2024年シーズンで現役を引退した青山 [写真]=J.LEAGUE

 青山敏弘が新スタジアムを見渡す。

「早く試合をしたいですね。どんどん出来上がっていく中、ピッチに立つ姿をイメージしながら見ていました。このクラブで誰よりもこのスタジアムを期待していた1人だと思うので、いよいよ僕たちの夢ができるんだなと。サッカーをする子どもたちの憧れの場所であってほしいし、毎週このスタジアムが満員になる姿を一緒に作っていきたいです」

 2023年7月27日、工事中の新スタジアムをサンフレッチェ広島の選手やコーチ陣らが初めて見学したときだった。当時はまだ座席もピッチもなく、屋根の骨組みができてきたころ。建設現場は無数の足場に囲まれて、大きなクレーン車も稼働していた。夏空に工事の音が響く中、未完成の景色を見渡しながら青山は未来を思い描いていた。

 それから約1年後、紫の6番がエディオンピースウイング広島のピッチに立った。青山は2月の柿落としマッチにも出ていたが、公式戦としては2024年7月14日に行われた明治安田J1リーグ第23節アビスパ福岡戦の終盤に新スタジアム初出場を果たした。夜空に紫の大歓声が響く夢の舞台はほぼ満員の観客で埋まっていた。

「どういう雰囲気になるんだろうと思っていたけど、いつも通り試合に集中できたし、ファン·サポーターのみなさんもいつも通り戦っていた。そこに自分が出て特別な瞬間を共有できたのは、僕のキャリアでも大きい出来事だと改めて思いました」

 青山はエディオンピースウイング広島で公式戦4試合に出場した。J1の2試合はどちらも終了間際に出場し、AFCチャンピオンズリーグ2の2試合では先発出場。プレー時間は決して長くなかったが、それ以上に記憶に残る瞬間を残した。

 12月1日のJ1第37節北海道コンサドーレ札幌戦は、優勝争いの中で痛い3連敗を喫して迎えた今季リーグ戦最後のホームゲーム。引退発表後初めてホームで出場した青山は、3点リードの82分からプレーして5-1の大勝の瞬間をピッチ上で味わった。最後まで選手として貫く戦う姿勢と独特な力を持つ言葉は広島を勇気づけた。

「今日は最高の雰囲気だったけど、まだ優勝争いが続いている。そこに自分も携わらせていただいているのは本当に幸せなこと。その続きに、自分が活躍できるイメージがある。今日が最後ではなく、優勝とその先にみんなと喜ぶ光景、きっと実現できると思っています」

 札幌戦の4日後には、ACL2の東方戦で現役最後のホームゲームに臨んだ。前日会見で「この先のACLやリーグ戦につながる、僕らの思いが伝わるようなゲームにしたい。ラストゲームだけど、思いは生き続けると思うので」と意気込んだ38歳のベテランは、キャプテンマークを巻いて先発出場し、84分までプレー。「本当に気持ちだけ、全部ぶつけていきました。ぶっ倒れるまでやる。それができたので幸せでした」と闘志を燃やし尽くした。

 攻守にアグレッシブに戦い、鋭いスルーパスや鮮やかなロングパスで青山らしさを存分に発揮して勝利に貢献した。1点を追う36分には逆転への狼煙を上げる同点弾を沈めて、新スタジアムでの最初で最後のゴールも決めた。サポーターが見守る前で、戦う男の姿を新スタジアムのピッチに刻み込んだ。

「ホーム最後の試合で期待に応えたかったし、期待以上のことをするのがプロだと思っている。自分の広島での最後のプレーは、プロフェッショナルで誇らしいプレーだったと思います」

 建設現場を見学した日から約1年5カ月、ピッチに立つ姿をイメージしながら見渡していたスタジアムはいま紫に染まっている。今季J1のホーム戦全19試合では総入場者数48万6579人、1試合平均2万5609人を記録し、どちらもクラブレコードを大きく更新。新スタジアムには毎試合のようにほぼ満員の光景があり、周辺の街も紫で溢れてサンフレッチェ広島やサッカー文化がさらに浸透してきた。

 思い描いていたスタジアムの姿がそこにあったはずだが、それでも青山の視線は先にあった。新スタジアム元年の大盛況はいつまで続くかわからない。いつも満員の光景を作るために、選手ができる最大の貢献はピッチで勝つ姿、戦う姿を見せることだ。逆転優勝がかかったJ1最終節の大一番を前にして、最後のホームゲームを終えた青山はこう力強く語っていた。

「勝ち続けないとこれ(満員の状態)は続かないと思う。その危機感は常に持っていますし、今だからこそこうやってみなさんに来ていただいているけど、本当の勝負はこの先。今できることは、やっぱり結果が1番だと思うので。次の1試合(J1最終節)、それが未来を作ると思う。今だけじゃなく、広島の未来を戦っていると思って頑張りたい」

 エディオンピースウイング広島は、青山敏弘が未来のために戦った場所。そのピッチには、何より結果を求める紫の6番の熱い闘志が宿っている。

 今季のJ1最終節は敵地でガンバ大阪に1-3で敗れ、逆転優勝に届かず2位で終わった。青山はベンチ入りしたものの、出番のないまま終わり、試合後には涙も見せていた。「最後に優勝争いで苦しんだ経験がチームやクラブの力になるし、これからの成長になるとつながると思う。試合に勝てずに涙を流す経験は僕自身もあった。だから、きっと彼らの成長につながる試合になったと思う」と広島の未来を思いながら話した。

 J1優勝という結果を残すことはできなかったが、来季も続くその先の戦いを頼もしい後輩たちに託した。G大阪戦後に涙ながらに青山と抱擁したキャプテンのDF佐々木翔は、「サンフレッチェ広島がどういうチームかを、アオさんがいない中でも僕らがしっかり表現して、これからも歴史を作ってきたい」と先輩の思いを胸に刻んでいた。

 紫の闘志は受け継がれていく。今季のJ1ホーム最終戦で試合後に引退セレモニーを行った青山は大観衆の前で「この場で歴史をつなぎたいです。クラブと守ってきたこの6番のユニフォームを引き継いでもらいます」と宣言し、MF川辺駿に6番のユニフォームを手渡した。広島出身の川辺は2021年夏に欧州へ移籍して一度クラブを離れたが、今年夏に3年ぶりの復帰を果たし、背番号「66」をつけてプレーした。来季からは新たな6番が歴史をつなげる。

 広島の6番を18年間背負った青山は、「初めて6番をつけたいと言ってくれた選手だった。6番を託せる選手だし、広島への思いは十分に伝わってくる。それは僕だけじゃなく、クラブもファン・サポーターも同じ思いだと思う。彼自身の活躍でこの機会をつかんだと思うので、僕もうれしいし、彼のことをもっと期待していきたい」と後輩に未来を任せて、紫のユニフォームを脱いだ。

 今季限りで選手生活を終えた青山だが、もう視線は次の夢にある。それはミヒャエル・スキッベ監督のもとで始める指導者の道。来季からはコーチとしてトップチームに携わる予定だ。

「広島でプロとして、選手として、ここまでやれて、またこのクラブで新たに燃えることをやらせていただくのは僕にとって間違いないこと。まだまだ先だと思うけど、夢を大きく持っていきたい。夢をつかむために自分で切り開いてきたので、この先も同じように、このクラブと一緒にやっていきたい」

 青山が次に新スタジアムを見渡すのは指導者としての景色。エディオンピースウイング広島で、またサポーターと特別な瞬間を共有する日がやって来る。

取材・文=湊昂大