借金返済のため、二足のわらじで実家をサポート

東京で妻と娘との3人暮らしをしている小竹さんは、会社員として働く傍ら、栃木県さくら市で両親が営む「小竹いちご園」を遠隔でサポートしています。本業の退勤後に電話でその日あったことの報告を受け、相談があれば乗り、厄介な問題は巻き取って対応する。そんな二足のわらじを履いた生活は、今年で5年目を迎えています。

実家のイチゴ園が赤字続きで、経営も生活も火の車であることを知ったのは13年前。小竹さんが大学に進学するタイミングでした。もともと小竹さんの祖父が米農家で、両親は外で働いていました。母の美也子(みやこ)さんが体調を崩し退職したのを機に、夫婦で家業を継ぐことに。米だけで家族4人を支えるのは難しく、隼人さんが小学5年生の時にイチゴ栽培を始めました。

ところが、出足から想定外の事態に直面しました。新規就農者向けの補助金を見込んでイチゴ栽培の設備をそろえていた両親でしたが、祖父が農業年金をもらうために父を後継者として登録していたために補助金を受け取ることができず、2000万円の借金を背負うところから始まったといいます。

頼みのイチゴ栽培も振るわず、足りない生活費を賄うために借金の繰り返し。農協からの借り入れもとうとう限度額まで来てしまいました。

大学進学に当たり、奨学金の書類を作成するために実家の収入を調べた際、その事実を知った隼人さん。何とかしなくてはと、実家の立て直しに動くことを決めました。

ファンになってもらうことがリピートにつながる

大学院在学中に着手したのが、直売所の開設でした。販売先は農協しかないと思っていた美也子さんを説得し、収入源を増やすために作業場の一部を直売所として開放しました。「ただ、それだけでは人が来ません。Google Mapに「小竹いちご園」を登録し、営業時間やアクセスなどの情報を細かく記載。HPも自作してリンクを貼りました」(小竹さん)

実際に来てくれたお客さんには、美也子さんから積極的に話しかけて試食をしてもらうようにしました。「数あるいちご農園の中から選んでもらうには、『この人から買いたい』『今年もこの人に会いに行きたい』と思ってもらうことが大事じゃないかと。ちょっとしたことがリピートにつながると思ったんです」

直売所を訪れるお客さんが徐々に増えてくると、お土産やギフトとしての購入も増えていきました。

Instagramの運用に注力。バズる要素を徹底的に分析

イチゴ園を消費者に認知してもらうため、SNSでの発信も始めました。主戦場に選んだのはInstagram。「X(旧Twitter)は言葉を考えるのが難しい。YouTubeは動画編集のノウハウがない。しかし、写真を撮るだけならデジタルに不慣れな両親でもできるんじゃないかと考えました」

撮影係の両親に伝えたのは「いつも見ている光景を撮ってほしい」ということ一点。「農家にとっては当たり前の風景でも、消費者にとっては新鮮なんですよね」

投稿は小竹さんの仕事。「特に意識したのはハッシュタグのつけ方。伸びている投稿に付いているハッシュタグを参考にするなどはもちろんですが、例えば、投稿数1000前後のそこそこ伸びているハッシュタグで上位表示されるようにトライ&エラーを繰り返しました」

Instagramを始めて最初の1年は撮影を美也子さんが、投稿を隼人さんが担当。ノウハウを伝えながら、徐々に投稿も美也子さんに移行していきました。「ライン通話での画面共有を使いながら『ここを押して、これをやって』と繰り返しレクチャーしましたが、なかなか大変でしたね。それでも徐々に他の農家さんからの『いいね』が付くようになり、モチベーションにつながっていったようです。今では母一人ですべて回しています」

ユニークな品種を採用し、名を売る

2019年、栃木県が「ミルキーベリー」という白イチゴを開発したという情報を入手。白イチゴは当時まだ珍しく、検索してもスイーツの写真ばかりで生産者はほとんど出てきませんでした。「籠いっぱいの写真を投稿したら、絶対バズるはず」と早速、栽培を開始しました。

隼人さんの予想は見事、的中。ハッシュタグを毎日変える、「Arubino(アルビノ)」など海外でバズリそうなハッシュタグを付けるなどの工夫も功を奏し、小竹いちご園の名を広めることに成功しました。

この勢いを逃すまいと、隼人さんは栃木県が募集していた「いちご王国アンバサダー」に就任。経費節減のために始めた自家製有機肥料を使った減農薬栽培や、リスク分散を目的に多品種栽培に取り組んでいたことが強みになったと振り返ります。

就任後は県産イチゴの情報発信をするHPにも「小竹いちご園」のInstagramのリンクが貼られたことで、県内外からのお客さんや、県内のタウン情報誌からの取材依頼、ケーキ屋やジェラート屋からの問い合わせなどが更に増加。ふるさと納税への出品依頼も舞い込みました。

ふるさと納税は送料を自治体が負担してくれる他、イチゴの需要がピークを迎える12月が、年度の切り替え時期による駆け込み納税が増える時期と重なり、価格も高めに設定できることなどから、今では心強い収入源となっています。

自分の仕事や暮らしを続けながら、実家を支えることもできる

両親からイチゴを送ってもらい、小竹さん自ら東京のアンテナショップで販売することも

隼人さんが実家の手伝いを始めてから5年。それまでJA出荷のみだった売り先は、直売所の他、道の駅やふるさと納税、ECサイトでの販売、地元のケーキ屋への卸販売などへ広がり、地道な取り組みが実を結んでいます。年商は小竹さんが関わる前と比較して約2倍にまでアップ。軌道に乗るまでのSNSの管理や、キャッシュレス決済の導入、取材や取引依頼への対応、加工業者の選定など、ここぞという時には前線で指揮を執ってきたものの、現在は売上管理など裏方でのサポートに徹しています。

「自分が農業をやるつもりは今のところありません。子供の頃からやりたかった仕事に就くことができたので、まだしばらくは今の会社で頑張りたいと思っています。でも実家の状況も見て見ぬふりはできなかったんです。僕と同じように、自分の仕事や暮らしを大事にしながら、実家も手助けしたいという人は多いのではないでしょうか。お金を掛けずにできることはいろいろあります。情報発信はその一つですよね。誰でも始められて、遠隔でもできるので、すぐにでも始めてみたら良いと思います」