横浜に自家直売所、開設26年目の現在地
苅部農園があるのは横浜市西部の保土ヶ谷区。苅部さんは、江戸時代から300年続く農家の13代目です。大学の農学部を卒業後、一般企業勤務を経て、25歳で就農しました。現在、畑は保土ヶ谷区と旭区の飛び地に約3ヘクタール。約100品目の露地野菜と10品目の果樹を栽培しています。
主な販路は自家直売所。この他、青果店への直販と学校給食などです。苅部農園の農産物直売所「FRESCO(フレスコ)」は、相鉄線西谷駅の近く、国道16号線を少し入った便利な場所にあります。営業は月・水・金曜の午後2時から6時まで。20~30品目の農産物が並び、朝採りの新鮮な野菜を求めに、開店前から地元客が列を作ります。
苅部さんが「FRESCO」を開業したのは1999年。農産物の直売所自体が今ほど普及しておらず、都市部の個人農家が経営するのは前代未聞の試みでした。
「当時、露地野菜はスーパーに出す人が若干居るぐらいで、私も含めてほとんどの人が市場出荷でした。単価の高い果樹とトマトなら直売している生産者が居たので話を聞きに行くと、露地野菜だけの直売所はやめた方が良いと止められました」と苅部さんは振り返ります。
それでも直売所をやろうと決めたのは、大産地に負けない「自分のブランドを作りたい」という強い思いがあったからです。
オリジナル品種を開発、個人ブランドで大産地に挑む
先代の父はキャベツ農家で、出荷したキャベツは常に地域で一番の高値を付けられるほど優秀な生産者でした。にもかかわらず、横浜産のキャベツは、産地リレーの隙間を埋める役割しかなく、より鮮度が高く品質の良いものを市場に出荷しても、大産地の半分の値しか付かなかったと言います。
「それが悔しくて・・・・・・。大産地にあって横浜にないのはブランド力と安定供給でした。産地化されていない横浜では生産者が束になって量を出すことはできません。それならブランド力を付けて個人で売ればいい」と苅部さん。とは言え、ブランドは自分で作れるものではなく、人が評価するものです。「苅部農園の野菜はおいしいと思ってもらえるように鮮度で勝負しようと思いました」と言葉を続けます。そこで、自家直売所の構想が固まりました。
個人で直売所を経営するために必要なのは、まず生産品目を増やすことです。苅部さんが年間100品目の野菜を栽培する理由です。品種の選定にこだわり、育てやすい、形がそろうなどの特性もある中で、味の良い品種を選び、在来種を入れながらラインナップしています。
次に土作り。同じ品種でも土によって味が違います。
「身土不二(しんどふじ)という言葉がありますが、その土地に住む人はその土地の旬のものを食べることが一番理にかなっています。畑も同じで、その地域の環境で育ったっものを堆肥として使うのが良いと思います」と苅部さん。稲わら、米ぬかの他、樹木剪定枝堆肥(グリーンコンポスト)など、市内近郊の資源を堆肥化して畑の土に戻しています。
そしてブランドです。苅部農園を代表する野菜が必要だと考え、オリジナル品種開発へのチャレンジが始まりました。当時30歳。「80歳まで農業をすれば50回も挑戦できると思った」と苅部さん。在来種の突然変異種をもとに、交配・選抜・自家採取を繰り返し、8年から10年掛けて、赤色が入った柔らかく風味の良い「苅部ネギ」、グラデーションが特徴の「苅部大根」、カラフルな「苅部人参」を開発。いずれも色鮮やかな野菜です。
売場をプロデュース、地の不利を逆利用
自家直売所の経営は最初から順調だったわけではありません。
「自分に必要なのはプロデュース力だと思いました。ブランディングするなら、生産者は作るだけでなく販売も含めて考えていくことが必要です」と苅部さん。購買力が増すように直売所の見せ方を工夫しました。
色みのあるカラフルな野菜を多く作り、葉付きの本来の形で売ることも工夫のひとつ。その点で、オリジナル品種の「苅部ネギ」「苅部大根「苅部人参」は、単体でも彩りが良く、売場で映える野菜です。近年はオリジナルの加工品もプロデュースしています。
「野菜を葉付きで売り始めた当初は、葉は要らないからと捨てていくお客さんも多く居ました。店頭で食べ方提案をするうちに、葉が食べられることに若い人たちも気付いて、今は確実に皆さん持って帰りますし、捨てられていたら欲しいと言う人も居ます。だから廃棄もなし」と苅部さんは話します。生産者が地域農業を発信すべきだと思い、畑の見学ツアーも続けています。
自家直売所を回すには、野菜を切らさないようにすることが必要です。種を播く時期をずらすのもひとつですが、苅部さんは住宅地の畑のデメリットを生育調整にうまく活用しています。
例えば、住宅地には街灯があるので夜も暗くなりませんが、あえて明るい場所で作物の生育を早めることができます。また、隣に昔は無かった家が建って日陰になった畑は、水分が抜けにくいことをメリットに作物の猛暑対策に利用します。人工物も含めた多様な土地の条件をうまく活用するのが、都市農業の技術でもあります。
都市農業に磨きをかけ、その発展に貢献
今でこそ「横浜野菜」がブランド化され、市民の知るところとなりましたが、苅部さんはそれ以前から地産地消に取り組んできました。同時に生産者の横のつながりも広げ、就農希望者として年間の農作業やファーマーズマーケットでの販売などを体験しながら学ぶ「農業塾」を主宰し、神奈川の農業を盛り上げる若手農家グループ「神七(かなセブン)」を結成するなど、精力的に活動しています。
こうした取り組みが評価され、苅部農園は2023年の第52回日本農業賞で特別賞を受賞しました。神奈川県の生産者としては初の快挙です。
「大産地には大産地の役割があるように、都市農業には都市農業の役割があります。その価値創造への貢献が認められたことがとてもうれしかった」と苅部さん。
自分の名を冠したオリジナル品種を開発する夢をかなえ、もう一つ夢があるとすれば農家レストラン。プロが作った野菜をプロのシェフが料理して、景観と共に味わう体験をデザインしたいと言います。
「都市農業の利便性や生産緑地の良さを体験してもらい、若い人たちに魅力のある農業形態を開発していきたい」と抱負を語ってくれました。