2024年はコーチェラでのヘッドライナー出演も話題となったタイラー・ザ・クリエイター(Tyler, The Creator)。最新作『CHROMAKOPIA/クロマコピア』は全米アルバムチャート3週連続1位を達成し、海外メディアの年間ベストアルバムにも軒並みランクインしている。2024年のヒップホップを象徴する本作を今こそ掘り下げるべく、音楽ブロガー/ライター・アボかどによる全曲解説をお届けする。
「西海岸ヒップホップ」としてのタイラー
2024年のヒップホップを振り返った時、6月に開催されたケンドリック・ラマー主催イベント「The Pop Out: Ken & Friends」をベストモーメントとして挙げるリスナーは多いのではないだろうか。スクールボーイ・Qやジェイ・ロックなどTDE勢、ドクター・ドレーやE-40といったベテラン、310babiiやAzChikeら新進ラッパーまで多くの西海岸のラッパーが集結。シーンの底力と連帯を示した感動的な瞬間だった。
そんなイベントの出演者の中、異彩を放っていたのがマスタードのパフォーマンスのゲストで登場したタイラー・ザ・クリエイターだ。オッド・フューチャー勢はLAのアーティストではあるものの、これまで西海岸ヒップホップの文脈ど真ん中というよりもオルタナティブな文脈で活躍してきた。そんなタイラーがこのイベント、しかも2010年以降の西海岸ヒップホップを象徴するような存在であるマスタードのゲストで参加したことはかなり興味深い出来事だった。
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しかし、一見全く異なる歩みを進めてきたように思えるマスタードとタイラーだが、二人の共通点がないわけではない。マスタードは2000年代後半に盛り上がったサブジャンル「ジャーク(ジャーキンとも呼ばれている)」のシーンから登場した人物だ。ジャークはベイエリア発のサブジャンル「ハイフィ」が南カリフォルニアに移って生まれたもので、ミニマルなシンセや跳ねるようなリズムが特徴のダンサブルなスタイル。スヌープ・ドッグが2004年に発表した名曲「Drop It Like Its Hot」をハイフィと見る向きもあり、同曲を手掛けたザ・ネプチューンズの作風との共通点を多く発見できる。そして、タイラーが影響を受けたアーティストとしてたびたび名前を挙げているのもザ・ネプチューンズのファレル・ウィリアムスで、そのクロスオーバー志向やメロウな感性は明らかにタイラーに継承された部分だ。つまり、マスタードもタイラーも元を辿ればザ・ネプチューンズに行き着くのである。
ジャークを代表する名曲、Cali Swag District「Teach Me How To Dougie」(2010年)
そんなタイラーは今年、新たなアルバム『CHROMAKOPIA』をリリースした。初のミックステープ『Bastard』から今年で15年。初期は過激なリリックでエミネムとも比較され、サウンド面もダークなものが目立っていたが、キャリアを追うごとにその作風やリリックは変化していった。最新作で聴けるのは、「The Pop Out: Ken & Friends」を経たからこそ気付かされる「西海岸ヒップホップとしてのタイラー」と、自身のルーツを振り返りながら成熟しようとする姿勢だ。セント・クロマというキャラクターを主人公に据え、その視点を通して描いているが、かなりタイラー本人の思いを感じさせるリリックが目立つ。本稿ではこの最新作の全ての収録曲について考え、この作品の魅力を紐解いていく。
『CHROMAKOPIA』制作の模様を追ったフッテージ
ファレルと実母の後押し
冒頭を飾るのは、ダニエル・シーザーをフィーチャーした「St. Chroma」。ダニエル・シーザーはトロントのR&Bシンガーで、この後もたびたび登場する本作のコアメンバーの一人だ。タイラーの実母のボニータ・スミス(以下ボニータ)による「あなたは光。それはあなたに向けられているのではなく、あなたの中にある。誰のためでもないのに、人生で自分の光を弱めるようなことはしないで」というスポークン・ワードからスタートするが、この実母の声はアルバムを通して登場する。
この曲はパーカッションと透き通ったシンセで聴かせる音数を絞ったビートで囁き気味にラップするパート1、重厚なシンセが目立つブレイクを経て、美しいピアノを加えたパート2という構成になっている。主題としてはこれまで自身の才能を信じて進んできたことを振り返るようなもの。パート1では「Pができると言ってそれを信じた」とラップしているが、このPとはスケートボード・Pことファレルのことで、「できると言った」とはファレルの2006年作『In My Mind』に収録された「You Can Do It Too」のことを指す。また、パート2では「ママが俺を特別だと言って……」とラップしており、ファレルとボニータを並べて「後押ししてくれた人物」として描いている。
この投稿をInstagramで見る Tyler, The Creator(@feliciathegoat)がシェアした投稿 タイラーによる、ファレル「You Can Do It Too」と『In My Mind』についての長文ポスト(2016年)
続く「Rah Tah Tah」は、初期オッド・フューチャーを思わせるワイルドな一曲。終盤では「俺たちは本当にオッド・フューチャーで、みんなぶっ飛んでいた。ケニーに次ぐ街で一番の存在だ。それは今じゃ事実」とラップしており、「The Pop Out: Ken & Friends」を経た「西海岸ヒップホップとしてのタイラー」を感じることができる。それを踏まえると高音シンセの使い方がちょっとGファンクのようにも聞こえてくるが、金属的なスネアやボコボコした低音の使い方などを使った歪なビートであくまでもオッド・フューチャー的だ。
「Noid」はザンビアのロックバンド、ンゴジ・ファミリーの「Nizakupanga Ngozi」をサンプリングしたロック風味の一曲。ウィル・スミスの娘、ウィローもコーラスで参加している。歪んだギターとファレル譲りの美しいシンセやピアノが溶け合うビートメイクが素晴らしく、異なる言語の歌が自然に差し込まれる展開も見事だ。曲のテーマは被害妄想で、曲名の「Noid」は「Paranoid」の略。スーパースターになったタイラーの悩みが感じられるが、「19歳になる前から」ともラップしておりその問題は根深いようだ。
ありのままの自分で生きる
「Darling, I」では、タイラーの前作『CALL ME IF YOU GET LOST』にも参加していたティーゾ・タッチダウンをフィーチャー。テキサス出身でベースも弾くオルタナティブなラッパーで、ここではナヨっとした声でフック等を歌い上げている。先述したスヌープ・ドッグの名曲「Drop It Like Its Hot」の舌を鳴らす音と、Q・ティップが1999年にリリースしたシングル「Vivrant Thing (Violator Remix)」のドラムをサンプリングしたメロウな一曲だ。時折鳴る高音シンセや分厚いベースはGファンク的にも聴くことができる。リリックは愛と自由がテーマで、結婚を視野に入れながらも「一夫一妻制はクソ!」と迷う33歳になったタイラーの心情を描いている。ラストに「誠実さが鍵。正直になりましょう」とボニータから静かに叱られる様がユーモラスだ。
人工妊娠中絶を扱うニューヨークの企業名をタイトルに冠した「Hey Jane」は、「Darling, I」の次に相応しい曲だ。この曲では、妊娠を知ったカップルの心境を両者の視点から語っている。実話なのかは不明だが、責任について真摯に考えるタイラーの姿は初期の猟奇的なリリックを思うとかなりの変化が感じられる。サウンド面はループ感が希薄でヒップホップというよりもジャズに近いもの。メロウなキーボードが心地良い良曲だ。
「I Killed You」は物騒なタイトルだが、ギャングスタ・ラップではなくアフリカ系アメリカ人の髪型についての曲だ。ここでのタイラーは、社会のプレッシャーから髪を切ることを「(社会が)お前を殺す」と表現している。ビートはアフロビートっぽいパーカッシブなもの。サンダーキャットがベース、ブラジルのギタリストのペドロ・マルティンスがギターを弾いている。また、コーラスでサンティゴールドとダニエル・シーザー、アウトロでチャイルディッシュ・ガンビーノも参加。
「Judge Judy」にも引き続きチャイルディッシュ・ガンビーノとサンダーキャットを起用し、さらにギターでスティーヴ・レイシー、ピアノでダズ・バンドのケヴィン・ケンドリック、コーラスでレックス・オレンジ・カウンティが参加している。スティーヴ・レイシー色の強い穏やかなネオソウル系のサウンドで、ジュディという女性との思い出を歌った曲だ。ラストにはジュディから届いた手紙の「後悔のないようにありのままの自分で生きてほしい」という言葉を読み上げているが、これはここまでの曲でのメッセージとも重なっている。
自己中心的でありすぎる問題
リリース時に大きな話題を呼んだのが、グロリラとセクシー・レッド、リル・ウェインを迎えたマイクリレーの「Sticky」だ。コーラスでソランジュも参加している。グロリラは2022年にシングル「F.N.F (Lets Go)」がヒットし、一気にスターダムにのし上がったメンフィス出身のラッパー。セントルイス出身のセクシー・レッドは、名前通りのセクシャルなパンチラインを得意とする2024年を代表するラッパーの一人だ。そこにニューオーリンズが生んだレジェンドのリル・ウェインを交え、音数を絞ってドラムとラップで聴かせるようなパーティチューンに仕上げている。このミニマルさは上述のジャークにも通じるものだ。しかし、途中でJBネタのブラスなども加えつつ、後半ではヤング・バックの「Get Buck」をサンプリングした武骨なファンクに変化。思えばタイラーは『CALL ME IF YOU GET LOST』収録の「CORSO」でザ・ゲームの「How We Do」に酷似したフロウを使っていたし、1991年生まれのタイラーにとってG・ユニットは特別な思い入れがあるのかもしれない。リリックはセクシャルな表現と喧嘩の予兆を描いたパーティ仕様だ。
「Take Your Mask Off」は西海岸ヒップホップファンにとって最大のサプライズだ。この曲ではダニエル・シーザーに加え、スヌープ・ドッグの諸作など数多くの西海岸ヒップホップ作品を彩ってきたシンガーのラトイヤ・ウィリアムスをフィーチャー。サンダーキャットのベースとケヴィン・ケンドリックのピアノも迎えた穏やかなネオソウル系のサウンドで、シンガー二人の柔らかな歌声とタイラーのラップが楽しめる曲となっている。主題は「人々が周囲に溶け込むために付けている仮面を外して、自分自身を見つける」というもの。タイラーはギャングのコミュニティで生きる善良な男性、ゲイであることを隠す説教師、疲れ果てたシングルマザー、そしてタイラー自身の視点でラップしている。タイラーの心情を吐露した最後のヴァースでは、「よくも彼女との結婚を台無しにしようとしたな。仮面を付けたことがないと言い張って恥ずかしくないのか。ボーイ、お前は本当に自己中心的だ。それが親になるのが怖い理由だ」と、「Darling, I」や「Hey June」などでのリリックと繋がるようなラインも登場。自らの問題を素直に曝け出している。
不在だった父親との共通点
「Tomorrow」ではボニータから「私は歳を取ってきて、孫を見たいんだよ」とせがまれるところからスタートする。前曲で親になる覚悟ができていないことを告白したタイラーにとってはたまらない展開である。それに対してタイラーは「明日のことは心配しないで」と先延ばしにしようとしているが、ヴァースでは「友達に二人目の子どもが生まれた」「みんな(子どもとの)可愛い写真をシェアしているけど、俺が持っているのはフェラーリと変な服だけ」と周囲のライフステージの変化を見て羨むような内容もラップしている。なお、「二人目の子どもが生まれた友達」とは恐らくエイサップ・ロッキーのことだろう。音楽的にはビアコとペドロ・マルティンスが弾くギターとジョニー・メイのストリングス、ダニエル・シーザーのベースをフィーチャーしたポップなもの。ドラムも控えめで非ヒップホップ的な味わいだ。
「Though I Was Dead」は、SNSで軍隊についての曲を発表して人気を集めたジョナサン・マイケル・フレミングの「War With a Soldier」をサンプリングした一曲。「兵士と戦争をしたくない」というフレーズとマーチングバンドっぽいホーンをヒップホップの形に落とし込み、サンティゴールドの歌を交えてスクールボーイ・Qと共にキレのあるラップを聴かせている。「みんな俺が死んだと思っていた」と繰り返すフックは、流れの早いラップ・ゲームにおける前作から3年というスパンを自ら皮肉ったもののように聞こえる。その裏返しのように、ここでのタイラーのリリックは強気で発声もパワフルだ。スクールボーイ・Qが「小切手が支払われるまでゴルフをやっていたい」と趣味の話をしていることにも注目。
「Like Him」は、UKのシンガーのローラ・ヤングをフィーチャーしたエモーショナルなポップ。アドリブでベイビー・キームも参加している。主題としては、実の父と会わずに育ったタイラーがボニータから「彼に似ている」と言われることを歌ったもの。それに対してタイラーは「幽霊を追っている」とその実感がないことを語り、「俺はなりたい自分になるために努力してきたことの全て」「彼には似ていない」と否定している。2013年作『Wolf』に収録された「Answer」などで父親に対する憎しみを語っていたタイラーからしたら、その気持ちは無理もないだろう。しかし、「Like Him」の終盤では、実は父はタイラーの父親になりたがっていたがボニータが遠ざけていたことがボニータによって明かされる。本作でここまでたびたび「父親になる覚悟ができていない」ことを歌ってきたタイラーと、父親になれなかった実の父との共通点が示されるのだ。そして、それによって前曲での「みんな俺が死んだと思っていた」というフレーズとこの曲での「幽霊を追っている」が接続される、緻密に練り上げられた構成となっている。
矢野顕子のサンプリングも、晴れやかなムードが漂う終盤
それを経た「Balloon」では、ここまでの悩みが吹っ切れたように自分の道を行く決意を覗かせている。「なぜ一生懸命働くのか? ソウルの充実のためだ」「なぜ落ち着くことができないのか? 選択肢があるのが好きだからだ」などのラインは、タイラーが悩み抜いて出した答えだ。その前向きなリリックを後押しするようにルークの「I Wanna Rock」から「Dont stop(止めるな)」という言葉を抜き出し、さらにダニエル・シーザーもそのフレーズを歌い上げる。そして、TDEの大型新人ドーチーが徐々にヒートアップしていく強烈なラップで、曲に前進するエネルギーを注いでいる。
また、ここで日本のリスナーとして注目したいのが矢野顕子の「ヨ・ロ・コ・ビ」のサンプリングだ。タイラーは以前にも2019年作『IGOR』収録の「GONE, GONE / THANK YOU」で山下達郎の「Fragile」を用いており、邦楽ネタの使用は今回で2度目だ。なお、西海岸ヒップホップという視点で見ると、ジェイ・ワーシーやXL・ミドルトンらが邦楽ネタ縛りの作品をリリースしている。近年ではアメリカのヒップホップ/R&Bで邦楽ネタが使われることも珍しくなくなってきたが、それでもタイラーのようなアーティストが継続して使うことは気になるトピックだ。タイラーはここでゴスペルの要素やノイズを加え、壮大でポジティブなム―ドに仕上げている。
ラストを飾る「I Hope You Find Your Way Home」は、コーラスにソランジュとダニエル・シーザー、キーボードにケヴィン・ケンドリックを迎えたネオソウル風味の美しい一曲。ここでは「ちっちゃな俺を手に入れるところだったが、まだ準備ができていなかった」「今のところ、育児は俺のウィッシュリストに入っていない」と父親にならない選択をしたことを明かしている。これは恐らく「Hey June」のストーリーの続きだろう。「俺は自己中心的すぎる」ともラップしているが、同じことを言っていても「Take Your Mask Off」とはまた異なる晴れやかな雰囲気が漂っている。また、ここではパリコレ参加のような実績の振り返りや、波に乗るだけの人への批判なども行っている。これらは自分の道を歩み続けることを決めた、タイラーの決意表明と繋がるものだ。そして、終盤にはボニータが「あなたのことを誇りに思う」「自分のことをやって輝き続けて」と涙ぐみながら話し、タイラーを後押ししている。その後キーボードソロを挟み、「St. Chroma」のフレーズをタイラーが再び歌ってアルバムは幕を閉じる。
アルバムを通した主題となっているのは、自分らしさを貫いて自分の道を行くことの美しさと、その結果自己中心的になりすぎてしまって生まれる問題だ。これは初期のタイラーにはなかった視点で、33歳になった今だからこそ書けるテーマだろう。音楽的にはザ・ネプチューンズへの憧憬を軸にしつつ、ジャズやネオソウル、ゴスペルなどにも接近するようなものだった。また、いくつかの曲で聴けるGファンク的な要素であったり、ラトイヤ・ウィリアムスの起用やケンドリック・ラマーへの言及など西海岸ヒップホップとしての側面もこれまで以上に覗かせている。自分が育った地元のカルチャーを取り入れることは、自分の人生を振り返るようなトピックも多いこのアルバムに相応しいアプローチと言えるだろう。2024年のヒップホップはケンドリック・ラマーとマスタードが組んだ「Not Like Us」のビッグ・ヒットと先述した「The Pop Out: Ken & Friendss」、スヌープ・ドッグとドクター・ドレーの再タッグなど西海岸の話題に事欠かない年だった。タイラーのこれまでの歩みが詰まったこの傑作を、西海岸ヒップホップの年だった2024年のうちに楽しんでほしい。
タイラー・ザ・クリエイター
『CHROMAKOPIA』
発売中