
今後は、必要な場所に必要な量を最短で提供可能なスタイルを作っていきたいと佐藤さん。「大規模かつ効率的な栽培には魅力がありますが、その地域の人口、年代、労働力が今後どのように変化していくのかを見据えて、変化に対応した農業経営を実現していきたいと思います」
1粒のイチゴで一人ひとりをもっと笑顔にするために、今後も産地の期待に応え続けます。