バッテリーと需要食い合う

肥料の三要素である窒素、リン酸、カリのうち、特定の一カ国への輸入依存度が最も高かったのが、リン酸。リン酸と窒素を含み、肥料の原料によく使われるのが「リン安(リン酸アンモニウム)」だ。その2020年度の輸入実績を見ると、実に90%を中国から輸入していた。

出展:農水省「肥料をめぐる情勢」令和6年10月

中国がリン酸の輸出に制限をかけるのは、今回が初めてではない。中国は肥料の製造国であると同時に、世界の肥料の二割を使う最大の消費国でもある。内需を優先的に賄うべく禁輸措置が講じられるたび、日本は危機に陥ってきた。

リン酸の原料となるのが、リン鉱石だ。リンを豊富に含み、鉱床で採掘される。有限の資源であり、今後、経済的に採掘できる量は約330年分と見積もられる。

リンは工業用にも使われ、しかもその需要が拡大しつつある。最たるものが、電気自動車(EV)用のバッテリー。主流になりつつあるリン酸鉄リチウムイオン電池(LFP電池)は、名前の通りリン酸を使う。従来の電池は、ニッケル、コバルト、マンガンという値段が比較的高い金属を原料にした。それに対し、この電池は鉄やリンといった安価な金属を使い、低価格を強みとする。

中国メーカーが先行して採用し、国内メーカーも追随している。日産自動車は2024年9月、福岡県にLFP電池の工場を新設すると発表した。作物の生育に欠かせないリン。より高値を提示できる工業用の需要によって、その農業への安定供給が脅かされようとしている。

国際市況は依然高止まり

LFP電池もリン安も、リン鉱石を原料とするリン酸液を使う。「具体的な数字は示せないのですが、バッテリーの需要による肥料用リン安への影響は、あると思います」。こう話すのは、JA全農耕種資材部肥料原料課長の谷山英一郎(たにやま・えいいちろう)さん。

農水省によると、全農を含むJAグループは、国内で流通する肥料の55%を扱う。JA全農は、国内の肥料業界におけるプライスリーダーだ。年に二回発表する肥料価格が、全国的な指標となる。

2024年11月末日にJA全農が発表した2025年度の春肥価格は、円安が前期より落ち着いたことなどを理由に、多くの肥料が値下げされた。リン酸を原料とする肥料も値下げとなったものの、原料の国際市況をみると、下げ幅が他の肥料より小さい。

出展:農水省「肥料の価格情報」

「肥料の場合、国際価格は高騰前の数字に近いくらいまで落ち着いてきていますが、リン安だけはまだ高止まりしています。その要因は、中国が輸出を制限していることもあるでしょう。リン酸鉄リチウムイオン電池の需要もあって、なかなか下がりにくいと考えています」(谷山さん)

中国では、電気自動車の需要が爆発的に伸びた。政府が電気自動車とプラグインハイブリッド車(PHV)、燃料電池車(FCV)を「新エネルギー車」と位置付け、補助金や規制を通じ、製造や販売で優遇してきたからだ。

BYDをはじめとするメーカーは、特に低コストのLFP電池の開発に血道を上げてきた。そのため、リン酸液の価格が上がりやすい環境にあった。ただし、電気自動車の販売に一時期ほどの勢いはない。2022年末に政府が新エネルギー車への補助を打ち切ったからだ。コロナ禍以降の不景気もあり、需要は落ち着いてきた。

中国がもたらした大混乱

中国による輸出制限は今も続く。谷山さんは2021年10月に実質的な輸出の制限が始まった時のことを「大混乱になったが、モロッコから調達するなどして対応した」と振り返る。

「中国の農家の肥料に対する需要が、年明けから春先に最も高まります。なので、大体1月から4月くらいまで輸出を止めるというふうに、制限はパターン化しています。全農は、その時期には中国から入ってこないという前提で、調達しています」

リン資源の輸出に制限をかけるのは、中国に限った話ではない。産出量で9%を占めるアメリカが、その先駆けだった。

JA全農は、1980年代にフロリダ州で自らリン鉱石を採掘していた。1996年まで現地企業に委託してリン鉱石を生産させていた。

そのアメリカがリン鉱石の輸出を禁じた。「アメリカは質の良いリン鉱石が次第に採れなくなってきたため、今では輸入もしています」(谷山さん)。

アメリカからリン安の輸出は続いたものの、全農は調達先を増やすことで安定確保を目指そうとする。ヨルダンに現地法人を設立し、ヨルダンからの輸入も増やした。2011年にヨルダンから撤退し、翌2012年に中国福建省に建設されたリン安の製造会社である瓮福紫金化工股份(おうふくしきんかこうこふん)有限公司に出資した。

 

船運賃の上昇

その中国から突然輸入できなくなったことで、不足分の調達先に選ばれたのが、モロッコだった。
「日本の求める品質に合ったものを、安定的に出せるという点から、世界最大のリン鉱石の埋蔵国であるモロッコから調達しています」(谷山さん)

モロッコは北アフリカの国で、ジブラルタル海峡を挟んでスペインと向き合っている。中国と比べると、まず何より遠い。
「船運賃だけで見ると、中国よりかなり割高になります。どうしても、大きい船で、一度に三万トン程度を輸送しないといけない。中国だったら何千トンの単位で運べるので、それに比べると、非常に取り回しが悪いですね」(谷山さん)

モロッコからだと、一艘の貨物船を借り切って、リン鉱石やリン安を3万トン分満載して運ぶことになる。
船運賃の高さも足を引っ張る。モロッコからの調達を始めた2021年は、コロナ禍のただ中だった。港湾が封鎖されたり人手が足りなかったり、燃油代が上がったりして、船運賃が高騰していた。

2022年後半に一旦落ち着いたものの、2024年から再び上昇している。原因は紅海の治安が悪化していること。イエメンに拠点を置く反政府武装組織「フーシ派」が紅海で商船への攻撃を繰り返してきた。

日本の商船は、2024年時点において、スエズ運河と紅海を抜ける経路を避けている。モロッコからの船は、南アフリカの喜望峰を大回りしなければならない。
「船運賃も市況で上がったり下がったりしていて、今は若干高いところで推移しています。水不足で中米のパナマ運河も止まっていましたし、スエズ運河も止まっているので、船の運航を取り巻く環境は、以前よりも悪くなっています」(谷山さん)

パナマ運河は、記録的な干ばつで必要な水量を確保できないとして、2023年7月から通行する船の数を制限した。2024年夏になって水位が正常に戻るにつれて制限を解除しているものの、通行する船の数は元に戻っていない。
船運賃の高さが足を引っ張って、モロッコからの方が中国から調達するより、最近だと1~2割程度割高になる。

日本の肥料シェアは0.5%

日本は世界の肥料市場においてわずか0.5%しかシェアがない。

出展:農水省「肥料をめぐる情勢」令和6年10月

そのため、どうしても国際市況に引っ張られる。肥料の消費大国が作物を増産したり減産したりするという外的な要因に、もろに影響を受けてきた。
なお、日本のシェアは今後一層下がるはずだ。農業生産の落ち込みが影響して、肥料の消費量は、1980年代から緩やかに減ってきている。

更に、政府が化学肥料を削減する目標を掲げている。2021年5月、農水省が「みどりの食料システム戦略(以下、みどり戦略)」を策定した。同戦略で目標とするところは、「2050年までに化学農薬の使用量50%減、化学肥料の使用量30%減、有機農業の面積を農地全体の25%に」というものである。

化学肥料に関しては、この目標が自然と達成できそうだという。
「みどり戦略では2050年までに化学肥料を3割減という目標を掲げていますが、価格高騰以降、肥料の需要は大幅に落ち込んでいます。化学肥料の価格は一時に比べある程度下がっていますが、為替の円安の影響もあり高止まりしているため、足元でも需要はまだ元に戻っていません」(谷山さん)

値上げを見越した買いだめの在庫が多かったとの指摘もあるが、「もうさすがにその在庫は残ってないと見ています。あとは、堆肥や鶏糞燃焼灰といった国内資源が増えているという実態は、あります。ただ、全農としても国内資源の活用に取り組んでいるところではありますが、需要減を埋めるほどはまだ増加していないと思います」と谷山さん。

鶏糞燃焼灰は、名前の通り鶏糞を燃やして灰にしたもの。リン酸が豊富に含まれるため、化学肥料の代替として期待を集めている。
化学肥料の需要が減った原因の分析には、まだ時間がかかると谷山さんは話す。
肥料の調達量が今以上に減れば、日本の価格交渉力はますます失われていく。

インドの国産化、カナダの増産、ノルウェーは鉱床発見

「世界的に人口が増えていることもあって、肥料の需要は、基本的に年に数%ずつ伸び続けると想定しています。あとは逆に生産能力がどれだけ増えるか。需要と生産能力の伸びが、今後の調達に最も影響してくる要素です」(谷山さん)

需要が増えるため、肥料の価格は下がりにくくなる。一方で、そこに商機を見出して増産に乗り出す国や企業が出てくるので、価格は上がり下がりを繰り返すだろう。
化学肥料の国際市況が値上がりしたことで、食糧安全保障の観点から、国産化を進めたり、需要を満たすために増産したりする国が出てきた。

国産化に舵を切ったのが、インド。世界第二の肥料の消費国で、2021年時点で15.3%を使っていた。大量に輸入してきたが、自給率を高めようとしている。代表的な窒素肥料である尿素を増産すべく、大規模な工場を建設した。肥料の輸入量を大きく減らしている。
カリの最大の産出国であるカナダは、新たな鉱山の開発を進めている。

リン酸に関して、ノルウェーで大規模な鉱床が発見されたとの報道が2023年に世界を駆け巡った。今後50年間の世界の需要を満たせるリン鉱石が含まれていると、報じられている。ただし、経済的、技術的に果たして掘れるかどうかは不明で、糠喜びはできない。リン鉱石は、重金属のカドミウムを含んでいたり、放射線を帯びていたりしやすい。採掘に適した品質でなければ、どれほど埋蔵量があっても用をなさない。

中国依存を脱する難しさも

世界各国がさまざまな対策を講じる中、日本は何ができるのか。
選択肢の一つに、肥料の調達先の多元化がある。これは、全農が長年掲げてきた課題である。

「多元化という意味では、ずっと取り組んではいるんですけども」と谷山さん。そうではあるが、リン安の輸入元は、冒頭の円グラフに示す通り、米中とモロッコの三カ国で九割を占める。中でも中国が6割と、依然として最も多い。

他にも産出国はあるものの、品質が要求を満たす国は限られる。
「価格の面でも、やっぱり中国は、近くて価格競争力があって品質も良いという、条件がそろっている。中国が輸出を再開すると商社が買い付け、我々も当然そこに対抗しないといけないので、ある程度買わざるを得ない。代替となりそうな地域がなかなか見つからないという状況です」

国内資源にも期待

リン酸を豊富に含む国内資源として注目を集めるのが、家畜の糞尿から作る堆(たい)肥や、下水を処理してできる下水汚泥を使う肥料だ。

JA全農は、牛糞などの堆肥と化成肥料を組み合わせた指定混合肥料などを既に販売している。
下水汚泥について谷山さんは「重金属などの安全性の問題と、肥料成分の安定と含有率の低さが課題。それぞれの下水処理場から出てくる量が限られる分、下水汚泥コンポストに関しては行政などが品質管理した上で地産地消での流通を基本とし、下水処理の工程で化学的に抽出したリン成分を化学肥料の原料に活用していく流れなのではないでしょうか」と話す。

発生量としてのポテンシャルが大きいのが、東京をはじめとする大都市。JA全農は2023年12月、東京都と連携協定を結んだ。今後、下水汚泥から回収したリンを使った肥料の広域利用を担っていく見込みだ。

調達の多元化の今後に注目したい。