ジョー・アーモン・ジョーンズが語る、UKジャズと人生を変えたレゲエ/ダブの原体験

今やUKを代表するバンドになったエズラ・コレクティヴ。最新アルバム『Dance, No Ones Watching』を携えてのツアーでは、収容人数12500人を誇るOVAウェンブリー・アリーナも沸かせた。そのメンバーである鍵盤奏者のジョー・アーモン・ジョーンズは、誰よりもソロ活動に積極的で、ヌバイア・ガルシアなどの音楽を支えてきた。

彼はUKジャズシーン屈指のプレイヤーでありながら、ソロ活動では一貫して独自の路線を突き進んできた。デビュー作『Starting Today』(2018年)の時点でレゲエやダブの要素を積極的に取り入るだけでなく、同年にダブ化した『Starting Today in Dub』をリリースしたことに象徴されるように、ジャズとレゲエを融合させる程度の次元ではなく、レゲエの文化にどっぷりつかりながら活動していた。12月にリリースされた最新EP『Sorrow』でもその探究は続いているし、11月に来日した彼のライブを観て、そのレゲエ/ダブ成分の濃厚さに驚かされた。

そんな彼と話をするなら、レゲエとの関係をしっかり聞くべきだろうと考えて行ったのがこの取材だ。ジャズの話はほぼ出てこない。ひたすらレゲエの話で埋め尽くされたような記事だが、だからこそ彼のレゲエとダブに対する本気度と、造詣の深さをようやく記すことができた記事だとも言えるだろう。そして、ジョー・アーモン・ジョーンズの音楽が、レゲエと様々な文化が深く根付いたイギリスからしか出てこないものでもあることもわかるはずだ。彼の話は最終的にダブステップとグライムに辿り着く。結果的に、イギリスの音楽を読み解くための貴重な記事になったと思う。

Rolling Stone Japan取材時の撮影を本人が気に入り、最新アーティスト写真に採用された(Photo by Yukitaka Amemiya)

—最初にレゲエに夢中になったところから訊かせてもらっていいですか。

ジョー:18歳か19歳の頃に(※ジョーは93年生まれ)、ロンドンで”University of Dub”というクラブイベントがあることを知って。例えばアバ・シャンティ・アイやチャンネル・ワン、アイレーション・ステッパーズといったアーティストが毎月1回、定期的に出演していることを知ったんだ。それで、毎月そのイベントに通うようになった。大きな、本格的なサウンドシステムがそこにはあって。ベースの音がこれまでとはまったく違った形で鳴り響いて、僕を揺さぶってきたんだ。あの音を一度聴いたら、普通のスピーカーやPAシステムで音楽を聴くことには戻れなくなるよ。

ジャズもそうだよね。実際にライブで観るまでは本当の意味で理解できないと思うんだ。目の前で演奏されているものを肌で感じることで、録音されたものはあくまでレコーディング・バージョンに過ぎない、ということがよくわかる。ダブも同様で、フルのスピーカーで完全な状態でその音を聴くこと、その場にいる人たちとその体験を共有することで、ダブという音楽の本当の意味を理解することができるんだ。

—実際にサウンドシステムを体験することで開眼したと。最初に買ったレゲエの作品、最初にのめり込んだレゲエのアーティストを教えてください。

ジョー:最初は、University of Dubでアバ・シャンティ・アイを聴いて、帰宅してからLimeWireで検索したのを覚えているよ。名前を入れて検索して、彼がリリースしたアルバムをいくつかダウンロードした。でも、それは実際に聴いた音とは全然違うものだったんだ(笑)。彼の音楽のために設計されたスピーカーで聴いたわけではないからね。全部の音がMIDIみたいなトランペットの音や電子的なドラム音で、自分の頭の中に記憶していた音とは全然違ったんだよ。同じ曲でも、サウンドシステムで聴いた音とはまったく違う。

University of Dubに出演したアバ・シャンティ・アイ(2013年)

ジョー:そこからレコードを買い漁るようになったんだ。音楽を聴くなら、Spotifyよりもレコードの方がいいと思ってね。レコードの魅力は、ある曲を買ったら、その裏面にダブ・バージョンが入っているところだ。僕のレコード・コレクションのほとんどはレゲエで、ジャズもレゲエもレコードで聴くのが好き。エレクトロニック・ミュージックは他のフォーマットで聴いても構わないと思っているけど、レゲエはターンテーブルとスピーカーで聴きたいね。

そして、一度サウンドシステムのイベントに足を運んで、ベースの音がどんな風に自分の身体の中で響くかを体感すると、その音の聴き方が感覚的に掴めるような気がする。それで、僕はジャー・シャカの80年代のライブ音源を聴いたりするようになったんだ。録音自体のクオリティはあまり良くなくて、誰かが初期のZoomで録音したみたいな感じなんだけど……サウンドシステムと一緒に、会場で誰かが話している声や、会場の自然な音も入っていて、今ではその感じがとても好きなんだ。実際にそういうイベントに何度も足を運んでいるから、そのレコーディング素材を聴くと、まるでその場に連れて行ってくれるような気分になるよ。だから、僕はジャー・シャカの89年の1時間のセットの録音をよく聴いている。その当時、彼がどんな音楽を流していたのかを感じることができるから。

―超マニアですね。

ジョー:特にジャー・シャカに関して言うと、彼のレコードの多くは火事で焼けてしまったらしい。はっきりとは覚えてないけど、確か2000年の初め頃だったと思う。だから、その当時までの彼のセットを聴くと、今では手に入らないような音源もたくさん入っているんだ。彼のために作られたダブ・プレート(※そのサウンドシステムでしか聴くことができない特別な音源のこと)とかね。ジャー・シャカのためのダブ・プレートを作る人たちがいて、ボーカル・バージョンなんかも作っていたみたいだね。そういうものをジャー・シャカはプレイしていたんだ。でも、一般リリースはされていなかったから、誰もそのコピーを持っていない。それに、そういうものは火事で焼けてしまったから、もう手に入れることはできなくなってしまった。だから、ジャー・シャカのセットで聴くしかない。そういうレアな音源、手に入りにくいものが存在するのも、この音楽の良いところだね。簡単に手に入れられないからこそ、その曲を探し出すのがまた面白いところでもあるから。

ジョー・アーモン・ジョーンズが来日公演でカバーした、ジャー・シャカ「Conquering Lion」

—楽器演奏者もしくは作曲家の立場からレゲエに取り組み始めたころの話を聞かせてください。

ジョー:初めてレゲエに影響を受けた曲を書いたのは、確か「Mollison Dub」(『Starting Today』収録)だったと思う。それをステージで演奏するようになった時、正確にリズムを刻めるドラマーを見つけるのが非常に難しいことに気付いたんだ。何年も何年もその音楽を聴き続けて、何年もの間練習し続けて、ようやく手に入れることのできる独特の感覚というものがあって。それを理解していない人には、その感覚が伝わらないんだよね。多くの人が「レゲエは簡単だろう。理論的にはシンプルだし」と思っている。でも、いざ演奏してみると、全然レゲエっぽくなくて、まるでファンクかなにかみたいに聞こえてしまう。レゲエは独特のハイハットの使い方をするし、特有のスイング感があって、それはジャズのスイング感とはまるで違う。そのスイング感を出すのはとても難しいんだ。本当にオーセンティックに演奏できるドラマーは、ほんの僅かだと思う。

もちろん「Mollison Dub」は70年代の本物のルーツ・レゲエとは違って、僕たちなりのアプローチだったし、全然違うものではあるけれど、ダブにあってしかるべき特有のサウンドを感じられると思うし、それがごくシンプルな形で表現されていると思う。僕は、特定のジャンルにおいて、その”感覚”が非常に大切なものだと思っている。

あとは「Lorans Dance」という曲がある。オリジナルはアイドリス・ムハンマドの曲なんだけど、ハリー・ムーディーという人がカバーしたバージョンがあって、ジャズとルーツ・レゲエが完璧に融合した作品なんだ。僕からしたら、すべてが完璧。キング・タビーがミキシングボードを操って、それぞれの楽器が素晴らしく調和した、本当に美しい曲に仕上がっているよ。

レゲエは自分を見せびらかす音楽ではない

—レゲエやファンク、ジャズを組み合わせたものを演奏できるようなジャム・セッションができるような場所ってロンドンにはあるんですか?

ジョー:いや、そんなにないと思うよ。特にレゲエに関してはね。ファンクやジャズ・ファンクのセッションはロンドンでもたくさん行われているけど。というのも、レゲエは下手に演奏すると、本当に酷い音になってしまうから(笑)。レゲエをちゃんと演奏することのできないバンドがレゲエを演奏したものなんか聴くに堪えない。僕はレゲエのセッションの経験はこれまでにあまりないな。

―ロンドンだったら演奏できる場所があるのかと思っていましたよ。

ジョー:そもそもレゲエは自分のテクニックを見せびらかすような音楽でもないしね。もしレゲエのギグで、キーボーディストが自分のテクニックを見せびらかそうとするなら、その奏者はこのギグにはふさわしくないということになる。今はパーカッションの見せ場だから少し自分を抑えたり、自分のエゴを抑えることができないと。ジャズでよくあるような、「よし、俺のターンだ。俺のソロを聴いてくれ。俺がどんなに素晴らしいプレイヤーか見せつけてやるぜ」というような場面はレゲエにはないんだ。グループの一員として演奏すること、そこに喜びを見出すことが大切なんだ。

ジャズだって、本来はそうあるべきだと思う。最高のジャズ奏者もそういう精神を持っていると思うよ。例えば、ジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』では、バンドがひとつのユニットとして完璧な演奏をしている。ひとりが主役で、他の人がそのサポートに回るというのではなく、みんながひとつになって演奏を成し遂げている作品だよね。

2024年11月20日、WWWXで来日公演を行なったジョー・アーモン・ジョーンズ、モーガン・シンプソン、ルーク・ウィンター(Photo by Yuuki Harada)

—じゃあ自分がやりたかったことを形にするには、自分で演奏できる人たちを集めて、ロンドンでも自分で場所を作るしかなかったということですか。

ジョー:そういうことだね。でも、僕は幸運なことに、モーガン・シンプソンのような人たちに囲まれている。多くの人はブラック・ミディで彼を知ったから、フランク・ザッパみたいなロック・スタイルのすごくクレイジーなプレイをするドラマーだと認識している。でも、彼はファンクのグルーヴに乗って30分くらいその場で動かずに演奏できる人だし、ロッキン・レゲエも演奏できる。自宅できちんと練習して、勉強しているような人。そういう人たちと知り合えて、本当にラッキーだと思う。実を言うと、一緒にやっている人たちのほとんどが僕よりもずっと前からレゲエを聴いて育ってきた人たちなんだ。僕のバンドのベーシスト、ルーク・ウィンター(ヌビヤン・ツイスト)はリーズ出身なんだけど、リーズにはSubdubというイベントがあって……University of Dubに似た感じのイベントだけど、僕がこういう音楽に出会うよりずっと前から、彼はそこに通っていたみたいだしね

それとブライトン拠点の、ザ・レゾネーターというバンドがいるんだけど、彼らはジャム・セッションを主催していた。Dub Organiserという、ジャズとレゲエみたいなタイプのイベントで。僕はよくブライトンに行って、彼らと一緒に演奏した。当時の僕は主にジャズのギグでコードやソロを演奏していたんだけど、そのセッションでは、バンドの一員として演奏していたというか、シンガーが登場して、僕はその後ろでしっかりサポートするというような役割に回ることになってた。あの経験から多くのことを学んだよ。彼らは非常に熟練したダブ・プレイヤーだったし、あれほど正確な音を出すバンドと演奏したのは初めてのことだった。ドラマーはルーツ・レゲエのみ、それ以外は一切演奏しないという感じでさ(笑)。ジャズ・バンドでレゲエを演奏するのとはまったく違う、これこそが完全にレゲエに特化したバンド、という感じだった。これまでとはまったく違う感覚だったし、そこからたくさんのことを学んだと思う。

Dub Organiserの様子

—レゲエ的なものを取り入れた即興性もある音楽を演奏をすることに関して、先生や先輩のような人はいましたか?

ジョー:クウェイク・ベースからはたくさんのことを学んだね。彼は、僕が初めて日本に来た時に一緒にプレイしたドラマーだ。スピーカーズ・コーナー・カルテットというバンドの中心人物で、ミュージック・ディレクターもやっていて、たくさんのアーティストを手がけている。アメリカのバンドがイギリスに来た時に、イギリスのミュージシャンが必要となったら、クウェイクに声が掛かる。それで、彼がバンドを取りまとめるんだ。

クウェイクは僕にジャー・シャカに心酔するきっかけを作ってくれたんだ。彼はそのサウンドを長い間追い続けていて、僕が彼と過ごしていた頃、彼の中では「これがジャー・シャカ・スタイルだ」とうような、特定のサウンドに対する信念みたいなものを持っていたんだ。音大にいた時、スロッピーなヒップホップをやりたいとなったら、「ああ、じゃあJ・ディラ・スタイルでやってみようか」みたいな言い回しをするようになって、そういうジャンルを表す言葉になったりしていたんだけど、それと同じように、クウェイクは「ジャー・シャカ・スタイルでやろう」と言っていた。ジャー・シャカが創り出したような、闘志溢れるダブ音楽で、すごくハードでヘヴィだけど、同時にソウルフルなサウンドだね。そういう意味で、クウェイクから本当に多くのことを学んだよ。

ジョー・アーモン・ジョーンズとスピーカーズ・コーナー・カルテットの共演ライブ映像

ダブ・エンジニアの巨匠から学んだこと

—レゲエのキーボーディストやピアニストで特に研究した人などはいますか?

ジョー:それより、僕がダブでいちばん好きなのはエンジニアなんだ。だから、ダブにおいて僕がもっとも影響を受けたのは、リー・スクラッチ・ペリーやキング・タビーのような人たち。彼らはサウンドを創り出し、ミキシングデスクで即興を奏でる。ミキシングデスクが彼らの楽器なんだ。ミュージシャンが演奏をすると、彼らがその音を取り込んで、次のレベルへと引き上げてくれる。ミュージシャン自身がたくさんの音を足すわけではないというところが重要だよ。そうすることで、音符と音符の隙間に空間が生まれて、そこでエンジニアが即興演奏をすることができるからね。ジャズの世界では、一般的に奏者が崇拝されがちだけど、レゲエにおいては、僕はエンジニアを崇拝している。このジャンルでは、次のレベルへと押し上げてくれる存在だからね。それに、よくエンジニアがレコードカバーを飾ったりするんだよ。立場が逆転するというかね(笑)。僕もその影響を受けて、もっとエンジニアリングやミキシングについて学びたいと思うようになったんだ。ミキシングデスクを楽器としてどう使うか、その仕組みについて学ぶことは、本当に素晴らしいプロセスだったね。

ロックダウンになった時、パートナーのお父さんからミキシングデスクをタダでもらって、それを使って学び始めたんだ。それがきっかけでさらにハマってしまって、オンラインでミキシングデスクを探しまくって、機材のウェブサイトばかり見ていたよ(笑)。それでついに、自分が気に入るミキシングデスクを見つけたんだ。古いSoundcraftのSeries 500Bというすごく良いデスクだよ。今後長く使っていくものになると思う。

—では、そのダブのエンジニアが作った、もしくはミックスした曲で、今の自分のプレイスタイルに特にインスピレーションを与えてくれた曲はありますか?

ジョー:曲というより、むしろスタジオそのものという感じかな。Black Ark Studioは独特のサウンドを持っていると思う。ちょっと傲慢に聞こえるかもしれないけど、レゲエやダブをたくさん聴いている人なら、Black Arkで録音された音はすぐに分かると思う。ミュージシャンが演奏したものをリー・スクラッチ・ペリーがミックスするとすぐにわかる。でも、その音を生み出せる場所は今ではもう存在しないんだけど。

キング・タビーのスタジオには個性があったし、そこで録音された音には独特のサウンドがあった。リー・スクラッチ・ペリーのスタジオもそうだよね。ジュニア・マーヴィンの「Cross Over」という曲があるんだけど、それにはリー・スクラッチ・ペリーのダブ・バージョンもあって、素晴らしい音の世界が広がっている。どう表現していいか分からないような、とにかく変わったパーカッションがあって、それがリズムというより、曲のバックグラウンドになっているような感じ。こういう音の世界は本当に刺激的で、僕にインスピレーションを与えてくれるんだ。

Black Ark Studioで作業するリー・スクラッチ・ペリー

―なるほど。

ジョー:僕がミックスのやり方を学んでいた時、実際に曲をミックスしながら、「どれくらいエコーをかけるべきか?」「こういう曲には、どのくらいのスペースが必要なのか?」って考えていた。その時に気付いたのは、そこにルールはないということ。彼らは、自分たちが良いと思えるサウンドを作っていただけなんだ。僕のミックスと彼らのミックスを較べると、彼らの方は低音が強くて、僕の方は高音が多いという感じかな。特にリー・スクラッチ・ペリーのミックスは、高音がカットされていることが多い。恐らく、彼が何度もテープを通していたからじゃないかと思うんだ。テープを通すたびに少しずつ高音がカットされていく。それを続けて3回も繰り返したら、最終的にかなりの高音がカットされる。当時のエンジニアは「これはよくないミックスだ」って思ったかもしれないけど、でもそのサウンドだからリー・ペリーは最高なんだよ。レゲエには特定のやり方があるわけではなくて、自分のやり方を貫いて、自分のパーソナリティを音に刻み込むことができる。

―実験性とも言えるような独自性がレゲエにはあると。

ジョー:70年代のファンクやジャズを聴いてから70年代のレゲエを聴くと、その世界観はまるで違ったものになっている。レゲエはもっとベースが強くて、ドラムも厚くてキックドラムももっとパワフルだからね。今ではそれが当たり前に感じるようになっているのは、レゲエが与えた影響がすごく大きいからだと思う。当時は、レゲエがダンス・ミュージックにどれほど大きなインパクトを与えたか、それに気付いている人は少なかったと思う。強くてパワフルなベースラインといったコンセプトが、ものすごく大きな影響を与えているんだよ。それにドラムもパワフルで、鼓動に響いてくるものでなければならない。今では誰もが、ベースは削るべきじゃない、と感じるようになった。昔のダブ時代の作品を聴き直して、ミックスというものの重要性を考えるのが大事だと僕は思うんだ。歴史的に見てみると、ダブが登場した時期には、奇抜なミックスだと思われていた。でも、20年後にはみんなそれをやっていた。フットワークが良い例だね。バスドラのキックとサンプリングしたボーカルだけ、他には何もないといった、すごくミニマルなスタイル。それはサウンドの進化を物語っているんだよ。

Photo by Yukitaka Amemiya

—例えばデニス・ボーヴェルやマッド・プロフェッサー、エイドリアン・シャーウッドといったイギリスのダブからの影響もあるんじゃないかと思うのですが。

ジョー:うん、確かに。君がリストアップしたエンジニアたち、イギリスの優れたエンジニアたちもそれぞれ独自のサウンドを追求していると思う。例えば、マッド・プロフェッサーはスプリング・リヴァーブをあまり使わず、別のリヴァーブを使うことで有名だよね。キングストンのサウンドをコピーするのではなく、自分自身のやり方でサウンド作りをしていた。彼らは独自のやり方で、音楽の可能性を拡げたんだ。ジャー・シャカもそうだね。彼が手がけたレコーディングやチューンは、彼のサウンドシステムのために、もっと言えば彼がプレイするために作られたものなんだ。すごくインスピレーションを与えてくれる。

エイドリアン・シャーウッドも良い例だ。彼の音楽は、他の誰とも似ていない。1年くらい前に彼の家に遊びに行ったんだけど、素晴らしい体験だったよ。彼と一緒に腰掛けて、壁に飾られたレコードを眺めながら、彼が関わってきたすべてのことを感じ取ることができた。それに、彼は本当に素敵な人なんだ。本当に優しくて、誠実で。レゲエ・シーンでよく感じることなんだけど、人の良さというのかな。レゲエ・シーンではあまり大きなお金が動くことはないし、これまでもそんなことはなかった。レコードを作ってもラジオのパワープレイになったりヒットを飛ばしたりということはないし、お金儲けや高額な契約を手にすることができるわけでもない。ポップ・ミュージックのようにはいかないから、みんな本当にレゲエを愛しているからこそやっているんだよ。ロンドンのジャズ・シーンも、そういう意味ではレゲエ・シーンと似たようなところがある。大きなお金が動くような場所ではないから、みんなジャズが好きで、この音楽をやっている。だから、音楽を愛しているからこそ続けているような人たちに出会うと、それだけですぐに仲良くなれる理由になるんだよね。

ジャズとダブの融合、ダブステップとの共振

—今、あなたがやっているような「キーボードでの即興演奏とダブのミックスを融合したような音楽」に取り組んでいる人は少なくて、あなたはある種のパイオニアのような存在でもあると思います。ダブのミックスの面白さと、キーボード奏者としての即興演奏を組み合わせる時に、演奏者として特に大切にしているのはどんなことですか?

ジョー:僕はパイオニアなんかじゃなくて、ただ先人の積み重ねた発見の上に、新しい発見を重ねているんじゃないかと思う。彼らからさまざまなことを学んでいるだけなんだ。僕はその2つの要素を融合させることが好きだからね。自分のすべきことをやっているだけだよ。

でも、ふたつを組み合わせることは僕にとってはよい訓練になっている。ジャズは時々、リスナーと乖離して、技術的なインパクトを与えるだけのものを作り始めてしまうという危険な方向に行きがちだ。それはある種ジャズ・ミュージシャンにとって魅惑的なものだから。他のどのジャンルよりも、楽器を学び、奏法を学び、他の人のソロやラインを学ぶことに時間を費やすのがジャズというジャンルだからね。だからこそ、技術的な能力が前面に押し出されてしまう可能性がすごく高い。例えばビバップ時代の”チョップピング”対決のような、2人で演奏して、どちらが勝者か競い合うようなセッションとかね。そういった方向に進み過ぎると、ミュージシャンではない人たちにとっては聴きたくない、好きになれない音楽になってしまうこともある。ジャズがジャズ・ミュージシャンのためだけの音楽になってしまうんだ。

だからこそ、自分がやっていることはよい訓練になると思っているよ。特に、ダブのソロは変な意味でかなりのチャレンジでもあるから。というのも、基本的にダブにおけるソロでは1つか2つのコードしか使わないから。ほとんどの場合、複雑なコードではなくて、3和音のコードだったりする。例えば、Eマイナー、Bマイナー、Eマイナーといった3つの音。ハービー・ハンコックが弾くようなEm9やEm11といったEマイナーコードではないんだ。Eマイナーの3和音、それがベストなサウンドなんだよ。他の要素を色々加えてしまうと、その曲の持つフィーリングが失われてしまう。だから、ピアニストにとっては、とても大きな学習曲線となる。特に、いつもセブンスコードやナインスコードを使っているようなピアニストにとってはね。そういったコードが上手く機能しないと、「ああ、これが音楽のすべてでも、音楽の終着点でもないんだな」ってことに気付くことができる。だから、僕はレゲエを演奏する上でどんなものが機能するかということについての学習曲線は、最終的にメロディックなものへと辿り着くと思っている。

ジョー・アーモン・ジョーンズのダブ・フィールを感じさせる演奏。サックスは後述のジェイムス・モリソンとヌバイア・ガルシア、ギターはオスカー・ジェローム、ドラムはモーゼス・ボイド

―シンプルなコードとメロディですか。

ジョー:僕は(エズラ・コレクティヴの)ジェイムス・モリソンのサックスがとても好きなんだけど、彼は最もオリジナルで個性的なサックス奏者のひとりだと思う。彼がレゲエを演奏する時、すごくメロディアスに吹くんだよね。ラインの応酬を見せつけるような感じではなくて。メロディを思い浮かべて、ちゃんとそのメロディを演奏する。僕はそこが好きなんだ

あと、モンティ・アレキサンダーというピアニストがいるんだけど、彼は恐らく僕が初めて聴いた、レゲエとジャズを組み合わせたピアノ奏者だったと思う。これまでにないヴァイブを感じたし、彼は演奏においてずっと先を行っていると感じたよ。彼はジャズのギグの最中に、『King Tubby Meets Rockers Uptown』の曲を演奏したりしていたんだ。彼は間違いなくパイオニアと言えるだろうね」

—あなたはマーラとの共作も発表していますが、今日の話とダブステップへの関心は自分の中で繋がっていますか?

ジョー:完全にそうだね。マーラ自身の音楽も、ダブからの延長線上であり、ダブとグライムを繋ぐリンクでもある。ダブステップには2種類あって、ひとつはレゲエやジャマイカのサウンドに根差したダブステップ、もうひとつはアメリカに渡ってポップコーンみたいなものになった(笑)ダブステップ。サウンド的にはまったく異なるものだけど、ダブステップを初めて聴いた人の多くは、後者のサウンドなんだよね。だから、この音楽の元々のルーツはすぐに剥ぎ取られてしまった。『ウワワーン』みたいなベース音がメインになってしまった。そういう音は、本来の意味でのダブステップにはないものなんだ。

むしろ、ヘヴィなサブベースが中心になっていて、それが重要な役割をなしているから。マーラはそういうダブから来たヘビーなサウンドを作り続けてきたコアな人物のひとりで、決してそういう音楽作りをやめようとはしなかったし、有名になるためにポップな方向性のものも作ろうとはしなかった。彼はダブステップ・シーンの大物だったから、きっとリミックスをやって欲しい人もたくさんいただろうし、そういう方向性のものを彼に求めるのは、誰にとっても選択肢のひとつであったとは思う。今っぽい音で作って欲しいというね。それでも、売れるものでなくても、自分のスタイルを貫き通している彼の姿勢には感動を覚えるよ。

ジャー・シャカについても同じことが言えるだろうね。彼は亡くなる前にはかなり人気があったけど、50年間音楽をやり続けてきたんだ。2000年代初頭に、彼のライブについての話を聞いたことがあるんだけど、その頃はあまり客入りがよくなかったそうなんだ。70年代にはたくさんの人が彼のギグを観に足を運んでいたけど、その後デジタルのダンス・ミュージックが主流になって、彼のようなミュージシャンのギグはあまり客が入らなくなった。でも、彼はそのシャカ・スタイルのルーツ音楽をプレイし続けたんだ。

同じことがマーラにも言える。彼は自身のスタイルを貫いていて、今ではそのジャンルのパイオニアのひとりと考えられている。ダブステップがどういうものなのか振り返ることができるようになった今、ダブステップはダブから直接受け継がれていて、ダブとグライムは直接繋がっている音楽だということを実感できる。グライムの面白いところは、ロンドンの多くのグライム・アーティストが、70年代にサウンドシステムを運営していた父親の跡を継いでいるというところ。彼らはダブを聴いて育ち、ダブステップが台頭してきた時にそれを聴いて、「ああ、ダブに似ているな」と感じたものを、グライムへと変化させていった。僕の耳にはグライムのビートの多くは、MCをなくしてみると、ダブステップに近いように聴こえるんだ。

ジョー・アーモン・ジョーンズとマーラの共演ライブ映像

ダブとダブステップを繋ぐジョー・アーモン・ジョーンズのDJ

—最後に、今年は『Wrong Side Of Town』『Ceasefire』、そして新作『Sorrow』からなるEP三部作「Aquarii In Dub」 を発表し、来年にはニューアルバムも準備していると聞いています。ジャズとダブのコンビネーションに関して、どんな実験をしていますか?

ジョー:新作にはダブも入っているし、思いつく限りのものが詰め込まれているよ。ダブと他のサウンドや要素との組み合わせももちろんあるけど、ダブから取り入れたものでいちばん大きな部分は、そのサウンドスケープ(音の風景)だと思う。リズムや感覚や演奏そのものよりも、例えばスプリング・リヴァーブとかエコー、テープエコーといった処理を、アルバムのすべての曲に施しているよ。このアルバムには、ファンクやソウルを含むさまざまなフィーリングが詰まっているけれど、それを繋ぐものが、すべての曲で使われているスプリング・リヴァーブやテープエコー、それに同じ方法で処理したドラムなんだ。それによって、全体をまとまりのあるものにしようと試みた。新作はダブ・アルバムではなくても、ダブからかなり影響を受けたもの、なんだ。音楽の中にある空間のようなものは、つねにすべて埋め尽くせるものではない、というダブの考え方に基づいているものだね。

ジョー・アーモン・ジョーンズ

『Sorrow』

発売中

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