香取慎吾主演のドラマ『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~ ※FODで見逃し配信)が、きょう9日にスタートする。
今作は、ある不祥事で退社に追い込まれてしまった元報道番組のプロデューサーが、再起を図るため政治家を目指し、その戦略として亡くなった妹の子どもを引き取り、ニセモノの家族=“ホームドラマ”を演じることを決意する…という物語。
幼い子供をきっかけにした“疑似家族”をテーマにした物語は、テレビドラマの一つの潮流と言っていいだろう。その中にあって、どんな進化を見せているのか――。
“邪念”が入ることでベタに陥らない
昨年放送の作品の中でも、『海のはじまり』(フジテレビ)や『西園寺さんは家事をしない』『ライオンの隠れ家』(ともにTBS)などは、直接的な血のつながりの違いはあるが、主人公やその周辺人物たちが本来意図していなかった家族から“本当の家族”になっていく様を描くという“疑似家族”をテーマにしており、いずれの作品も視聴者の琴線に触れる佳作に仕上がっていた。
それは、「家族=血のつながりこそが最も尊い」とされていたかつてから、「家族ではない=血のつながりはなくても家族になれるのではないか」という近年の意識の変化や、“ダイバーシティ(様々な境遇の人たちが共存できる社会)”を標榜する上で、“家族”というモチーフが誰にも共感を得やすいからだろう。
しかし、これまでの“疑似家族”モノと比較して明らかに異なるのは、“責任”や“癒やし”、はたまた“第三者の意図”によって“疑似家族”がスタートするのではなく、今作は政治家になるため(生活者目線を発信したい)という自らの“目論見”であるということだ。
これまでと同様、急に家族が増えることに対する登場人物たちの戸惑いは描かれるのだが、そこには主人公の目論見という“邪念”が入る。それにより、今まで何度も見たことがある“ベタ”なはずの展開にも新しい視点が加わることとなる。
その“邪念”こそが今作をコメディーとして成立させるためのスパイスになっている。王道の感動シーンでホロっとさせられそうになった次の瞬間、“邪念”が入ることでドラマ全体を“ベタ”に陥らせない、楽しさと深み、苦みのバランスが絶妙に保たれているのだ。
子どもとの距離がスピーディーに近づく意味とは
そんなコメディーの純度をさらに高めているのが、主人公・大森を演じる香取慎吾の存在だ。香取の魅力と言えばもちろんその快活さなのだが、それとは相反する得体のしれない狂気や闇を抱えている(のでは?)ということに、実は視聴者が気付いている。
香取慎吾の“光”は当たり前のように発揮されているのだが、今作では視聴者が気付いている“影”の部分も浮かび上がることとなり、それがタイトルにある“ニセモノ”と重なることで作品全体に奥行きを生んでいる。このキャラクターこそ、香取慎吾にしか演じることができないと言っていいだろう。
疑似家族モノに必須である子どもたちの魅力も爆発しており、初回から視聴者のハートをつかむこと間違いなし。特筆すべきは、目論見があるとはいえ、主人公と子ども(次男)との距離がかなりスピーディに近づいていく点だ。これは多くの視聴者を引き付けるためのテンポアップ戦略や、俳優陣の魅力で強引に押し切ってしまったということではなく、ちゃんと中盤以降にその意味が待ち受けているため、この点も今作がベタに陥らせない深みになっていた。
最後に香取慎吾ד疑似家族”作品として忘れてはならず、避けて通れないのが2002年放送の『人にやさしく』(フジテレビ)だろう。同作あの時代だからこそできた勢いと清々しさがあったのだが、『日本一の最低男』はさらにアップデートされ、掲げているテーマのその先も描く余地がありそうだ。
月並みだが、笑って泣ける…けれど、これまでのホームドラマとはどこか違う新しいホームドラマの誕生だ。