まさかの“直訴”で…プロ野球、他球団移籍を志願した歴代選手6人。フロント…

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 プロ野球の世界では現在、フリーエージェント(FA)制度や、現役ドラフト制度などが導入され、NPB内での移籍の活性化が図られている。一方で、選手が出場機会の増加や、環境の変化を求めた例も存在する。そこで今回は、他球団への移籍を希望した歴代選手を紹介したい。

 

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山﨑武司

投打:右投右打
身長/体重:182cm/100kg
生年月日:1968年11月7日
経歴:愛工大名電高
ドラフト:1986年ドラフト2位

 
 中日ドラゴンズ、東北楽天ゴールデンイーグルスなどで活躍した山﨑武司。波乱万丈だった野球人生の中で、トレード移籍を志願した過去があった。
 
 愛工大名電高では強打のキャッチャーとして活躍すると、1986年ドラフト会議で地元球団の中日から2位指名を受けた。
 

 
 レギュラー定着には時間を要したが、高卒10年目の1996年に打率.322、39本塁打、107打点の好成績を残し、本塁打王を獲得。チームに欠かせない戦力となった。
 
 しかし、2002年に山田久志氏が監督就任後、不振も続いて出場機会が激減。同年オフに自らトレード移籍を球団に志願すると、平井正史とのトレードでオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)へ移籍した。
 
 オリックスでは結果が伴わず、2004年に戦力外通告を受けると、2005年から楽天に移籍。同年は5年ぶりの規定打席に到達し、チーム最多の25本塁打を放った。
 
 さらに、2007年には141試合の出場で打率.261、43本塁打、108打点の成績で本塁打王と打点王の打撃2冠を獲得するなど、主軸打者として躍動。39歳にして見事な復活を遂げた。
 
 2012年からは古巣の中日に復帰。プロ通算403本塁打の実績を残して、2013年限りでユニフォームを脱いだ。








島内宏明

投打:左投左打
身長/体重:180cm/75kg
生年月日:1990年2月2日
経歴:星稜高 - 明治大
ドラフト:2011年ドラフト6位

 
 契約更改での発言が大きな波紋を呼んだ島内宏明。来季は勝負の1年となりそうだ。
 
 星稜高から明治大を経て、2011年ドラフト6位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。プロ2年目の2013年には97試合に出場し、日本シリーズの舞台も経験した。
 

 
 その後はレギュラーに定着出来ないシーズンが続いたが、2016年から出場機会を増やすと、2017年は全143試合に出場し、打率.265、14本塁打、47打点の記録を収めた。
 
 翌年以降は中軸としての起用も増加。2021年には打率.257ながらキャリアハイとなる21本塁打、96打点をマークし、初の打撃タイトルとなる打点王に輝いた。
 
 ところが、2022年オフの契約更改時の会見で、複数年契約中にもかかわらずFA権を行使したいと発言。後に本人が謝罪するなど物議を醸した。
 
 昨季は104試合の出場で打率.236に終わると、今季はわずか40試合の出場にとどまり、本塁打ゼロと苦しいシーズンが続いている。
 
 外野陣では、今シーズン全試合フルイニング出場を果たした小郷裕哉などが存在感を示しただけに、35歳となる来季は、巻き返しが必須となる。








リチャード

投打:右投右打
身長/体重:189cm/118kg
生年月日:1999年6月18日
経歴:沖縄尚学高
ドラフト:2017年育成選手ドラフト3位
 
 圧倒的なパワーを誇り、ファームでは本塁打を量産しているリチャード。しかし、一軍では結果を残せておらず、今オフには異例の他球団移籍を直訴した。
 
 沖縄尚学高から2017年育成選手ドラフト2位でソフトバンクに入団すると、高卒3年目の2020年シーズン開幕直前に支配下契約を奪取。同年はファームで本塁打王(12本)、打点王(47打点)の打撃2冠に輝いた。
 

 
 翌2021年に念願の一軍デビューを果たすと、プロ初本塁打をグランドスラムで飾るなど強烈なインパクトを残した。同年は34試合に出場して7本塁打を記録。大器の片鱗を示した。
 
 しかし、翌年以降は二軍戦では圧倒的な数字を残すものの、一軍定着には至らず。昨季は22試合の一軍出場で打率.115、本塁打ゼロと持ち前の長打力が影を潜めた。
 
 さらに今季は、ファームで5年連続本塁打王(18本)、3年連続4度目の打点王(54打点)を獲得したものの、一軍では15試合の出場にとどまった。その後、オフの契約更改時に出場機会を求めて他球団移籍を志願。大きな波紋を呼んだ。
 
 最終的に来シーズンもソフトバンクでプレーすることが決定。本職の一塁・三塁のポジションには山川穂高、栗原陵矢が不動のレギュラーを担っているが、まずは打撃で猛アピールし、一軍戦力として浮上したい。





田尾安志

投打:左投左打
身長/体重:173cm/78kg
生年月日:1954年1月8日
経歴:泉尾高 - 同志社大
ドラフト:1975年ドラフト1位

 
 ヒットメーカーとして活躍した田尾安志も、自ら移籍を志願した過去がある。
 
 泉尾高ではエースを務め、卒業後は同志社大学に進学。1975年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団した。
 

 
 プロ1年目から67試合の出場で打率.277をマークして新人王に輝くと、1982年には129試合出場で打率.350、174安打を記録。同年から3年連続最多安打のタイトルを獲得するなど、好成績を残し続けていた。
 
 そんな中、1985年の春季キャンプ直前に西武ライオンズへのトレード移籍が決定。これには反対の署名運動まで起こった。
 
 西武では日本一を経験するも、自身は思うような力を発揮できず、成績が低下。1986年オフには自らトレードを希望し、阪神タイガースへの移籍が決まった。
 
 阪神ではかつてのバッティングを取り戻し、1990年は119試合に出場。規定打席に到達して打率.280をマークした。
 
 しかし、翌1991年はコンディションが整えられず、わずか40試合の出場に。同年限りでユニフォームを脱いだ。








新庄剛志

投打:右投右打
身長/体重:181cm/76kg
生年月日:1972年1月28日
経歴:西日本短大付高
ドラフト:1989年ドラフト5位

 
 現在は北海道日本ハムファイターズの指揮官を務める新庄剛志も、現役時代に他球団への移籍を望んだことがあった。
 
 西日本短大付高時代の甲子園出場は無かったが、打撃、守備の両面で高い評価を得ていたこともあり、1989年ドラフト5位で阪神タイガースに入団した。
 

 
 高卒3年目の1992年に頭角を現し始めると、1993年には102 試合出場で打率.257、23本塁打をマーク。同年から外野手部門でのゴールデングラブ賞の常連となり、攻守でチームに欠かせない存在になった。
 
 そんな中、87試合出場で打率.225(規定未満)、7本塁打と低調に終わった1995年オフ、トレード移籍を希望した新庄。この事態には、さまざまな憶測も飛び交った。
 
 結果的には阪神に残留してプレーを続け、2000年オフにFA権を行使しメジャーリーグに挑戦。2004年からは日本球界へ復帰し、日本ハムに入団した。
 
 加入1年目の2004年は123試合に出場し、打率.298、24本塁打、79打点の好成績をマーク。2006年にはリーグ優勝、日本一に大きく貢献し、同年限りで現役を引退した。
 
 2022年からは日本ハムの指揮官に就任。今季はリーグ2位に入るなど、チームを大躍進に導いている。








古木克明

投打:右投左打
身長/体重:182cm/85kg
生年月日:1980年11月10日
経歴:豊田大谷高
ドラフト:1998年ドラフト1位

 
 高卒ドラフト1位入団を果たした古木克明。プロでも大気の片鱗こそ示したが、本領発揮とはならなかった。
 
 豊田大谷高では2年夏、甲子園で1試合2本のアーチを描き、注目の的に。持ち前の長打力を高く評価され、1998年ドラフト1位で横浜から指名を受けた。
 

 
 高卒5年目の2003年には、125試合の出場で打率.208(規定未満)ながら22本塁打を記録。翌2004年も94試合に出場し、打率.290をマークするなど存在感を示し始めていた。
 
 しかし、2005年に牛島和彦氏が監督に就任後は、守備面での不安がネックとなって出場機会が減少。この起用法に不信感を抱いたこともあり、同年オフにトレード移籍を志願した。
 
 球団の説得もあり、翌年以降も横浜でプレーを続けたが、目立った成績を残せず。2007年オフにトレードでオリックス・バファローズへ移籍となった。
 
 オリックスでも本来の力を発揮できず、移籍初年度から21試合の出場で打率.222、本塁打ゼロと苦しむと、翌2009年オフに戦力外通告を受け、現役引退を表明した。




 



 

 
【了】