ティモシー・シャラメが主演を務めるボブ・ディランの伝記映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』が本日12月25日より全米公開スタート。日本では2025年2月28日より公開される。シャラメはどのように若きボブ・ディランへと変身したのか? 彼と共演者たちが製作の舞台裏を余すことなく語った。
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』予告映像
5年間もの徹底した準備
彼は今日、北の国を旅している。カナダから80マイル離れ、国境では風が強く吹く地だと言われている。レンタルしたトヨタのピックアップトラックが木陰にある郊外の交差点に差し掛かると、彼はエンジンを止め、1月下旬の空気の中に飛び出した。ダウンジャケットをグレーのスウェットの上に羽織り、フードは潰れた茶髪の上にかぶさっている。彼の目的地は、角にあるクリーム色の、箱型の小さな家だ。二つの低木に縁取られた歩道の先にある。その左手には新しげな道路標識が立つーーボブ・ディラン・ドライブ。
彼はこの1時間20分、凍結したハイウェイ53号線を通り抜け、ダルースとミネソタ州ヒビングの間を、少なくとも2つの主要ハリウッド・フランチャイズの保険会社が向精神薬を求めて奔走するほど右往左往してきた。しかし、ティモシー・シャラメには使命があり、この巡礼は彼の最終探究の一つなのである。彼には若き日のボブ・ディランをスクリーンで演じるため、4カ月の準備期間があるはずだった。蓋を開けると、パンデミックとハリウッドのストライキの影響から彼には5年の年月があった。その結果、全てかなりのところまで来てしまった。彼はディランについてほぼ何も知らない状態から始まり、最終的には自称 「ボブ教会の熱心な弟子」として、アウトテイク(1963年の 「Percy's Song」はクセになる)やディランの非公式YouTubeチャンネルにまで言及するようになった。「僕は準備を、限界を押し広げなければならなかった」と彼は筆者に言う。「ほぼ心理的に『押し広げた』と実感できるまでにね」。
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彼はボーカルコーチ、ギターの先生、方言コーチ、動作のコーチ、そしてハーモニカ奏者とも共に励んできた。ある時、ディランの歌詞を紙に書き、自室の壁に貼ったこともあった。シャラメは歌のレッスンにアコースティック・ギターを持参し、時々何の前触れもなくディランの声で話しながら現れる。映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』では、シャラメが全曲を生で歌い、演奏する様子を聴くことになる。「スタジオでは再現できないものだ」と彼は主張する。「事前に録音されたものに合わせて歌う場合、突然、僕の声は腕の動きが欠けているように聴こえるんだ」。
シャラメはキッド・カディを崇拝して育ち、「死に物狂いでラップへの憧れ」を抱いていた。彼は現在もまだ熱心なヒップホップ・ファンだが、今は脳の配線を大きく変更しグレイトフル・デッドにハマり始めている。そして、シャラメは他の映画を撮りながらも完全に「ボブの世界」から離れることはなかった。彼の携帯電話には『DUNE/デューン 砂の惑星』のセットでポール・アトレイデスの銀河系パジャマを着ながら「くよくよするなよ(Don't Think Twice, It's All Right)」を歌っている動画と、ウィリー・ウォンカの衣装でギターを弾いている写真がある。
「ディランの物語を描く」課題と挑戦
白髪の82歳の老人、ビル・パジェルが家から姿を現わしシャラメを迎える。引退した薬剤師であり、おそらく世界随一のボブ・ディラン・コレクターであるパジェルは、2019年にこの場所を購入した。ディランは6歳から18歳までの間、家族とともにここに住んでおり、パジェルはこの家をかつての住人に敬意を表し、本格的な博物館へと静かに変えるべく、修復を行い、彼のコレクション品で埋め尽くしている。シャラメはこの家で1時間過ごし、若き日のロバート・ジマーマン本人が雪景色を眺め、自分の将来について思いを巡らせた寝室に腰を下ろした。彼はディランが実際に所有していた45回転レコード(リトル・リチャード、ジョニー・キャッシュ、ジーン・ヴィンセント、バディ・ホリー)に目を通していく。
そこを出たシャラメは地元の高校で予定されている見学ツアーへと足を運んだ。そこでは学生の演者たちが、ディランが実際に10代の頃、ロックンロール・バンドと演奏していたステージ上でリハーサルをしているのを目撃する。ディランが鍵盤を叩きつけたスタインウェイのピアノまでもがまだそこにあった。演劇部の学生たちはリハーサルの見物人が誰か気づくとパニックになり、シャラメはしばらく彼らの質問に答えていく。
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街を出る前に、彼はもう一度あの家に戻る。今度はサインやセルフィーを求め車から飛び出してきた3人の若い女性が後に続く。パジェルは彼を家の中に押し込み、シャラメは地下室に隠された重要な品を堪能するーー「我が祖国(This Land Is Your Land)」を作曲した典型的なプロテスト・シンガー、ウディ・ガスリーのアルバムの裏に、1960年頃、ディランが描いた絵だ。若き日のディランは、ガスリーのイメージで自分を塗り替えるべく、「Bound for Glory(栄光へと向かう)」の標識が掲げられた、ニューヨークへと続く道の上に、自分がいる様子をスケッチした。道の終わりにはガスリーの姿が描かれている。
ディランは、グリニッチヴィレッジのフォーク業界における、彼の実際の未来を予見していた。また、60年以上経った後、世代を超えハートを掴むことになるハリウッドの伝記映画のプロットも表していた。1961年1月、少々の脚色とともに、鮮やかに再現された『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の劇中で、ディランはニュージャージー州の病院で、ハンティントン病の治療を受けていたガスリーを見つけだす。新進気鋭の新人はギターを取り出し、彼のヒーローのために歌った。
これは映画が描く、あり得ないような4年間の旅の始まりであった。その中でディランはガスリーの芸術的後継者となり、フェンダー・ストラトキャスターをひっさげ完全に別の何かに変化する前に、その想像力豊かな歌詞の生々しい予言とカントリー風の掠れ声で一時代を築いた。その過程で彼は、ガスリーの友人でありフォークシンガー仲間のピート・シーガー(映画では役者が誰かわからないほど変貌したエドワード・ノートンが演じている)の指導を受け、若いアーティストで人権活動家のスージー・ロトロと恋に落ち(映画ではシルヴィ・ルッソに改名、エル・ファニングが演じている)、当初名声が彼自身の人気を凌駕していたシンガー仲間、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)と音楽的かつロマンチックなカップルになる。
他の多くの60年代ヒーローたちとは異なり、ディランは頑固に生き続け、数十年の年月が重なる中、次から次へとフェーズごとに脱皮していき、いまだ止まる様子を見せていない。だが、彼のこの持続性は初めの一撃でどれだけ世界を変えたかをぼかしかねないーーディランがエレクトリックになった瞬間は、アコースティックなプロテスト・ソングから轟くような抽象的なロックへと、少しずつ、数年にわたったスタイルと主題の変化であった。スーパースターが型破りなボーカリストになり得ること、ポップが深い個人的・政治的表現の手段になり得ること、歌詞が詩になり得ること、アーティストが時代の狭間で急激に変化し得ること。これらのように、ジャンルを超えたポピュラー音楽について私たちが当然と思っている多くの前提は、1961年から1965年までのディランの作品にルーツがある。彼の影響はロックにとどまらなかったーー スティーヴィー・ワンダーからニーナ・シモンまで様々なアーティストが彼の曲をカバーし、最近ジョージ・クリントンが筆者に思い出させたように、モータウンのサウンドと歌詞さえもが 「ライク・ア・ローリング・ストーン」の後に変化した。
ディランは、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』のような直線的な物語を描くにはあまりにミステリアスで、あまりに異質な存在であり、2007年の『アイム・ノット・ゼア』のような、万華鏡のように複数の俳優が彼の役柄を演じ分けるような映画でなければ、彼をとらえることはできないと言われてきた。この新作の監督であり共同脚本家でもあるジェームズ・マンゴールドは、2005年にオスカーを受賞した伝記映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』で、ジョニー・キャッシュの人生物語にハリウッドの最高の輝きをすでに加えている。(最近では、スティーヴン・スピルバーグ本人に選ばれた後継者として、昨年の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を監督した)。マンゴールドは、ディランが世界を震撼させるほどの天才であるゆえに、一人の人間として描くことは不可能だという発想を信じず、無知な批評家の口調で嘲笑するーー「ボブ・ディランについてどう『書く』というんだ? 彼の多様な要素を取り入れきれていない! ボブ・ディランについては『血を流すようであるべきだ!」
とはいえ、映画製作者らが直面した課題を誇張することは難しい。「人々はボブ・ディランと彼の音楽的遺産を固く守っている」とシャラメは言う。「なぜならそれらはある意味純粋なもので、伝記映画で間違って扱われるのを彼らは観たくないと考える」。さらにシャラメは、彼の控えめな言葉を借りれば、「一筋縄ではいかない人物」、本当の自分を隠すことにある種の喜びを感じてきたアーティストを演じている、ということは言うまでもない。その上、彼はその演技の多くを音楽的に表現しなければならなかった。「彼は決して楽な道を選びたがらなかった」と、シャラメのギターの師であり、サイモン&ガーファンクルのツアーに何年も参加した一流セッション・ミュージシャンのラリー・ソルツマンは言う。「私が彼に、『OK、これが本当の方法なのだけど、ちょっとしたショートカットがあるんだ』と提示すると、それに対する彼の答えはいつも『近道は教えないでくれ』だった」。
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シャラメは最終的にマンゴールド監督にディランの手描きの地図の写真を送り、そこにある純粋なヒーローへの崇拝が、ボブが結局それほどとらえどころのない人物ではないのかもしれない、という監督の指摘を強調させる。「本当のところただの憧れと愛の現れなんだ」。マンゴールド監督は、ディランの旅について思いを巡らせる。「この若者が現れた。彼はインスピレーションを受ける。つまり、そこまで複雑なことではないんだ」。
その地図の中で、そしてミネソタにいる間、シャラメはディランの中に自分も見覚えのある何かを見出し始める。彼が、自身もかつて持っていた、と認めることを恐れない感情であるーー「君は運命と繋がっている。でもその繋がりは脆いものだ」。
ディランに深く共感するまでの過程
現時点でティモシー・シャラメがボブ・ディランに似ている要素は何もない。8月も終わりに近づいた、ここニューヨークでは、彼にはティモシー・シャラメの面影さえない。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は10週間前に撮影が終了し、アメリカの反対側ではマンゴールド監督がクリスマス公開に間に合わせるためにポストプロダクションの作業を進めている。シャラメはすでに次の作品、ジョシュ・サフディ監督の『マーティ・シュプリーム(原題:Marty Supreme)』の撮影準備に入っている。この作品でシャラメは1950年代の卓球チャンピオンを演じる。役柄に合わせ、彼はふわっとしていた髪を切ったが、結果として「ティミーらしさ」が25パーセント程度に減ったようだ。無精ひげと顎ひげでさらに10パーセントが削ぎ落とされた。彼が数カ月後にワシントン・スクエア公園で行われたティモシー・シャラメそっくりさんコンテストに忍び込んだ時には、彼の髪は短く刈り上げられ、顎ひげはなくなり、口ひげはさらに伸びた状態で、コンテスト優勝者のほうがもっとティモシーらしかった。
私たちはディランがかつて住んでいたチェルシーホテルのロビーで落ち合った。映画の中ではこのホテルの縦長のネオンサインの前で、霧のたち込める夜、ディランの65年当時の正装を身にまとったシャラメが立っているというポスターにふさわしいショットがある。白昼に彼が、カーゴパンツと白い長袖Tシャツを着て、首に洒落た金のチェーンを巻き、茶色のヤンキースのキャップを深く被り、大学生のような格好でその場を歩くとアイコニックさは薄れるように感じる。彼のとてつもない人気ぶりを彷彿とさせるものは、ナイキ・フィールド・ジェネラル '82の復刻版だけである。昨年彼はこのシューズのプレリリース版をNBAの試合に履いて現れ、たった一人でこのシューズの人気を上昇させた。
私たちは23番街を西に向かい、8番街を渡る。シャラメはマンハッタン子らしく、バイクをさりげなく避けていく。曇り空の平日の午後、通りは混雑しているが、なぜか誰も彼のほうを振り向かない。「ここはまるで自分の家のようで、気分が良い」と彼は言う。彼は後でサフディと会う予定だ(サフディは今日のインタビューがボブ・ディランに関するもので、彼の極秘卓球プロジェクトに関するものではないと知ってほっとしていた)。そして姉の第一子の出産のため、すぐにフランスに飛ばなければならない。それでも、ポケットに手を突っ込んで闊歩するシャラメは、明らかにリラックスしている。
長い年月を経て映画が完成されたことは助けになったが、彼はそのことで一度も重荷を感じることはなかったと断言している。「これが僕が人生で求めているプレッシャーで、こうゆうプレッシャーが大好きなんだ」と彼は言う。
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映画の冒頭近くで、ディランは陰気な病室でガスリーと出会うが、そこにはノートン演じるシーガーがすでに訪れているという、映画では事実からの逸脱がある。ボブはおそらく人生で初めて、反抗とためらいが混じった微妙な感情を抱きながら、「ディラン」という名前で自己紹介をした。それから彼は、初期の名曲の一つである『ウディに捧げる歌(Song to Woody)』を最初から最後まで演奏する。いろいろな意味で成否を決めるシーンであり、偶然にもシャラメにとって最初の重要なシーンの1つでもあった。映画の中でガスリー(スクート・マクネイリー)とシーガーがディランのパフォーマンスを品定めしているとき、観客もシャラメを同じように値踏みしている。完成した映画では、ギターのピッキング、シャラメの青白い額の汗、精巧な付け鼻に至るまで、すべてがうまく調和している。「彼の演技は、桁外れに素晴らしい」とノートンは言う。
「その夜、家に帰って泣いたよ」とシャラメは話す。「『ウディに捧げる歌』は僕がずっと一緒に生きてきた曲というだけでも、僕たちがそれに命を吹き込んだと感じたからというだけでもなく、僕自身が様々な要素から解放されたと感じたから。僕が感じている誇りにうぬぼれはないけど、「ワオ、これこそが『演技』なんだ」と感じた。僕たちは、起こった出来事に命を吹き込み、謙虚に、そして勇敢にこの撮影をすることで、今まで知らなかった観客に届けたいと思っている。それは名誉ある任務だと思う」。
シャラメが初めて『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(当初は『Going Electric』というタイトルで、イライジャ・ウォルド著『ボブ・ディランと60年代音楽革命』(原題『Dylan Goes Electric! Newport, Seeger, Dylan, and the Night That Split the Sixties』)という2015年の書籍に基づいていた)に出会ったのは、マンゴールドが参加する前に、メールで送られてきた今後のプロジェクトリストの中にあった。その時点では、シャラメはディランを音楽ファンが敬愛する遠い存在、幼なじみの父親が愛したアーティストとして、かなり漠然としたイメージしか持っていなかった。最初から、シャラメは単にディランの見た目が気に入っていた。「Googleで調べたら、秘めた何かがあると思ったんだ、分かる?」
彼はすぐにディランが、最初は自分をロックアーティストだと考え、結果としてフォークミュージックのスーパースターになり、そしてロックスターの座に返り咲いたことを知った。シャラメはすぐにそのシナリオを自分の経験に当てはめた。少々非歴史的な見方になるが、ディランはガスリー、レッドベリー、オデッタといった人物を尊敬しながらも、フォーク界を一種の裏口として利用した。「彼はすぐにエルヴィスやバディ・ホリーになれないならと、ウディ・ガスリーのような、もう少し実現可能なものを見つけたんだ。そしてそれがとても上手く行った。そこが僕の心に響いたんだ」とシャラメは言う。
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シャラメは、大成功をおさめたインディーズ映画『君の名前で僕を呼んで』の中で、性に目覚めた、禁断の恋に落ちるティーンエイジャー役を演じ、一躍スターになった。『レディ・バード』では処女を奪う嫌な奴、『ビューティフル・ボーイ』では苦悩する若い薬物中毒者、『若草物語』では恋に落ちた求婚者を演じた。しかし子供の頃の彼は『ダークナイト』を繰り返し観ていて、静かなドラマは決して彼の夢ではなかった。彼は『メイズ・ランナー』や『ダイバージェント』などのアクション映画のオーディションを受けたが、毎回不合格だった。「いつも同じ回答しか受けなかった」と彼は本当に辛そうに言う。「僕の『体形が合っていないんだよね』と。ある時エージェントから電話がかかってきて『同じ回答はもううんざりだ。君が体重を増やさないから、大作に応募するのはやめよう』と言われたこともあった。僕だって体重を増やそうとしたんだけど、できなかったんだ! 基本的に無理だった。代謝か何か知らないけど、とにかくダメだったんだよ」。
彼は、面白いインディーズ映画の役を選ぶ、並外れた才能を持った優秀な若手俳優だったが、同時に、手に入るものは何でも手に入れようとしていた。「僕は開かないドアをノックしていたんだ。だから、もっと控えめなドアを、と思って進んだ結果、僕にとって爆発的なものになったんだ」と彼は言う。シャラメはその後『DUNE/デューン 砂の惑星』シリーズに出演し、西暦10191年にワンドワームに乗る宇宙の救世主として登場したことを、恥ずかしげもなく自らの「Going Electric(象徴的な転換の瞬間)」だと捉えている。彼は初期の役柄について「とても個人的で傷つきやすいものだった。その仕事で感じた「親密さ」をボブの初期のフォークソングの音楽に感じる」と語る。彼は一呼吸おいて、「そしてそのうち、別の楽器を使いたくなるんだ」と比喩する。
彼はまた、ディランの物語や芸術は過去の心の傷などには影響されてないという説に同意している。(ジョニー・)キャッシュや、デューイ・コックス(『ウォーク・ザ・ライン』のパロディ)と違って、彼は過去に縛られておらず、過去を振り返りもしない。ディランは演奏する前に自分の生い立ち(人生)について一度も考える必要はなかった。シャラメも同様だ。「自分の才能は自分のものだ、と思う感情に共感した」と彼は言う。「型破りな生い立ちだということもできるし、僕がマンハッタンプラザというアートな住宅で一風変わった育ち方をしたことを、否定的にも肯定的にも表現できる、単純にニュアンスの違いなだけなんだ」。彼が言いたいのは、それは問題ではないということだ。「若い頃のこと(生い立ち)は関係ないんだ。あなたの才能はあなたの才能であって、あなたが言わなければならないことは、あなた自身で言わなければならない。ビッグバンは必要ないんだ」。
シャラメとエル・ファニングの信頼関係
エル・ファニングは3歳の頃から演技をしているが、リハーサルにこれほど興奮したことは今までなかった。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の制作準備中に、アシスタントが彼女にある週のスケジュールを送り、マンゴールドやボブ・ディランとのリハーサルについて軽く触れていた。「『なんてこと!』って思ったわ」と彼女はZoomで青い目を輝かせながら語った。10月の日曜日の午後、彼女はヨアキム・トリアー監督との映画撮影の休日で、ノルウェーのホテルの部屋でくつろいでいた。「何を言うか、何を聞くかを考えて、服を選んでいました。『今日はボブ・ディランに会うんだ!』と」。
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の製作者は、この映画がまったく新しい世代のディラン信奉者を生み出すことを期待していたが、信じられないことに、すでにSNSでは『Bob-is-babygirl』としてディランの熱狂的Z世代ファンがいる。しかし、26歳のファニングは彼らよりずっと先を行っていた。彼女は13歳のとき、映画『幸せのキセキ』のセットで脚本家兼監督のキャメロン・クロウからディランの音楽を紹介されて以来のファンだ。「中学生のとき、毎日手のひらに『ボブ・ディラン』と書いていました」と彼女は話す。ディランの初恋の相手を演じるのは、彼女にとってかつてないほど完璧な出来事だった。「まるで私がこの役を実現させたみたい」。
エル・ファニング(写真左)は、ディラン役のシャラメの歌を聴いて「鳥肌がたった」と言う(Photo by Jose Perez/Bauer-Griffin/GC Images)
その日、憧れの人物に会うために心構えをしていたファニングがドアを開けると、そこには髭を生やした威厳ある風貌のマンゴールドが立っていた。彼の隣にはティモシー・シャラメがいた。他には誰もいない。混乱の理由は単純だった。役への没入感を高めるため、シャラメは制作の資料に「ボブ・ディラン」として記載されていたのだ。「ティモシー・シャラメとのリハーサルでがっかりした人はおそらく、私が初めてでしょう。史上初のがっかりした女子だと思うわ」とファニングは話す。
確かに本物のディランは撮影現場にはいなかったが、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』に関わっており、パンデミックの間、彼はロサンゼルスでマンゴールドと何度か会議を開き、最終的に脚本を一行ずつ読み進めた。「ジム(マンゴールド)は注釈付きのボブのスクリプトをどこかに置いているんだ。彼にそれを欲しいと懇願しても、彼は絶対僕に渡さないだろうね」とシャラメは話す。
マンゴールドは「ボブはただ私が何をしようとしているのかを知りたかっただけだと感じました。『この男は誰だ? ろくでなしなのか? ちゃんと理解しているのか?』と。 誰かに何かを任せる時に、誰もが尋ねる普通の質問だと思います」と話す。
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マンゴールド自身は直接語らなかったが、ディランは2011年に亡くなったニューヨークでの最初の恋人、スージー・ロトロの本名を映画で使わないように望んでいた、とファニングは聞かされたと話している。彼女は芸術家であり活動家であり、ボブ・ディランに左翼政治を紹介し、「くよくよするなよ」をはじめとする多くの曲にインスピレーションを与え、彼の2枚目のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のカバーでは彼の腕に寄り添っている。ディランの目には、ロトロは「とても内向的な人で、こんな人生を望んだわけではない。彼女は明らかにボブにとってとても特別で、神聖な存在だった」とファニングは語る。別れてから60年近く経った今でも、ディランはかつて「生涯で夢の恋人」と呼んだ女性を守り続けている。
映画の中ではシルヴィ・ルッソと改名されているが、彼女のストーリー展開は劇中で最もフィクション化されていない部分の一つだ。彼女がディランに改名と秘密主義を問い詰めるシーンは、ロトロが2008年に書いた回想録『グリニッチヴィレッジの青春』(原題:A Freewheelin' Time)の内容と一致している。ディランはある喧嘩の場面で、自身のキャラクターの台詞を自ら脚本に書き加えた。「『二度と戻ってくるな』みたいな内容でした。」とファニングは言う。「喧嘩は本当にあったことだと分かっているので、彼は何かを思い出したか、彼女に言ったことを後悔していたのかもしれません」(映画の中で、ルッソは「謎の音楽家と暮らすために」ヨーロッパ旅行から帰国するという考えに失望するが、最初のアルバムが失敗したディランは「その音楽家はレコードを1000枚以上売る。君は二度と戻ってこなければいい」と言い返す)。
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ファニングの深い感情がこもった演技によって、ディランとルッソの関係が映画の感情的な中心に据えられ、フェンス越しの美しい別れのシーンも完成した。このシーンは将来、映画の魔法としてモンタージュになりそうだ。ディランがタバコ2本に火をつけ、1本をルッソに渡すシーンは、1942年のベティ・デイヴィスの名作映画『情熱の航路』の有名な場面を彷彿させる。ファニングとシャラメはそれぞれ、撮影前夜にこの映画を鑑賞した。ファニングは「ティミーは映画を見て泣いていました。私は『泣いたの?! 感傷的なのね!』って感じだった」と話す。
彼女自身は、撮影現場でシャラメが歌うのを初めて聞いたとき、思わず涙を流したという。「私たちは観客席にいて、たくさんのエキストラたちに囲まれて座っていたの」と彼女は思い出す。「ジム(マンゴールド)はティミーを登場させて、コンサートをしてくれた。彼が『戦争の親玉(Masters of War)』と『はげしい雨が降る(A Hard Rain's A-Gonna Fall)』を歌って、私は『噓でしょ』と思ったわ。今聴いていることが非現実的すぎて、私たち全員が震えていた。とても完璧で、決して物まねではなかった。それはティミーであり、でもボブであり、美しい融合だった。感動で鳥肌がたったわ」。その後、彼女はエキストラの何人かがシャラメが口パクしているかどうか議論しているのを耳にした。「私は彼らの肩をたたいて、『彼は歌っているわ。私には分かる!』と言ったの」。
シャラメが吹き替えなしでディラン楽曲を歌う『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』オリジナル・サウンドトラック
名声という重荷との向き合い方
撮影前ファニングは、シャラメは彼女といる時以外のセットでは「一人きりでいる」であろう、と念を押されていた。2019年の映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』でカップルを演じて以来、2人はすでにお互いをよく知っていて、親密な関係は彼らの役柄の関係性にも適していた。ディランとより棘のある関係を持つジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロは(セックスした後に「あなた最低ね」と言うシーンがある)撮影が始まる1週間前までシャラメに会っていなかった。彼女が会った時にはすでにシャラメはディランだった。「多くの友達が『彼にもう会ったの?会ったの?』と聞いてきたけれど、私は時機を待って、それぞれの役の文脈で会うのが正しいと感じたの……彼女がボブを見た時と同じように」。
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『トップガン マーヴェリック』で唯一の女性エリート戦闘機パイロットを演じたバルバロは、シャラメを「ボブ」と呼ばなければならない、などというほど彼がメソッド的(より自然でリアリスティックな演技)ではなかったと強調する(ただしマンゴールドは、時々そう呼ぶことを選んでいた)。「本格的すぎるわけでもなかったわ。『彼を直視しちゃいけない』とかそういうこともなかった。私たちは挨拶して、ハグをしたわ。私は『今ちょうど『デューン』を見たばかりよ!』って感じでした」と彼女は笑いながら話す。
しかし、撮影現場では、シャラメは「自分の世界に閉じこもっていた」とバルバロは言う。「ボブもよくそうだったと思うの。そして、それがボブとジョーンの関係にとてもいい影響を与えていた」。ある時、2人が撮影の合間に自分たちらしくおしゃべりをしていた時、マンゴールドはシャラメの「ディランの声」が薄れていっている事に気づいた。「だからその時点で、私たちは二人とも『だめだ、もう話さないでおこう!』って感じだったと思う」と付け加えた。
シャラメは頭の中をクリアに保とうと、そういったことをたくさんやっていた。「彼は徹底しているんだ」とエドワード・ノートンは言う。「訪問者なし、友人なし、代理人なし、何もなし。『これをやっている間は誰も近寄らない』。私たちは、多くの人にとって信仰的で、極めて神聖なものに最善を尽くそうとしている。そして私は完全に同意だった。でなければ観客を満足させることはできない。自分たちができる最大限のことを信じるしかない。そして彼がそこまで守りに入ったのは正しかった」。
シャラメは、撮影現場での雰囲気作りの仕方を、かつての共演者たちから学んだと言う。「僕が一緒に仕事をした素晴らしい俳優たち、例えば『荒野の誓い』のクリスチャン・ベールや(ベールは若い頃、仕事の邪魔をされると不機嫌になることで有名だった)『Dune/デューン 砂の惑星』のオスカー・アイザックは、それができていた」と彼は言う。「綱渡りのような作品では特に、自分たちの手順を守るんだ」。シャラメにとって、それはスターダムの重荷を消し去り、「自分がまだ無名で、人々が自分の仕事のやり方に興味を持ってない時の感覚」に戻ろうとする努力でもあった。「『君の名前で僕を呼んで』で僕が経験したのはまさにそんな感じだった」。
これらすべてを理解してもらおうとしている時、彼は悲しげにも見える。「それは僕がパニックに陥りながら眠りにつくようなことだった」と彼は付け加える。「携帯電話を使ったり、何かで気が散ったりして、役柄の発見の瞬間を失ってしまう。大げさに聞こえるかもしれないけど。5年間の準備を経て、ボブ・ディランを3カ月間演じた。だから、その間が僕の永遠の集中点だった。ボブ・ディランはそれに、それ以上に値する……。ティミーに戻っちゃってちょっと失敗した、なんて許されないんだ。今後の人生はずっとティミーでいられるのだから!」
Photo by James Mangold
外観の撮影がアマチュアとプロのパパラッチに悩まされるというのは、ニューヨークでの撮影と同じように『マーティ・シュプリーム』でも起こっていることだ。それは確かに他の出演者を困惑させた。「かじ取りをするのが大変なこともありました」とバルバロは言う。「大勢の人がiPhoneを取り出しながら、見ている中で、『今は1961年なのよ、私はスーツケースを持って電話も持たず道を歩いている』という感じでいるのは」。
シャラメはそれについて文句を言いたくない。「それは本当にどうしようもないことだ」と彼は言う。彼は、それは良いことだと自分に言い聞かせるのが好きだ。なぜなら、それは人々が「自分が取り組んでいることに、ある程度は関心を持っている」ことを意味するからだ。
もちろん、人々は彼のことを気にかけている。少なくとも外から見ると、シャラメは並外れたエレガンスさで名声を勝ち得てきたように見える。彼はカイリー・ジェンナーとデートしているが、ほとんどはプライベートな時間である。彼はどんなインフルエンサーよりも有名だが、最近ではディラン本人よりもソーシャルメディアへの投稿が少ない。しかし映画では、彼のディランはセレブリティに包囲され、トラウマを抱えており、それがもたらす被害妄想、恐怖、孤独を描くシャラメの描写は際立ってリアルだ。私がその話題を持ち出すと、彼は20秒ほど沈黙し、45分あれば答えられると言いながら、結局は話をはぐらかす。「『孤立』や『恐怖』や『被害妄想』といった言葉は使いたくないんだ」と彼は少し被害妄想的な口調で言う。「それが真実かどうかは別として、幸運や恵みを仕事に活かし、そういった感情状態に注意を向けるのは正しい方法ではない気がする。たとえそれが有効だとしても、それは僕が本当に目指すところではないんだ」。
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彼の幼少期は、誰も免れないオンライン・パノプティコン(※すべてが目に入る円形の監獄のような状態)の下で育ったために、徹底的に記録されている。彼が高校時代の恋人、ルルド・レオンと抱き合っている写真、2012年のタレントショーで、彼がリル・ティミー・ティムとしてラップを披露し、面白おかしく熱狂する女子クラスメートの観客を前にした映像は、YouTubeで500万回以上再生されている。しかし、彼の一部は、もっと謎めいて、もっとディランのような存在になりたいと願っているようだ。ただ、彼はそれが実際には不可能であることも知っているのかもしれない。だからこそ、そっくりさんコンテストに突然現れるという、ディランはしないような行動を取ったのかもしれない。私たちのインタビューでは、彼は衝動的な告白の嵐と極度の警戒心の間を行き来し、その中間はほとんどない。
「私たちは、長い間この仕事をしてきたという点で、お互いに共感できてると思う」と、シャラメと名声の重荷を描いた映画について振り返りながら、ファニングは言う。「人々は、あなた(セレブリティ)を所有しているように感じてしまう。どうやってそこから抜け出すのか、あるいは、どうやって自分の道を切り開くのか?……ティモシーが名声へ上り詰めたことはボブと同じ? そうかもしれない。比較的似ているでしょう。若いときに何かが起こり、爆発したような感じが」と彼女は笑う。「でも、ティモシーの名前が本当はティモシー・シャラメだということはわかっているし、彼がどこで育ったかも、お母さんの写真も知っている。それに彼には妹がいて、彼はラガーディア高校(ニューヨーク市の有名な舞台芸術高校)に通っていたことも。だから彼は謎の人物ではないわ」。
モニカ・バルバロとエドワード・ノートンの葛藤
シャラメはディランにぜひ会ったり話してみたいと思っているが、まだ実現していない。しかし、バルバロは現実のバエズと会話をした。「彼女に会う夢を何度も見ました」とバルバロは、マンゴールドが映画の編集をしていた20世紀スタジオの同じ建物にあるスタジオのソファに座りながら語った。彼女はバエズの歯に似せるため義歯が必要だったが、頬骨は元々似ていて、オーバーサイズのデニムジャケットにスカート、つま先が開いた革のサンダルを履いた姿で、バエズのブルネットの素朴な雰囲気を醸し出している。「私は『こんな夢をみた、それに従わなきゃ』というタイプではない」とバルバロは言う。「あまりにも彼女に関しての研究に没頭していて、彼女に会わないと何かが足りないままになると思っていたの。彼女と繋がることが必要だと」。彼女がバエズと電話で話すことが出来た時、歌手で活動家のバエズは、バルバロからの連絡を待っていたと話した。
バルバロは、いかに芸術的に描写されていようとも、伝説のアーティストを恋愛対象の役に格下げしたことに、罪悪感のようなものを感じていた。「彼女の人生は、ボブの人生で果たした役割以上に、はるかに重要な意味を持っている」とバルバロは言う。「彼女には、彼女自身の伝記映画があるべきだわ。限定シリーズとか、どんな形でも」。バエズ自身がバルバロの考えを変えた。「ある時、彼女は『私はただ庭で鳥を見ているだけよ……』と言っていました。私は『ああ、そうですね、この映画があなたをどう語ろうとも、あなたの生き方を左右するようなものではないですね』と言いました」。バルバロのバエズは、実人生に忠実に、ディランの盟友として振る舞い、舞台上でも舞台外でも彼と議論を交わしている。カルチャーの象徴である2人が下着姿で言い争うシーンは、私たちが見てはいけないようなものに感じられるほど、2人の動きはリアルに迫っている。
シャラメとモニカ・バルバロ(ジョーン・バエズ役:写真右) (C)2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
実生活では、ディランは当初、バエズの妹ミミにかなり興味を持っていたが、ミミというキャラクターは必然的に物語から削除されなければならなかった。「私にはできなかった」とマンゴールドは語る。「これだけの人を出演させると、パレードのようになってしまう。映画の40パーセントは音楽だとする。となると、人間の物語を語るのにクレジットを含めて75分しか残っていない。信じられないほどの早さで選別しなければならないんだ」。
バルバロは、彼らが実際に「北国の少女(Girl From the North Country)」を一緒に歌ったという証拠がないことや、バエズとディランがギターを2本持ってデュエットするシーンが複数あることなど、些細な事実の変更にも反対した。実際にはバエズはディランに演奏を任せていたのだ。「ジム(マンゴールド)は『このイメージがすごく気に入っているんだ』と言っていました」。後に彼が私に言ったように、『Wikipediaにある内容のようにはできない』ということね」。
この女優にとって最大の課題は、ディランよりもクラシックで美しい楽器のようなバエズの歌声に近づけることだった。バルバロは映画どころか、公の場で歌ったこともほとんどなかったので、とても不安だった。シャラメと同様に彼女も、(映画『エルヴィス』のために)オースティン・バトラーにエルヴィス・プレスリーの歌い方を習得させたボーカルコーチ、エリック・ベトロに教えてもらった。彼女はオーバーダビングに関してこだわらない。筆者はすでに映画のカット版を見ているが、彼女はバエズの幅広いビブラートを正確に再現しようと、もう一度やり直そうとしたりしていた。しかしそれはバエズに感心してほしいからではない。「彼女はおそらくこれを聞いて『ノー!』と言うでしょうね」。
映画の制作中、バルバロはアーノルド・シュワルツェネッガーのNetflixシリーズ「FUBAR」の撮影も行っており、彼女はその中でシュワルツェネッガーの娘役を演じていた。実は、シュワルツェネッガーはバエズのファンであり、彼が最初に観たコンサートは彼女の60年代後半の公演のひとつだった。「聞かせてくれ」と彼は言った。そしてバルバロはターミネーターのために「くよくよするなよ」を歌った。
当初出演予定だった俳優ベネディクト・カンバーバッチが降板したため、エドワード・ノートンが土壇場でピート・シーガー役に代わった。そのため、完全な肉体改造と、これまで一度も弾いたことのないバンジョーの演奏の両方を必要とする役を準備するのに、彼に与えられた時間はわずか2カ月だった。自宅からそう遠くないカリフォルニア州マリブのカフェでコーヒーをすすりながら、ノートンは自分の制作過程について話したくはないと言った。「もし私がカメラの前に座っていて、誰かが『それで、どうやってバンジョーを学んだか、自分の歯を台無しにしたか、頭を剃ったか、などについて話してください』などと言ってきたら、それはトリックを観る前にネタバレを説明するよう求めているようなものだよ。……1962年のディランを見てくれ。彼は21歳だ。そしてその時すでに、カーテンの後ろに人を入れてはいけないことを知っていたんだ」。
しかし、ノートンが実際に歯科医に彼の歯を台無しにさせて、シーガーの歪んだ笑顔に似せたことをここでは記しておこう。それから彼は生え際の髪を剃り、2カ月でギターのスキルを可能な限りバンジョーに応用したが、難しい部分では必然的にある程度の工夫が必要となった。そして彼は、シャラメがディランとしてやったのと同じように、シーガーの声の異常なほどの複製を成し遂げた。すでに彼は正常な歯を取り戻し、髪の毛も再び生えてきた。55歳になった今でも彼は『ファイト・クラブ』の体型を維持しており、情熱的な会話の中で彼の青い瞳が強まる様子は、過去の多くの映画でお馴染みのものだ。
エドワード・ノートン(ピート・シーガー役:写真左)とシャラメ (C)2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
1919年生まれのシーガーはディランよりほぼ一世代年上で、ディランが幼児の頃から音楽とアクティビズムを組み合わせてきた(バエズがノートンに語ったところによると、シーガーは堅苦しすぎて、若い友人たちからのハグを快く思っていなかったというが、ノートンはそれをスクリーンで面白く使っている)。彼はマッカーシー時代にブラックリストに載せられ、カルチャーの隅に追いやられた。映画の中のディランとシーガーは実際よりも親密な関係で描写されているが、実際のシーガーもディランの初期のプロテストソングが何百万人もの子供たちに届くのを見て大喜びしていたことは間違いない。ノートンは、南部への旅行中にシーガーとディランが並んで座っている写真と、シーガーが大観衆の前でディランのパフォーマンスを見ながら父親のような喜びに顔を輝かせている写真を携帯電話で見せてくれた。
しかし、ディランは結局、特定のコミュニティや政治体制よりも、自分自身の芸術的衝動に忠実であり、それがシーガーとバエズの心を傷つけた。「実際のところ、ディランは政治的な人物ではなく、音楽家だったんだ」とノートンは言う。「ピート・シーガーの誠実さはディランの誠実さとはまったく違う。彼らが袂を分かったとき、どちらも根本的に相手を損なうことはなかった」。ノートンは明らかに、30年来の友人でありシーガーの弟子でもあるブルース・スプリングスティーンの要素を演技に取り入れており、人当たりのいい表向きの顔の裏に垣間見える頑なさの中にそれが表れている。
Photo by AIDAN ZAMIRI
1965年7月25日、ニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランがロックバンドとステージに立っていたときの二人の最後の別れは、60年代の音楽史で最も神話化され、事実が混乱した瞬間の一つだ。1962年の1stシングル「ゴチャマゼの混乱(Mixed-Up Confusion)」や、ニューポートの4カ月前にリリースされた『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』のうち半分の時点でロックバンドと一緒にスタジオにいたにもかかわらず、常に「エレクトリックになった」瞬間として表現されてきた。「ライク・ア・ローリング・ストーン」がフェスティバル開催の時点ですでにチャートインしていたことは言うまでもない。しかし、少なくとも一部の観客は彼にブーイングを浴びせた。そして、少なくともこの物語の最も典型的なバージョンでは(この映画ではそれが強く強調されている)、シーガーはディランの判断ーー自分の歌詞をかき消し、騒々しい騒音でフェスティバルの共同体的な根幹となる精神を汚したことに深く腹を立てていた。
「その場に居合わせた、文字通りその瞬間に居合わせた人たちに話を聞くと、ピートは滅多に見たことのないようなレベルでブチ切れたと言うんだ」とノートンは言う。映画でも、シーガーが斧を握って文字通り電力を断ち切ったという、明らかに偽話と思われる話はあえて盛り込まれていないが、その日の(ディラン出演前に披露された)ワーク・ソング演奏のおかげで、近くに斧があったという事実はうなずける。そして、この映画はさらに大胆なことを試みている。1年後に英国で実際に起こった悪名高い事件、群衆からのある裏切りの叫びを持ち込んでいるのだ。「ジム(マンゴールド)はドキュメンタリーを作ることに興味はなかった。彼は寓話的なものに興味があったんだ」。
いずれにせよ、ディラン自身は常に文字通りの歴史的事実にはほとんど関心がない。彼自身の回顧録『ボブ・ディラン自伝』は、実際の自伝というよりポストモダンの言葉遊びであるし、彼はマーティン・スコセッシと協力して、2019年の『ローリング・サンダー・レヴュー』のドキュメンタリーに異常な量のフィクションを盛り込んでもいる。その映画におけるディランのパフォーマンスがいかに 「パンクロック 」であるかについてトム・ヨークとメールしたことがあるノートンは、ディランを 「神話のトリックスター 」に喩えて、そのすべてを愉快だと感じている。「彼はトラブルメーカーだ 」と彼は言い、このシンガーは「不明瞭さと歪曲を明らかに楽しんでいる」と指摘する。
ノートンがマンゴールドから聞いたところによると、ディランは『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の中に少なくとも1つ、まったく事実ではない瞬間を入れるよう強く願ったという。マンゴールド監督が世間の反応を懸念すると、ディランは彼を見つめて言った。「他人がどう思うかなんてどうでもいいじゃないか」。
運命について「人生をただ楽しめばいい」
シャラメと私は、インドアスポーツ施設チェルシー・ピアのすぐ隣にあるハドソン川の端に向かった。私たちはベンチに並んで座り、灰色の霧に覆われた太陽のない広大な水平線を眺める。そこから運命について話し始めた。ディランの故郷で過ごした時間は、フランスの地方を訪れたことを思い出させるとシャラメは言う。「父はフランスのミネソタのような場所で育った」と早口で話す。「だから僕は夏をその地方で過ごしたりしてたけど、そこで同じように感じたんだ。閉塞感を覚えて、もっと何か言いたいことがあるような気がしたんだ」
「(そういったことが)自分の人生やキャリアにおいて、深く共感できたんだ」と彼は続ける。彼はある特定の未来に向かっていると感じながら、同時に、簡単に道から外れる可能性も感じていた。「『自分の計画を神に笑われたければ、大きな声に出して言いなさい』と言うけど、僕のキャリアの最初は、親しい友人からさえ、1週間くらい立ち直れないようなことを言われたことがあったよ。そうなっても、決意を固め、ある道をしっかり見据えるんだ。僕は名前を変えなかったけど、理解している。心の奥で感じているんだ」。なぜロバート・ジマーマンはボブ・ディランに名前を変える必要があったのか? 鏡に映る自分を見て、「自分の内面で感じている重み」が自分の名前に反映されてないことに気づいたのかもしれない、とシャラメは語る。
Photo by AIDAN ZAMIRI Jacket by Celine
私がポール・アトレイデス(※『DUNE/デューン 砂の惑星』でシャラメが演じた役)、ボブ・ディラン、そしておそらく彼自身の間にある奇妙な類似点の数々ーー選ばれし者、リサーン・アル=ガイブ、メシア的運命ーーを持ち出すと、シャラメは真剣にその点について考えていた。「フレーミングの中で大きな違いは、ポール・アトレイデスにとって運命はあらかじめ定められたものであり、それは彼の地位に対する憤りの一部だということだ。ある意味、自分とは無関係だと感じている。そしてそれは実存的な緊張の源となっているんだ。そして、ボブにとっては、自分の才能や特別な能力は、ある意味、神からの贈り物であり、自分自身の手によるものなのだと知っていることがいたずらな喜びなんだ。おそらく、彼は常にそのことに誇りを持っているのだと思う」。なぜシャラメはこのような救世主役に惹かれるのか?と聞くと、彼はようやく笑った。「彼らが僕を見つけてくれるんだ。僕じゃない」。
高校時代、彼は 「どこにでもあるドラッグとアルコール 」をかわしていかねばと感じていた。「自分には可能性とか、守らなければならない小さな塊があるような気がしていた」。彼はまたディランとの共通点について語り始めたーー彼らがまだ10代になりたての頃、眩暈がするような名声が爆発したことだ。「あの年頃にとってはクソみたいなものだよ。本当に」。しかし、彼はすぐに話題を変えた。
ディランは映画の出来事のすぐ後に、ニューヨークのウッドストックでバイクから滑り落ちて半隠遁状態だった。シャラメは、彼自身がニューヨーク州北部の町に滞在したことも含め、パンデミックでの休暇が同じ役割を果たしたと考えている。それは「スリングショットの後、鏡の中で何か課せられたような表情で、『OK、ここが自分の居場所だ』という」ようなものだったと話す。「でも同じように、鏡を長く見すぎて、あるはずのないわだかまりを作ってしまうこともある」。名声はその危険を増大させる。「注目とかそういうもの? 特に気をつけなければならないんだ」。彼は一息ついた。「そして、自分自身をそんなに深刻に考えなくていいんだ。人生をただ楽しめばいい」。
Photo by AIDAN ZAMIRI
彼は何度も筆者に、ボブ・ディランを演じることは二度とないだろう、「生涯の役」は終わったのだと、十分すぎるほど自覚していると言った。しかし、筆者はそんなことはないでしょう、まだ若いから、シャラメとディランの時間軸のある時点で、のちにディランを再度、簡単に演じることができるのでは、と指摘した。
「驚いたよ」と彼は言った。「そんなこと考えたこともなかったけど、君の言うとおりだ。もし誰かがそれを演じるとしたら、シェイプ・シフトする限りではーーローリング・サンダー・レヴュー、ボーン・アゲイン、『タイム・アウト・オブ・マインド』……。」彼は明るい表情を浮かべた。「面白い考えだ!」
From Rolling Stone US.
Production Credits
Styling by TAYLOR MCNEILL at THE WALL GROUP. Hair by JAMIE TAYLOR at A-FRAME AGENCY. Makeup by ANA TAKAHASHI at ART PARTNER. Produced by OBJECT & ANIMAL. Executive producer: EMI STEWART. Producer: REESE LAYTON. Production coordinator: BOMIN AHN. Director of Photography: PETER HOU. Post Producer: GINA CROW. Editor: NEAL FARMER. Additional Edits: WILL TOOKE. ETHOS Colorist: DANTE PASQUINELLI. Producer: NAT TERESCHENKO. Head of Production: NATASHA SATTLER. Executive Producer JAMES DREW. EP/MD: ELIANA CARRANZA-PITCHER. Sound Studio: CONCRET FORM. Sound Design: RAPHAËL AJUELOS. Sound Editor: INÈS ADAM. Production designer: GRIFFIN STODDARD at STREETERS. Art coordinator: VIVIAN SWIFT. Leadman: JORDAN YASMINEH. Photographic assistance: ROWAN LIEBRUM and TUCKER VAN DER WYDEN. Digital technician: HOPE CHRISTERSON. OBJECT & ANIMAL Production assistance: MARLO RIMALOVSKI and MATTHEW RAMOS. Styling assistance: BRODIE REARDON and KENNEDY SMITH. Set assistance: GIANFRANCO BELLO, LEA DOBROMIROV, and TRINITY DAVISON. Mask image MICHAEL OCHS ARCHIVE/GETTTY IMAGES
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
2025年2月28日(金)全国公開
出演:ティモシー・シャラメ、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルック、ダン・フォグラー、ノーバート・レオ・バッツ、スクート・マクネイリー
監督:ジェームズ・マンゴールド
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(C)2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
公式サイト:https://www.searchlightpictures.jp/movies/acompleteunknown
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』オリジナル・サウンドトラック
・デジタル配信中:https://acompleteunknownjp.lnk.to/ACM
・2025年1月24日アナログ輸入盤発売予定
・2025年2月28日国内盤CD発売予定
ボブ・ディラン
『ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963〜1965(Blu-ray)』
2024年12月25日発売 税込価格:4,730円 *日本語字幕付