bôaが語る復活劇とバンドの現在地、『serial experiments lain』主題歌の再発見

1993年にロンドンで結成され、ブリットポップ華やかりし当時のイギリスで異彩を放ったbôa。

当初はファンク・バンドだったかれらは、バッド・カンパニーのポール・ロジャースを父に持つジャスミン・ロジャースをリード・ヴォーカルに迎えるなどメンバー・チェンジをへて、デビューを前に”ロック・バンド”へと再編。けっして主流派ではなかったが、シングル「Duvet」がTVアニメ『serial experiments lain』のオープニング曲に使用されて評判を呼ぶなど、その名前を記憶に留めている日本のリスナーは少なくないかもしれない。前後して日本盤もリリースされた1stアルバムの『The Race of a Thousand Camels』(1998年:その後『Twilight』としてリイシュー)は、スピリチュアライズド『Ladies and Gentlemen We Are Floating in Space』やディヴァイン・コメディを手がけたダレン・アリソン(※マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『Loveless』のエンジニアリングも担当)を共同プロデューサーに迎え、ブルージーなアメリカン・オルタナティヴ・ロックとストリングス・アレンジメントが光るドリーム・ポップの影響をポップにまとめ上げた作品だった。

2000年代に入ってしばらくして以降は、表立った活動から長く遠ざかっていたかれらだが、しかし近年、その音楽に新たな注目が寄せられる状況が続いている。きっかけは、件の「Duvet」のバイラルヒットだった。コロナ禍の2021年の夏頃にその曲はオンライン上で浮上すると、3年ほどの間にTikTokで約30万本の動画のサウンドトラックとして使用され、Spotifyでは4億5000万回以上のストリーミング再生数を記録。そしてこの秋、「Duvet」はついにプラチナ・ディスクに認定されるなど、bôaは30年近くをへて新しい世代によって”再発見”されたのだった。

そんな「Duvet」のリヴァイヴァルに後押しされて活動を再開したかれらは、2ndアルバムの『Get There』(2005年)以来、20年ぶりにスタジオでレコーディングを敢行。そうして制作されたのが、先頃リリースされたニュー・アルバムの『Whiplash』だ。ジャック・アントノフやパッション・ピットの作品で知られるクリス・ゼインによるプロデュースのもと、往年のスタイルにレイドバックした風合いとモダンなアレンジが施されたサウンドは、旧知のファンにはもちろん、「Duvet」でかれらを知った新たなリスナーにもアピールする魅力を備えている。リリースに合わせてこの秋からスタートした北米・UKツアーはソールドアウトが続く大盛況ぶり。そして、年明け以降もオーストラリアからヨーロッパをまわる大規模なツアーが控えるかれらに、これまでの歩みと、『Whiplash』が示すバンドの現在地について聞いた。

ー9月から行われたバンド初の北米ヘッドライナー・ツアーは完売だったと聞きました。再会と新たな出会いを祝福するような特別な時間だったと思いますが、いかがでした?

ジャスミン・ロジャース(Vo, Gt):すごく楽しかった。アメリカには3週間いて、東海岸から西海岸まで回ったの。それとも逆で西海岸から東海岸だったっけ?

アレックス・ケアード(Ba):覚えてないけど、西海岸からカナダにも行ったよな。

ジャスミン:そうそう。長く滞在していろいろ回れたから、今回はアメリカを楽しむことができた。行ったことのない場所もあったし、いろいろ見れたのはすごくクールだったわ。それに、大勢のオーディエンスの前で演奏したんだけど、皆すごく素敵だったし、UK、アイルランドのダブリンでもプレイしたんだけど、それも素晴らしかった。とにかくオーディエンスに会えたのがすごく良かったの。皆が一緒に歌ってくれるのを聴いたりね。皆歌詞を覚えてくれていて、ショーに夢中になってくれていた。ショーをやるなら、それ以上に素晴らしいことってないと思う。

ー印象に残っているシーンを教えてください。

アレックス:LAのフォンダのショーは特別だった。すごく大きな会場で、全てが素晴らしかったんだ。もちろんどの会場も素晴らしいけど、あの場所は特にすごかった。ツアーの中で2回目のショーだったんだけど、本当に楽しかったよ。自分たちの名前がビルの前にでっかく掲げられているのも気分が上がったし。

ジャスミン:私の答えは、オーディエンスが一緒に歌ってくれたことかな。本当に毎回一緒に歌ってくれるの。最高よね。

リー・サリバン(Dr):僕は、Colours Hoxtonでの最初のショー(※今年5月7日、ロンドン)かな。再びこのメンバーで一緒にショーをやることができたのがとにかく嬉しかったし、すごく特別な感じがして気持ちが良かったから。

Photo by Freddie Stisted

ー特に「Duvet」のバイラルヒットによってbôaを知った新しいリスナーは、あなた方にとっても刺激やインスピレーションを与えてくれる存在だったのではないかと思います。そうした新しい世代へのイントロダクションの意味も込めて、今回のインタビューでは、新作について伺う前にキャリアを振り返る話も聞かせていただければと思います。そもそもはファンク・バンドとして始まったというbôaですが、そこから1stアルバムの『The Race of a Thousand Camels』に向けて今のメンバーを核とした形へとバンドが再編されていく中で、サウンドはどのように変化・進化していったのでしょうか。

ジャスミン:結成した時のドラマーが大学に戻ったんだけど、彼はもっとジャズっぽいドラマーだったのよね。で、彼の後にリーが入った。そして彼が、もっとロックっぽいエッジーな要素をバンドにもたらしてくれたの(※リーの父は、ヤードバーズの元メンバーが結成したプログレッシヴ・ロック・バンド、ルネッサンスのドラマーだったテリー・サリヴァン。

アレックス:そうだな。結成してからは、しばらく自分たちのサウンドをいろいろと実験していた。最初はもっとジャズ・ファンクっぽい感じだったんだけれど、そこからさらにいろいろなサウンドを試していったんだ。でも、そこから自分たちのサウンドや方向性が確立されるまでには結構時間がかかった。あと、リーの影響は大きかったと思うね。ジャスミンが言ったように、ロックでエッジーな要素が加わったから。特にサウンドをどう変えようと考えたり話したわけではないけど、自然の流れでファースト・レコードをリリースするまでにサウンドが結果的に変わっていったんだ。

リー:アレックスやジャスミンと一緒によくジャムをやるようになったり、ロックなものを段々やるようになってからサウンドが徐々に変化していったと思う。それは僕だけの影響ではなくて、バンド全体がそういう方向に進んでいたんだと思うね。

ジャスミン:バンドがスタートした時、私は15か16歳で、多分アルバムをレコーディングしたのは20とか22歳くらいの時だった。その間の数年間って人間すごく変わるでしょ? だから、私は歌詞的にもっと自分自身を表現したいと思うようになったの。でも、ファンクではあまり歌詞の中で物語を語ることができなかった。だから、それがやりやすい音楽に変化したのは私にとって多分いいことだったと思う。チャレンジングだったけど、すごく真剣に歌詞について考えた。だからこそ、歌詞のレベルでは本当に面白いものになったと思うのよね。連続性ができて心地よさができたし、当時の歌詞を聴くとあの頃の自分自身と再会できる。そして、「やっぱり彼女が好きだなあ」とか、「彼女ってクールだな」なんて思えるの。

1995年、グラストンベリー・フェス出演時の映像

ー『The Race of a Thousand Camels』を振り返ってみて、当時の自分たちがつくりたかったサウンドとはどのようなものだったのでしょうか。プロデューサーのダレン・アリソンとシェアしていたアイデアとは?

ジャスミン:彼がプロデュースしたのは3曲で、アルバムをプロデュースしてミックスしたのはニール・ウォルシュなの。だからこの質問はニールの話に変えたほうがいいと思う。ニールは本当に素晴らしいプロデューサーで、人としてもすごくジェントルマン。

アレックス:自分たちがすでに持っていて散らばっていたアイディアをニールがまとめてくれたんだ。持っていたアイディアはただシンプルに、僕たち6人で奏でるライブサウンド、だった。6人から生まれるエナジーを捉え、それを曲として機能させるというもの。あのアルバムにはジャズ・ファンクの要素も多少あると思うけど、そこから他の領域に向かって動こうとしている自分たちのサウンドになっていると思う。かなり折衷的だし、一つの曲でいろいろなことが起こっているけれど、なぜかその全てが一つの塊として機能している面白いアルバムだと思うね。

ジャスミン:ニールは私たちが求めていたサウンドをよく理解してくれていた。私たちの意見に耳を傾けるのがとても上手かった。普通だったら混乱しちゃうと思うのよね。メンバーがそれぞれ「これもできる?」「あれもできる?」と次々にバラバラの意見を投げてきて。でも、それは全て異なる意見に聞こえて、実は私たちにとっては全員一致で納得するつながりのあるものだったの。どんなサウンドを求めているか、私たちは本当にまとまった声を持っていた。あれはクールだったと思う。

ー『The Race of a Thousand Camels』や当時のサウンドからは、同時代のアメリカやイギリスのオルタナティヴなロック・シーンとの共振が伺えます。実際、当時のあなた方は音楽的にどんなものからインスピレーションや影響を受けていたのでしょうか。個々の音楽的なルーツも含めて教えていただければ。

ジャスミン:私はPJハーヴェイを聴いてた。あとはフガジとかレッド・ツェッペリンも。他にはボブ・マーリーも聴いてたし、伝統的なフォーク・ミュージックもたくさん聴いてたな。それからエラ・フィッツジェラルドも。きっとアレックスとリーは違うと思うけど(笑)。

リー:いや、正直ほとんど一緒だよ。

ジャスミン:あ! ゴングはみんなで聴いてたよね?

アレックス:僕たちは本当に色々な音楽を聴いていた。一つのスタイルじゃなくて、あの当時自分たちの周りにあった音楽全て。15が16歳の時はヘヴィ・ロックやヘヴィ・メタルだけを聴いていた。でも20代になると、スタイルは関係なく良い音楽だと思うものは全て聴くようになったんだ。そしてその全てが常に自分たちに影響を与えてきたと思う。

ジャスミン:そうね。TLCや2Pac、Biggieなんかもその一部だし。本当に当時周りにあった音楽全て。ラジオで流れていた音楽も含め、全てが私たちの音楽に注ぎ込まれていると思う。オール・セインツなんかもね(笑)。あの頃って、音楽がすごく面白い時期だったと思うの。ニルヴァーナやパール・ジャムみたいなグランジもあれば、子供の頃からずっと聴いて育ったこれぞロック!みたいな純粋なロック・シーンもあったし、スマッシング・パンプキンズみたいなバンドもいたし、すごく活気があった。

ーちなみに、当時のあなたたちが身を置き、実際にその目で見て感じたイギリスやアメリカのロック・シーンとはどのようなものでしたか。シンパシーを感じたり、自分たちと同じ匂いを感じたバンドやアーティストは?

ジャスミン:私は個人的に、音楽界やロック界で私たちのような存在があまりいないなと強く感じていた。だからこそ、自分が何者であるか、そして自分たちが何者であるかを伝えることに誇りを持っていたし、そんな自分たちの音楽性を真剣に受け止めてもらいたいという思いが強かったと思う。そういう意味では、PJ ハーヴェイやトーリ・エイモスといった私が尊敬していたアーティストたちは、同じように強いアイデンティティというものを持っているという点では共通点があるのかも。私はハーフだから、アイデンティティを持つことは私にとってすごく重要なことなのよね。イギリスでは日本人として見られ、日本ではイギリス人として見られる経験をしているから、自分自身として存在したいという思いが強かったし、それは大切なことだった。ごめんなさい。ちょっと質問からそれちゃった。

アレックス:ブリット・ポップというUKの流行から僕たちはいつも少し離れていたと思う。ギター・バンドはたくさんいたし、それはいいことだったし、僕たちはその一部だった。でも、僕たちはその中で自分たち自身のサウンドがあった。でもまあ、当時は本当にたくさんのバンドが存在していたからなんとも言えないね。たくさんのバンドが活動していて、その中でたくさんの競争とたくさんの音楽があった。ポスト80年代のバンドという点は皆共通していたと思う。皆アメリカのグランジに大きく影響を受けていたし、レディオヘッドの存在は当時すごく大きかったんじゃないかな。皆がその影響を多かれ少なかれ受けていたと思う。でも僕たちは、確実に自分たち自身のサウンドを持っていた。誰かみたいなサウンドにしたい、というのが僕たちには全くなかったんだ。最初はそのやり方は機能しなかったけど、今はそれが機能していると思う。

ーそうした中、『The Race of a Thousand Camels』にも収録された「Duvet」が日本のアニメ『serial experiments lain』の主題歌に起用され、大きな話題を集めます。「Duvet」はそれから20年以上たち、形を変えて今回のバンドの再始動の大きな原動力にもなった曲でもありますが、そもそも「Duvet」はみなさんにとってどんな曲だったのでしょうか。

リー:その曲は、アルバムの中で僕たち自身が気に入っている曲ではあった。でも、特にそれを公言したり、指摘していたわけではなかったんだ。初めてヴィジュアルが付いたあの曲を画面で観た時は本当に嬉しかった。あのおかげで、あの曲が際立ったからね。素晴らしい曲だと思う。僕たち自身も大好きだし。

ジャスミン:バンドには6人のメンバーがいて、あの曲では本当にその6人全員の声を聴くことができた。だから結果的に大きな存在になったんだと思う。あの曲の歌詞は、夜遅くに帰ってきて座って朝日を眺めながら書いたの。私にとってそれは素敵な思い出で、あの曲はそれを思い出させてくれる明るい曲。でも、まさかあの曲があそこまで注目を集めるとは思ってなかったのよね。私たちは「Twilight」の方がシングルになると思ってたから。

アレックス:嬉しい驚きだったよ(笑)。自分が書いた作品が人々に受け入れてもらえるのはいつだって嬉しいからね。

ーそして時をへて、「Duvet」はバイラルヒットを通じて新しい世代にとってのアンセムとなりました。まずはそうした状況について、率直にどう受け止めましたか? あなたたち自身としては、あの曲の何が新しい世代の心を捉えたのだと分析しますか?

ジャスミン:私にはわからない。でも嬉しいのは、人々の思い出のためにあの曲が使われているのを見ることができること。SNSのストーリーで私たちの曲が誰かの思い出、特別な瞬間と共に使われているのを見ることができるのはすごく素敵なことだと思う。

ー曲に対する印象や評価、意味合いが自分たちの中で変わったところはありますか。

リー:あまり変わらないな。昔も今も同じだよ。

アレックス:そうだな。あの曲はあの曲で自立しているから。

ニュー・アルバム『Whiplash』制作背景

ーでは、ニュー・アルバムの『Whiplash』について伺わせてください。スタジオに入るのは2ndアルバムの『Get There』以来、20年ぶりだったそうですが、新たなアルバムを制作する上で最も大きなモチヴェーションを置いていたのはどんなところだったのでしょうか。

ジャスミン:レコード会社が、「やってみたい?」といってくれたことがモチベーションを得るきっかけだった。そう言ってもらえて本当に良かったと思う」

ー今回の制作では、ジャック・アントノフやパッション・ピットの作品で知られるクリス・ゼインをプロデューサーとして迎えていますが、サウンド面で形にしたかったアイデアやヴィジョンとは?

リー:20周年のアニバーサリーのために皆でジャムをやるために集まったんだよな? 「Duvet」の20周年記念で、ちょっとしたジャムをやったんだ。その時、「Duvet」から派生して、最終的には全然違う全く新しい曲みたいに聴こえるサウンドが生まれてね。それがすごく良かったんだ。

アレックス:僕たちは、とにかく曲が書きたかったんだと思う。どんなサウンドと特に決まっていたわけではなく、メンバー全員がやりたいと思うことを見つけ、それにしたがって何かを作りたかったんだ。過去に足を踏み入れるのは必然だとは思ったけど、必ずしも昔の作品を再現しようとしたわけじゃない。過去と繋がりながらも、3ピースとして僕たちのサウンドは少し変化したんだ。何か他のものへと発展したと思う。多少の違いがありつつ、確実に過去への頷きもある作品になったと思うね。

ーちなみにNYLON誌のインタビューでアレックスは、「ニューウェーヴやシンセの影響を受け、スージー・アンド・ザ・バンシーズを思い起こさせるような瞬間もある"ヘヴィ・ロック”」とコメントしていましたね。その意味するところ、またサウンド面で刺激やインスピレーションをもらったアーティストがいたら教えてください。作曲やレコーディング中によく聞いていたものとか。

アレックス:僕はジョニー・マーのギターをたくさん聴いていた。あと、スージー・アンド・ザ・バンシーズも。彼らにはヘヴィ・ロックのライティングの面で影響を受けている。僕らは、時々ボリュームをあげてヘヴィーなサウンドを演奏するのが好きなんだ。そうやって、サウンドスケープに変化をもたらすためにね。できるだけ幅広いものにしたいから。

ー今作の背景にあるストーリーやテーマ、リリックのインスピレーションとなったものについて教えてください。

ジャスミン:正直、多分それは失恋だと思う。その経験を通して自分のアイデンティティを再確認し、再調整し、物事を理解しようという姿勢に戻り、前に進もうとすること。テーマはそんな感じかな。

ー今作の中にはすでにライヴで披露されている曲もありますが、中でもリアクションの大きなもの、あるいは今の自分やバンドのフィーリングを表していると思う曲は?

ジャスミン:それを選ぶのはすごく難しい。一つの作品に、甘い、悲しい、ソフト、ヘヴィー、そして怒りといったさまざまな感情が詰まっているから。でも、ステージで演奏していてすごく楽しいのは「Walk With Me」かな。あの曲にはすごく良いグルーヴがあると思う。二人はどう?

アレックス:曲全てがそれぞれに小さな役割を果たしているんだ。でも確かに、「Walk With Me」と「Whiplash」と「Strange Few」の3曲はライブで演奏していて楽しい。「Frozen」はまだライブでやったことがないんだけれど、あの曲も演奏していて楽しめるんじゃないかな。

リー:アレックスが言った通り、全ての曲それぞれが異なる性格をしている。自分のお気にりの子供を選べないのと同じで、曲全てが、皆それぞれに美しいんだ。

ー今作までのこの20年近くの間、みなさんはそれぞれの生活を送りながら音楽に携わってこられたわけですが、その中でも日本のファンとしては、2012年に、東日本大震災の支援のために立ち上げられたチャリティー活動が特に印象に残っています。その経緯や動機など、当時の話を改めて教えていただけますか。

ジャスミン:私は半分日本人だったから、もちろん日本のことが心配だったの。私が聞いていたところでは、多くの人々が支援を得られていないという話だった。だから、より多くの人々に援助が届く方法があるかもしれないと思っていろいろなチャリティー団体を調べてみたの。そして、自分たちでもちょっとした募金活動とか支援するために何かできないかと思ってチャリティー活動をすることに決めた。あれ以外何ができるか思いつかなかったのよね。でも、結果的に大した額ではなかったけれど寄付をすることはできた。控えめではあったけれど、とにかく何かがしたかったの」

ー最後に、今後の展望について教えてください。これからbôaのついてはどんな未来図を描いていますか。

ジャスミン:まずはこのツアーを無事終えること。そしてこれからも多くのツアーをこなし、いろいろな国で様々な人たちの前でパフォーマンスをして日本にも行きたい。そして、ツアーで訪れた国でいろいろな食べ物を発見したい(笑)。

リー:良いレストランを見つけて、ファンに会って、自分たちも楽しめるツアーを続けたい」

アレックス:そうだな。

ー今日はありがとうございました。

アレックス:日本にも早くいけますように。

ジャスミン:ありがとう。

リー:ありがとう。良い一日を。

bôa

『Whiplash』

再生・購入:https://boa.ffm.to/whiplash_album