上沢直之という夢の終わり。思いを断ち、打ち崩す【えのきどいちろうのフ…

「暗黒期」の不遇なエース

 上沢直之について書かなきゃならない。気持ちの整理をつけなきゃならない。正確にいえば彼の前所属球団は北海道日本ハムファイターズではなく、当連載コラム(「ファイターズチャンネル」)で扱う対象ではないのだろう。それでも上沢直之は特別な存在だ。2019年の交流戦でソト(当時、DeNA)の打球がヒザを直撃し、左膝蓋骨の整復手術→長期戦線離脱となったとき、僕は自分がいちばん好きなコーヒーを断とうと決意をした(こういうとき、一般的には酒断ちなのかもしれないが、あいにく僕は下戸だ)。コーヒーは仕事に向かうスイッチだったから、しばらく原稿が書けなかった。それでも上沢がつらいリハビリに耐えてるのだと思うと、1年のコーヒー断ちなんてへっちゃらだった。

 

 上沢のリハビリとお前のコーヒー断ちに何の関係があるのだと大概の人は思うだろう。僕の言ってるのはシンプルなことだ。大好きな選手が苦しいときにその何万分の一、何千分の一でもいいから分かち合いたい。大好きな選手のために大好きなものを断つ。彼の不在に慣れたくない。上沢直之の不在は堪(こら)えるべき事柄だ。僕の生活は上沢がいない分、欠けているのだ。彼がマウンドに戻ってきた日に本当の形になる。

 

 上沢直之はファイターズのエースだった。ただ「暗黒期」の不遇なエースだ。2016年、大谷二刀流でカープを倒し日本一になったシーズン、彼は故障で稼働できていない。歓喜の輪のなかに入れなかった。エースの名を手にしたけれど、傍らに常に大谷翔平や有原航平がいた。タイプ的には大谷、有原のような「大型車」ではない。様々な球種を織り交ぜて、丹念に投げていくタイプだ。最大の長所はイニングが食えること。つかまっても大崩れしない。自分のペースをキープできる。イメージとしては栗山英樹監督の後期、2016年日本一チームが解体され、迷走していた時代にとにかくマウンドに立ち続け、ファンを勇気づけた存在だ。威圧的なズドーンはない。その代わり、投球術や組み立ての妙があった。

 

 強く印象に残ってるのは2014年の名護キャンプだ。キャンプ序盤、チーム最初の紅白戦、その先発で背番号63の上沢が登板した。僕はキャンプの「初」に注目することにしている。初ブルペン、初登板、初球、初打席、初ヒット…。「初」にはその選手の今年に懸ける思いが集約されている。どれだけ準備してきたか、何を考えてきたか、そういうことを想像しながら見るのが習慣だ。初登板上沢の初球は回転のいいストレートだった。キューンと擬音で表現したくなるような質の高いまっすぐ。おっと思った。そもそも背番号63が先発というのが意外だった。へぇー、上沢は目をかけられてるんだなぁと思う。そして投げてる球に納得した。キャンプの間じゅう、誰に聞いても「今年、絶対出てくる」と評判になっていた。その年、確かに上沢は1軍の戦力として台頭したのだ。135回1/3投げて、8勝8敗1ホールド、防御率3.19。優しげな表情のニュースターだった。彼が投げるとなぜか同期の絆で近藤健介が打つと評判になった。愛称は「うわっち」。女性ファンがとても多かった。

エスコンで待つ

 その上沢直之がソフトバンク移籍を決めた。決めたらしいのだ。ホークスから正式なリリースが出た。それについてSNSは大荒れになっている。ポスティングでいったん米球界を経由して、自由契約で国内移籍するのはフェアといえるのか。それは制度の抜け穴ではないか。ルールは犯していないとしても、今後は見直すべきだ。いや、そんなことは上沢本人やソフトバンク球団へ向ける話ではなく、NPBのルール上の取り決めなり、ポスティングを認めた日本ハム球団へ向けるべきじゃないか。他人のビジネスをとやかく言うもんじゃないetc.

 

 申し訳ないけど、その話題がぜんぜん飲み込めなかった。頭を素通りしてしまう。僕は怒りのポストを投稿するSNSアカウントのようには感情のスイッチを入れられなかった。それはルール云々(うんぬん)ということではない。上沢と縁が繋がってると思っていた。上沢本人とハム、ソフバン両球団の契約交渉の機微はわからない。わからないけれど、疲労骨折しているという右ヒジのために、もういっぺん観音様に願をかけてコーヒー断ちしてもいいなと思っていた。それは感傷なんだろう。ナーバスな甘ちゃんなのだろう。

 

 だけど上沢直之、君は確かに僕たちファンの夢だったんだよ。近藤健介は九州に行ってしまったけど、アメリカから帰ったら、もしかして松本剛と2人、投打のキーマンで今度こそ日本一の歓喜の輪におさまるかもしれない。ソフトバンク球団が移籍決定のリリースを出すまで、僕はあらゆる新聞辞令に取り合わなかった。縁が続いていると思ってたんだ。

 

 ホントはこの話題は避けたかった。真正面から向き合うと凹むからだ。今も凹みながらPCに向かっている。だが、避けるわけにいかない。思いを切断しなけりゃならない。伊藤大海が気持ちを込めて言ってくれた。

 

「僕のホーム開幕戦に来るんじゃないですか。志願してでも来るんだろうな、と僕は思っていますね。それぐらいはしてくれないと、ファイターズファンも納得いかないかなと」

 

 感傷は来年には持ち越さない。ファイターズは打つだけ。打ち崩すだけ。君はもう夢じゃなくて、相手チームのピッチャーだ。上沢直之という夢を終わらせる。早くケガを治せ。エスコンでお待ちしている。