ステファン・ヴィンケルマン|「ランボルギーニ」という伝統と革新の象徴を未来へと導く男

圧倒的なオーラと存在感をもつランボルギーニのチェアマン兼CEOステファン・ヴィンケルマン氏。「ランボルギーニ」という象徴的なブランドを21世紀においても意味のあるものにすることに全力を注いでいる彼に『Octane UK』がインタビューをおこなった。

【画像】Lamborghini Day Japan 2024で来日した際のステファン・ヴィンケルマン氏。最新モデルのテメラリオとともに。(写真2点)

幼い頃、私はバイクに夢中でした。車よりもずっとね。当時のイタリアではバイクに乗る方が早く、ローマで育った私にとってバイクは”自由”そのものだったんのです。でも、車を愛するのも簡単なことでした。初めて強烈に心を奪われたのはランボルギーニ・カウンタック。その”圧倒的な存在感”は、今のランボルギーニが決して失ってはいけないものだと思います。

大学卒業後、私のキャリアはメルセデスから始まり、フィアット・オートで11年間を過ごしました。最初のプロジェクトはアルファロメオ156のグローバルローンチでした。マーケティングと販売戦略を任された当時、このプロジェクトは非常に困難な挑戦でしたが、すべての目標を達成することができました。その後、フィアット、アルファ、ランチアを経験し、ドイツのフィアット・オートCEOを務めた後、ランボルギーニへ移ったのです。

私の世代は、若くして重要なポジションに抜擢される流れが始まった時代でした。ランボルギーニのCEO就任の話が来たときには、正直驚きました。業界の仲間に相談すると「hire and fire(雇用と解雇が繰り返される)のポジションだよ」と忠告する者もいましたが、それでも私は「こんなチャンスを逃すのは愚かだ」と決断しました。

40歳を迎えた直後の2005年1月、ランボルギーニでのキャリアがスタートしました。当時のランボルギーニは従業員700人の小さな会社で、開発から生産、購買、マーケティングまで、私はすべての部門を率いる立場にありました。チームは一丸となって、ブランドを”より高みへ”と押し上げていったのです。

ガヤルドは素晴らしい車でした。ムルシエラゴは少し古風ではありましたが、すでにアイコン的存在になっていました。私はそのフェイスリフトを担当しました。これらのモデルからスーパーレッジェーラやスパイダー、スーパーヴェローチェなど多くの派生モデルが生まれ、私自身もランボルギーニと共に成長の歩を進めていきました。初めてフル開発を手掛けたのがアヴェンタドールで、その後、ウラカン、ウルスと続きます。さらに、レヴェントンのような「少量生産モデル」戦略を打ち立て、ブランドは次々と新しいアイデアを吸収していきます。

2016年春にアウディ・スポーツへCEOとして移り、RSモデルからプレミアムブランドのあり方を学びましだ。そこではデザインとパフォーマンスがすべてであり、自分の持ち味を存分に発揮できたと思います。そして2018年初頭には、ブガッティの社長に就任しました。当時のブガッティは大きな可能性を秘めながらも、収益を上げられていませんでした。私の役目は「スターを狙うだけのブランド」にすることではなく、未来の製品を生み出し、独立して経営できるブランドへと変革することでした。「ブガッティ」は、20世紀の初めにはアルファやベントレーと並び称される名前でした。ヴェイロンの登場により、ブガッティは歴史にまた名を刻む存在となりました。

2020年12月、私は再びランボルギーニのCEOに戻りました。その頃、ランボルギーニでは新型クンタッチのプロジェクトが進行していました。デザインはブランドのDNAをうまく表していましたが、私自身は過去を振り返るのではなく未来を見据え続けなければならないと考えています。

今、私はランボルギーニを率いる責任を改めて重く受け止めています。ブランドをより良くするのは現世代のためだけでなく、次世代のためでもあるのです。ハイブリッド化への第一歩が正しい選択となることを願っています。技術は、先頭を走る必要はありませんが、市場が受け入れるタイミングには必ず対応しなければならないと考えています。私たちは「モビリティ」ではなく「夢」を売るブランドなのですから。

私はいつも、自分が手掛けた車に誇りをもっています。アヴェンタドールは最初から最後まで関わったモデルで愛着がありますが、今の一番はテメラリオです。そして次に控えるモデルが、きっと私の”あらたな誇り”になるでしょう。

Interview by Stephen Dobie