ローリングストーン誌が選ぶ、1999年公開の映画99選

米ローリングストーン誌が、映画史上でも突出した1年となった1999年公開の傑作映画99選を発表。『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』から『マトリックス』『ファイト・クラブ』『ヴァージン・スーサイズ』まで、ランキング形式で振り返る。

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最初に頭によぎったのはいつだっただろう。シェイクスピアを題材にした現代風の上質コメディと、常識を覆すSF映画が同じ週末に公開された3月下旬だっただろうか。あるいは同じ年の夏、待望の超大作からスタンリー・キューブリック最後の作品にいたる映画が一気に公開された夏だっただろうか。これまでとは違う何かが起きているという予感があった。あるいは時代の波をとらえた映画が津波のように押し寄せたせいかもしれない――サンダンスを卒業した、あるいはミュージックビデオでならした世代が、70年代の鬼才映画人の精神を現代によみがえらせ、1999年は単なる豊作の年ではないと確信した。文字通り、映画史上最高の1年が形作られつつあった。

事実のところ90年代の最後を飾る1年は、1939年の輝かしい黄金期と1974年に一世を風靡したアメリカン・ニューシネマに次いで、アメリカ映画史でも年間を通じて秀作揃いの1年だったというのが現在の見方だ。この12カ月間に全米で公開された外国映画も数多く、全米映画ファンは最良の1年を迎えた。また国際映画祭という点でも、この年のカンヌ映画祭、ベネチア映画祭の出品作品が群を抜いていたことは言うまでもない。優秀な人材、タイミング、センスと三拍子揃ったおかげで、1999年はたちまち映画史に残る金字塔だと称された。あれから四半世紀が経ったが、絶頂期だったという印象はますます強くなるばかりだ。

25年目の節目にあわせ、ローリングストーン誌は1999年に公開された99作品のランキングを作成した――最高傑作、ドル箱映画、スター総出演の超大作、秀逸なインディーズ映画、記録を作った外国映画、大胆なドキュメンタリー、そしてカルト的な人気を誇ったB級おばかムービーも少々。いずれも映画ファン冥利に尽きる傑出した1年を彩った作品だ。

選考にあたって:賛否両論あるものの、今回はアメリカでの劇場公開日と映画祭でのプレミア上映日の両方を公開日としてカウントした。例えば『オーディション』『ゴースト・ドッグ』『ボクと空と麦畑』『美しき仕事』といった秀作は、いずれもアメリカでは2000年までほとんど、あるいはまったく公開されなかったが、今回ランキングに加えた。一方『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』『もののけ姫』『ラン・ローラ・ラン』の公開日は正式には前年だが、全米劇場公開は1999年ということでやはりランクインしている(1つだけ例外あり。後に別途記載)。

99位『ドグマ』

Lionsgate/Everett Collection

1994年の低予算インディーズムービー『クラークス』、次いでメジャー作品『モール・ラッツ』『チェイシング・エイミー』がヒットした後、奇才ケヴィン・スミス監督が重い腰を上げて取りかかったのは、キリスト教を題材に野心的なコメディ映画。伝統と家族と繁栄の保護を掲げる団体「アメリカンTFP」からは、「汚らわしい」との烙印を押された。90年代世紀末のキャスティングも絶妙だ。ベン・アフレックとマット・デイモンは教会の抜け道を使って天国に戻ろうと画策する堕天使を演じ、クリス・ロックは黒人であるがゆえに聖書から抹消されたもう一人の使徒という設定。サルマ・ハエック演じる女神ミューズは地上ではストリッパーに姿を変え、ジョージ・カーリンは教会のイメージアップを図るニュージャージーの司教役。アラニス・モリセットはなんと神の役だ。『スター・ウォーズ』『ピアノ・レッスン』『ホーム・アローン』のネタを随所に散りばめ、処女懐胎、ソドムとゴモラ、全贖宥といったテーマを面白おかしく取り上げる。と同時に、70~80年代にキリスト教の家庭で育ち、幼少期の教えに対する複雑な思いをキリスト教と同じくらい普及した新たな倫理観――ポップカルチャーという神殿にゆがめていった人々の心情を的確にとらえている。スミス監督のねらいを今風に言うなら、「人生捨てたもんじゃないのマジで草」―Jon Dolan

98位『処刑人』

トロイ・ダフィーが監督・脚本を手がけた犯罪スリラーを境に、90年代に蔓延していた典型的なタフガイ・ムービーにピリオドが打たれた。理由は歴然――90年代にタランティーノ監督の初期作品2本を見まくったインディーズ映画監督の目から見ても、目に余る自意識過剰なふるまいや元祖・厨二病ともいえる攻撃的な言動は、「駄作」という形容詞でも生ぬるいぐらいだ。だが同時に、この映画が今もカルト的人気を誇るのも納得できる。ラスト、ショーン・パトリック・フラナリーと、後に「ウォーキング・デッド」の主役を張るノーマン・リーダスが演じるアイリッシュ系アメリカ人のマクマナス兄弟が、サウス・ボストンのごろつきからフルタイムの自警団に姿を変え、1度に1人ずつ消していくと誓うエンディングは最高だ。ウィレム・デフォーの神がかったエキセントリックな演技は本作でも健在で、『ワイルド・アット・ハート』の役柄とはまた違った味を見せている。—David Fear

97位『バーシティ・ブルース』

©Paramount/Everett Collection

テキサス州ウェストカナーンの住人が崇めるのは、神、銃、そしてテキサス州のアメフト王者「ウェストカナーン・コヨーテ」――必ずしもこの順番通りではないが。花形クウォーターバックのランス・ハーバー(ポール・ウォーカー)は地元ではロジャー・ストーバックの再来ともてはやされ、コーチのバド・キルマー(ジョン・ボイド)の発言は神のお告げも同然だ。控え選手のジョナサン・モクソン(ジェームズ・ヴァン・ダー・ビーク)は万年ベンチで満足し、作戦ノートに忍び込ませた「スローターハウス・ファイブ」を愛読している。ところがハーバーが負傷し、後釜に抜擢されたモクソンは、エンドゾーンの英雄の苦悩と興奮を肌で感じることになる。映画ファンから愛されるブライアン・ロビンス監督作品は、躍動感あふれるサウンドトラックや、オフェンシブガードの絵に描いた好青年ビリー・ボブ役を演じた故ロン・レスターの演技、男の夢「生クリーム・ビキニ」で有名だ。テキサスの小さな町に根強く残る高校アメフト文化の描写では『プライド 栄光への絆』の足元にも及ばないが、ボイド演じる偏執的なコーチがフィールドの内外で見せる暴君ぶりは、スポーツ映画の悪役として殿堂入り間違いなしだ。—D.F.

96位『ビッグ・ダディ』

Columbia Pictures/Everett Collection

アダム・サンドラーの初期の名作『アダム・サンドラーはビリー・マジソン』『俺は飛ばし屋/プロゴルファー・ギルモア』ほどの出来ではないにしても、1999年公開の作品はサンドラー組の常連を従え(ホームレス役にスティーヴ・ブシェミ、配達人役にロブ・シュナイダー)、笑いのツボをすべて押さえている。気は優しいが負け組のソニー・コウファックスは、仕事のできる美女の気を引くために策を練り、「養子にした」5歳の息子(コール・スプラウスとディラン・スプラウスの双子が熱演)を連れてマンハッタン中を駆け回る。少年に公共ビルでの立ちションや、ローラーブレードで疾走する通行人を転ばせる悪戯を教えるうちに、やがてソニーは別のしごデキ美女に恋をする――演じるのは90年代を代表する女優、ジョーイ・ローレン・アダムス。たしかに、ソニーとつるむ奔放なゲイのカップルは当時にすれば前衛的だったかもしれないが、今ではさほど珍しくもない。フーターズのウェイトレスをしていた友人の恋人(レスリー・マン)にソニーが執着する姿も、あえて言わせてもらえば少々女性蔑視的だ。だがおなじみの男子生徒ぶりが丸出しとはいえ、それでもやっぱりサンドラーは憎めない。—Maria Fontoura

95位『ミュージック・オブ・ハート』

©Miramax/Everett Collection

ウェス・クレイヴンがホラーの巨匠というしばりから離れ、実話に基づいたメロドラマのメガホンを取った作品。シングルマザーのロベルト・ガスパーリはイーストハーレムの子どもたちにバイオリンを教える仕事に就く。教職仲間や保護者からは、また救世主気取りのよそ者が来たかと白い目で見られるが、ガスパーリは若き音楽家たちに自信をつけさせる。市内で一律予算が削減され、順調だったプログラムは危機に立たされるが、実在の一流演奏家軍団が救済に駆けつける。『スクリーム』がヒットした後、クレイヴン監督は映画界で得た名声を武器にミラマックスのお偉方を説き伏せ、自分こそはこの作品の監督にふさわしいと説得した。結果的には、1990年代に各映画会社が送り出したお涙頂戴の作品と変わり映えしないが、メリル・ストリープが主役のガスパーリを、アンジェラ・バセットやクロリス・リーチマン、グロリア・エステファンが脇を固めている点はポイントだ。—D.F.

94位『アンジェラの灰』

Paramount/Everett Collection

貧困、苦難、悲劇に彩られたアイルランドでの幼少期をつづったフランク・マコートの胸をしめつける回顧録は、映画史に残る金字塔として評価された――公開されたのは1999年のクリスマス。原案のベストセラー小説ほどの衝撃ではなかったものの、それでも観客は感動で打ちのめされた。アラン・パーカー監督(代表作に『ミッドナイト・エクスプレス』『エンジェル・ハート』『ピンク・フロイド ザ・ウォール』)の緻密な感性を責めるものはいないだろうが、パーカー監督は浅ましさと家族の軋轢を戦争映画のような手法で描いている。この映画がありがちな貧困ポルノに陥らずに済んだのは、俳優陣の演技力だ。とくに苦悩の半生を送ったフランクの母親を演じたエミリー・ワトソン、気立てはいいが飲んだくれの父親を演じたロバート・カーライル、幼いフランク役のジョー・ブリーン(映画の宣材画像で、殺風景なモノクロ写真から顔をのぞかせている少年がまさに彼)、地獄から逃れて自由の女神のいる天国行きの切符を手に入れた10代のフランク役、マイケル・レッグに注目。—D.F.

93位『ワールド・イズ・ノット・イナフ』

MGM/Everett Collection

この先ずっと、デニース・リチャーズがアメリカ人核物理学者クリスマス・ジョーンズを演じた007作品として記憶に残ることだろう(辛辣なコメントもどうぞご遠慮なく)。だが通算19作目、ピアース・ブロスナンにとっては3作目、MI6スパイが20世紀フォックスで殺しのライセンスを遺憾なく発揮した最後のボンド・ムービーにも、それなりに見どころはある。『私を愛したスパイ』のスキー・チェイスの再現、ソフィ・マルソー演じる魔性の女がブロスナンに馬乗りになり、はては首を絞めるシーン。極めつけはロバート・カーライル演じるレナードで、冷血漢にさらに輪をかけ、痛みを感じない悪役という設定だ。やはりロビー・コルトレーン監督が手がけた前作『ゴールデンアイ』のロシア系ギャングも登場し、オープニング・クレジットはボンド史上最長記録を更新。007シリーズがネタ切れの危機にあったことを忘れるには十分だ(ゴールディがギャングの取り巻きを演じ、ジョン・バリーのテーマ曲にレコードのスクラッチが入っているのも、いかにも90年代後期らしい)。ブロスナンは2002年公開の『ダイ・アナザー・デイ』を最後に卒業し、バトンを引き継いだ俳優は誰もが知るスパイを21世紀にふさわしく再定義した。—D.F.

92位『オースティン・パワーズ:デラックス』

Getty Images

90年代後期、オースティン・パワーズがどれだけ世間を圧倒していたかは語っても語りつくせない――まさに時代に馬乗りだぜ、ベイベー! マイク・マイヤーズとジェイ・ローチは、1967年に冷凍保存されたスウィンギング・ロンドン時代のスパイが眠りから目覚め、天敵ドクター・イーブルと戦うという物語で世界中に旋風を巻き起こした。1997年の第1作『オースティン・パワーズ』は愛とセンスにあふれる洗練されたコメディだったが、1999年公開の続編は明らかに急ごしらえ的なところがありつつも、思わずポップコーンを吹き出すほど爆笑だ。マイヤーズは本作でも2役をこなし、ヘザー・グラハムはCIAエージェントのフェリシティ・シャグウェル役、ヴァーン・トロイヤーはミニ・ミー役を演じている。バート・バカラックとエルヴィス・コステロの演奏シーンあり、2か所に分散された月面基地の名称はムーン・ユニット・アルファとムーン・ユニット・ザッパ[訳注:フランク・ザッパの娘の名前]。テーマ曲にはマドンナの「ビューティフル・ストレンジャー」、ロシア人暗殺者はイヴァナ・ハンパロット[訳注:I wanna hump a lot(いっぱいハメて)をもじった名称]ときたもんだ。シリーズは3作目で幕を閉じることになるが、第2作は終始グルーヴィー全開だ。—Rob Sheffield

91位『ブラックANDホワイト』

©Screen Gems/Everett Collection

アイアン・マン前夜のロバート・ダウニー・ジュニアがマイク・タイソンから平手打ちを食らった映画――監督兼脚本家兼性犯罪者のジェームズ・トバックが、人種とセレブ、文化盗用を皮肉った映画はこれで5本目、いや6本目だっただろうか。ブルック・シールズが演じるのは、黒人カルチャーが白人の若者に及ぼす影響をテーマにした映画を製作するドキュメンタリー監督。ベン・スティラー演じる汚職警官は、プロバスケット選手(ニューヨーク・ニックスの選手、アラン・ヒューストンが熱演)にやらせ試合をさせようと画策する。途中でクラウディア・シファーやウー・タン・クランのメンバーなどが次々現れては、即興劇を繰り広げる。セントラルパークでの生々しい多国籍3Pで幕を開けるや、そこから物語はさらに混乱、非道、挑発の度合いを増していく。控えめに言っても忘れられない作品だ。—D.F.

90位『レッド・バイオリン』

©Lionsgate/ Everett Collection

17世紀、イタリア人のバイオリン職人はついに完璧な楽器を完成させたと確信する――そこへ悲劇が訪れ、職人は呪われたバイオリンに真紅のニスを塗ると、自分の目の届かないところへやってくれと懇願する。その後バイオリンは数世紀にわたって様々な人の手に渡り、ドイツの神童やイギリスの浮浪者、中国共産党の官僚の人生を惑わせる。最終的にサミュエル・L・ジャクソン演じるアメリカ人鑑定人が、オークションにかけられた伝説の名器に目を止め、心奪われる。フランス系カナダ人のフランソワ・ジラール監督(代表作に『グレン・グールドをめぐる32章』)がメガホンをとった5カ国合作映画は、地球をまたにかけた壮大な歴史物語の好例だ。この映画のおかげで90年代の映画館は満員御礼、ジャクソンは今までと違う役どころを演じるチャンスに恵まれた。—D.F.

89位『ハード・キャンディ』

©TriStar Pictures/Everett Collection

「10代の若者の夢をぶちこわしてやった。あとはお好きなように」 こういう優しいお言葉で、ローズ・マッゴーワンはティーン映画の一軍女子の代表格として映画史に名を遺した。マッゴーワンとジュリー・ベンズ、レベッカ・ゲイハートが演じるのは、レーガン高校を牛耳る意地悪な女子3人組――だがたった1個のキャンディでライバルをうっかり死なせてしまう。間違いなく『ヘザーズ』以来もっとっもダークな青春コメディで、今もなお爆笑ティーン映画のひとつに挙げられる。監督兼脚本家のダーレン・スタインが手がけたこの作品には、オスカー・ワイルド風の辛辣な発言や(「情け無用の高校生活のルールによれば、私たち初対面だとおもうけど」)90年代ファッション満載。しかもサントラがまた最高で、プロムのシーンではザ・ドナスが演奏している。取り巻きに向かって「いいこと、この学校に来たらすべて超サイコーって感じで堂々と廊下を歩くのよ」と命じるシーンなど、マッゴーワンは「ハイヒールを履いた悪魔」にドンピシャだ。—R.S.

88位『救命士』

Paramount/Everett Collection

マーティン・スコセッシが『タクシー・ドライバー』の脚本家ポール・シュレイダーと再びタッグを組み、またもや夜のニューヨークシティの繁華街を舞台に映画を製作した。ただし今度の孤独な男はタクシーの運転手ではなく、連日の深夜勤務で狂気と紙一重の生活を送る救命士。ニコラス・ケイジが(彼にしては)抑え目に演じる燃え尽き症候群の救命隊員は、蘇生できなかった若い女性の幻覚に悩まされ続け、いつも違う相方とペアを組まされている。そこへメアリーという救いの女神が訪れる。パトリシア・アークエット演じるメアリーとは父親の救命措置で出会うのだが、彼女をもってしても主人公の魂を完全に癒すことはできない。劇中もっとも神に近い存在は、救命隊員を絶えずニューヨークという無間地獄七層に送り込む電話オペレーターで、スコセッシ監督本人が声を担当。たしかに傑作とは言えないものの、巨匠の手にかかれば比較的無名な作品も十分楽しめることを証明している。—D.F.

87位『アメリカン・ビューティ』

DreamWorks/Everett Collection

1999年のアカデミー賞作品賞は時の流れに逆らえなかった、と言ったら、この年をバカにすることになるだろう――たとえ過去7年間に主演俳優の身に降りかかった出来事を抜きにしても。「完璧な」アメリカの家族をシニカルに描いたサム・メンデス監督の視点は、世紀末のアメリカで粉々に砕けた一家の主のもろい心情を見事にとらえた、と当時は評価されていた。レスター・バーナムの中年の危機は褒められたものではないが、この作品では思春期への逆行が、郊外生活からの解放として描かれている。ウェス・ベントレー演じる平凡男子が撮影した風に舞うビニール袋の映像も、かつては存在の軽さや日常美の象徴としてもてはやされたが、今では違う。かの有名なバラの花びらにうずもれる10代のチアリーダーの全裸姿にいたっては、吐き気も倍増だ。当時でさえ、この作品が映画の当たり年の最高峰だという意見には疑問の声が囁かれていた。とは言え、オスカー5部門を受賞したわけだから……—D.F.

88位『ミステリー・メン』

Universal/Everett Collection

ケヴィン・ファイギの目にマーベル・シネマティック・ユニバースの光がまだ差し込んでいなかった1999年代半ば、ボブ・バーデンのコミック「Flaming Carrot Comics」から飛び出したスーパーヒーロー軍団のバロディ映画が劇場公開された(時代背景を説明すると、『Xメン』第1作が公開される1年前の話)。グレッグ・キニアが演じるのは、みんなから愛される正義の味方キャプテン・アメージング。だがジェフリー・ラッシュ演じる宿敵カサノバ・フランケンシュタインに誘拐され、キャプテンシティは突如キャプテン不在となってしまう。だがミスター・フューリアス(ベン・スティラー)、ブルー王子(ハンク・アザリア)、シャベラー(ウィリアム・メイシー)のカースト下位ヒーローにとっては、チーム内での存在感をアピールするまたとないチャンスだ。「アベンジャーズ集合!」と号令をかける間もなく、3人は同じく野心的な落ちこぼれ――インビジブル・ボーイ(ケル・ミチェル)、ボウラー(ジャニーン・ガラファロ)、おならが得意技のスプリーン(ポール・ルーベンス)――を集めてミステリー・メンを結成し、ひと花咲かせようと奮闘する。新世紀を控えた当時はオルタナコメディの精鋭が集結したそこそこのコメディだったが、マーベル軍団の3軍がことごとくシリーズ化している今あらためて見てみると、100倍笑える。—D.F.

85位『フローレス』

MGM/Everett Collection

ロバート・デ・ニーロ演じるウォルターは、脳卒中を患った偏屈な退役警官。言語能力の回復のために、フィリップ・シーモア・ホフマン演じるトランスジェンダーの女性ラスティに歌のレッスンを習わなければならない。奇妙な2人の物語は、トランスジェンダーをテーマにしたハリウッド映画の先駆けの1つ。ジョエル・シューマッカー監督自身もトランス・コミュニティを肌で感じていた1人だ(「自分は『フローレス』の登場人物全員に親近感を覚える」と、脚本家兼監督はかつてこう語った。「とても興味深い集団なのに、みな気にも留めずに通り過ぎていく」)。あらためて見直すと、今ならまったく違った映画になっていたことは明らかだ――ホフマンの演技はこの上なく素晴らしく、繊細で、トランスジェンダーの特徴を押さえているものの、今ならラスティ役にはトランスジェンダーの俳優が起用されていただろう。とはいえ、この映画はそれまでアメリカの主流映画が取り上げるのをためらっていた世界に、思い切って飛び込んだという点で評価できる。—Tim Grierson

84位『サマー・オブ・サム』

Buena Vista Pictures/Everett Collection

スパイク・リー監督が再現した1977年の暑く、長いニューヨークの夏は、連続殺人犯「サムの息子」がマンハッタンの5つの地区を震撼させた時期だった。ジョナサン・マーラーの見事な著書『Ladies and Gentlemen, the Bronx Is Burning』を読んだことがある人ならご存じのとおり、ヤンキースのレジー・ジャクソンがベースボールの記録を次々塗り替えたのに始まって、前代未聞の停電に乗じて強盗がショウウィンドウを叩き割るなど、クレイジーな1年だった。リー監督、共同脚本家のヴィクター・コリッキオ、未来の『ザ・ソプラノズ』ことマイケル・インペリオリはそうした恐怖とカオスを逆手に取り、今も残るニューヨークシティの文化的分断と縄張り意識を鋭く切り取った。ディスコやパンクシーン、伝説のクラブPlatos Retreatでの1コマ、極限越えのパラノイアなど、77年代の雰囲気が大渋滞。「マドンナは聖母か売春婦か」論争に執拗にこだわるキリスト教徒の美容師(ジョン・レグイザモ)に至っては、初期のスコセッシ作品そっくりそのままだ。エレン・キュラスのカメラワークと俳優陣、とくに小銭稼ぎで男娼するCBGBの常連客を演じるエイドリアン・ブロディや、山あり谷ありの人間関係を抱えたブルックリン住民を演じるミラ・ソルヴィノとジェニファー・エスポジートには注目。彼らのおかげで、この作品も70年代後半のコスプレ劇に終わらずに済んだ。—D.F.

83位『5シリングの真実』

Sony Pictures/Everett Collection

NGワードの詩人デヴィッド・マメット監督が、上流貴族が集う1910年代イングランドを舞台にしたテレンス・ラティガンの戯曲に興味を示したことに、大勢の人々が度肝を抜かれた。だが心の奥底で、常に倫理と言動――我々が特定の行動に出るきっかけは何なのか――に重きをおいてきたマメット監督だからこそ、この作品でも当然ながら倫理規定と社会慣習の裏側が中心だ。弁護士ロバート・モートン卿(ジェレミー・ノーサム)の依頼人は、海軍士官学校に通う10代のロニー・ウィンズロー(ガイ・エドワーズ)。郵便為替を盗んだ罪に問われ、退学処分になってしまった。単なる法廷ドラマに終わることなく、マメット監督は裁判がウィンズロー家に及ぼす影響にも光を当てる――社会的地位を棒に振ってでも息子の言葉を信じようとする誇り高い父親(ナイジェル・ホーソーン)などだ。Fワードは一言も出てこないが、『摩天楼を夢見て』『スパニッシュ・プリズナー』を手がけた監督の目は、つねに偽善と自己欺瞞に向けられる。身近な人間でさえ、我々の理解をはるかに絶する知らない一面があるのだ。—T.G.

82位『サイダーハウス・ルールズ』

©Miramax/Everett Collection

著名な作家ジョン・アーヴィングが、自らのベストセラー小説を映画化。メーン州の孤児院で育ったホーマー・ウェルズをトビー・マグワイアが演じた。マイケル・ケイン演じるウィルバー・ラーチ医師は、孤児院を運営するかたわら、密かに人工中絶手術も行っていて、やる気のないホーマーに婦人科の手ほどきをする。シャーリーズ・セロン演じるキャンディが、ラーチ医師の手術を受けるために(第2次世界大戦の戦闘機パイロットという珍しくドラマチックな役を演じたポール・ラッドに抱えられて)現れると、ホーマーは突如、孤児院を出て人生を謳歌したいという衝動にかられる――リンゴを摘んだり(もちろん仕事のため)、キャンディと交わったり(快楽目的)、生みの親の陰欝な秘密を仕事仲間に打ち明けたりするうちに、いやいやながらも身に着けた医師のスキルを発揮せざるを得なくなる。ラッセ・ホルストレム監督が手がけたこの作品で、アーヴィングはアカデミー賞脚本賞を受賞。マイケル・ケインは助演男優賞で2つ目のオスカー像を獲得した。だがこの映画が後世に残した一番の功績は、ラーチ医師が就寝前に子どもたちに告げるお休みの挨拶かもしれない。さあ皆さんご一緒に。おやすみ、メーンの王子たち。おやすみ、ニューイングランドの王たち。—M.F.

81位『フォロウイング』

©Zeitgeist Films/Everett Collection

ジェレミー・セオボルド演じる行き詰まった作家は、創作のネタ探しと暇つぶしをかねて、ロンドンの街で見知らぬ他人を無作為に付け回しはじめた。彼が尾行していた1人コッブ(アレックス・ホウ)はスリルを求める泥棒で、金目当ての窃盗にはまるで興味がなく、むしろ他人の人生を引っ掻き回すことに異様な喜びを感じていた。やがて作家はコッブの誘いで、盗みに加担する。バーでカモの1人――ルーシー・ラッセル演じるセクシーな金髪女性――を監視中、好奇心から彼女に近づいた。だが、想像するようなことは一切起こらない。低予算で製作された、地味ながらも秀逸なモノクロ映画はいくつかの映画祭で上映され、アメリカでも1999年春に短期間だが公開された。ともすればよくあるインディーズ映画で片づけられそうなものだが、後に21世紀を代表する監督兼監督となるクリストファー・ノーラン監督が28歳当時に手がけた処女作となれば話は別だ。奇想天外なネオ・ノワールをあらためて見直すと、オスカー受賞監督の作品に共通する演出のこだわりやスタイリッシュな技が、すでにスタート時点であふれていたことが伺える。—D.F.

80位『ハリウッド・ミューズ』

©October Films/Everett Collection

どんな脚本家も、2つの恐ろしい大きな壁に直面する。才能を失うこと、そしてすでに厄介者扱いされている映画業界で居場所を失うことだ。監督、脚本、コメディ俳優の3足のわらじをこなす天才アルバート・ブルックスが手がけたコメディ映画の主人公は、2つの壁に同時にぶち当たった冴えない脚本家のスティーヴン・フィリップス。幸いにも、ジェフ・ブリッジス演じる親友が解決策を思い付いた。ミューズ――なんと現実に存在するのだ!――に協力してもらい、キャリアを再び軌道に乗せようというのだ。さっそくシャロン・ストーン演じるメンドくさい女神に会ってみると、フィリップスの生活はことごとく混乱状態に。ブルックスのドタバタ劇は神経質な男を描いた監督主演作としてではなく、移り変わりの激しいハリウッドを皮肉った作品として見た方が面白い。マーティン・スコセッシが『レイジング・ブル』をリメイクすると豪語して「でも今度はやせマッチョだ……本当でやせてる奴だ!」と言うシーンは今も爆笑の自虐ネタだ。ジェームズ・キャメロンが「水際は避けるように」とお告げを受けるジョークも、『アバター』続編が公開された今だからこそ20倍ウケる。ストーンが主役を食ったと言われるように、ブルックスは最初からこの役を彼女に決めていたわけではなかったが、崇高なる混乱の女神役はストーンのコメディアンの才能のために作られたかのようだ。そしてゼウスもびっくり、彼女は見事モノにした。—D.F.

79位『ダブル・ジョパディー』

Paramount/Everett Collection

誰もが耳にしたことのある筋書きだ。さっきまで豪華クルーズで夫と睦まじく愛を交わしていたのに、次の瞬間目を覚ますと辺りは血の海、夫の姿はない。当然ながら警察は山のように質問を浴びせてくる。1999年にいい意味で期待を裏切られたヒット映画のひとつ。この復讐ドラマをきっかけに、アシュレイ・ジャッドはインディーズ映画界から主役を張れる看板女優へとのしあがった。夫殺しで起訴された平凡な妻は刑務所に送られるが――ネタばれ注意――実は夫が殺人を偽造し、妻にぬれぎぬを着せたことが判明。映画のタイトルにもなっている法律制度により、被告は同一事件で2回裁きを受けることはない。そこで妻は夫の行方を突き止め、今度こそドブネズミを始末しようとする。一方、追跡劇はベテランのトミー・リー・ジョーンズが演じる保護観察官は、必死で彼女の行方を追う。荒唐無稽? おっしゃる通り! 実力派俳優をトップスターの座に押し上げた90年代後半B級映画も含め、様々なジャンルの映画がバランスよく提供されていた時代が思わず懐かしくなる? それもまた同感だ。—D.F.

78位『ターザン』

©Buena Vista Pictures/Everett Collection

1999年にディズニーが送り出した大作アニメは、おとぎ話でも、寓話でも、プリンセスが主役のミュージカルでもなかった――その代わりディズニーが選んだのは、10代前半の子どもたちにウケのいいエドガー・ライス・バローズの有名なジャングルの王の物語。母親代わりのゴリラ(グレン・クローズ)に育てられた人間の赤ん坊は、やがてトニー・ゴールドウィンの声で、アルバム『Ten』の頃のエディ・ヴェダーのような風貌の、ハーフパイプのトニー・ホーク並みの敏捷さを兼ね備えた少年へと成長する。順風満帆に見えたのもつかの間、ジャングルの猿を捕まえて売り飛ばそうと考えるハンターを引き連れたイギリス人開拓者がやって来る。幸いにも、見目麗しい少女ジェーン(ミニ・ドライヴァー)も同行していた。後は皆さんご存じの通り。「Blame Canada!」を押さえてフィル・コリンズの退屈な「Youll Be In My Heart」がアカデミー賞作曲賞を受賞したのは仕方がないとしても、今の時代だったらありえない。だが賞レースうんぬんは抜きにして、ネズミの家が手がけたアニメーションはなかなか洒落ている。実写並みの迫力の名場面もあれば(幼いターザンをめぐって母猿と豹が戦うシーンなど)、ミニ・ドライヴァーは機転と根性、愛らしさを完璧に兼ね備えたヒロインを演じてみせた。—D.F.

77位『シーズ・オール・ザット』

Miramax/Everett Collection

のちに歴代ラブコメの集大成と称される、90年代終盤に公開された青春ロマンス。いわば「これぞハイスクール・プロム映画の決定版!」。だがレイチェル・リー・クックとフレディ・プリンゼ・Jrの最強カップルのおかげで、『マイ・フェア・レディ』をベースに『ブレックファースト・クラブ』で味付けしたような魅力的な作品になった。陰キャの美術部の学生が、眼鏡をはずしただけでプロム・クイーンになれるなんてことあるだろうか? バカな賭けに乗った男子学生が、結局は彼女のハートを射止めるなんてことあるだろうか? キーラン・カルキン、ポール・ウォーカー、アンナ・パキン、それにリル・キムが通う高校なんて想像できるだろうか? 何より、プロムパーティのDJがアッシャーで、締めの曲が「The Rockafeller Shank」なんてことあり得るだろうか? 答えはすべてイエス! 嘘だと思うなら映画を見てみろよ、ブラザー。ジーン・シスケルが生前最後に残した映画評も『シーズ・オール・ザット』で、今は亡き評論家は諸手を挙げて絶賛した。—R.S.

76位『マン・オン・ザ・ムーン』

Universal Pictures/Everett Collection

賛否両論分かれるコメディアン、アンディ・カウフマンを演じるにあたり、ジム・キャリーはメソッド演技法をとことん活用した。実際あまりにも役柄にのめり込みすぎたため、共演者からミロス・フォアマン監督にいたるまで、撮影現場の全員を怒らせたほどだ(共演者のダニー・デヴィートは今にもキャリーをぶん殴りそうな勢いだ)。だが1人の天才がもう1人の天才に捧げた伝記映画は、演技もストーリーもピカいちだ。カウフマンはお上品なセレブリティの世界にノーを突きつけ、女子レスリングを企画してみたり、コメディクラブの観客への仕返しに、『グレート・ギャッツビー』を全文朗読してみたり。忖度ゼロ、これほど遊び心にあふれ、好戦的な伝記映画はそうない――妥協を一切許さない、カウフマン(とキャリー)のノリについて行けない人はユーモアのセンスを見直したほうがいいだろう。当時でさえ「安売り」は罪とみなされていたが、そんな時代でも徹底して自分を貫いた底抜けに明るい奇人の中に、『マン・オン・ザ・ムーン』は笑いと痛烈な批判を見出した。—T.G.

75位『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』

©Universal/Everett Collection

『さよならゲーム』『フィールド・オブ・ドリームス』のスター俳優が再びマウンドに立ち、アメリカ最大の娯楽にオマージュを捧げた。時速98マイルの剛腕投手が投げた球種がスプリットかどうかわからなくても、ケヴィン・コスナー演じるビリー・チャペルの悲哀はひしひしと伝わってくる。かつてデトロイトでならした古参エースは、野球人生の最後を完全試合で飾ろうとしている――去っていった運命の女性(ケリー・プレストン)への想い振り払うことができればの話だが。過去の記憶がよみがえり、山あり谷ありの恋愛もようが思い起こされる。『死霊のはらわた』の鬼才サム・ライミ監督はこの作品の采配を取るにあたり、得意の悪霊級ファストボールを見送って、日曜にソファでくつろぎながら見るTVの2本立てロードショーのような作風を選んだ。父親世代にはまさにストライクゾーンのど真ん中。ホームプレートに視線を落とす姿が似合う俳優にとっても、最高のウィニングランだ。—A.A. Dowd

74位『タイタス』

©20thCentFox/Everett Collection

トニー賞を受賞したブロードウェイミュージカル『ライオン・キング』で視覚のマジックをみせたのも記憶に新しい中、ジュリー・テイモアは同じく大胆な発想で、ほとんど見向きもされなかったシェイクスピアの悲劇をめくるめく壮大な不条理劇に仕立て上げ、映画界に殴り込んだ。脂ののったアンソニー・ホプキンスが熱演するのは、無敵のローマ将軍タイタス・アンドロニカス。ゴート人を皆殺しにして凱旋帰国したタイタスは、敗れたゴート王国の摂政タモラ(ジェシカ・ラング)の長男を衝動にかられて処刑するが、タモラがローマ帝国の女王に就いたことで立場は一変。これをきっかけに、好戦的な2人の報復合戦は次第に度を越していく。若かりしシェイクスピアが、血なまぐさい物語なら大衆の心をわしづかみにできるとふんでヒットを狙った戯曲『タイタス・アンドロニカス』には、『ハムレット』や『リア王』といった後期の傑作のような気品はない。だがテイモアの視覚的マジック、まがまがしい非道行為、突飛な発想のおかげか、シェイクスピアの戯曲の中でもとくに下世話な娯楽作品と言えるかもしれない。テイモアの大胆かつ豪奢な映画版によれば、復讐は冷たい状態で――それもウィンクを添えて提供するのがいいようだ。—T.G.

73位『仮面令嬢』

©MGM/Everett Collection

伯爵の令嬢と従者の恋の駆け引きを描いたアウグスト・ストリンベリの1888年の戯曲は、ずいぶん前からたびたび映画化されてきた。2014年にはコリン・ファレルとジェシカ・チャステイン主演で再び映画化され、まずまずの評価を得た。だがマイク・フィギス監督(代表作に『リービング・ラスベガス』『セクシャル・イノセンス』)が脚色した本作も捨てがたい。ここでは令嬢ジュリーをサフロン・バロウズが、彼女が恋焦がれる男をピーター・ミュランが演じ、主従関係の力関係をより激しく浮き彫りにしている。手持ちカメラの映像が不安定な状況をさらにあおり、一触即発、ふとしたはずみで一気に崩壊するのではないかという気にさせられる。100年が経過してもなお、この戯曲が爆発的な力を秘めていることを証明した作品だ。—D.F.

72位『ギター弾きの恋』

©Sony Pictures/Everett Collection

ウッディ・アレンにとって1990年代は奇妙な時代だった(あくまでも仕事面の話――私生活となれば話はまた別)。『ブロードウェイと銃弾』『誘惑のアフロディーテ』など、映画人生最大のヒット作に恵まれ、最高傑作『夫たち、妻たち』を送り出した一方で、取るに足りない駄作も多々あった。だが意外や意外、架空の伝説的ジャズギタリスト、エメット・レイ(ショーン・ペイ)の半生をつづった架空のドキュメンタリーと、一風変わったラブコメを融合したこの映画で華麗に20世紀を締めくくった。現代版ジャンゴ・ラインハルトのようなレイは、才能はあるが口だけは達者なゲス男。ビーチで会った口のきけない洗濯女(サマンサ・モートン)と恋に落ちるような人間には思えないが、2人は淡い恋を育む。やがて彼女に捨てられたことが分かった時にはあとの祭り。失恋の痛みがインスピレーションの源をもたらす。ペンのダメ男ぶりもなかなかだが、この映画を成功に導いた真の立役者は、サイレントムービーのような完璧な愛らしさで恋の相手役を演じたモートンだ。—D.F.

71位『理想の結婚』

©Miramax/ Everett Collection

19世紀のオスカー・ワイルドの戯曲を、20世紀末にMiramaxが映画化。『名作劇場』級の舞台美術と、機知に富んだワイルドの台詞にさらにひとひねり加えるイギリスの名優(ルパート・エヴェレットとジェレミー・ノーサムのまなざし!)、そして1990年代後期を代表するスターたち(ジュリアン・ムーア、ミニ・ドライヴァー、いい意味であどけないケイト・プランシェット)と三拍子揃った作品だ。エヴェレット演じるゴーリング卿は「ロンドン屈指のなまくら男」の異名通り、街をふらついては淫らな欲望に身を任せることにしか興味がない。そこへ過去が襲いかかり、ムーア演じるチーヴリー夫人が政治的意図と恐喝と復讐目当てに現れる。「私に会えて、少しはうれしいでしょうに?」と夫人が尋ねると、「とんでもない、まったく」とゴーリング卿。アールグレイをすすり、笑いをこらえながら原作を読んだ方には、まさにおすすめの1本だ。—D.F.

70位『最果ての地』

©Screen Gems/Everett Collection

アラスカの小さな町に暮らす便利屋ジョー(デヴィッド・ストラザーン)は、過去の痛ましい過ちにふたをして生きている。彼が恋に落ちた歌手、ドナ(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)もまた心に傷を負っていた。タイトルの最果ての地とは、凍てつく荒野を指しているだけではなく、新しい恋に踏み出すのをためらう主人公たちの心情でもある。2人の人生はジョーの弟を巻き込んだ衝撃的な事件で一変。いかにもジョン・セイレズ監督らしい、社会の慣習や生活リズムを鋭く切り取る手法が、ストラザーンとマストラントニオが演じる人生に疲れはてた登場人物に奥行きを与える。賛否両論分かれるエンディングは、我々を待ち受ける未知の出来事への不安を雄弁に物語る――自分の人生がコメディなのか、それとも陰欝なスリラーなのか分からずに、誰もが毎日を過ごしているのだと。—T.G.

69位『スチュアート・リトル』

©Columbia Pictures/Everett Collection

児童文学の名作を映画史に残る傑作にしたいとお考えの映画監督諸君に、一言アドバイスを。擬人化したアニメキャラクターの声優には、ぜひともマイケル・J・フォックスを起用したまえ。E・B・ホワイトの有名な絵本をロブ・ミンコフ監督が映画化した本作が、予想以上にヒットした秘密はまちがいなくマーティ・マクフライにある。養子として人間に引き取られた白ネズミは、生みの親のネズミと新しい家族のホモサピエンスの間で板挟みに。始めは嫌がっていた新しい兄弟ジョナサン・リプニッキとの掛け合いや、「胸の中にぽっかり穴が空いたみたいだ。前はここに何があったんだろう」というセリフに込められた哀愁など、フォックスは小さなCGIキャラに無邪気さと茶目っ気をもたらした。もちろん共演陣も見逃せない。「ジーナ・デイヴィス、ヒュー・ローリー、ネイサン・レイン、チャズ・パルミンテリ、ダブニー・コールマン、スティーヴ・ザーン、ジェニファー・ティリー、ジュリア・スウィーニー、ブライアン・ドイル=マーレイ、エステル・ゲティ、デヴィッド・アラン・グリア、ブルーノ・カービーといった一流俳優に加え、伝説的コメディアンのスタン・フリバーグが共演した映画は?」というトリビアクイズの答えが、まさにこの清々しい面白ちびっこムービー。だがフォックスこそが、「スチュアート・リトル」をビッグヒットさせた功労者だ。—D.F.

68位『クレイドル・ウィル・ロック』

Buena Vista Pictures/Everett Collection

カメラ1台で撮影した長尺オープニングシーンで、劇場と、政治活動に燃える芸術家と、虐げられた一般市民がたちまち1本の糸でつながっていく。ティム・ロビンスが監督と脚本を手がけたドタバタ劇は、最初から意図と野望を見せつけてやると言わんばかりだ。連邦劇場計画の舞台裏、左派ミュージカル「ゆりかごは揺れる」の上演を画策するオーソン・ウェルズ、フォックフェラーセンターのロビーに壁画を描いてほしいとネルソン・ロックフェラー氏から委託を受けるディエゴ・リヴェラ。その他もろもろ事件が同時進行しながら、商業主義と芸術とアジプロ活動が複雑に絡み合う。それを描いた映画自体も扇動的で、芸術家集団が企業家連中にこびへつらうとどうなるか警告する。ロビンスが住所録を引っ張り出して集めた大所帯キャストは、ビル・マレー、チェリー・ジョーンズ、ハンク・アザリア、エミリー・ワトソン、スーザン・サランドン、ジョン・タトゥーロ、ポール・ジアマッティ、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ルーベン・ブレイズ、ジョーンとジョンのキューザック姉弟、そしてテネイシャスDのメンバー2人。騒がしいだけで中身ゼロと批判する人はいないだろうが、野心作なのは間違いない。今の時代だったらもっとうまくやれただろうが。—D.F.

67位『ディープ・ブルー・シー』

Warner Bros/Everett Collection

「お前ら、サメに一体何しやがった?!」と叫ぶサミュエル・L・ジャクソン。これと似たような雄たけびを、後にクソ飛行機のクソ蛇に向かって放つことになる。この問いに対するエセ科学的な答えを耳にしたら、マイケル・クライトンもさぞかしご満悦だっただろう。B級映画の巨匠レニー・ハーリンは『ジョーズ』と『ジュラシック・パーク』を足して2で割り、水中研究所にいる知能を持った――ひと昔前のアニメ技術を駆使して息を吹き込まれた――人食いザメの群れを放流した。死体の数が増えるよりも先に、ありえないようなことが次から次へと浮上する。マイケル・ラパポートが天才化学者役? サメがLL・クール・Jをオーブンで焼こうとしただと? 栄えあるB級映画の見どころは、豪華キャストがサメに容赦なく食いちぎられる快感だ。どんな大役だろうと、生き残れる保証はない。どんなに感動的な独白も、バッサリ短くカットされる可能性がある。—A.A.D.

66位『スリーピー・ホロウ』

Paramount/Everett Collection

ティム・バートンはこの映画で、ワシントン・アーヴィングの短編小説に、得意のグラン・ギニョールとゴスパンクの雰囲気を盛り込んだ。主人公は都市伝説「首なし騎士」を目の当たりにする不運な男、イカボッド・クレーン。映画版では学校教師からニューヨーク市警察の刑事に格上げされ、謎の首切り連続事件の捜査で内陸部に派遣される。見た目もディズニーアニメ版の背高のっぽから、ジョニー・デップ似の色男に変わり、クリスティーナ・リッチー演じる色白のご令嬢カトリーナ・ヴァン・タッセルが相方を務める。ハマー・プロダクションの古典ホラーや、1960年代にアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが配給したエドガー・アラン・ポー シリーズ映画のような雰囲気が流れ、エグゼクティヴプロデューサーにフランシス・フォード・コッポラ、脚本に『セブン』のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー、撮影監督の神エマニュエル・ルベツキ(通称チヴォ)と、名だたるメンツが顔を揃えつつ、冒頭からエンディングまでバートンらしさ満載の作品だ。—D.F.

65位『遠い空の向こうに』

©MCA/Everett Collection

時は1857年、ウェストバージニアの町コールウッド。ここでは鉱山労働者になるか、ゆくゆくは鉱山で働く子どもたちを教える教師になるしか道はなく、ロケット科学者になるなど到底ありえない。だが若きホーマー・ヒッカムは――ジェイク・ギレンホールのあどけなさといったら!――先ごろ打ち上げられたロシアのスプートニクが夜空に輝くのを見て、自作のロケット製作に突如のめり込む。友人やガリ勉連中に支えられながら、ミニチュア版の試作品が完成。だが労働者階級の父親は(クリス・クーパーは1999年も、酒におぼれ、社会から虐げられた男を熱演)息子の愚かな行動を認めない。ローラ・ダーン演じる親身な教師は、この実験でヒッカムが全米科学大会に出場できるだけでなく、明るい将来が開けるかもしれないと考える。ジョー・ジョンストン監督は過去に『ロケッティア』を手がけており、この手のテーマにはもってこいだ。後にNASAの航空エンジニアになるヒッカムの実体験をもとに、ノーマン・ロックウェル風の古き良きアメリカを少しばかり骨太にした、夢追い人の心温まる伝記映画だ。—D.F.

64位『Judy Berlin』

The Shooting Gallery/Everett Collection

のちにカーメラ・ソプラノを演じるエディ・ファルコが出演した、エリック・メンデルソーン監督の知る人ぞ知るモノクロ・インディーズ映画の秀作。タイトルにもなっている主人公のジュディ・ベルリンは、ちょっとやそっとじゃへこたれない陽気な女優の卵で、ハリウッドで一旗揚げようと意気込む。彼女が高校時代に思いを寄せていた映画監督志望のデヴィッドは、まさにその映画産業から足蹴にされた。一方2人の親は(そのうちの1人を演じたマデリン・カーンは本作が生前最後の映画出演作となった)絶望を募らせる暮らしから抜け出せずにいるようだ。そんなロングアイランドの町バビロンに月食が訪れ、いかにも象徴的に故郷を暗闇に包みこむ。ハル・ハートリーに代表されるひねくれたDIY美学と、サンダンス派のユーモアあふれるヒューマニズムを融合した、1990年代後期のニューヨーク・インディーズ映画らしい作品だ。メンデルソーン監督が独特な人物描写で、その年のサンダンス映画祭で最優秀監督賞を受賞したのも納得だ。—D.F.

63位『ことの終わり』

Columbia Pictures/Everett Collection

募る想いをほとばしらせるラルフ・ファインズの演技力は、この映画が公開される3年前の『イングリッシュ・ペイシェント』ですでに証明済み――嫉妬、不貞、キリスト教の罪の意識をテーマにしたグラハム・グリーン小説の映画版でも、そうした資質をいかんなく発揮している。第2次世界大戦を背景に、冷めては燃える熱情の経過をたどりながら、ファインズ演じる小説家と、ジュリアン・ムーア演じる旧友の妻の嵐のような情事の顛末を描いたこの映画は、格式高い骨太な時代ドラマと求め合う恋人の赤裸々なシーンのバランスが絶妙だ。当たり障りのない社交辞令を交わした後、レストランを出た2人がレインコートの中でいきなり激しく接吻する目のくらむような熱いシーンは、ファインズやムーアの出演作にも(ニール・ジョーダンの監督作品にも)見当たるまい。原作にもあるように、道ならぬ恋をややこしくする信仰心が戦時中に解き放たれた欲望に奥行きを与えている。—D.F.

62位『楽園をください』

USA Films/Everett Collection

アメリカ南北戦争を舞台に、アン・リー監督が70年代風の世直し西部劇に挑戦したこの映画は、「南軍、北軍のためではなく……家族や友人のために戦った」という謳い文句で公開された。それまでの作風とは打って変わり、南軍の侵攻を生々しく描いたリー監督の意図がうかがえる。物語はウィリアム・カントゥリル率いるレイダースや、ミズーリ州のブッシュワッカーといった南軍よりのゲリラ集団の視点で描かれる――善と悪、「我々」対「彼ら」という聞き覚えのある二極構造は、この映画が公開されて以降、混迷を極めている。戦闘シーンは単なるにぎやかしではない。トビー・マグワイア演じる若いドイツ系移民(復讐心から南軍に加担する)と、ジェフリー・ライト演じる元奴隷が奇襲の合間に休らぎを求めた後、それぞれの葛藤が戦場でも続いていることを観客に示すためだ。2人の前に現れる未亡人役を熱演した歌手のジュエルもあっぱれ。ジャンルを問わず傑作ぞろいの1年だっただけに、この手の映画はやすやすと忘却の彼方に追いやられてしまった。リー監督の長尺「ディレクターズ・カット版」がようやくリリースされ、他の1999年の映画と同じくこの作品も、そろそろ再評価するべきだ。—D.F.

61位『ポーラX』

©Winstar Cinema/Everett Collection

セックス、反政府思想、批評家から不道徳だとこきおろされた歪んだ精神。これらが随所にあふれる「文学界の珍奇」、1852年に出版されたハーマン・メルヴィルの小説『ピエール』を映画化するに当たり、限界に挑んで流行の流れに抗うことを熟知した監督以外に適任者がいるだろうか? 『白鯨』を書いた文豪と同じく、フランスのレオス・カラックスもまた1991年に『ポンヌフの恋人』という傑作を輩出した。カラックスが監督と脚本を手がけた映画版は、独自のロマン主義と非現実的な表現力、そして肌で感じられるほどの怒りがさ宇列している。ギョーム・ドパルデュー(ジェラール・ドパルデューの実息)演じるピエールは、息子を溺愛する母親(カトリーヌ・ドヌーヴ)と婚約者(デルフィーヌ・シェイヨー)、そしてベストセラー小説に恵まれていた。だがある晩イザベル(カテリーナ・ゴルベワ)と森で出会い、激しく恋に落ちる。彼女から腹違いの妹だと告白されても、禁じられた恋の炎を消すことはできなかった。そこから続くのは、演技なしのセックスシーン、ほとばしる血しぶき、スコット・ウォーカーの楽曲。目の前で展開するのは天才によるイカれた駄作か、イカれた天才による傑作か。後者であることを願いたい。—D.F.

60位『Jesuss Son』

デニス・ジョンソンの短編集を下敷きに、1970年代からクスリ漬けのジャンキーFH(ビリー・クラダップ)が更生するまでを描いたシンプルな珠玉のインディーズ映画。1999年にテルライド映画祭でプレミア上映された翌年、全米公開された。粗削りながらも面白おかしく、落ちぶれた主人公にアメリカン・ニューシネマの時代なら受け入れられたであろう独特のアンチヒーローの姿を重ねている。共演にはサマンサ・モートン、デニス・リアリー、ジャック・ブラック、マイケル・シャノンと、性格俳優や赤丸急上昇のスター俳優が勢ぞろい。ヘロインは才能を与えてくれると思っても、1歩間違えれば悪さして、せっかくの才能も台無しになるというテーマが一貫して語られる。—T.G.

59位『アナライズ・ミー』

Warner Bros/Everett Collection

おやおや、マフィアのボスがセラピー通いをするというアイデアを最初に抱いたのがトニー・ソプラノだとお思いか? ロバート・デ・ニーロとビリー・クリスタル主演のコメディ映画は、やる気のない神経質な精神科医の尽力でイタリアン・マフィアのドンが感情に目覚める物語――どちらがどちらの役どころかはご想像の通り。劇場公開はHBOの看板ドラマの初回放映の数カ月後だが、タフなギャングがセラピーに通うというネタはトニーがチンピラ集団に手を焼くずっと以前から浸透しており、本作はそれを哀愁ではなく笑いに変えている。映画界のレジェンド、ハロルド・ライミス監督がメガホンを取ったことも(ケネス・ロナーガン、『ザ・ラリー・サンダース・ショー』の放送作家ピーター・トーランと共同で脚本も手掛けた)、デ・ニーロ本人も面白がって過去のギャング映画のセリフを使い回し、ネタにしている点もポイントだ。本人のセリフを借りれば「やるな、あんた。さすがだね、『アナライズ・ミー』さんよ」。デ・ニーロ風の声色で言うとさらに信憑性が増して聞こえる。—D.F.

58位『もののけ姫』

『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』など数々の名作を短いスパンで精力的に製作した1980年代を経て、日本のアニメ界の巨匠、宮崎駿監督は1992年の『紅の豚』の後、壮大ファンタジー『もののけ姫』に5年の歳月をかけた。そうした努力とこだわりは作品の1コマ1コマににじみ出ている。環境をテーマにしたこれまでの宮崎アニメ同様、自然界に対する監督の敬意は明白かつ感動的だ。中世の日本を舞台に、『もののけ姫』は人間界と森を守る精霊界の確執がエスカレートする経緯を時系列的に追っていく。人間と精霊の間で板挟みになった高貴な王子アシタカは、自らにかけられた恐ろしい呪いを解く旅に出る。手描きアニメーションが美しい宮崎作品でも最長記録の『もののけ姫』は、日本で初公開されてからアメリカに上陸するまで2年を有した。アメリカの配給会社Miramaxのハーヴェイ・ワインスタインは、恐れ多くも巨匠にカットを提案。幸いにも、宮崎監督は譲らなかった。「この方、ハーヴェイ・ワインスタインと会いにニューヨークへ出向きました」と、2005年に監督は当時を振り返っている。「カットしろカットしろと執拗に迫られましたが」と言って、監督は誇らしげにこう続けた。「私が言い負かしました」—T.G.

57位『ビッグムービー』

Everett Collection

『サタデー・ナイト・ライブ』のジョージ・フェストランクとMr. ロビンソンがついにご対面! 愚かなショウビズ界をほんのり揶揄したフランク・オズ監督作品で、スティーヴ・マーティンは現代版エド・ウッドを演じる。映画スターに内緒で、低俗SF映画をゲリラ手法で撮影するのだが、そのスター役を演じるのがエディ・マーフィだ。高慢ちきで気分屋のトップスターは、素人撮影クルーにこっそり撮影(というかストーキング)されていることを知らない。マーフィは引きこもりの双子の弟も演じており、多才な百面相役者はこの映画をきっかけに、自らの知名度を逆手にとって、世間に馴染めない人々の心情を温かい目で擬人化する手法を編み出す(『ナッティ・プロフェッサー』)。サイエントロジーの存在や枕営業などなど、業界の裏側を嫌味なく描いたオズ監督の采配はさすが。そこがこの映画の面白いところで、2人の伝説的コメディアンによる息の合ったアドリブを散りばめつつ、何も知らない素人目線でハリウッドのシニカルな真実をあぶりだしている。—A.A.D

56位『トーマス・クラウン・アフェアー』

Metro-Goldwyn-Mayer/Getty Images

他の007俳優同様、ピアース・ブロスナンもタキシードを脱ぎ捨てて、温和な色男役を何度か演じている。ブロスナンは『ワールド・イズ・ノット・イナフ』(前述)でボンド役に復帰するわずか3カ月前、1986年のスティーヴ・マックイーン主演『華麗なる賭け』をスタイリッシュにリメイクした『トーマス・クラウン・アフェアー』で、ひそかにジェームズ・ボンドをレベルアップした。折り目正しい色男のイメージに少々手を加え、おしゃれな美術品泥棒を熱演。主人公を追う聡明でセクシーな保険調査員を演じたレネ・ルッソも、ブロスナンに負けていない。互いに惹かれ合いながら素知らぬ顔でダンスを踊った後、欲望に身を任せるラブシーンは、今日のハリウッドではモネの原画と同じくらい貴重な存在だ。多くのボンド・ムービーにも、こんな息の合ったやりとりや巧妙かつ粋などんでん返しがあればよかったのに。『ダイ・ハード』のジョン・マクティアナン監督はラストシーンのBGMに、時代を超えて愛されるニーナ・シモンの快活な「Sinnerman(罪人)」を選んでいる。—A.A.D.

55位『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』

TriStar Pictures/Everett Collection

1990年代は60年代ファッションがもてはやされた(今も色褪せないヒッピーの象徴、スマイリーフェイスがいい例)。だが60年代のキッチュな美意識を見事に表現した映画は、アンドリュー・フレミングの痛快政治コメディをおいて他にはあるまい。キルスティン・ダンストとミシェル・ウィリアムズが演じるおバカ女子2人組は、偶然ウォーターゲイト事件の現場に遭遇。持ち前のおまぬけぶりを発揮するうちに、たちまちリチャード・ニクソン本人と(ダン・ヒダヤがはまり役)新聞記者のウッドワードとバーンスタイン(それぞれウィル・フェレルとブルース・マカロックが出演)から目を付けられてしまう。トリッキー・ディックはこの映画でも運に見放された。—Esther Zuckerman

54位『INSTRUMENT フガジ:インストゥルメント』

Steve Eichner/Getty Images

インディーロックの雄、フガジにラブコールを送るこの映画は、バンドの音楽とよく似ている。妥協を許さず、濃密で、中だるみするところもあるが、最後は不思議とスカっとする。バンドとは旧知の仲だったジェム・コーエン監督の意欲作は、ナレーションや状況説明を交えず、ライブ映像やスタジオ映像、バンドやファンとのインタビューが印象派絵画のように溶け合っている。女子学生が司会を務める地元ケーブルTV番組にツインボーカル兼ギターのイアン・マッケイとガイ・ピチョットが出演したほほえましい映像もあれば、高校の体育館でピチョットがバスケットゴールに逆さまにぶら下がった状態で歌い、たちまち伝説と化したパフォーマンスにも心奪われる。粗野で、型破りで、強いこだわりとほとばしる情熱の合間から、孤高のバンドの芯と決意が透けて見える。—J.D.

53位『フェリシアの旅』

Artisan Entertainment/Everett Collection

1999年代に常軌を逸したシェフを演じた骨太英国人俳優はアンソニー・ホプキンスだけではない。同じくHで始まるロンドンなまりの無骨な男ボブ・ホスキンスは、悪夢のようなスリラー映画の悪役をむしろ繊細に、かつ控えめに演じている。別れた恋人を探しにやって来たアイルランド出身の少女は、一見親切そうだが、実は危険なほどマザーコンプレックスを引きずったコックの罠にはまってしまう。連続殺人モノにありがちな安っぽいスリルを想像してはいけない――なにしろアトム・エゴヤンの監督・脚本作品なのだから。『エキゾチカ』の監督はウィリアム・トレヴァーの原作を再構築し、幼少期のトラウマ、女性を食い物にする男、フラッシュバックという形で現在に影を落とし続ける過去で構成されるまったく別の悲劇のジグソーパズルに作り替えた。声と機械音とバイオリンのスタッカートの多重奏の音響効果が、穏やかならぬ胸の内をそこはかとなく代弁する。だがそうした世界の扉を開くのは主役を演じた英国人俳優だ。狂気の仮面の下から、不憫な少年が顔をのぞかせている。—A.A.D.

52位『ホーリー・スモーク』

Miramax/Everett Collection

『タイタニック』に触発され、ウィンスレットを気取り始めた女子集団がにぎやかに映画館へ向かったものの、目にしたのは風変わりな心理ドラマ。そんな光景を思い浮かべてほくそ笑む自分がいる。ウィンスレット演じる主人公は、インド滞在中にカルトまがいの宗教指導者にのぼせあげる若いオーストラリア女性。なだめすかされてシドニーの生まれ故郷に戻ったものの、今度は元カルト信者の洗脳を解くアメリカ人専門家のもとで軟禁される。両者とも戦わずしてあきらめるようなタイプではなく、社会で許容される行動の線引きはますます曖昧になっていく。ジェーン・カンピオン監督の知られざる逸品は、宗教の空虚さと男女の力関係のせめぎ合いを描いた物語。この映画の前にウィンストレットが主演した『グッバイ・モロッコ(原題:Hideous Kinky)」のほうが、この映画のタイトルにふさわしいかったかもしれない。—D.F.

51位『ラビナス』

20thCentFox/Everett Collection

ほとんどの西部開拓時代の物語は、凄惨な細部が割愛されている。ありがたいことに、アントニア・バード監督の西部劇仕立ての戦慄ホラーストーリーは、そうした穴を喜んで埋めてくれた。心に傷を負った陸軍大尉は、アメリカ・メキシコ戦争で兵役「不適格」とされた後、カリフォルニア州の僻地に配属される。はみ出し者やごろつきどもと定住したのもつかの間、ロバート・カーライル演じる謎めいたスコットランド人の流浪者がドアを叩く。どうやらシエラ・ネヴァダ山脈を抜けて西へ向かう開拓民の1人らしく、食糧もないまま数週間さまよった挙句……人間は切羽詰まると切羽詰まった行動に出る、とだけ言っておこう。生き延びた仲間を助けるため、男の案内で犯行現場へ向かった一行は、長年染みついた習慣と同じように、新たに身に着けた習慣も止めるのは難しいことを知る。世直し西部劇にストーカーもの、サバイバルスリラーに荒唐無稽なコメディまで一緒くたにした『ラビナス』は、1999年が誇る悪ふざけ映画のひとつとして不動の地位を獲得した。アメリカ建国の物語にも、卑怯者や人肉鬼、典型的なサイコパスが存在していたことを痛感させる作品だ。—D.F.

50位『ザ・ハリケーン』

Universal/Everett Collection

1975年、ボブ・ディランは「Hurricane」という曲をリリースし、1966年にニュージャージーのバーで3人を殺害したとして終身刑を言い渡されたミドルウェイト級ボクサー、ハリケーンことルービン・カーターは冤罪だと非難した。カーターの半生をつづったノーマン・ジュイソン監督の伝記映画は、スポーツ映画と法廷ドラマの2つの側面をもった感動作。リング上では無敵だが冷徹な法律の前では無力な男を、主演のデンゼル・ワシントンがいつものごとく巧みに演じている。ディランのプロテストソングも手伝って、カーターの事件は収監後も話題に上り続け、ついに1985年には有罪判決が撤回された。だが本作は表立って語られなかった人種差別や格差の問題をリアルに描き、劇中でリーヴ・シュレイダーが演じたように、無実の人間を刑務所から釈放するべく尽力する活動団体の姿を観客に印象付けた。—T.G.

49位『クッキー・フォーチュン』

October Films/Everett Collection

ミシシッピー州の小さな町ホリー・スプリングスのいつもと変わらない日々……もちろん、老人ホームの住人クッキー・オルカットが自殺したのを別にすればだが。家名に傷をつけまいと、親族は他殺に見せかけようと画策する。だが途端に「お前こそが殺人犯だ」と非難合戦が始まる。晩年のロバート・アルトマン監督の知られざる秀作は、マエストロお得意の群像劇。ジュリアン・ムーア、グレン・クローズ、リヴ・タイラー、チャールズ・S・ダットン、クリス・オドネル、ネッド・ベティ、コートニー・B・ヴァンス、ライル・ラヴェットを迎え、絶妙な軽快感、人情味、少々のブラックユーモアを交えて、アメリカ南部風ミステリー・コメディが完成した。—D.F.

48位『ロゼッタ』

USA Films/Everett Collection

奇跡とも言えるような長いキャリアを通じて、ベルギーの映画監督ジャン-ピエールとリュックのダルデンヌ兄弟は崖っぷちに立たされた人間に光を当て、真に迫る自然体のストーリーを丁寧につむぎ、どうにもならない階級や人種の格差を映し出す苦境を描いてきた。それが功を奏し、人間中心のダルデンヌ兄弟の映画には余計なものをそぎ落としたスリラーのような雰囲気も漂っている。その好例が、カンヌ映画祭で最初のパルムドールを受賞したこの作品だ。エミリー・ドゥケンヌ演じる少女ロゼッタは必死で職を探し、アル中の母親とその日暮らしの生活を送っている。だからといって、ハリウッドにありがちな、社会の底辺にいる人々の高潔ぶりを称えるお涙頂戴を期待してはいけない――裏切りと切羽詰まった利己主義を緊迫感たっぷりに描いた『ロゼッタ』は、そうした甘っちょろい道徳倫理にツバを吐きかける。—T.G.

47位『Go!Go!チアーズ』

Lionsgate/Everett Collection

ジェイミー・バビットの監督デビュー作は、ある意味でクイア映画の傑作だ。ナターシャ・リオン演じるチアリーダーのメーガン・ブルームフィールドは、ボーイフレンドとのキスにそこまでのめりこめない――そのせいで、娘がレズビアンだと思い込んだホモ嫌いの両親から更生セラピーに入れられてしまう。その過程で、彼女は結果的に自分のセクシュアリティに目覚めるのだ(カウンセラーがル・ポールなら当然じゃないか?!)。バビット監督の作品はビジュアル面も素晴らしく、キャストもジョン・ウォルターズ級の変わり者揃い、メーガンがクールビューティのグラハム(クレア・デュヴァル)と恋に落ちるという超ロマンティックな展開もある――もちろん笑いあり、毒っ気あり。頭の固い連中にパステルカラーで真っ向から立ち向かう作品だ。—E.Z.

46位『The Wood』

Paramount/Everett Collection

リック・ファムイーワが監督と脚本を手がけたデビュー作は、行方不明の花婿を探すところから始まる。人生で一番大事な日の朝、ロナルド(テイ・ディグス)が突然姿をくらました。花嫁がぶちキレる前に彼を連れ戻せるかどうかは、親友のマイク(オマー・エップス)とスリム(リチャード・T・ジョンズ)にかかっている。ようやく花婿を見つけ出すと、3人はロサンゼルス郊外のイングルウッド、略して「ウッド」で過ごした能天気な思春期を思い起こす。この青春ムービーで、ファムイーワ監督は2つの時間軸を自由自在に操るだけでなく(ショーン・ネルソン、トレント・キャメロン、デュエイン・フィンリーが少年時代の3人を演じた)、登場人物がスクリーン越しの観客に語りかけたり、ギャング団Cripsのチンピラとの絡みを険悪な雰囲気から笑い、笑いから哀愁へ変化させたり、質の悪いユーモアから(この手の映画にしては最高に)甘く上品なラブシーンに急展開させたりと、小技を利かせている。のちに監督はハリウッドのユーティリティプレイヤーとして重宝され、サンダンスを沸かせたインディーズ映画『DOPEドープ!』やTV版スター・ウォーズ『マンダロリアン:アソーカ』を手がけるが、駆け出しのころから光るものを持っていたことが良く分かる。—D.F.

45位『クルーエル・インテンションズ』

Columbia Pictures/Everett Collection

1988年に劇場公開されたスティーヴン・フリアーズ監督の『危険な関係』はアカデミー賞で多数ノミネートされた。1999年にロジャー・カンブル監督がリメイクした本作は、オスカー総なめとはいかなかったものの、前者よりずっと面白かったことは否めない。作家ピエール・ショデルロ・ド・ラクロのフランス小説の舞台を現代に移し、主人公にはビッチ役が最高に似合うサラ・ミシェル・ゲラーを起用した。コカインを常用する腹黒女キャスリン・メルトゥイルは、転校してきた処女のアネット・ハーグローヴ(リーズ・ウェザースプーン)を落とせるかどうか、義理のきょうだいのセバスチャン(多くの女性をキュン死させたライアン・フィリップ)と賭けをする。キスの練習をするゲラーとセルマ・ブレアの唇から唾液が糸を引くシーンなど、やりすぎ感がまた最高だ。いい意味で低俗な小説の描写も、実に狡猾に映像化されている。—E.Z.

44位『17歳のカルテ』

©Columbia Pictures/Everett Collection

18歳で精神病棟に強制入院し、境界性人格障害と診断されたスザンナ・ケイセンの回顧録をもとにした、次世代版『カッコーの巣の上で』とも言うべきシリアスドラマ。ジェームズ・マンゴールド監督はケイセン役にウィノナ・ライダーを、脇をかためる共演陣にクリア・デュヴァル、エリザベス・モス、ジャレッド・レト、今は亡きブリタニー・マーフィといった注目の若手俳優を起用した。だがやはり一番記憶に残るのは、人生の大半を病院で過ごした激しい気性の患者リサ・ロウ役のアンジェリーナ・ジョリーだ。反骨精神にあふれつつも深く傷ついた魂を演じた彼女こそ、まさにこの映画の核だ。体当たりの演技で登場人物に息吹を吹き込んだジョリーは、当然ながらアカデミー賞助演女優賞を受賞した。—T.G.

43位『エニイ・ギブン・サンデー』

Warner Bros. Pictures/Online USA/Getty Images

商業主義に走り、不品行が横行するNFLの裏を鋭く突いたオリヴァー・ストーンの映画を見るなら、酔い止めの薬をお忘れなく。架空のアメフトチーム、マイアミ・シャークスを舞台にしたこの映画は、他のストーン作品に負けず劣らず、政治、権力、強欲、戦いを掘り下げる。情け容赦ないチームのオーナー(キャメロン・ディアス)、古株のクウォーターバック(デニス・クエイド)、一躍脚光を浴びたエゴむきだしの控え選手(ジェイミー・フォックス)、落ち目のコーチ(特定の言葉をどなりちらしてもまったく問題がない役にようやく巡り合えたアル・パチーノ)。ラリった状態でMTVの番組「Spring Break」に迷い込んでしまったかのような感覚だ。だが常態化した痛み止めの使用や、信憑性の薄い脳震盪ルールなど、問題だらけでいつ分裂してもおかしくないNFLの未来を予見した映画でもある。もうひとつの見どころは、往年のNFL名選手のカメオ出演――ローレンス・テイラーはもちろんラインバッカー、ジム・ブラウンはディフェンスコーチ、他にもディック・バトカスやバリー・スウィッツァーや泣く子も黙るジョニー・ユナイタスなど、懐かしい面々が顔をのぞかせる。歴代最高のアメフト映画のひとつに挙げられるのも納得だ。—M.F.

42位『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』

Universal Pictures/Everett Collection

最初の三部作でインディ・ジョーンズがフェドラ帽を脱いで以来、死んだも同然と言われていた古き良き1930年代の連続活劇をスティーヴン・ソマーズ監督が覚醒させ、ブレンダン・フレイザーがアクションスターの才能を開花させた。当時大方の連中は、包帯姿でヨタヨタ歩くミイラはが天下のユニバーサルが送り出すモンスターにしては弱いと考えていた(ただし、ボリス・カーロフが演じた身の毛もよだつイムホテップは別格)。だが大ヒットした90年代末リメイク版のミイラは超無敵だ――フレイザー演じる探検家とレイチェル・ワイズ演じる考古学者の卵によって、数千年の眠りから目覚めた古代エジプトの高僧は、超人的なパワーを持つ巨大なCGIオバケ。さらには人食いスカラベ、ゾンビの大群、復讐の神の顔をした砂嵐、主役2人の息のあった掛け合い。リメイク版を成功させる基本中の基本、「スリル」「恐怖」「爆笑」の3本柱をしっかり押さえている。ドウェイン・ジョンソンの役者人生をお膳立てした映画とも言えるだろう。この映画のスピンオフ『スコーピオン・キング』のおかげで、元レスラーはスクリーンでも人気を博した。—D.F.

41位『イグジステンズ』

©Dimension Films/Everett Collection

『マトリックス』が一世を風靡し、ドル箱街道を歩み始めてからわずか数週間後、デヴィッド・クローネンバーグ監督も異色SFホラームービーで、独自のパラレルワールドを描いた――ただしバレットタイム手法のハデな世界より、こちらの方がはるかにグロく、ショッキングだ。2030年、著名なバーチャルリアリティゲームの開発者(ジェニファー・ジェイソン・リー)は自己最高傑作の商品のお披露目発表会で、直前に何者かに命を狙われるが――当時の観客には、クローネンバーグ監督が描く未来はドギつすぎたようだ(エログロな外見のハイテク機器を考案するのが三度の飯より好きなことで定評がある監督というだけで、気の弱い方には十分だ)。だが2030年代を直前に控えた今、有無を言わせず人間と機械が一体化する地獄絵図をブラックに描いたこの映画は、ソーシャルメディアが日常を支配し、AIが現実の概念を巧みにゆがめる現代を予見していたといっても過言ではなかろう。たしかに、TVゲームを脊椎に直接つなぐという発想は荒唐無稽だ――少なくとも、今の時点では。だが安心するのはまだ早い。クローネンバーグが描いた「未来」が訪れるまで、あと6年しかないのだから。—T.G.

40位『アメリカン・パイ』

Universal/Everett Collection

「そうそう、前にバンドの合宿でね……」 4人の男子学生が高校卒業までに童貞を捨てようと奮闘するポール・ワイツ監督の作品は、1980年代初期のおばかコメディと、それよりも現実的でスタイリッシュなジョン・ヒューズの80年代中期青春ムービーを絶妙なバランスで融合し、ブリンク182世代向けにアップデートした映画だ(マーク・ホッパス本人が「Go Trig Boy, its your birthday!」を歌うシーンも必見)。ポルノ雑誌を教材にして、ユージン・レヴィがジェイソン・ビッグスに性教育を授けるシーンほど気まずい親子の会話があっただろうか? シャノン・エリザベス、ネット配信、ビッグスのへっぽこストリップと続く『ポーキーズ』さながらのシーンで、オチに早漏(それも2回)をもってくるようなエグいギャグが他にあっただろうか? この映画をきっかけに数十本の続編やスピンオフが生まれ、クリス・クライン、ナターシャ・リオン、タラ・リード、ミーナ・スヴァーリ、ショーン・ウィリアム・スコットといった次世代スター集団や、MILF(Mother Id Like to Fuck(ファックしたい熟女)) という罪な言葉、アップルパイとファックする快楽が広く世に知られることになった。プロムの夜にアリソン・ハニガンが限りなく陽気なトーンで告白した爆弾発言は、1999年最大の爆笑ギャグとして今も語り継がれている。—D.F.

39位『ボクと空と麦畑』

©First Look Pictures International/Everett Collection

一連のショートフィルムで高い評価を受けた後、リン・ラムジー監督が華々しく長編デビューを飾ったこの映画は、スコットランドを舞台にした感動の物語。ウィリアム・イーディ演じる少年ジェームズは、悪ふざけの最中に誤って友人を溺死させてしまい、犯した罪を誰にも言えず罪悪感を背負って生きていかざるを得なくなる。ラムジー監督はのちに『少年は残酷な弓を射る』でメガホンを取るが、長編第1作目にしてすでに、幼少期の複雑な思いに深い理解を示し、貧困と詩心が共存する時代ドラマを形にしていた。と同時に、登場人物の現実のリアルな側面にも光を当て、ジェームズの不幸な日々に訪れる束の間の喜びや感動を描いている。この作品を皮切りに、21世紀を代表する秀逸な作品が続々と続いた。—T.G.

38位『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』

Artisan Entertainment/Everett Collection

1997年、イブライム・フェレールやルーベン・ゴンザレスをはじめとするキューバ音楽の逸材を知るアメリカ人は多くなかった。そんな時、アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が世に現れた。アメリカ人プロデューサーのライ・クーダーの鶴の一声でキューバ随一のシンガーやミュージシャンが一同に集い、国外ではまったくと言っていいほど知られていなかったキューバの楽曲や音楽スタイルを披露した。アルバムの制作過程、およびその後アムステルダムとアメリカで記念コンサートが開催されるまで追ったヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリーは観客を魅了し、無名だったアーティストたちを一躍世界的スーパースターに押し上げた。アルバム同様、映画のほうも豊かなキューバ音楽の歴史が一目でわかるバイブルとなった。キューバのレジェントたちに寄せるヴェンダース監督の愛着のおかげで、観客も特別なクラブの一員に招き入れられた。—T.G.

37位『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』

©Lucasfilm Ltd./Everett Collection

16年ぶりの『スター・ウォーズ』映画の予告編が公開された時の熱狂ぶりを覚えているだろうか? 新たな世界観、新たなモンスター、新たな登場人物――悪魔のようないで立ちをした男が、両端から刃がでるライトセーバーを持ってたぜ!!!! リーアム・ニーソンとサムエル・L・ジャクソンは年配ジェダイを演じ、ナタリー・ポートマンがルークとレイアの母親で、ユアン・マクレガーは若い盛りのオビ=ワン・ケノービ役。何よりもジョージ・ルーカス本人の監督作だ! 新3部作の第1弾では、アナキン・スカイウォーカーがタトゥーインでぶらぶらしていた少年から、シューシューと音を立てる悪の権化に変わるまでが描かれるらしい。間違いなく史上もっとも騒がれた待望の映画。我先に見ようと、劇場の前には何日も前からファンが行列を作っていた……とまぁ、その後の展開はご存じの通り。ひとこと「ジャー・ジャー・ビンクス」と発するだけで、たちまちファンは喧々諤々議論を始めるだろう。1999年当時、『ファントム・メナス』は過去の栄光にすがっているかのようだった。だが賛否両論を呼んだ人気シリーズの最新作をあらためて見直すと、その後四半世紀の映画業界の方向性を示すヒントが隠れていたのが分かる。これぞまさにDis is notsen。—D.F.

36位『恋のからさわぎ』

Buena Vista Pictures/Everett Collection

『クルーレス』と『ミーンガール』を足して2で割ったような、シェイクスピアの戯曲「じゃじゃ馬ならし」の現代版。からさわぎの舞台となるワシントン州タコマの高校では、ビアンカ・ストラトフォード(ラリサ・オレイニク)が1人どころか2人の男子生徒から言い寄られていた。かたや校内イチの水も滴るいい男(アンドリュー・キーガン)、かたやシャイで心優しい転校生(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)。だが姉のキャット(ジュリア・スタイルズ)に彼氏ができるまで、男女交際はご法度。そこで寄宿舎学校の反逆児パトリック(ヒース・レジャー)が”雇われ人”としてキャットを口説き始めるが、芯の通った彼女にたちまち惚れてしまう――ジル・ジュンガー監督の映画はここから山場を迎える。スタイルズとレジャーの息のあった掛け合い天下一品。ことレジャーに関しては、孤独なカウボーイやイカれたピエロ男を演じるのは何年も先の話だが、当時から映画スターのオーラを放っていたことが見て取れる。時代錯誤なところがあるのは否めない――居残りさせられた未来の恋人を救出するキャットのやり方は言わずもがな、Save FerrisとLetters to Cleoの演奏はいやがおうにも時代を感じさせる。だがレジャーが「君の瞳に恋してる」を歌うシーンや、酔っぱらったスタイルズがテーブルに上ってノートリアスB.I.G.の曲に合わせて踊るシーンなど、2人が一緒にいる姿をみればすぐにでも、この映画を好きになる理由がごまんと見つかる。—D.F.

35位『GO』

Columbia Pictures/Everett Collection

1990年代中盤に『パルプ・フィクション』がインディーズ映画を再定義すると、猫も杓子も口達者な犯罪者と複雑に絡み合うストーリーで映画を作り始めた。だが90年代の終わりが見えてきたころ、遅ればせながらも重い腰を上げてこの手のジャンルに着手した脚本家のジョン・オーガストとダグ・リーマン監督は、大衆ウケしていた小技を排除し、それ以外のツボをしっかり押さえるという賢い選択をした。結果として完成した本作は、ちまたにあふれていたタランティーノもどきとは雲泥の差だ。スーパーの店員3人(サラ・ポーリー、ケイティ・ホルムズ、デスモンド・アスキュー)のやりとりで幕を開けると、ストーリーは3つの不運な旅に分かれして展開。追い詰められたにわか麻薬密売人は思わぬ才能を発揮し、シン・シティの休日――「ベガスだぜ、ベイビー!」――の旅はおかしな方向へと進み、隠れゲイの役者2人組は九死に一生の危機を2度も体験する。人の心を読める猫、カーチェイス、神秘的な3Pはレベル3の火災を起こし、アラームが永遠に鳴り響く。「Gangster Trippin」「Steal My Sunshine」、「マカレナ」のリミックスなど、映画のサントラはさながら世紀末を凝縮したタイムカプセルだ。ダグ・リーマン、サラ・ポーリー、『デッドウッド』でブレイクする前のティモシー・オリファント、テイ・ディグスのその後の活躍も感じられる。タイトルの『GO』は3つの小話で発せられる号令を指すが、怒涛のような勢いでストーリーが展開していることを考えると、ある種の意志表明に近い。—D.F.

34位『ベストマン』

David Lee/Universal/Everett Collection

若手作家ハーパー・スチュワート(テイ・ディグス)のデビュー小説がついに出版される。ふつうなら仲のいい大学時代の旧友から祝福されそうな話だ。ただし仲間の1人が手にした草稿には、仲間内での悪さや不品行、密やかな逢瀬が包み隠さず暴露されていた。友人ランス(モリス・チェスナット)の結婚式で再会するや、数々の秘密が暴かれ、やけぼっくりに火がつき、とても祝いムードではなくなる。脚本と監督を手がけたマルコム・D・リーは、『再会の時』さながらのおなじみの筋書きをベースに、愛、セックス、一夫一妻制、貞節、浮気の代償をテーマにした本音トークを展開する。ディグスと仲間が激論を交わすシーンのいくつかはあまりにも生々しく、隣で会話を盗み聞きしているような気分だ。ディグス、チェスナット、ロング、ハロルド・ペリノー、テレンス・ハワード(主役を食うような存在感)、サナ・レイサン、モニカ・カルフーン、『スケアリー・ムービー』でブレイクする前のレジーナ・ホールと、1999年の精鋭を結集したのもポイントが高い。当然のごとく続編も製作され、TVシリーズでは登場人物が中年の憂いと戦う姿を描いている。—D.F.

33位『死神博士の栄光と没落』

より人間味のある死刑制度を策定することに一生を捧げたフレッド・A・ロイヒターをご紹介しよう。変わり者だが、どうやら崇高な目的を抱いているらしい――そこから一体なぜ、ユダヤ人集団虐殺を否定するようになったのか? ドキュメンタリー監督のエロール・モリスは、複雑で、時に世間を憤慨させるような人物を多く取り上げることが多いが(ロバート・マクナマラ、ドナルド・ラムズフェルド、スティーヴ・バノンで映画を1本作ろうとする人間が他にどこにいる?)、この映画の公開から25年経った今もなお、モリス監督の題材の中でもロイヒターは極めて不可解で、哀れな人物だろう。誤った持論と、ネオナチでも構わないから愛されたいという願望に取りつかれた男。1999年当時なら、虚栄と愚かさを描いた作品として笑い飛ばせたかもしれないが、今となっては誰も聞く耳を持たなかった警告のようにも感じられる。—T.G.

32位『ゴースト・ドッグ』

Artisan Entertainment/Everett Collection

さすらいの暗殺者というクライムムービーではおなじみの設定に、ジム・ジャームッシュ監督は内に秘めた映画熱とさりげない感性を盛りこみ、日本の時代劇、中国のカンフー映画、イタリアンマフィアの物語、NYCのヒップホップ・カルチャーで味付けした。フォレスト・ウィテカー演じるプロの殺し屋、通称ゴースト・ドッグは、伝書鳩で組織とやりとりし、何世紀も続く厳格な武士道の掟に忠実な謎めいた存在。任務中に情けを見せたのが仇となり、地元ギャングに命を狙われる。おぬし、選択を間違ったな。世直し西部劇の傑作『デッド・マン』(1995年)から間髪置かずに公開され、複数のジャンルにオマージュを捧げたこの映画に、筋金入りのジャームッシュ・ファンは物足りなさを感じた。だが老いぼれ侍の物語は年月とともに深みを増し、禅僧のようなウィテカーの演技もいまやキャリア最高と言ってよかろう。RZAのサントラは、当時もさることながら、今の時代にも完璧にマッチしている。流し台の排水溝から手のこんだ方法で殺される直前、クリフ・ゴーマンに「Cold Lampin With Flavor Flav」のフレーズを歌わせる辺りもまたニクい。—D.F.

31位『ギャラクシー・クエスト』

DreamWorks/Everett Collection

1999年に公開されたこの映画は、他のコメディが足を踏み入れなかった領域に大胆に踏み込んだ。それは高尚な問いから始まる。実在するエイリアンが、カルト的人気を誇る名作SFドラマのキャストを本物の宇宙船乗組員と勘違いして、実在する地球外生物の悪者との戦いに徴集したとしたら? おたくファンを抱える実際のTVシリーズと似ている部分があってもご愛敬。とはいえ、熱烈なスタートレック・ファンやコスプレ大会、過去の栄光で食いつなぐ俳優を茶化したこの映画は、SF愛にあふれんばかり。そのうえファン垂涎の豪華メンバーがそろい踏みだ。ティム・アレンはウィリアム・シャトナー張りに怒鳴り散らし、女性をバカにするような物言いにシガニー・ウィーバーはあきれ顔。アラン・リックマンは最高の皮肉を飛ばし(「俺はリチャード三世を演じた役者だぞ! カーテンコール5回だ!」)、トニー・シャルーブは冷静沈着な宇宙船エンジニアという役に徹し、サム・ロックウェルは端役が殺される確率をくどくど嘆く。とくに前評判もなく、期待もされず、クリスマスに合わせて公開された『ギャラクシー・クエスト』は、カルト作品を真剣に面白がることでそれ自身もカルト化した。熱狂的なファン――それが最後のフロンティアだ。—D.F.

30位『オール・アバウト・マイ・マザー』

Sony Pictures/Everett Collection

ダグラス・サーク、母親、『イヴのすべて』、そして演じること――これらを重んじながら、誇張された演劇様式と感動ドラマの教会を完全に排除した、ペドロ・アルモドバル監督の最高傑作。セシリア・ロス演じるマヌエラは、息子の痛ましい死と向き合うべく、しばらく連絡が途絶えていた夫を探しに出る。その過程で、ペネロペ・クルス演じるエイズに感染した身重の尼僧など、母親の存在を求める人たちと出会う。影の努力で社会を支える人々への愛情を中核にしたこの作品で、アルモドバル監督は、初期作品にみられるやんちゃなユーモアを犠牲にすることなく、洗練された感情表現と演出手法を総動員し(ハリウッド黄金期に送るラブコールもそのひとつ)、世界的人気の映画監督から成熟したアーティストへと進化した。—T.G.

29位『風が吹くまま』

Cohen Media Group/Everett Collection

生と死、持てる者と持たざる者の軋轢に思いをはせた美しくもはかない作品で、今は亡きイランの語り部アッバス・キアロスタミは(代表作に『クローズ・アップ』『桜桃の味』)は華麗なる90年代を締めくくった。ベーザード・ドーラニー演じるテヘラン出身の映画監督は、最小限の撮影クルーを引き連れてクルド人の住む村へ向かう。間もなく死を迎えるであろう100歳の老婆と、村に伝わる一風変わった弔いの儀式を撮影するのが目的だ。だが村人について深く知るうちに、撮影は思わぬ壁にぶつかる。問題の老婆に死ぬ気配が見えないのだ。キアロスタミ監督は人里離れた環境や困窮状態に置かれた人々の物語をしばしば取り上げたが、芸術表現と引き換えに被写体の人々を搾取していたのではないか、とこの映画で自問している。そうした自己批判が作品に深みを与え、先入観を捨てて心のひだの明るい部分に目を向けるよう観客を促している。—T.G

28位『ノッティングヒルの恋人』

MCA/Everett Collection

この映画が投げかけた永遠の問い。平凡な書店のオーナーが、世界一有名な女優と真の幸福を見つけることは可能だろうか? 答えはもちろんイエス――ただし、その女優が1人の女の子で、目の前にいる好きな男性に愛してほしいと願っている場合に限る。ご存じの通り、その男性とはヒュー・グラントだ。『フォー・ウェディングス』の脚本家リチャード・カーティスがロジャー・ミシェル監督と手がけた現代版『ローマの休日』が90年代を代表するラブコメディといわれるゆえんは、キャスティングの妙にある。なにしろジュリア・ロバーツを彷彿とさせる憧れの超有名人を、ジュリア・ロバーツ本人が演じているのだから。相手役には、スキャンダル歴にもかかわらず、魅力と色気がピークを迎えたラブコメの帝王グラント。脇を固める共演陣は、ジーナ・マッキー、ティム・マッキナリー、エマ・チェンバーズ、ヒュー・ボネヴィルらカーティス作品の常連組。今思えば短絡的な配役という感じもする。時々センチメンタルなやりとりが挟み込まれるものの、歴代ラブコメの上位に挙げるには物足りない。「マスかきウェールズ男」で世界最悪のルームメイトを演じたリス・エヴァンスがせめてもの救いだ。—D.F.

27位『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』

©GramercyPictures/ Everett Collection

1990年代の大半は次のタランティーノ探しに費やされた。だがふたを開けてみれば、口達者な犯罪者の山と中身ゼロのクールさしか残っていなかった。それでも、イギリスの映画監督が笑いとドンパチとイカした音楽をまったく新しい形で融合したらしい、との噂が海の向こうから流れてくると、アメリカ人は色めきたった。そして1999年3月、盗まれた骨董品の銃でクセの強い社会のはみ出し者が団結するというガイ・リッチーの処女作が大西洋を越えて上陸すると、期待通りの内容に人々は胸をなでおろした。詐欺師、変人、ロンドンの下町なまり、UKの若者文化がいっしょくたになったこの作品は、ジェイソン・ステイサムという未来のアクションヒーローを世に知らしめ、有象無象な英国クライムストーリーの新時代の幕を切った。この映画が確立した成功の方程式は、ハリウッドで引く手あまたとなったリッチー自身もたびたび応用することになる(『ジェントルメン』がいい例)。古臭くささは否めない――だが今でも一見の価値ありだ。—D.F.

26位『オーディション』

Vitagraph Films LLC/Everett Collection

多作で知られる日本の三池崇史監督にとって、1999年はブレイクの年だった。警察とヤクザの壮絶な戦いを描いた限界突破の『DEAD OR ALIVE犯罪者』と、一見地味だが不穏な雰囲気が流れるホラー映画『オーディション』の2本が国際映画祭に出品されたからだ。神経を逆なでする三池崇史の才能といってまっさきに頭に浮かぶのは後者だが、本作では不運な主人公の神経も逆なでしている。原作は村上龍の小説で、男やもめ(石橋凌)がTV番組を装って新しい妻を「オーディション」するというストーリー。彼が選んだ元バレエダンサーの麻美(椎名英姫)は家庭的でしっかりした女性の典型に見えた。ネタばれすると、実はそうではなく、背景に映る大きな袋がごそごそ動き始めた途端に映画は方向転換し――ここから力関係が逆転すると前置きされていても、その後の展開は予測不能。熱狂的なホラーおたくでさえ、ラスト20分間は目を覆わねばならなかったほどだ。ここにB級ホラーのスターが誕生した。—D.F.

25位『リプリー』

Miramax/Everett Collection

パアトリシア・ハイスミスが生んだ上昇志向の移り気なソシオパスは、これまで何度となく銀幕を飾ってきた。1960年には『太陽がいっぱい』でアドニスのような見目麗しきアラン・ドロンが、最近ではNetflix配信のドラマ『リプリー』で狡猾なまなざしのアンドリュー・スコットが、主人公の詐欺師トム・リプリーを演じている。アンソニー・ミンゲラ監督による本作では、不器用な永遠のスイートボーイ、マット・デイモンが主演ということもあり、おそらく今日まで一番とっつきやすいリプリーだろう。だが童顔に騙されてはいけない。大衆小説の主人公は百の顔をもつ詐欺師。上流階級をうらやみ、一度奪われた贅沢な暮らしを渇望し、嘘を隠し通すためなら殺しも厭わない。エンディングではミンゲラ監督がアンチヒーローに寄せた同情が伺えるが、それでも頭の切れる青年が犯した罪を水に流すことはできない。郷愁を誘う1950年代後半の華やかなヨーロッパを舞台に、羨望の的であり、いいカモでもある特権階級の「優遇されて当たり前」といったオーラを、ジュード・ロウとグウィネス・パルトロウがみごとに醸し出す。一流の役者はたとえ脇役でも印象に残ることを、ケイト・ブランシェットとフィリップ・シーモア・ホフマンは証明した。ホフマンにいたっては、いけ好かないパーティアニマルのぼんぼん役で史上最高の登場シーンを見せている。—D.F.

24位『アイアン・ジャイアント』

Warner Bros/Everett Collection

あっと驚くCGでピクサーがアニメの未来を形成しつつあったまさに同じころ、ブラッド・バードは手描きアニメの温かみと最新技術を融合し、昔ながらのアニメーションの楽しさを思い出させてくれた。『ザ・シンプソンズ』黄金期にクリエイティヴディレクターを務めたバードの長編デビュー作『アイアン・ジャイアント』は、ストーリーのほうも、少年と相棒というおなじみの設定だ――ただしここでの相棒は犬ではなく、冷戦まっただなかの時期に宇宙から東海岸に不時着したロボット。風刺も華もなく、いたってシンプルだが、愛らしい平凡な少年ホーガースと(イーライ・マリエンタール)心優しいアイアン・ジャイアント(グルートの声でおなじみヴィン・ディーゼル)の友情を中心に展開するストーリーは、政府が無情にもロボットの破壊を試みることで、単純では終わらない。監督はのちにピクサーとタッグを組んで、小粋でスタイリッシュな『Mr. インクレディブル』を手がけるが、『E.T.』を彷彿とさせる隠れた名作のほうがずっと温かみがある。感動的なエンディングは、大人も子どもも号泣せずには見られない――ロボットもスーパーヒーローになれることを実感できる映画だ。—T.G.

23位『ラン・ローラ・ラン』

©Sony Pictures/Everett Collection

『リトル・マーメイド』のように髪を真っ赤に染めたフランカ・ポテンテが、タンクトップとライムグリーンのパンツ姿でベルリンを疾走する。ドイツの映画監督、トム・ティクヴァの出世作の代名詞ともいうべき力強いイメージには、抗いがたいところがある(ぶっちゃけ、ヒロインの格好は1999年のベルリンと同じくらい、2024年のブッシュウィックでも通用しそうだ)。彼女の名前はローラ。電車に金を置き忘れた恋人を救うために、10万マルクを用意するという絶体絶命のミッションを背負っている。ロケット弾のごときスピード感もさることながら、冒頭から終わりまでクリエイティビティが炸裂。サントラの重低音クラブミュージックも作曲したティクヴァ監督は、アニメーション、先の展開をチラ見させるフラッシュフォワード、白昼夢、逆回しなど、ありとあらゆる手法を駆使して、ストーリーを前へ、もっと前へと加速させていく……—E.Z.

22位『トイ・ストーリー2』

Buena Vista Pictures/Everett Collection

たとえピクサーがシリーズものを量産しても、1作目と同じぐらい続編の出来も良ければ文句はないだろう。当初『トイ・ストーリー2』はビデオ作品としてリリースする予定だったが、関係者はヒットの可能性を見出した。アンディの子ども部屋の大事なおもちゃたちが織り成す冒険の第2章は、躍動感と痛快さで1作目にひけをとらないだけではない。ほつれた腕を抱えたカウボーイ人形のウッディを、己の価値が試される道徳的ジレンマと向き合わせ、永遠のテーマを深く掘り下げている。一方サラ・マクラクランのバラードをバックに失われた愛と純真を回想させるシーンは、涙なしには観客を帰さないピクサーお得意の巧妙な手口だ。1作目から立派にバトンを受け継いで、続編という概念を書き換えた作品だ。—A.A.D.

21位『リストラ・マン』

20th Century Fox/Everett Collection

究極の職場コメディ――過去25年もっとも話題に上る映画は、マイク・ジャッジが意図したものではなかったかもしれない。不満を募らせたクソ真面目な社員(ロン・リヴィングストン)はひょんなことから昏睡状態に陥り、禅の虚無の境地に目覚める。25~55歳の年齢層を適当につかまえて尋ねてみるといい。検査手順報告書に新しい表紙をつけたか? 君は「バッヂ」を何個つけている? 赤いホチキスを盗ったのは誰だ? ほとんどと言っていいほど、すぐに『リストラ・マン』のセリフが一字一句たがわず返ってくるだろう。ジャッジ監督の選りすぐり爆笑メンバーによる十数ものギャグの中から1つ選ぶのは不可能かもしれないが(ディードリック・ベイダー演じる長髪の隣人は別次元)、パネルで仕切られたスペースで味わう屈辱の日々を揶揄ったこの作品に抱腹絶倒する理由は、誰もが身に覚えのあるからだ。会社勤めをしたことがある人なら、ゲイリー・コール演じる粘着質のボスや、デヴィッド・ハーマン演じるラップかぶれの同僚、スティーヴン・ルート演じる社会不適合者、リチャード・リール演じる心配性の中年など、似たような人間が知り合いにいるはずだ。誤作動を起こすプリンターをぶっ殺してやりたいと思ったことのない人間などいるだろうか? —D.F.

20位『ボーイズ・ドント・クライ』

20th Cent. Fox/Everett Collection

コロンビア大学で映画製作を学んでいたキンバリー・ピアースは、たまたまヴィレッジヴォイス誌の記事で、テキサス州でトランスジェンダーの男性が殺された事件を知った。彼女の処女作が公開されると、ブランドン・ティーナという名はトランスジェンダーが残酷な世界で直面する危険を象徴するだけでなく、自分に正直に生きる喜びと解放感の代名詞と化した。ティーナ役を演じたヒラリー・スワンクは当然のごとく、オスカーを受賞。クロエ・セヴィニー演じる歌手の卵ラナ・ティスデルと固いきずなで結ばれたティーナはテキサスにささやかな居場所を見出すが、事態は最悪の方向へ。ティーナが暴行・殺害された夜の出来事を、ピアース監督は安易に安売りすることなく、実際に起きた悲劇の裏側に焦点を当てている。結局のところ、それが『ボーイズ・ドント・クライ』のメッセージ――これは憎悪の物語であると同時に、愛の物語でもあるのだ。

19位『Last Night』

©Empire Pictures/Everett Collection

史上もっともカナダらしい世紀末へようこそ。謎の環境危機により、世界は深夜0時に滅亡しようとしている。祈りを捧げる者もいれば、パーティに明け暮れる者、街で暴動を起こす者。だが大半の人々は意地らしいほど律儀だ――終焉が迫る最後の数時間、トロントのガス会社の部長は自宅から顧客に電話をかけまくり、停電の心配はございませんと太鼓判を押す(ちなみに演じているのはデヴィッド・クローネンバーグ。どんだけカナダ人を集めれば気が済むんだ?)。胸がつまされる隠れた名作は、カルト的人気を誇るシットコム『Twitch City』のドン・マッケラーの監督作。脚本と主演もこなし、サンドラ・オーやサラ・ポーリー、ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドなど当時無名だったカナダ人俳優とともに、手遅れになる前に人間らしいつながりを探し求める男の役も演じている。—R.S.

18位『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』

Artisan Entertainment/Everett Collection

むかしむかし、3人の映画学校の学生が都市伝説を追ってメリーランド州の森へ足を踏み入れた。3人は行方不明――だが彼らの撮影したビデオの映像が見つかった。1999年のサンダンス映画祭で上映されるや一大センセーションを巻き起こし、発掘映像ホラーという新たなブームの火付け役となった。監督のエデュアルド・サンチェスとダニエル・マイリックは、プレミア上映の数カ月前から偽のwebサイトを立ち上げて、この映画が実話だという噂を仕込んでいた。同じ年の7月に劇場公開されるころには話題騒然。実録犯罪ドキュメンタリーの撮影が思わぬ方向に発展までをあえて素人風に撮影したこの映画は、果たしてやらせか否かという問題はすでにどうでもよくなっていた――ゲリラ手法のえせドキュメンタリーは、すでに史上最大のインディーズ映画ヒット作と称されつつあった。カメラに覆いかぶさって「ものすごく怖い」とすすり泣くヘザー・ドナヒューは、公開から1週間も経たないうちにネタにされた。手振れ映像の地獄がようやく収まる謎めいたエンディングには、今でも背筋が凍る。—D.F.

17位『サウスパーク/無修正映画版』

Everett Collection

コメディ・セントラルの人気アニメ『サウスパーク』を、トレイ・パーカーとマット・ストーンはどうやって1本の長編映画に収めるつもりだろう?と、人々は首を傾げた。『無修正映画版』はオリジナルのギャグを笑っちゃうほど長い尺に収めただけでなく、レガシーとポップカルチャーにおける地位を数十年先、果ては未来永劫まで永続させた。しかもその上ミュージカル仕立てときたもんだ! 限られたスペースにこれほど汚い言葉を詰め込んだ社会風刺作品は類を見ない。エミネムの『Slim Shady』がリリースされた直後に劇場公開されたこの映画は、唖然とする放送禁止用語が許容される新時代の訪れを告げるかのようだった。だが一番の衝撃は、この映画がいまだ色褪せないことだ。「Uncle Fucka」「Blame Canada」をはじめとする楽曲は今聞いても大爆笑だし、映画で描かれるエセ反検閲聖戦はVチップという形で終わりを迎えたものの、カートマン、カイル、スタン、ケニーのキャラクターパワーは永久不滅。人気アニメもそのうち飽きられるだろうとタカをくくっていた映画会社のお偉方は、最後にひと儲けさせてもらおうと考えていたが、ところがどっこい、とんでもない名作が誕生した。—J.D.

16位『トプシー・ターヴィー』

当時のマイク・リー監督は、陰欝なリアリズムに走ることなく、イギリスの労働者階級や中流階級の苦悩と喜びを丁寧に描く詩人として広く知られていた。そのため監督が180度転換し、1885年にオペラ『ミカド』を製作したW・S・ギルバートとアーサー・サリヴァンの壮大な伝記映画に着手すると聞いて、衝撃を受けた人は少なくなかった。だが1999年にプレミア上映されるやたちまち絶賛、その評判は歳月を追うごとにますます高まるばかりで、いまや希代の名作と称されている。ジム・ブロードベントとアラン・コードデュナー演じるギルバートとサリヴァンは、気難しく気分屋で、時に弱音を吐き、長年の友情がもつれるととことん受動的攻撃になる。だがつねにアーティストを大事にし、日本文化の展覧会を鑑賞したギルバートにひらめきが訪れると、協力しながら互いの才能を引き出し合う。ブロートベント、ティモシー・スポール、レスリー・マンヴィル、アリソン・ステッドマン、シャーリー・ヘンダーソン、カトリン・カートリッジといったおなじみのメンツが顔を揃えるが、たとえ彼らの存在がなくとも、役者と、役者が自由に演じられるようお膳立する製作スタッフへの愛情が伝わってくる。監督自身も表現を生業とする人々について、「自分たちの仕事、自分たちの経験を題材にした映画を作ってもいいんじゃないかと思った」と語っている。陛下、任務完了です。—D.F.

15位『アイズ・ワイド・シャット』

Warner Bros/Everett Collection

製作に10年以上の歳月をかけたスタンリー・キューブリックの遺作――人間性を殺伐と描く巨匠が、まさか愛と結婚をテーマにブラックユーモアを交えた映画を作るなんて想像できただろうか? まるで火と油じゃないか?!イメージ脱却を図るトム・クルーズが巧みに演じたビルは、マンハッタン在住のこじゃれた医師。自分が人間関係やセックス、複雑な心情をまったく理解していないことに気づき、妻アリスの不倫未遂の衝撃告白に触発され、夜のニューヨークで非現実的な体験をする。アリス役を演じていたのが当時クルーズと結婚していたニコール・キッドマンだったため、大物夫婦の私生活が垣間見れるのではと期待して『アイズ・ワイド・シャット』を観に行った人も多かった。だが代わりに観客が目にしたのは、キューブリックのもっとも個人的なメッセージだった。3番目の妻クリスティーヌと40年間連れ添ったキューブリックは、なにより家庭を大事にする人だった――人類に抱いていた失望とは裏腹に、家庭ではたっぷり愛情を堪能していたのだ。とはいえ『アイズ・ワイド・シャット』は、どんなに幸せな夫婦の間にも恐怖や要望が漂っていることを白昼の下にさらけだした。今ではクリスマス映画の定番に挙げられるキューブリックの遺作は、愛と波乱に満ちた休日を独自の視点でとらえ、こう訴える。クリスマスは大事な人と過ごしなさい――たとえ知らないほうが幸せな秘密を抱えているとしても。—T.G.

14位『素晴らしき映画野郎たち』

ドキュメンタリーのようなホラー映画(前述18位を参照)を輩出したサンダンス映画祭は、同じ年にコメディ映画のようなドキュメンタリーも世に送り出した。どんな脚本家でも、マーク・ボーチャートのような登場人物は思いつくまい。映画の主人公はウィスコンシン州在住の哀れなホラー映画おたくで、意見を絶対に曲げない頑固なクリエイター。低予算オカルト・ヒット作を作るという壮大な野望は、時に大志か才能か(あるいはその欠如)というくだらない口論に発展し、クリス・スミス監督は被写体をおちょくっていると批判する意見もある。だがむしろこの作品は、ボーチャートの創作意欲をどこまで信じられるかを試すロールシャッハ・テストだ。中西部のエド・ウッドが見せる不屈の精神――タイトルに燦然と輝くアメリカの精神――を少しでも好ましく思えるかどうかは、写し鏡として観客にそっくりのまま返ってくる。フィクションであれノンフィクションであれ、やる気だけでひたすら映画を作ろうとする大きな難題を、これほど見事に描いた映画はそう多くない。—A.A.D.

13位『スリー・キングス』

Warner Bros/Everett Collection

デヴィッド・O・ラッセル監督の初期の2作品、『Spanking the Monkey』と『アメリカの災難』から浮かび上がるのは、既存のジャンルの枠をはみ出して自由に色を塗りたくるインディーズ界の天才わんぱく小僧。だがそうした野心は3作目で大暴走した。1991年、湾岸戦争終盤を舞台にした『スリー・キングス』は、戦争の狂気――そしてアメリカ合衆国の好戦的な外交政策の愚かさを、ブラックユーモアを交えて描いた作品。威勢だけはいいアメリカ兵が(ジョージ・クルーニー、マーク・ウォールバーグ、アイス・キューブ、スパイク・ジョンズ)いわくつきの金塊を探しに出るが、最終的に行きついたのは苦痛に満ちた世界だった。クルーニーが撮影中ラッセル監督と衝突した話は有名で――今年の夏も、オスカー俳優は監督のことを「みじめなクソ野郎」と呼んでいる――数十年経った今でさえ、現代版『黄金』のカオスぶりや制御不能に陥る様子が感じ取れる。とはいえ、延々と続く狂気があるからこそ、痛烈な戦争批判とも言えるこの映画は観客を惹きつける。劇場公開された当時は8年続いたビル・クリントン政権が終わり、湾岸戦争も過去の記憶となっていたが、わずか2年後には9/11の恐怖が待っていた――過去の教訓を学ばなかったアメリカは、その直後イラクに再び派兵。過去に対する怒りをぶちまけたラッセル監督だったが、まさか未来を予見していたとは本人にも知らなかった。—T.G.

12位『シックス・センス』

Ron Phillips/Buena Vista Pictures/Everett Collection

話題を呼んだM・ナイト・シャマラン監督の怪奇映画を、予備知識なしで見た人がうらやましい。あの夏ダークホース・ムービーに観客の足を運ばせた口コミの力は、同時に大きな秘密も暴露してしまった。だからといって面白味がそがれるわけではない。孤独、疎外感、生きる目的をテーマにした良質な超能力ドラマで終わっていたものを、観客をあっと驚かせたラストの数分間はいまや伝説だが、この作品の真の魅力はそれを凌駕する。いつになく抑え気味のブルース・ウィリスや、千里眼の能力に怯える少年役でオスカーにノミネートされたハーレイ・ジョエル・オズモンドのような繊細な演技が見られる超ヒット作は珍しい。シャマラン監督についてもまたしかり。内に眠るロッド・サーリングを呼び覚ましつつ、のちの紆余曲折な映画人生を決定づけるもうひとつの才能を発揮している――シャマランの伝統を踏襲した緻密な職人技は、ヒッチコックやスピルバーグに引けを取らないと称えられた。—A.A.D.

11位『イギリスから来た男』

Artisan Entertainment/Everett Collection

『パルプ・フィクション』以降、1990年代後期のインディーズ映画界では誰もが時系列をいじくりまわしていた。だがスティーヴン・ソダーバーグほど意図的に、魅惑的に、スタイリッシュにやってのけた監督はごくわずかだ。エルモア・レナードの小説を独自のスタイルで映画化した『アウト・オブ・サイト』の後、ソダーバーグ監督は同じ手法を踏襲し、異邦人の物語を端的に描いた。ここでの異邦人は、娘の死の真相を探るべくロサンゼルスにやってきたイギリス人の泥棒(怒りと心痛をかかえたテレンス・スタンプ)。ソダーバーグが台本をカットして書き変えたことを脚本家のレム・ドブスが根に持っていたのは有名な話で、DVD化された際には史上もっとも激しい激論がオーディオ解説で交わされた。だが思い切ってカットしたことが、この映画の並々ならぬ力強さにつながっている。単純で粗野な復讐心に精神的深みを与え、愛する者を奪われたスタンプの復讐心にひそむ理性、追憶、悔恨を観客に垣間見せる。スタンプの出演作品『夜空に星のあるように』の映像を若かりし頃の回想シーンとしてサブリミナルに挿入する辺りは、いかにもソダーバーグらしいニクい演出だ。—A.A.D

10位『天才マックスの世界』

Walt Disney Co./Everett Collection

冒頭で例外が1つあると書いたのを覚えているだろうか? これがその例外だ――ウェス・アンダーソン監督の長編2作目は、厳密には1998年の年の瀬、もう少しで1999年というタイミングで公開された。だが翌1999年2月19日に大ブレイク。驚異的で常識はずれな1年をこれほど体現した映画はそうそうない。この映画の公開当時、テキサスのマヌケ強盗団を描いた1996年のデビュー作『アンソニーのハッピー・モーテル』はまったくの無名だった。共同脚本のオーウェン・ウィルソンにいたっては、『アナコンダ』で最初に死ぬ役者の1人としか認識されていなかった。だからこそ、『天才マックスの世界』の完全に出来上がった感性は衝撃的だった――独自のこだわりでポップカルチャーのかけらを積み上げていくのを得意とするアメリカの映画監督、「ウェス・アンダーソン」が誕生した瞬間だ。これが出世作となったジェイソン・シュワルツマンが演じたのは、進学校に通う変わり者のマックス・フィッシャー。演劇部の劇作家で、ビル・マレー演じるビジネスマンやオリヴィア・ウィリアムズ演じる未亡人と奇妙な友情を育んでいる。愛情に満ちたほろ苦いコメディドラマからは、まだ20代だったアンダーソンの映画人生の片鱗がうかがえる。映画のサントラはキンクス、クリエイション、ストーンズのブリティッシュ・インベーション時代の隠れた名曲ばかり。1999年の映画で5本の指に入るダメキャラが、フェイセスの「Ooh La La」に合わせて踊るラストシーンは涙がちょちょぎれる。マレーに関しては、何度目かの挑戦でようやくカムバックが実現し、アートフィルムの帝王として新たなスタートを切った。—R.S.

9位『ファイト・クラブ』

Everett Collections

「できるだけ強く俺を殴ってくれ」……そうそう、ファイト・クラブのルールその1は、ファイト・クラブについて口外しないこと――だがチャック・パラニューク原作、デヴィッド・フィンチ監督の異様で俗悪な作品を抜きにして1999年は語れない。軟弱な男どもが血まみれの拳の先に生きる喜びを見出し、果てはエネルギーをほとばしらせてそれをぶち壊すという(幸い、社会は憤怒に燃える野郎どもに煩わされずに済んだ。完)病的な風刺作品は、同年公開の秀作がそうだったように、当時の風潮に完璧にマッチしていた。それだけではなく現代にも通じ、未来を不気味に予感させる部分もある。ブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンは今もなおアルファ男性のシンボルとして君臨し、エドワード・ノートン演じる自虐的な平凡男は、現代消費社会になじめない人々から共感を集め続けている。ピクシーズの「Where Is My Mind」は、不平をたれる代わりに社会に喝を入れる映画のサウンドトラックとしてこの先も永遠に語り継がれるだろう。『ファイト・クラブ』に映るのは、スーパーヒーロー軍団に取って代わられる前の、過ぎ去りしアメリカ映画の雄姿。だが同時に現在、そして驚くなかれ未来の姿も見て取れる。—D.F.

8位『ストレイト・ストーリー』

©Buena Vista Pictures/Everett Collection

1990年代にデヴィッド・リンチ監督が世に送り出したのは、ほとんどがセックスと暴力と数奇に満ちた世界を不気味に、かつシュールに描いた作品だった。ところが1999年にディズニー配給の映画を製作。近年まれにみる奇妙な組み合わせと言っていいだろう。『ストレイト・ストーリー』はリンチ監督作の中でもっとも”ノーマルな”映画かもしれないが、だからといってアブノーマルな実験的映画よりも見劣りするわけではない。疎遠だった弟を訪ねるためにアイオワからウィスコンシンまで草刈り機で移動した男、アルヴィン・ストレイトの実話をもとにした心温まる『ストレイト・ストーリー』は、度々リンチとタッグを組んでいるメアリー・スウィーニーの肝いり作品で、ジョー・ローチが共同脚本に加わっている。のんびりペースの旅に出た73歳の老人役に抜擢されたリチャード・ファーンズワースは、ストイックな優雅さでアルヴィンの揺るがない決意を演じている。道中はさまざまなドラマ、様々な出会いの連続で、アルヴィンは家出した若い妊婦やサイクリスト集団に遭遇。老いについて尋ねられたアルヴィンの答えは、「歳を取って最悪なのは、若いころの自分を追覚えていることだ」。ファーンズワース演じる菩薩のようなアルヴィンを中心に、古き良きアメリカ、人とのつながりに根付いた国の姿が全編にわたって描かれる。—E.Z.

7位『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』

©Paramount/Everett Collection

フリックに一票を! トム・ペロッタの小説をアレクサンダー・ペインが監督した痛快ムービーは、復讐劇の様相で幕を開ける。マシュー・ブロデリックが演じる人望厚い中西部版チップス先生は、同僚の教師が逮捕・懲戒免職処分されたことに怒りを覚えている。リーズ・ウェザースプーン演じる女子生徒トレイシー・フリックに手を出したのだから当然といえば当然なのだが、自分は生徒会長になる「運命」だと信じる上昇志向の高いフリックを目の敵にし、クリス・クライン演じるイケメンで筋肉バカのアメフトの花形を対立候補として擁立する。ほどなく第3の候補者が、「迷える子羊の生徒諸君、何をしても無駄です!」というプラカードを掲げて出馬する――そこから先のドタバタ劇はご存じの通り。のちに相当数の人々が、闘志に燃えるブロンドの女子高生を2016年大統領選挙のとある候補者になぞらえ、同じく相当数の人々が、1999年にフリックが事実上の悪役とされていたことに疑問の声を上げた。他に例をみない政治風刺ムービーをペイン監督が世に送り出してから数十年、つまらない不満から発展したスキャンダル、選挙結果をめぐる論争、権力階級の腐敗、ポピュリスト思想という形で現れたニヒリズムを鋭くついたメスは、ますます鋭さを増すばかりだ。25年前、アメリカ映画界を異様なほど盛り上げた1年のベストムービーで、『ハイスクール白書』は堂々のトップ当選を果たした。だが今になってみると、あまりにも先を見据えていたようで恐ろしい。—D.F.

6位『美しき仕事』

見よ、我々が無意識のうちに望んでいた『ビリー・バッド』の映画化を、外国人部隊がやりやがった! 軍隊生活と秘めた思いを描いたハーマン・メルヴィルの遺作を、フランス人映画監督クレール・ドゥニは現代の西アフリカに舞台を移し、美しき新兵(グレゴワール・コラン)と嫉妬深い曹長(ドゥニ・ラヴァン)を軸に、現代の男らしさが崩壊する物語を印象的に描いた。撮影監督のアグネス・ゴダールが映し出す、まばゆい太陽の下での行進や真夜中のクラブの喧騒のシーンはどこか熱を感じさせ、ドゥニ監督はオペラのアリアやニール・ヤングの「Safeway Cart」などを駆使して、部隊の訓練をミュージカルに変えた。90年代最後の年に金字塔を打ち立てたこの映画は、陳腐な方向に走りがちだった90年代後期のヨーロッパ・アート系シネマに、新たな風と地獄の釜のような熱を吹き込んだ。これで終わりかと思った矢先、Coronaの「Rhythm of the Night」が流れたとたんラヴァンがダンスフロアで踊り出し、観客をトランス状態に陥らせる。—D.F.

5位『ヴァージン・スーサイズ』

©Paramount Classics/Everett Collection

今も話題を呼ぶソフィア・コッポラの長編デビュー作は、郊外ののどかな夏の風景に残酷な映像がカットインする冒頭のシーンでたちまち観客を虜にした。父フランシスの末娘として片づけられないことが明らかになった瞬間だ。ジェフリー・ユージェニデスの同名小説を映画化したこの作品には、ッポラ監督の感性が随所に流れている。リスボン家の美しい金髪の5人姉妹がそれぞれ悲劇的な最期を迎える経緯が、憂いを帯びた幻想的な映像で、描かれる。5人ともまるで天使のようだが――青空の雲をバックに、キルスティン・ダンスト演じるラックス・リスボンの顔が浮かび上がるシーンは忘れられない!――自殺という痛ましい現実や、一家が鬱病を患っていることを認めようとしない両親(キャスリーン・ターナーとジェームズ・ウッズ)のかたくなさも描かれる。『ヴァージン・スーサイズ』はコッポラが映画人生を踏み出した最初の1歩だが、ダンストとの実り多き共同作業の始まりでもあった。ダンストはその後もコッポラの永遠のテーマ、10代の少女が抱える痛みと喜びを体現していく。彼女の微笑みは観客を魅了してやまないが、瞳に宿る悲しみもまたしかりだ。—E.Z.

4位『インサイダー』

Buena Vista Pictures/Everett Collection

マイケル・マン監督作品には、これよりもっと人気の高い映画や、もっと商業的に成功した映画がある。技術的に画期的だった、あるいはもっとも引き合いに出される映画もある。だが社会への警鐘という点では、『インサイダー』ほどマイケル・マンらしい映画はないだろう。エリック・ロスの秀逸な脚本をベースに、巨大タバコ産業のスクープ報道に協力した元重役のジェフリー・ワイガンドと、インタビューを何でも放映しようと奮闘する『60ミニッツ』プロデューサーのローウェル・バーグマンの物語で、マン監督は今も胸を打つ芯の部分を犠牲にすることなく、セリフ中心のドラマから緊迫したスリラーに変えた。内部告発者は1人ではなく2人で、いずれも企業上層部に運命を握られることになる。ワイガードの場合は、やんわり脅しをかける一方で、下っ端を送り込んで家族に嫌がらせするビジネスマン。バーグマンの場合は、報道局がノーカットでインタビューを放映することで訴訟沙汰になるのを恐れるCBSのお偉方。それぞれ抱える問題は違うが、真実を白日の下にさらすために危険を冒そうとする点は同じだ。

役者の扱いでは定評のあるマイケル・マン監督ゆえ、今回もさぞ素晴らしい俳優陣が揃っていると期待する人もいるだろう。だがラッセル・クロウとアル・パチーノの演技が別格だと言われるのには理由がある。のちのグラディエーターが演じるのは、恐怖におびえる家庭的な男。精神的にギリギリの状態で、ともすれば計画そのものをダメにする可能性もある。この時期にクロウが演じた中でもとくに繊細な役柄のひとつだ。パチーノは演技の幅広さをフルに発揮し、ドン・コルレオーネを思わせる冷静沈着な状態から、次の瞬間には湯沸かし器アルへと変貌(気分屋のマイク・ウォレス役を演じたクリストファー・プラマーをオスカーにノミネートしなかったのは大きな過ちだが)。マン監督はつねづね、与えられた仕事をきっちりこなすだけでなく、プレッシャーの中でも神のような美徳を示すプロフェッショナルへの想いを口にしているが、流れに抗う2人の男の物語の中で、監督自身もそうした気骨を見せている。これは報道TV局を舞台にした『大統領の陰謀』だ。—D.F.

3位『マルコヴィッチの穴』

USA Films/Everett Collection

鬱状態の人形使いが妻に隠れて同僚と浮気する策を練っている。やがて穴を発見するが、その穴の向こうは……ジョン・マルコヴィッチの頭の中だった。こんな突拍子もない設定を、たった1000万ドルの予算でそっくりそのまま映画化し、ジョン・キューザックやキャメロン・ディアスやキャサリン・キーナーといったハリウッド俳優にみじめで愚痴っぽい神経質な役を演じさせようだなんて、非常識にもほどがある。それ以上に非常識なのは、これがまだ序の口で、非現実的な悲喜劇には完全にイカれた特徴が待っているということだ。型破りな脚本家チャーリー・カウフマンと、ミュージックビデオの奇才スパイク・ジョンズはともに今作が長編デビュー作。例のブッとんだ設定が終わったかと思った矢先、今度は心に傷を負ったチンパンジーの視点から見た映像が現れる。マルコヴィチ本人も穴に入り、自我の意識、すなわちマルコヴィッチ・フィルターを通した世界を目の当たりにして、奇想天外の悪夢のようなループに陥る。

あれから月日が経ち、他人の頭の中に入り込むというアイデアは、カウフマンの映画人生を語る上で有効なメタファーとなった。彼が脚本、あるいは監督、あるいは両方を手がけた作品の登場人物は1人残らず、カウフマンの異様なイマジネーションをのぞき込む「穴」の役目を果たしている。欲望、創作、アイデンティティを見つめる風変りなこの映画は、もちろん1人の奇人の手柄ではない。質素なボヘミアン的現実に片足を突っ込み、きらびやかなシューレアリズムにも長けたアメリカ流ファンタジーの新たな名手、ジョンズの到来だ。カウフマンの脚本に書かれた陰欝な不安がブレーキをかけるような時も、ジョンズのさりげなく神がかり的な演出が奇想天外なストーリーをスムーズに運んでいく。2つの才能が融合し、見事に結実した結果だ。登場人物が自我の檻でもがいている間、カウフマンとジョンズは、ハリウッドにしては珍しい忖度なしの表現様式の中に自由を見つけた。—A.A.D.

2位『マトリックス』

©Warner Bros/Everett Collection

ハリウッドのアクション映画はネオを境に、ネオ以前・ネオ以降の2つに大別されると言っても過言ではない。しいていうなら、高層ビルの窓ガラスをなめるように飛ぶヘリコプターや全方位に広がる波動のごとく劇場に現れ、映画史に金字塔を打ち立てた超大作サイバースリラーの衝撃を形容するには、それだけでは不十分だ。秀逸なネオノワール『バウンド』(ちなみに歴代もっとも官能的なスリラーでもある)で名をはせたウォシャウスキー監督は、過去の作品に未来のヒントを見出した。2人は他の映画から勝手にネタを拝借し、ツィ・ホークのワイヤーアクション、ジョン・ウーの銃撃オペラ、ジェームズ・キャメロンが発したテクノロジー時代への警鐘をコンピューターコードのごとくつなぎ合わせ、知らないうちにきらびやかなデジタル虚構に接続されるという世界観を作り上げた。そうして完成したのが、重力運動の法則を無視したキアヌ・リーヴスの脳幹炸裂アクションと禅問答のような思想を中心に展開し、娯楽映画の新ジャンルを生むほどにスタイッシュで斬新な『マトリックス』だった。

25年前、この作品が特殊効果に革命を起こすと誰もが確信していた。だがこの映画が及ぼした影響はバレットタイム撮影をはるかに超える。リーヴスはアクションヒーローとして不動の地位を築き、ジョン・ウィックやその亜流も含む、東西融合マーシャルアートの流れを組む映画にうってつけの役者となった。人生をコンピュータープログラムになぞらえた設定は過剰なまでに象徴的意味合いを帯び、真実の扉を開けるモーフィアスの赤い薬が女性差別的なミームで好き勝手使われると、ラナとリリーに改名したウォシャウスキー監督が、あれはジェンダーを偽る苦しみの暗喩だと正したほどだ。そもそもシミュレーション理論が世間に広まったのも、監督がコンピューター信号を全米のマルチスクリーンに発信しているという通説が発端だった。もっと言えば、この映画がもたらしたさらに大きな影響は、そもそも現実とは何かを考えさせた点にある。そういう意味で『マトリックス』は映画だけでなく、人々の考え方も書き変えた。まさしく、ワオ。—A.A.D

1位『マグノリア』

Julianne Moore©New Line Cinema/ Everett Collection

『ブギー・ナイツ』の宣伝ツアーも終わりに差し掛かったころ、ポール・トーマス・アンダーソン監督はすぐに次回作の製作に取りかかることにした――当時26歳の監督兼脚本家は、今回の出世作で世間の期待が上がってしまったことを懸念したが、「逆に先回りできるんじゃないかと思った」。当初は、1996年の処女作『ハード・エイト』に近いものを作るつもりだった。小規模で、控え目で、90年初期のインディーズ映画の特徴だったスピード感のあるタイプ。友人と常連の役者1~2人でさくっと撮影しよう。派手で目立つものは一切なしで。

ところがアンダーソン監督が世に送り出したのは、それぞれの人生で決別や危機を迎えたロサンゼルスの住人を追った長尺群集劇だった。メインとなる登場人物は十数人、それもめったにお目にかかれない豪華キャスト陣(ジェイソン・ロバーズ、ジョン・C・ライリー、ジュリアン・「おだまり」・ムーア、フィリップ・ベイカー・ホール、フィリップ・シーモア・ホフマン、ウィリアム・H・メイシー、メリンダ・ディロン、メローラ・ウォルターズ、そしてトム・クルーズ――誰がオスカーを受賞してもおかしくない)。手持ちカメラの名が回し、同時進行のストーリーをつなぐクロスカット。ジョン・ブライオンのメロディアスかつ怪しげなサントラも相まって、オペラのような荘厳を醸し出す。さらにそこからアンダーソン監督は実際のオペラのアリアを盛り込み、役者がエイミー・マンの「Save Me」を歌うミュージックビデオ風のシーンを演出し、そして神の天罰のごとく、サンフランシスコ・バレーにカエルの雨を降らせる。

『マグノリア』はアメリカ映画史の当たり年に公開された他のどの作品よりも、1999年の特徴をあますところなく体現している。見事なまでに混沌とし、見事なまでにねちっこく過剰で、感情表現のボルテージは限界越え。共通点のないストーリーをつむいで織り上げたタペストリーで、社会全体が神経衰弱に陥っていることを描くのが監督のねらいだった――6つのストーリーをどうまとめるつもりかと尋ねた映画会社の社長に、アンダーソン監督は「僕が作ろうとしているストーリーは1つですよ」と正した。監督のねらいは壮大だったが、愛と死、孤独、心の傷、依存症、許し、幻想的リアリズム、クイズ番組、当時はまだ認識されていなかった有害な男らしさ――これらを網羅するには十分だった。ポール・トーマス・アンダーソンはまぐれ当たりではないことを証明しただけでなく、現代のロバート・アルトマンという称号も手にした(しかも、これはまだほんの序の口)。1999年は野心作に事欠かなかったが、身から出た錆で墓穴を掘った人たちが立ち直ろうとする姿を温かいまなざしで描いたこの作品は、芸術表現を極め、恐ろしいほど完璧に近いレベルにまで昇華させたという点で、1999年の最高傑作として今も語り継がれている。—D.F.

from Rolling Stone US