鬼丸浩典(おにまる・ひろのり)さん 第一実業ベリーズファームのアグリ技術部部長。実家が農家だった経験から農業への深い関心を持ち、大学では農学部で細胞工学を専攻。イチゴ種苗の研究開発に20年以上従事してきたベテラン技術者。5年前に第一実業ベリーズファームに入社し、現在は同社のイチゴ苗開発・生産の責任者として、無菌培養による苗の大量生産を手がける。福岡県出身。 |
水田貴(みずた・たかし)さん 第一実業ベリーズファームのアグリ営業部部長。同社の立ち上げメンバーとして、イチゴ種苗メーカーとしての認知度向上とラインアップ拡充に貢献。命名権付きイチゴ培養苗などを含む販売戦略を担当。 |
イチゴ農家の育苗負担を減らす「メリクリーン苗」
──技術部部長を務める鬼丸さんにお聞きします。第一実業ベリーズファームのイチゴ苗「メリクリーン苗」の特徴や生産過程について教えてください。
鬼丸:第一実業ベリーズファームで生産しているメリクリーン苗は、クリーンな環境で育成しているメリクロン苗です。メリクロン苗とは、親株の新しく伸びたランナー(つるのような茎)の先端から0.5ミリ以下の生長点の細胞を採取し、無菌培養で増殖させた苗のことです。
当社のメリクロン苗の利点は、生産者の育苗の手間を省けることです。通常の苗づくりは、生産者の方が春から秋にかけてランナー取りで(ランナーを子苗として)栽培します。苗づくりはちょうど6月から8月と暑い時期に重なりハウスの中で作業するため、かなり労力を要します。しかし、メリクロン苗を注文すればセルトレイに植えられる状態の苗や、セルトレイ苗を受け取れるので、一から苗づくりすることなくイチゴづくりに集中できます。
──育苗の手間を省けるのは生産者にとって大きなメリットですね。苗は液体培養で作っているそうですが、従来の方法と比べてどのような利点があるのでしょうか?
鬼丸:従来の固形培養方法で苗を作る場合は、1年がかりで苗を仕立てます。それからビニールハウスに出して、さらに1年かけてランナーを伸ばして増やします。最終的に1本の苗から生産できる苗の数は、数百本ほど。しかし、液体培養なら1本の苗から1年で数千本の苗を量産することが可能です。また、当社は無菌環境で苗を作っているので、苗の病原菌の保有率を最小限に抑えられます。
──病害リスクの低い苗を購入できるのもメリクリーン苗の魅力ですね。しかし、液体培養は栽培コストがかかるイメージがあります。生産者の負担はどうなっているのでしょうか。
鬼丸:無菌培養苗の市場価格は、1株400〜500円が一般的な相場です。当社では生産者が受け入れやすい価格帯を目指しており、実取り用の苗で1株180~280円で提供しています。これでも生産者の負担になってしまうこともあるのですが、私自身は少しでもイチゴ生産者の経営負担を軽くしたい一心で取り組んでいます。
年間100万本の苗の生産体制を確立。生産者ニーズにも応える
──生産者を軸に苗づくりに取り組んでいるのですね。市場よりも価格を抑えて提供できるのには、今の生産体制が大きく寄与していますよね。
鬼丸:はい。当社はイチゴ種苗事業を立ち上げてから約5年間、よちよち歩きでなんとかここまでやってきました。そのかいもあり、今ではインビトロ苗(培養容器に入った状態の無菌苗。1カ月養成するとメリクリーン苗になる)ですと年間で100万本生産できる体制が整っており、比較的安価に苗を提供できています。国産の優れた品種の苗を安定して供給できるよう、これからも努めていく次第です。
また、当社はさまざまな機関が育成した新しい品種をリリースしていきます。その一例が兵庫県のオリジナル品種「あまクイーン」「紅クイーン」です。売り出し中の新品種の育苗を任せていただけるのは、当社への信頼の表れであると感じております。
──さまざまな特徴の品種のラインアップがあり、生産者の選択肢も増えそうです。ところで、第一実業ベリーズファームでもオリジナル品種の開発など進めているのでしょうか。
鬼丸:現状は培養苗の生産に注力しながら安定供給を第一に考えており、品種開発に人員を割く余裕がそこまでありません。イチゴの品種開発をされている機関には専属のブリーダーがおられますので、まともに戦っても太刀打ちできないと思います。そこで違った視点で育成したオリジナル品種を近いうちにリリースできたらと考えているところです。
一度はあきらめかけたアグリ事業
──規模や認知の拡大を順調に進めている第一実業ベリーズファーム。営業部部長の水田さんにもお聞きします。第一実業ベリーズファームの立ち上げ時のことを教えてください。
水田:第一実業ベリーズファームは、商社である第一実業株式会社のアグリ事業です。アグリ事業は、今から約10年前に立ち上がりました。当初はイチゴとブルーベリーの周年栽培をコンセプトに進めていました。具体的には、閉鎖型の植物工場で栽培した果実を老舗の果物専門店に販売するといった構想です。ただ実際にやってみると、量と質を安定させるのが難しく軌道に乗せられませんでした。
そのような経緯があり一度あきらめかけたアグリ事業ですが、イチゴを生産する中で病気・害虫の被害も経験し、取引先からも「病気・害虫がついていない健全な苗が欲しい」という声を多く耳にしていました。そこから着想を得て、イチゴ種苗メーカーとしてもう一度挑戦することになったのです。
──あきらめかけた事業を再起させてのイチゴ種苗だったのですね。
水田:そうなんです。そしてタイミングがいいことにアグリ事業の転換期にイチゴ種苗事業に20年携わる経歴を持った鬼丸さんが入社してきました。この出会いと、これまでの経験があったからこそ、第一実業ベリーズファームはイチゴ種苗メーカーとして成長できています。
──種苗業界に参入して、今はどのような立ち位置にいるのでしょうか?
水田:苗屋さんの数は、高齢化の影響により減っているのが現状です。「暑い中で苗を増やして作るというのはきびしい」とおっしゃる方もいます。そういった現状を踏まえ、当社は苗の生産を補完する役割を担う種苗メーカーとしての立ち位置を築けていると実感しています。
ブランド化をかなえる苗「命名権付きイチゴ培養苗」
──2024年10月、生産者が自ら栽培したイチゴへ自由に名付けができる苗「命名権付きイチゴ培養苗」を発表していますね。付加価値を高められるこの品種を発売するまでの経緯についても聞かせてください。
水田:きっかけは、長野県のブリーダーさんとの出会いです。以前、長野県を営業で回っていた時に出会ったブリーダーさんが「うちの、うまいぜ」と手がけたイチゴ(長野県内商標名「あまあづみ」)を私と鬼丸に紹介してくれたのです。正直、今まで食べたイチゴにはない香りと食味のよさ、そして果実の大きさに驚きました。というのも、これまでの四季成りイチゴ(夏イチゴ)には、糖度がすごく高いという品種がなかったんです。今よりもおいしい四季成りイチゴがあれば、生産者・消費者の需要も増加するだろうと考えていたところでの出会いでした。
そして、ブリーダーさんと話をする中「長野県内は自分でやるけど、それ以外のところは任せるよ」と、あまあづみの長野県以外と海外への販売権と、生産者の命名権をいただきました。
──そのような出会いがあったからこそ実現した苗なのですね。甘い四季成りイチゴを探している生産者に試してほしいですね。ちなみに、命名権付きイチゴ培養苗の販売価格はいくらになるのでしょうか。
鬼丸:2025年1月末までは、メリクリーン苗を1株250円で提供しています。200穴セルトレイだと、税込みで5万3625円です(送料別)。生産者の方からは「メリクロンでこの250円っていうのは安いね」と言っていただくこともあります。また、当社のメリクリーン苗は生育旺盛のため、水や肥料をコントロールしやすい高設での栽培がおすすめです。
埼玉県毛呂山町から国内外を“つなぐ”第一実業ベリーズファーム
──命名権付きイチゴ培養苗は、観光農園や6次産業に取り組む生産者を後押しする苗ですね。第一実業ベリーズファームの技術部を取りまとめる鬼丸さんの今後の展望についても聞かせてください。
鬼丸:まず第一に、農業を続けようとする方々のサポートに力を入れていきたいと考えています。若手の後継者による面積拡大や新規企業の参入を支援し、イチゴ栽培面積の維持・拡大に貢献することを目指しています。同時に、日本のおいしいイチゴを世界の人々に届けたいという思いもあります。海外では、ベリー系の硬くて酸っぱいイチゴが主流なんですね。なので、柔らかくて甘い日本のイチゴを食べてもらって、笑顔を増やしたいのです。さらに長期的な視点では、世界の食糧不足の問題解決の力になれるよう、穀物類の品種開発にも挑戦したいと思っています。これらの願いを実現するにもまずはイチゴ専門の種苗メーカーとして、生産者の方々の悩みに真摯(しんし)に向き合い、課題を一つ一つクリアしながら成長を重ねていきます。