イングリッシュ・ティーチャー(English Teacher)の初来日公演が2025年1月20日(月)に渋谷WWW Xで開催される。デビューアルバム『This Could Be Texas』が英国の権威のある音楽賞マーキュリー・プライズを受賞。2024年の最重要バンドとして絶賛されている理由を、音楽ライターの小林祥晴に解説してもらった。
今年2024年は、おそらく10年以上ぶりにイギリスでロックバンドが勢いを取り戻した年だった。2010年代が英国ロック冬の時代と囁かれていたのが嘘かのように、いまや大御所~ベテランから中堅、そして新人に至るまで、充実した作品が次々と届けられている。特にこれからの時代を担う若手/新人の台頭は目覚ましく、ザ・ラスト・ディナー・パーティー、ワンダーホース、ファット・ドッグ、ランブリーニ・ガールズ、マン/ウーマン/チェインソーなど、枚挙に暇がない。そのような中でも本国メディアからとりわけ高い評価を受けているのが、リーズにて結成された4人組、イングリッシュ・ティーチャーだ。
イングリッシュ・ティーチャーは2023年にリリースしたシングル「The Worlds Biggest Paving Slab」が既に同年のNME年間ベストソング3位に入っているが、今年リリースしたデビューアルバム『This Could Be Texas』(全英チャート最高8位)もイギリスのメディアを中心に年間ベストに多数ランクイン。Rough TradeやDIYは2位、NMEは3位など、かなり上位に挙げている媒体も多い。そして10月に発表されたマーキュリー・プライズでは、チャーリーxcxやザ・ラスト・ディナー・パーティー、ニア・アーカイヴスといった並みいる強豪を押さえて最優秀アルバム賞を受賞。いまや彼らは活況を呈する英国ロック界の顔の一組だと言っても過言ではない。
しかし、ここ日本ではイングリッシュ・ティーチャーの存在がまだ十分に浸透しているとは言い難い。そこで本稿では、来年2025年1月に初来日公演も控える彼らがそもそもどのようなバンドで、なぜこれほど高い評価を受けているのか?ということを、一年を総括するこのタイミングでまとめておく。
マーキュリー・プライズを受賞したイングリッシュ・ティーチャー。左からルイス・ホワイティング(Gt, Synth)、リリー・フォンテイン(Vo, Gt, Synth)、ダグラス・フロスト(Vo, Pf, Dr) 、ニコラス・エデン(Ba)(Photo by JMEnternational/Getty Images)
1)サウスロンドン勢の実験精神をアップデート
イングリッシュ・ティーチャーの初期のインタビューを読むと、ブラック・ミディやソーリーといったサウスロンドンのインディバンドたちを影響源としてよく挙げている。実際、彼らの最初期のシングルである「R&B」(2021年)は、「2018年以降のサウスロンドンからのバンドの波に強く影響されていた」とベーシストのニコラス・エデンが明言しているほどだ。曲のグルーヴを牽引するベースリフと鋭い刃物のようなギターサウンドが鮮烈なこの曲は、確かにサウスロンドン的なポストパンクの流れが感じられるだろう。
しかし「自らを(サウスロンドン的なポストパンクという)枠に押し込めたことで、ちょっとしたアイデンティティクライシスに陥った」という彼らはそれ以降、音楽性を大きく拡張し、サウンドのスケールをダイナミックに押し広げている。その成果はフォーキーで壮大な新機軸「A55」を収録した2022年の初EP『Polyawkward』で早くも萌芽が見られたが、さらにそこから何歩も前進し、遂にひとつの完成形へと至ったのがデビューアルバムの『This Could Be Texas』である。
ご存じの方もいると思うが、ここ1、2年でデビューしたイギリスの若手にはサウスロンドン勢からの影響を公言するバンドが多い。ザ・ラスト・ディナー・パーティーもかつてはサウスロンドン勢の根城であるウィンドミルでライブをやっていたし、ブラック・ミディやブラック・カントリー・ニュー・ロードに影響されたと言っていた。実際、サウスロンドン勢がアンダーグラウンドで熱気に満ちたローカルシーンを形成していたことが、現在のロックバンドの活況の火種になったことは言うまでもないだろう。ただし、昨今の若手はサウスロンドン勢の実験精神を継承しつつも、そのサウンドはよりポップでダイレクトだ。ビッグなサウンドを鳴らすことにためらいがない、と言ってもいい。これはひとつの時代のモードの転換点であり、その先頭を走るバンドの一組がイングリッシュ・ティーチャーだということだ。
2)高度な演奏スキルと音楽的広がり
では、『This Could Be Texas』の収録曲を具体的に見ていこう。「The Worlds Biggest Paving Slab」は比較的ポストパンクの流れを強く汲む楽曲だが、コーラスで強烈な空間系エフェクトがかけられることで、宇宙の果てまで聴き手を吹き飛ばすような壮大さとサイケデリアを創出している。「Im Not Crying, Youre Crying」はギタリストのルイス・ホワイティングが敬愛するジョニー・マーを彷彿とさせる見事なプレイを聴かせるトラックで、ジャジーな質感を持つ「You Blister My Paint」は深いエコーがミステリアスな奥行きを生んでいる。「This Could Be Texas」や「Albert Road」はアコースティック調の静かな始まりから徐々にビルドアップしていき、最終的には荘厳なカオスへと突入していく構成力が素晴らしい。サウスロンドンの血統を自分たちのスタイルの一部として残しつつ、短期間でここまで大きな音楽的広がりを獲得してみせたのは驚異的だ。
もうひとつ音楽面で注目したいのは、彼ら4人はリーズ音楽大学(Leeds College of Music、現在は名前が変わってLeeds Conservatoire)の出身で、演奏家としても高いスキルを持っていることだ。それがもっともわかりやすく表れているのが「Nearly Daffodils」だろう。この曲は4/4拍子で始まるが、2分辺りから各楽器が変拍子を奏でるブレイクへと突入し、再び4/4拍子に戻ってくる。変拍子や拍子の変化は彼らが得意とするところで、その点からマスロックやプログレッシヴ・ロックと比較されることも少なくない。もちろんそれは妥当な比較だが、筆者としてはリズムの複雑さを意識させずにポップソングとして聴かせる上手さはレディオヘッドに近いものを感じている。
3)リリー・フォンテーンの美しい詞世界
フロントウーマンであるリリー・フォンテーンによる歌詞も、その音楽性に負けず劣らず高い評価を受けている。マーキュリー・プライズの選考委員は「シュールレアリスムと社会観察がミックスされた魅力的な歌詞」と褒め称え、英Record Collector誌は「北部的なキッチンシンクドラマの要素がしばしばシュールレアリスムに逸脱し、聴き手をゾクッとさせるような、極上の、言葉で言い表せない次元を付け加える」と絶賛。シュールレアリスム的な要素は、例えばドイツのロマン派画家フリードリヒが墓から蘇ると歌う「Sideboob」や、”街で一番大きな敷石”を擬人化して主人公にした「The Worlds Biggest Paving Slab」に顕著であるし、社会観察的な視点はアルバム全編を通してそこかしこに見られる。
そしてリリーの歌詞でもうひとつ特徴的な要素を挙げるとすれば、ワーズワースやコールリッジなど英国ロマン派詩人からの引用が頻出することだろう(アルバム1曲目の「Albatross」は冒頭からコールリッジの「老水夫行」を参照している)。リリーの言いたいことを美しい表現で的確に補足するその引用は、歌詞の完成度を一層高めることに寄与している。
歌詞の形式だけではなく内容にも触れておきたい。筆者の理解では、デビューアルバムらしく、地元を出て独り立ちすること、音楽家として身を成すことがテーマのひとつになっている。例えばタイトル曲の「This Could Be Texas」では、「農夫とその熊手(ピッチフォーク)は無視して、ギョリュウモドキ(常緑の低木)の中を歩こう」と歌われる。これはメディアの評価など気にせず、音楽家としてまだ誰も歩んでいない道なき道を切り開くんだという強い意志の表れだろう。
ただユニークなのは、リリーの書く歌詞には故郷であるイングランド北西部の町、コルンの風景や人々が頻出することだ。自伝的だという「Broken Biscuits」で「壊れた英語、壊れた家庭、壊れたビスケット」と歌っているように、リリーは幼少期に両親が離婚しており、子供時代は「楽しい時期じゃなかった」と話している。そのため、コルンから出ることは過去の辛い思い出を乗り越えることと繋がっているのだろう。だが同時に、コルンを執拗に描くのは彼女が故郷を愛していることの証でもある(「Sideboob」では故郷の美しい自然を賛美している)。
そしてそうしたリリーの故郷への愛憎がもっとも端的に表れているのが、コルンに実在する通りの名前を冠したラストトラック「Albert Road」だ。「彼らの偏見を真に受けないで(略)彼らは愛することがどれだけ楽しいかを世の中から教えてもらえなかった(略)それが彼らがあまり遠くへ行けない理由」というコーラスパートの歌詞は、地元の人たちから心無い言葉や行動を受けたことがある幼少期の自分に語り掛けているように解釈できる。しかし次のコーラスでは主体と客体を逆転させ、「私たちの偏見を真に受けないで(略)私たちは愛することがどれだけ楽しいかを世の中から教えてもらえなかった(略)それが私たちがあまり遠くへ行けない理由」と歌うことで、かつて自分を傷つけた人たちにも理解と慈愛の眼差しを向けている。主体と客体の逆転はポップソングの歌詞における常套手段ではあるが、それで故郷への愛憎という本作の重要なテーマを表現し、アルバムのラストに強いカタルシスを生み出してみせたのは見事だ。本国の批評家たちがリリーの歌詞に称賛を惜しまないのも頷ける。
4)緻密にしてダイナミックなライブ演奏
『This Could Be Texas』は時代性、音楽性、演奏力、歌詞の完成度の高さ、どれを取っても突出したものがある。だが実のところ、彼らの真の実力はライブでこそ体感できるのではないか、という予感もしている。というのも、YouTubeにアップされているスタジオライブ映像がどれもあまりに素晴らしいからだ。
確かな技術に裏打ちされた4人の演奏は緻密にしてダイナミック。複雑なフレーズも軽々とこなすリズム隊の演奏力は特に目と耳を引き、動画のコメント欄も「ベーシストがヤバい」「いや、ドラム(のダグラス・フロスト)もすごい」という書き込みが多く見られる。スタジオライブでこれなのだから、オーディエンスを前にしたライブではさらに凄まじいものが観られるのではないか。2025年1月20日に迫った初来日公演では、是非あなた自身の目でその真価を確かめてもらいたい。
ENGLISH TEACHER LIVE IN TOKYO 2025
2025年1月20日(月)渋谷WWW X
開場 18:00 開演 19:00
前売料金(税込)¥7,500(D代別)