石川直宏さん[写真=吉田英久]

 5歳の時からサッカーを始め、横浜F・マリノスとFC東京でプレー、そして日本代表としても活躍した石川直宏さん。18年のプロ生活に終止符を打ち、現在はFC東京と地域を繋ぐコミュニティジェネレーターとして、現役時代とは違うかたちでサッカーと関わっている。

 そんな石川さんのもう一つの肩書きが、長野県飯綱町にあるNAO’s FARMの「農場長」だ。一見サッカーとは無関係だが、石川さん曰くこれまでのキャリアと繋がる部分も多いという農業。インタビュー前編では、現役時代から引退、農業を始めるまでのストーリーを語ってもらった。

取材=飯島藍子
撮影=吉田英久

――中高時代から横浜F・マリノスの下部組織に所属しトップに昇格、その後FC東京に移籍してプロとして18年プレーした石川さんですが、引退を考え始めたきっかけは?

石川 怪我をして2年半ほど試合に出られなくなったことがきっかけでした。30歳を過ぎて怪我が多くなり、チームのなかでも最年長になり、選手としての価値が失われつつあるなと感じていたんです。それもあって36歳で引退を決めました。

 引退直前はビジネスパーソンとアスリートが繋がるような勉強会に月1回程度参加しながら、自分が何をしたくてどうありたいのかを見つめ直していました。でも、それは決して引退後のことを考えてやっていたのではなく、どちらかというと現役選手としてピッチ上で表現の幅を広げるため。それが結果的に引退後のキャリアにも繋がっていきました。

――実際に引退した時は次のキャリアをどのように描いていましたか?

石川 具体的なキャリアパスを描く以前に、まずはサッカー選手としての姿勢を示しきったうえで引退したかったんです。何をもってやりきったと定義するかはわからないし、最後の試合も結果を出せたわけじゃなかったけれど、ピッチ内外で感じていたサッカー選手の価値や魅力みたいなものは出しきれたんじゃないかと思っていて。で、それを出しきるとやっぱり空っぽになるんですよ。お腹が空けば何か食べたくなるのと一緒で、空っぽの自分にいろんな知識や経験を入れていきたいとは考えていました。

――そんななかで、引退後はFC東京でクラブコミュニケーターに就任し、今年からはコミュニティジェネレーターとして活動されています。

石川 コミュニティジェネレーターっていうのは僕が勝手に作った肩書きで、簡単に言うとコミュニティ作りの旗振り役ですね。現役時代はピッチを走り回って結果を残すのが仕事でしたが、今は地域社会をピッチに見立ててコミュニティ同士や人同士のハブになれたらと思っています。そのために老若男女問わずいろいろな人たちとコミュニケーションを取るのですが、そのなかでサッカー界って外からこう見られているのか、サッカーを知らない人もまだまだ多いんだっていうことに気づくことができました。ファンやサポーターもいろんな職種やいろんな立場の人がいますし、そういう人たちと一緒にサッカーを軸にしながら地域社会の課題を解決していけないかと日々考えています。

――選手と今の立場とではサッカーの見え方が全く違うのではないかと思います。今、改めてサッカーのどんな魅力を感じていますか?

石川 サッカー選手って人に憧れられる存在ですし、影響力が大きいんだなということは改めて感じました。ただ、試合で活躍する素晴らしい選手たちも、いきなりそうなったわけじゃなくて、地道な練習をしてさまざまな争いやプレッシャーに打ち勝ち、初めてみなさんの前でプレーをして結果を残している。精神的にも肉体的にも本当にすごいことをやっていると思うんです。そういった普段はあまり見えない選手自身やチームのストーリーがあることをもっと知ってほしいし、今まで点で見えていた試合結果や選手の姿をストーリーとして線で伝えていきたいなと思って走り抜けています。立ち止まることもあるし、振り返ることもあるんだけど、走り抜けるのが今も昔も僕のスタイル。新たなキャリアだからと言って、僕がやってきたサッカーのスタイルをズバッと切り捨てるのではなくて、それを踏襲して行動しながら見え方や捉え方を変化させたり、視野を広げて深めていったりしています。キャリアを分断させるのではなくてこれまでやってきたすべてのことを繋げていきたいんです。

――2021年からは長野県飯綱町でNAO’s FARMという農園をスタートしましたが、農業をやることになったきっかけは?

石川 僕はすでに引退していましたが、当時はコロナ禍で試合がなくなりいろんなアスリートがキャリアを不安視していました。そこで仲間と企画してJ1のトップからJ2、J3、地域リーグから大学サッカー、女子サッカーまで、いろんなカテゴリの選手を集めてオンラインで当時の状況や不安を共有する会を開いたんです。話しているなかで、もしこのまま一生サッカーができなくなって、これまで積み上げきた価値を提示する場がなくなるのはもったいないし、僕たちの価値や周囲の人や地域の感謝をサッカーのプレーとは違ったかたちで伝えられたらいいんじゃないかと思い始めて。

 そんな時に、仲間から飯綱町に畑があるという話を聞いて、「みんなで畑をやろう」と思い立ち、「なおもろこし」というトウモロコシとお米をメインに作るようになりました。アスリートがコロナ禍で抱えていた不安を払拭したいという気持ちから始まりましたが、深く狭い世界で生きているアスリートたちがいろんな環境や人に触れられるサードプレイス的な場所にしたいです。

――農業をやることは想像していましたか?
石川 全然! クラブコミュニケーターやコミュニティジェネレーターだって想像していませんでしたし、ましてや農業なんてやると思っていませんでした。でも、これまでやってきたことが、考えてもみなかった未来に繋がる瞬間ってあるんですよね。先のことなんてわからないけど、線や面になることを考えながら点を打ち続けることが大事。そう思えるようになったのは、やっぱり現役時代の怪我の経験が大きいです。怪我をしたけど、最後に自分を出し尽くしたことで感動してくださる大勢のサポーターの顔が見えた。怪我がその光景に繋がった瞬間に、どんな出来事も良くも悪くも自分で変えていけると気づけたんです。僕の選手としてのいちばんの成功体験は、その気づきかもしれません。
後編につづく

※後編は12月13日公開予定です。

【石川直宏プロフィール】
横須賀市の少年団チーム横須賀シーガルズでサッカーを始める。その後横浜マリノスジュニアユース、横浜F・マリノスユースを経て2000年Jリーグデビュー。試合では、ずばぬけたスピードによる突破で得点をアシストする活躍を見せる。2002年、出場機会を求めてFC東京へ移籍。2003年から2004年にかけてはアテネオリンピックを目指すU-22日本代表とA代表の両方から招集を受け活躍。度重なる怪我を乗り越えて、圧巻のプレーと爽やかな笑顔でファンを魅了し続け、2017年に引退。現在はFC東京コミュニティジェネレーターとしてクラブの発展に尽力しながら、メディア・講演・農業・スクール活動等など幅広く活動をしている。