東京ドーム7個分もの敷地で鶏を放し飼い 1日に産む卵は約3000個
メルボルンから車で約1時間半、トラファルガーにある久美さんの広大なファーム「WILLOW ZEN」。狭いケージの中で飼われる一般的な養鶏場とは大きく異なり、東京ドーム7個分の敷地を柵で区切って、一区画に約500羽ずつ放し飼いにしている。鶏たちは区画の中を自由に歩き回って気ままに草を食べるという放牧スタイル。恵まれた環境で育った鶏の産みたての卵は、新鮮な証拠に白身まで黄色く、食べれば豊かな風味が広がる。
久美子さんはともに卵農家を営む夫のケルビンさん(47)、通称・源蔵さんと3人の息子の5人家族。朝、息子たちを送り出すと、まずは卵集めから仕事が始まる。放牧された鶏は小屋で卵を産むよう特別にトレーニングされており、1日に産む卵は3000個にも。それを毎日1つ1つ手作業で集める。以前、クリスマスの1日だけ集めないでいたら、小屋の内外で卵があふれかえってしまい大損害になったことがあった。その日から「もう二度と休まない」と誓ったという。
9つある鶏小屋から集めた卵は敷地内にある工場まで運ばれ、洗浄やひび割れのチェックを経た後、サイズごとに箱詰めする。17歳の長男を筆頭に、息子たちも帰宅後や休みの日には仕事をよく手伝ってくれている。
きっかけは自分たちが食べる卵のために飼った3羽の鶏
大学時代、留学先の中国で源蔵さんと出会った久美さん。その後、2002年に源蔵さんの母国であるオーストラリアに移住した。そして田舎暮らしに憧れていた久美さんはファームを購入。仕事をしながら趣味としてファームを楽しもうと考えていたが、そのとき自分たちが食べる卵のため鶏を3羽飼ったのが全ての始まりとなった。すぐに草を食べ尽くしてしまう鶏の飼育に悩んでいたときに偶然見つけたのが、移動式の鶏小屋。食べる草が少なくなると、トラクターで鶏小屋ごと大移動して新しい場所に引っ越すというもので、鶏たちはずっと新鮮な草をついばむことができる。そんな方法に久美さんは「これをやりたい」と一目惚れ。農業の経験は全くなかったが源蔵さんも賛同し、2013年、2人で卵農家をスタートさせたのだった。
ただ、今の仕事には満足しているものの、休むことができないため日本には8年も帰国していない。また、親孝行ができていないことも気に掛けている。
翌朝は、毎週末に出店しているファーマーズマーケットへ。家族で手分けして複数のマーケットに参加し、久美さんも三男のマナン・新くん(12)にひとつを任せると、別のマーケットへ向かう。売り上げの6割以上がファーマーズマーケットでの販売だといい、最近はリピーターも増加。新くんが担当するマーケットでも卵のパックが次々と売れていく。久美さんの元にやってきたお客さんもほとんどが常連。対面販売でお客さんの喜ぶ顔が見られるのが何よりの楽しみだという。
これまでの人生、両親は何をするにも反対せず応援してくれた。久美さんは今、悔いなく生きていることが幸せだといい、それは両親のおかげだと感謝する。そう語る娘に、母・和美さんは「あまり無茶をしない子だったので、心配はあるけど、本人がやりたいことに反対する理由はなかったし応援するだけでした」と振り返る。また今の仕事ぶりを見て、「想像よりすごかったです」と和美さん。父・一哉さんも「大自然の中にいくとああいう風になるんですかねえ」と家族の頑張りに感心する。
おいしい卵のため休みなく働き続ける娘へ、母からの届け物は―
オーストラリアで何の知識も経験もなく、卵農家を始めて11年。3人の息子と夫とともに、おいしい卵のため休みなく働き続ける娘へ、届け物は家族5人分のエプロン。母が手作りしたもので、それぞれに「WILLOW ZEN」の屋号と名前が刺繍されていた。さらに、母からの手紙には「慣れない外国での子育て…きっと大変だったはずなのに そんな風には見えなかった。あなたのおおらかな性格なのか本当に良く頑張ったと思います」と綴られ、涙をぬぐいながら読んだ久美さんは「よく見てくれているんだなあと…ありがたいですね」と改めて感謝する。そして家族全員でお揃いのエプロン姿を披露し、日本の両親に「遊びに来てね。待ってます」と呼びかけるのだった。