横浜市が推進する「横浜教育データサイエンス・ラボ」は、教職員や企業、大学が連携し、子どものこころの変化を捉え、不調を軽減する全国でも珍しい取り組みを進めており注目を集めている。本記事では、11月21日に開催された第2回目のラボでの、共同研究契約締結式、参加者による鼎談やディスカッションの内容を詳しく紹介し、新たな取り組みとして期待される「横浜モデル」の可能性などを探る。

  • 11月21日に開催された「横浜教育データサイエンス・ラボ」。"データはだれのもの?"という副題の通り、デジタルテクノロジーを教育に生かし、子どもたちの心の変化や不調を軽減するための取り組みが紹介された

■産学官連携で子どものこころの変化を捉え、不調を軽減する

横浜市が推進する「横浜教育データサイエンス・ラボ」で取り上げている一つのテーマが、教育と医療のデータ連携を通じて子どものこころの変化を捉え、不調を軽減する新たな取り組みだ。「第2回 横浜教育データサイエンス・ラボ」が、2024年11月21日、横浜市西区のみなとみらい地域にあるY-PORTセンター公民連携オフィス 情報発信拠点GALERIOで開催された。このイベントには、横浜市立大学をはじめとする大学研究者、企業、そして市の教職員が参加し、子どものこころの不調を可視化し、軽減するための実践的な議論が行われた。

横浜市では、令和6年6月に児童生徒約26万人を対象とした教育ビッグデータ活用システム「横浜St☆dy Navi」を導入。これにより、エビデンスに基づく学びの実現や教育内容の充実を図る基盤が整備された。さらに、9月には「第1回 横浜教育データサイエンス・ラボ」を開催。教員、大学、企業の三者が共創し、教育データを分析することで、現場の課題解決を目指すプロジェクトが始動している。

そしてこの日、横浜市教育委員会は横浜市立大学と共同研究契約を締結。これにより、教育データが医療分野の専門的知見と結びつけられることで、「横浜モデル」の具体化が進められることになる。「横浜モデル」は、データ分析を通じて子どものこころの状態を把握し、適切なケアにつなげる仕組みだ。今回は、鶴見区の獅子ケ谷小学校と瀬谷区の瀬谷中学校がモデル校として指定され、2024年11月22日から2025年1月末までの期間にデータ収集と実践が行われる予定である。

  • 「横浜モデル」はデータ分析を通じ、子どもたちのこころの状態を把握し、適切なケアにつなげる取り組みだ。約26万人の児童生徒に対して実施することを目指す

■「横浜モデル」への期待や課題を活発に議論

横浜教育データサイエンス・ラボは、若手から中堅の教職員、大学研究者、企業が共同で研究を進める場として機能している。教育データの分析・加工においては、教員の現場感覚や課題意識を起点に、大学や企業の技術と知見を組み合わせるアプローチが取られている。これにより、教職員や児童生徒にとって有益なデータが提供され、現場での活用が期待されている。

今回のラボでは、横浜市立大学との共同研究契約の締結式や、「横浜モデル」の概要説明が行われた後、大学・企業・教育委員会による鼎談やグループディスカッションが実施された。特にグループディスカッションでは、「横浜モデル」の試行に対する期待や課題が活発に議論され、今後の展望が具体的に語られた。

  • 複数のグループに分かれ、現状の課題や今後の展望に対するグループディスカッションが行われた。現職の教員が参加しており、熱心に自身の体験談を話し合う様子が印象的だった

■横浜市と横浜市立大学による共同研究契約を締結

最初に行われた共同研究契約締結式では、横浜市教育委員会教育長の下田康晴氏、同学校教育企画部長の山本朝彦氏、横浜市立大学理事長の近野真一氏、同研究・産学連携推進センター教授の宮﨑智之氏が登壇し、契約書を確認のうえ締結した。

  • 横浜市教育委員会教育長 下田康晴氏(左)、横浜市立大学理事長 近野真一氏(右)が契約書を確認のうえ締結を行った

下田氏は挨拶で、横浜市の教育データを医療分野の専門知見をもとに分析し、子どものこころの不調を可視化して軽減する「横浜モデル」の意義を強調した。また、三層空間(リアル、オンライン、バーチャル)を活用した包括的なケア体制の構築を目指し、「全国初の取り組みを一丸となって成功させたい」と意気込みを語った。

  • 下田氏は「横浜モデル」を成功させることで子どもたちのこころの不調を軽減させていきたいと意気込んだ

また、リアル空間では学校や地域の保健機関との連携を強化し、オンラインでは横浜St☆dy NaviによるAIを活用したチャット相談機能を提供、バーチャル空間ではメタバース内でのアバターを活用した相談環境を構築するなど、具体的な施策に基づいて進めていく方針も示された。

続いて、近野氏は、横浜市立大学の研究者が企業と連携しながら進めている取り組みを紹介したうえで、「今回の契約締結を通じて研究成果を社会還元し、こころの問題を抱える子どもたちのケアに役立てていきたい」と期待を述べた。

具体的には、医療データの分析を通じて心の健康リスクを早期に検出し、学校と保健機関が連携して適切な支援プランを提供する体制を構築することが挙げられる。

  • 近野氏は、産学官の連携による新たな価値創造に向けて、今後も取り組みを進めていく強い意志を示した

■ディスカッションを通じて見えてきた「横浜St☆dy Navi」の可能性

「横浜教育データサイエンス・ラボ」では、大きく2種類のディスカッションが行われている。一つは、この日のように、これまでの取り組み成果を報告し、意見交換を行う形式のディスカッションだ。そしてもう一つは、日々の議論や大学・企業を含むこれまでの積み重ねを踏まえ、教職員も加わった形で新たな気づきやアイデアを創出する場としてのディスカッションである。今回のディスカッションには、現地参加者48名に加え、オンラインでの参加も含め、活発な議論が展開された。

ディスカッションに先立ち「横浜St☆dy Naviでの健康観察 現時点でのデータから見えること」と題したセッションも行われた。セッションには、株式会社内田洋行のシステムエンジニアリング事業部ネットワーク技術推進センター部長である武田考正氏と、横浜市立大学研究・産学連携推進センター特任講師の雨宮愛理氏が登壇した。

  • 株式会社内田洋行 システムエンジニアリング事業部ネットワーク技術推進センター部長 武田考正氏(左)と横浜市立大学研究・産学連携推進センター特任講師 雨宮愛理氏(右)がセッションに登壇

武田氏は、「横浜St☆dy Navi」を通じて子どもの学習生活データを活用する取り組みについて説明すると、「26万人という規模での取り組みは全国最大であり、企業や大学が専門的に分析し、それを現場に反映させている点は、他には見られない大きな特徴でしょう」と強調した。

  • 武田氏は、「横浜St☆dy Navi」を通じた成果を全国の学校に届けることを目標としており、今後も研究を深化させていく意向を示した。

続いて雨宮氏は、これまでの「横浜St☆dy Navi」のデータから見えることと見えないことについて触れ、子どもの様子や変化を可視化し、それを共有する意義について言及し、「これにより、教職員や保護者が子どもの健康状態をより深く理解し、適切なサポートを提供するための基盤を築く可能性に期待します」と述べた。例えば、健康状態のデータを基にした個別面談の実施や、保護者と教員間での情報共有ツールの活用など、実践的な活用方法への期待も示された。

  • 雨宮氏は抑うつ症状の重症度を例に出しつつ、「横浜St☆dy Navi」を活用し子どもの様子や変化を共有することの重要性について触れた

■鼎談から見えてきた「横浜モデル」の未来

続く「横浜市立大学・企業・教育委員会による鼎談」では、子どものこころの変化を捉え、安心な学びの環境をつくる「横浜モデル」の可能性が議論された。登壇者は、横浜市立大学の宮崎智之教授、ベネッセ教育総合研究所教育イノベーションセンター長の小村俊平氏、そして横浜市教育委員会教育長の下田氏の3名である。

  • 「横浜市立大学・企業・教育委員会による鼎談」では、横浜市立大学 宮崎智之教授(右)、横浜市教育委員会教育長 下田氏(中)、ベネッセ教育総合研究所教育イノベーションセンター長 小村俊平氏(左)の3名が登壇

宮崎氏は、10代や20代の若者が抱える生きづらさに対応するため、長年にわたる研究をもとに「横浜モデル」の開発を進めていると説明。「モデル校では、ダッシュボードを活用し、子どものこころの状態を視覚的に把握してケアを行う仕組みが始まる」と述べ、AIと機械学習を活用した健康観察システムの有効性を強調した。

  • 宮崎氏は不登校やいじめを未然に防ぐ取り組みを広げることで、最終的には全ての小中学生を対象に展開していく計画について触れた。

一方、小村氏は、全国的なデータに基づき、日本の子どもたちのこころの不調が顕著になっている現状を報告。「学校が単なる学びの場ではなく、共助を学ぶ場であることが心の支えとなる」と述べるとともに、勉強に向かえない子どもたちの背景には、社会や家庭の環境が影響している可能性を指摘した。

  • 小村氏は、「好きなことをやってほしいという期待が重荷になる場合もある」といった新しい視点を示し、教育の在り方を再考する必要性を訴えた。

下田氏は、「リアル、オンライン、バーチャルの三層空間で学びとケアを提供することが重要」と述べ、デジタル技術を活用した教育環境の進化が、横浜モデルの成功に向けた鍵であると語った。また、26万人の児童生徒から集まるデータを最大限に活かし、持続可能な支援体制を構築することの重要性を強調。「今後の教育改革の先駆けとなる取り組みを進めていきたい」と意欲を見せた。

■グループディスカッションで深まる横浜モデルの理解

グループディスカッションでは、「子どものこころの変化をとらえ、不調を軽減する『横浜モデル』の試行にあたっての期待や課題」をテーマに意見が交わされた。冒頭では、「横浜St☆dy Navi」を利用している子どもたちの声を集めたビデオが放映され、子ども自身が体調や心の変化を把握することが安心感につながるとのコメントが紹介された。

議論の中では、ある教員から「子どもの心の状況や変化が可視化できるようになることで、現場での支援がより的確になる」といった期待感が示された。また、「学校外の専門家や企業の知見を取り入れることで、これまでにない視点からの支援が可能になる」との意見も出された。

一方で、あるソーシャルワーカーは、「子どもたちの小さなSOSを受け止めることが非常に重要だ」とし、特に、幼い頃から自己否定的な環境で育った子どもたちへの適切なケアの必要性を強調した。また、経験の浅い教員が問題に直面した際、経験豊富な教員や専門家からの知見を基に解決のヒントを得られる仕組みについても議論が行われた。

司会を務めた横浜市教育委員会 教育課程推進室長の丹羽 正昇氏は、「今回の議論の内容を今後の共同研究や試行へと活かしていきたい」と締めくくった。

  • 司会を務めた横浜市教育委員会 教育課程推進室長 丹羽正昇氏

■“月曜日が楽しみな学校”を取り戻したい

横浜市教育委員会 学校教育企画部長、山本朝彦氏は、最後の挨拶で「“月曜日が楽しみな学校”を再びつくりたい」と述べた。山本氏は、自身の子ども時代を振り返りながら、「学校はワクワクがあふれる楽しい空間だった」と語り、現代の子どもたちが抱える心理的な不安や緊張感に触れた。その中で、学校が安心とワクワクを取り戻す場になることの重要性を強調した。

「『横浜モデル』の開発はそのための第一歩であり、ケアが必要な子どもたちにいち早く手を差し伸べる仕組みを構築することを目指していきます」と語った山本氏は、AIを活用して学力と非認知能力のデータを分析し、子どもたちの心の変化に気づける仕組みを進化させる計画も明らかにした。

そして最後を「すべてのデータは子どもたちのために」という言葉で締めくくり、研究教育機関や企業との連携を通じて子どもたちを支えるための決意が感情全体で改めて示された。

  • 横浜市教育委員会 学校教育企画部長 山本朝彦氏

■今回のラボに参画しているNTT東日本からの横浜モデルへの期待

NTT東日本 神奈川支店 第一ビジネスイノベーション部 担当課長の菅原祥隆氏は、横浜教育データサイエンスラボの取り組みに対し、ビッグデータの分析・加工・活用方法の検討といった側面から貢献していくことを強調する。NTT東日本は、2023年に横浜市と「住みたい・住み続けたい・選ばれる都市の実現に向けたまちづくり」に関する協定を締結。その中で、「次世代を担う人づくり」をテーマに、ICTを活用した教育環境の充実を支援してきた。

  • NTT東日本 神奈川支店 第一ビジネスイノベーション部 担当課長 菅原祥隆氏

菅原氏は言う。「これまでGIGAスクール構想の通信ソリューションを中心に提供してきましたが、最近では学校のメタバース空間の構築や運用支援など、教育の中身に関わる取り組みにも注力しています」と語る。さらに、横浜教育データサイエンス・ラボへの参画を通じ、分析結果を現場で活用し、子どもたちの成長を支えることに貢献したいとした。

「教育DXはハード面の整備だけで終わるものではなく、どう活用するかが重要です。教育委員会や教職員の方々と協力しながら次世代教育環境をモデル化し、全国的に展開することで、さらなる教育DXの推進を目指していきたいですね」(菅原氏)

これを受けて、横浜市教育委員会 教育課程推進室長の丹羽氏は、改めて「横浜モデル」への期待を語った。丹羽氏は、「この取り組みは、データを基盤としながらも、子ども一人ひとりの個性や環境に寄り添うものです」と述べ、教育データの利活用が単なる数値の解析にとどまらず、子どもの未来を共に築く手段であることを強調した。

  • 丹羽氏は「横浜モデル」を引き合いに、データ分析が数値という側面だけでなくその背景を読み解くことが重要であると語った

 また、「リアル、オンライン、バーチャルを融合させた教育の形は、横浜から全国へのモデルケースになる」とし、地域を超えた教育の在り方を模索していく意欲を示した。最後に同氏は、「すべての取り組みは、子どもたちのために。その思いを胸に、これからも挑戦を続けます」と力強く語った。

  • 横浜教育データサイエンスラボに関わる横浜市教育委員会およびNTT東日本 神奈川支店の関係者