村上さんプロフィール

種苗会社を経て、愛知県豊橋市にある実家の農家に親元就農。
元々パイプハウスでいろいろな作物を栽培していたが、広貴さんの就農と同時に高軒高ハウスを建てて高糖度ミニトマトの栽培を開始し、直販に力を入れている。現在の圃(ほう)場規模は50aで、母とパート従業員6人、技能実習生2人と農場を切り盛りしている。

種苗会社から実家の農家へ親元就農

ミニトマトの作業風景

筆者:村上さんは30歳の時に親元就農されたとのことですが、就農する前は何をされていたのですか?

村上さん:4年制大学を卒業した後、地元の種苗会社で働いていました。主に、キャベツや菊農家さんの所へ農業資材などの営業をしていましたね。
とはいえ、実家が農家だったので、種苗会社で農業を学んだ後に、いずれは親元就農する予定でした。

筆者:いずれは就農する意向があったのですね!なぜ30歳の節目のタイミングでの就農だったのでしょうか。

村上さん:30歳にもなると、人生についていろいろと考えるじゃないですか。特に大きかったのが、仮に定年退職後に就農したとなったら、絶対に「もっと若い時に就農しておけばよかった」と後悔すると考えたことですね。
基本的に栽培は1年1作。60歳で退職後に農業をはじめ、80歳まで続けるとしたら20回しか作れないわけじゃないですか。このうち、満足いく栽培ができる回数も限られると思ったんです。

就農するという結論が固まってからは、すぐに「会社をやめて農業をする」と、会社の上司や家族に伝えました。誰にも相談せずに、いきなり言い出したもんだから、みんなびっくりしていましたね(笑)。2015年の冬に会社を辞め、豊橋市のミニトマト農家で半年間研修に励んだ後、翌年の夏に実家にハウスを立てて農業を始めました。

特に農業を継いでくれとは言われてなかったですけど、母は喜んでくれました。
父が亡くなってからは、母が一人で夜中まで作業をしているのを見ていたので。男手があった方が良いだろうという思いは、ずっと心のどこかにはありました。

時代のニーズに合わせ、さまざまな作物に転換

村上さんが就農する2016年までは、今とは全く別の作物を手掛けてきたと言います。村上さんの母・恵美子さんに話を聞きました。

筆者:息子の広貴さんが就農する2016年以前は、何を栽培されていたのですか?

:恵美子さんもともとは旦那の両親が大根や梨を栽培していましたが、そこに約30aのパイプハウスを建てて、2人で色々な作物を栽培していました。

1980年代から1996年ごろまでは、大玉トマトと絹さやエンドウをメインに、ピーマンやズッキーニや小松菜なども少量栽培していました。地域の出荷組合を通して、市場に出荷していましたね。

1998年に入ると、チャービルやミント、バジルなどのハーブ類の栽培面積を徐々に増やしました。イタリア飯ブームもあって、最初の頃は単価も順調に付いてきていました。ハーブ系の種や本場のハーブ料理を勉強するために、実際にイタリアにも訪れたりしましたね。

筆者:時代のニーズに合わせて、多様な作物を手掛けてこられたのですね。
:恵美子さんただ、段々と重油の価格が上がってきたのがネックでした。冬のバジルを作るには暖房が絶対に必要なのですが、重油価格が90円/ℓに迫ってきて、正直採算を取るのが厳しくなってきたんです。
イタリア飯ブームも徐々に下火になって、取引価格も下落。旦那をガンで亡くしたこともあって、基本的な管理を私一人でできる作物に転換することにしました。

そこで2013年からは、サンチュ栽培にほぼ全て切り替えました。
サンチュは冬野菜で暖房が必要ありませんし、焼肉店に卸すバイヤーの人も居たので、収穫さえできれば、価格は安定するだろうという目論見でした。

ただサンチュは冬に強い分、夏には弱いのが難点で……
近年の夏の気温上昇もあってか、夏のサンチュ栽培は苦戦していました。
暑さでサンチュの葉っぱは小さくなり、ヨトウムシやアザミウマの被害も大きかったです。
天敵昆虫を入れたり、ローテーション防除をしたりしたのですが、害虫の被害は年々増えていきましたね。夜にライトをつけながら、ナメクジやヨトウムシを取るのは大変でしたよ。

30年以上前に建てたパイプハウスは、いまだ現役

母の苦労を教訓に、思い切って全量を高糖度ミニトマトに

筆者:村上さんが就農してから、全てミニトマトに変えられたということですが、背景にはサンチュの栽培管理の難しさなどがあったのでしょうか。

村上さん:ハーブ類やサンチュ栽培の母の苦労を見ていたので、思い切って作物転換しようと考えていました。新しい作物の軸は、食の嗜好(しこう)や景気で単価が左右されないような「将来的にも単価が安定していそうな作物」、JAの営農指導などのサポートが手厚い「豊橋の名産と言われる作物」に絞り、その採算性を調べました。

この2軸に当てはまったのがミニトマトでした。需要の面では彩りのために弁当箱に入れられますし、そのままつまんでも食べられます。主婦の人に常に買っていただける作物だと考えました。

また、地域でミニトマトを栽培している農家も多く、JAの営農指導などのサポートも手厚い印象でした。テレビでもたびたび取り上げられてミニトマトがブームだったこともあり、就農当時は反収1000万円以上を挙げる農家も少なくなかったです。

特に養液栽培のミニトマトは、灌水(かんすい)や環境制御のシステムがあれば、一年目からでも栽培には困らないと言われていました。

レギュラーではなく高糖度のミニトマトを選択しているのは、研修先で高糖度のミニトマトを勉強していたからとか、単価がいいとか、レギュラーより人手が少なくて済むとか、いろいろ理由はあります。

だけど一番は、お客さまに「甘い!おいしい!」と喜んでもらえるからです。
JAに出荷していても、農家や業者の人からは「村上さんのミニトマトがいいなあ」と言ってくれることもあるようです!同じ農業関係の方に認められる味、というのが、やっぱりうれしいですからね。

高軒高ハウスでのミニトマト栽培

「やるなら今しかない!」ハウスの新設、増設の背景

筆者:なるほど!でもこれだけ立派なビニールハウス、総額でいくら掛かったんですか?

村上さん:2016年に建てた25aの最初の高軒高ハウスが7500万円、2020年に建てた2棟目の20aの高軒高ハウスが8500万円、総額で約1億6000万円ですね。
ウチの場合、農地面積も少ないので、限られた農地で収量を上げていくために思い切ってハイスペックのハウスに投資して、たくさん高糖度ミニトマトを採ろうと考えました。

高軒高のビニールハウスの外観

筆者:1億6000万円!?目がクラクラするような金額ですね……
融資はどのような売上目標で通ったのですか?

村上さん:1棟目の25aハウスの7500万円の融資では、反収1200万円を目標にして融資を受けました。達成している農家も居たので、不可能ではなかった数字ですし、融資の面談の時にムリなんて言えないので、勢いでハンコを押しました(笑)
1棟目のハウスで、ミニトマトのリアルを肌で知っていたので、2棟目のハウスの8500万円の投資はさすがに迷いました。正直ミニトマトの単価も就農時よりは落ちてきて、ハウスの資材価格も上がっていましたし。

それでも、ハウス資材の価格が今後待っていて安くなることはないでしょうから、「今建てなかったら一生新設ハウスは建てられない!やるなら今しかない!」と思い切って投資しましたね。

当然一括で払える現金はなかったので、JAバンクからの融資を利用しました。

筆者:結果的にはハウスの価格は上がり続けていますし、村上さんの判断は正しかったのでしょうね!パートさんや技能実習生も雇って、順調に経験も積まれてますし!
村上さん:いやいや、資金繰りは当初本当にきつかったですよ。
1年目はミニトマトがろくに取れない時期から、種苗肥料農薬人件費重油代など200万円が一瞬でなくなりましたし。

特に失敗だったのは、消費税と固定資産税の支払いを失念していたことです。
営農計画書には税金のことは書かれていないので、いきなり通帳の金額がドカンと引かれていたのを見た時は、心臓の鼓動が早くなりました(笑)

ミニトマトの選果機

筆者:立派なハウスの固定資産税に、反収売上およそ1000万円に掛かる消費税……。考えただけで吐き気がしますね(笑)
想定外の税金の支払いは、どう乗り越えたのですか?
村上さん:追加の融資を受けたり、あとは前職で務めていた種苗会社に相談させてもらったりして乗り切りました。辞めてからもお世話になりっぱなしですし、
「豊橋のミニトマト栽培であれば、お金を貸しても回収できる」という、JAのブランド力にも助けられましたね。

豊橋のミニトマトは全国的にも有名キャプション>

販路を複数持って単価を安定させたいという意図

筆者:今更ながら、現在の販路について教えてください。

村上さん:JA出荷が9割5分、残りは産直ECやスーパーで直販しています。

筆者:就農当初からのJA出荷が、今でもベースになっているのですね。
今後はどのように展開していく方針でしょうか。

村上さん:JA出荷をこれからもベースにしながらも、直販の割合を3割程度まで増やしていくことですね。
販路を複数持って単価を安定させたいという狙いもありますが、一番は個人のブランド「あぽろん」のおいしさをもっと多くの消費者の方に知ってもらいたいからです。
ECサイトでの販売も増やしたいですし、私が商談会に出て行って、あぽろんをもっと売り込んでいく機会も増えていくでしょう。

ブランドも立ち上げて、個人での販売も強化

筆者:取材させていただきありがとうございました!

取材協力