幕末の志士・坂本龍馬の妻である、おりょうさんのお墓がある信楽寺をご紹介します。
京浜急行「京急大津駅」から徒歩5分ほど、横須賀市立大津小学校方面に歩くと、学校の前に、信楽寺の看板があります。
看板に沿って歩いていくと、道の奥にお寺が見えます。
500年以上続く寺院
寺院前にある案内板によると、信楽寺の開山は永正元年(1504年)とのこと。
本尊は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した運慶の作と伝わる阿弥陀如来像です。
本尊から向かって左側には聖観音が祀られています。
寺伝によれば、奈良時代の僧の行基の作とのこと。
新編相模国風土記によれば、源氏の武将、熊谷直実(熊谷蓮生坊)の守護仏であったと伝えられています。熊谷直実が熊谷寺から近江国の大津の信楽寺に移す際、使者が間違えて横須賀の信楽寺に納めたと言われています。
本尊から向かって右側には、三浦地蔵尊第二十七番札書の地蔵菩薩が祀られています。
坂本龍馬とおりょうの像
本堂には「坂本龍馬とおりょう」の等身大木彫の坐像が安置されていました。
説明板によると、この木像は、坂本龍馬の妻・おりょう没後百周年を記念して、よこすか龍馬会初代会長、磯野淑紀氏が発願し、鎌倉仏師の梶谷叡正氏により製作されました。
2006年10月7日に完成し、信楽寺に納められたとのことです。木像の前には参拝者のための一言つづり集がありました。
近代日本の立役者である坂本龍馬や、寺田屋事件で龍馬を幕府の役人の襲撃から助けたおりょうさんのファンなどから熱心なコメントが寄せられています。
花を供える人が後を絶たない墓碑
本堂を出て墓地を歩くと、山側に、「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と書かれた、おりょうさんのお墓がありました。
おりょうさんを慕う参拝者が置かれたのか、仏花などが供えられていました。
寺院内にある各所の説明板によると、1867年の龍馬暗殺後、おりょうさんは高知・京都・東京と日本各地を転々とし、1874年頃に神奈川宿の料亭で仲居をしていたそうです。
そして1875年、おりょうさんは横須賀に住む西村松兵衛と再婚。名を改め、西村ツルとして入籍しました。
最初は大津町、最後に米が浜に住みました。出身地の京都から母親の貞と、貞の孫の松之助を横須賀に呼んだそうです。
人生後半の30年以上を横須賀で過ごし、1906年、おりょうさんは66歳でこの世を去りました。
本堂に安置されている二人の木像の側には、西村松兵衛、貞、松之助の位牌が祀られています。
毎年秋、波乱万丈な人生を送ったおりょうさんを偲んで、墓前祭などの「おりょうさんまつり」が催されています。
歴史に触れたい時、信楽寺を訪れてみてはいかがでしょうか。
信楽寺
アクセス
京浜急行「京急大津駅」より徒歩5分
住所:神奈川県横須賀市大津町3-29-1
駐車場:なし
※寺院内には檀家のお墓があるため、静かに訪問ください。