旅館に集まる色とりどりの野菜

こぢんまりとした、しかし清掃の行き届いた旅館のロビー。大正ロマンの雰囲気が漂い、しゃれた家具が並ぶ。

そんな空間のよく磨かれた渋柿色の板の間に、野菜のカゴがずらりと並んだ。
ここは東京都青梅市の山あいにあるかつての温泉郷、岩蔵温泉に一軒だけ残る宿「儘多屋(ままだや)」である。

平日の11時、近隣の3軒の農家が思い思いの野菜を持ち寄ってきた。
白ナス、ニンニク、ピーマン、くうしん菜、甘長トウガラシ……。
「岩蔵CSA」の取り組みである。

CSAは、地域支援型農業と訳されるが、地域市民がサブスクリプションで野菜代金を前払いし、豊作や不作に関わらず、収穫物を受け取る仕組みである。詳しくは以下の解説記事を参照してもらいたい。

旅館のロビーに新鮮な野菜が並んだ

岩蔵CSAは、岩蔵地域の活性化を目指す一般社団法人Iwakura Experienceが地域の新規就農者と一緒に取り組んでいる。儘多屋(ままだや)は、岩蔵地域に人が訪れるきっかけを作ろうと、野菜を配布する場所を提供した。
岩蔵CSAには、現在、地域市民20名が購入者として参加する。

CSAは基本、作物の種類を購入者が指定することがない。購入者は旬や年ごとの出来高の違いを楽しみながら、地元の農業を支えるのだ。

実際、取材をしたこの日も、予定していたオクラが十分な数を収穫できなかったために欠品していた。
参加する農家の一人、清水麻衣子(しみず・まいこ)さんは「出荷する品目を選べる上に、まとまった数を販売できるので助かっています」と語る。

訪れたCSAの参加者に、野菜の説明をする繁昌和洋さん

月に2回の配布機会があるが、来られない購入者も居る。宅配便で送ってもらうこともできるのだが、そこで活躍するのがLINE動画だ。
「今回のオススメは、甘長トウガラシです。辛くないのでどんな料理でも使えます」
スムーズな語り口で並んでいる野菜を紹介していくのは、繁昌知洋(はんじょう・ともひろ)さんだ。購入者と農家で作るLINEグループで、この動画が速やかに共有される。

出荷する3軒の農家は、いずれも若い新規就農者だ。
もう1軒の奥薗和子(おくぞの・かずこ)さんはハーブを得意としているが、この日は大きな栗を持ちこんだ。
「就農した畑に立派な栗の木がいくつもあって、剪定しようにもできないくらい大きい木で。だから、農産物というかただ拾っているだけです」と笑う。このような一風変わった作物に出会えるのもCSAの特徴と言えるだろう。

購入者は、単に農産物を手に入れたいわけではない。
3軒ともGAPを取得していて、栽培技術も高いのだが、最初からCSAでの経営を目指していたわけではなかった。

繁昌さんの場合は、就農時点では近隣のスーパーマーケットを主要な販路として想定していたという。研修していた先輩農家の販路がそうだったからだ。

しかし、マルシェや産直サイトでの販売をしているうちに、自分の農園のファンになってくれる人を更にコアなファンにしていく方向性に可能性を感じた。

CSAのメリットとしては、出荷する品目に柔軟性を持たせられるだけでなく、地域市民とつながりが深まる特徴がある。岩蔵CSAでも、農作業を共同で行う日を設けて、購入者が畑で作業をする機会もある。

コアなファンと述べたが、人によっては、農園そのものに参画するというイメージに近い。

岩蔵CSAを展開する一般社団法人Iwakura Experienceと近隣の農家

農家が教えない米作り

更に繁昌農園では、「米人になろうプロジェクト」も展開している。
ウェブサイトには、「自然相手なので失敗もあり。それでも皆さんのやる気とチャレンジ精神で楽しみましょう!」と大きく書いてある。

東京都でも田植え体験を提供するプログラムは増えているが、米人プロジェクトは更に本格的に米作りに参加するところが特徴だ。参加費は1年間で大人21,000円、子ども7,000円。毎年30~40名くらいが参加しており、2haの田んぼで、田植えから収穫まで一連の作業を行う。

繁昌さんは農作業を手取り足取り教えたりはしない。というより、「私自身、コメは作ったことがなかったんですよ」とニヤリ。
遊休の田んぼを借りて、文字通り市民と一緒に勉強しながらコメ作りに取り組んでいるのだ。
稲は手刈りで、はざかけや脱穀もみんなで行う。

東京都とは思えない風景が広がる

「米人になろうプロジェクト」に2年連続で参加している国立市在住の武野恵利(たけの・えり)さんは、「試行錯誤しながら、参加者どうしでワイワイやっていくのが楽しい」と語る。
雑草を除くときに教わるイネとヒエの見分け方といった一つ一つが好奇心を刺激する。
田んぼに通っていると、直に季節の移ろいを感じられることも武野さんが連続で参加した理由のひとつだそうだ。

繁昌さんは言う。「農はとっても面白いものです。収穫物をおいしく食べるだけではなく、農業はプロセスも楽しめます。東京で、隣に農業のあるライフスタイルをふつうなものにしていきたい」

取材後記:都市では農業の希少性が高い

東京とその周縁部は世界的に見ても最大級の大都会である。便利で、流行に即したお店も多い。

だが、逆説的だが、ふだん農業とは縁のない生活空間だからこそ、農業へのある種の羨望(せんぼう)がある。近年、明らかにその傾向は強くなっている。

ちなみに、都市の中に農業がある(都市農業)という営農環境は、世界的に見てもユニークである。そのことは以下の記事に詳しい。

新規就農に当たっては、いろいろな戦略があり得るが、大都市に近い場合には「農業はプロセスも商品にできる」ということを意識してみたい。

首都圏の新規就農では畑の狭さがデメリットとなる。通常、マーケットに近いことから、鮮度を差別化のポイントにする。だが、それだけでは弱いことも多い。
明らかに、土や水に触れることや季節の移ろいを感じられること、農家と親しく話をすることは都市では希少性が高く、ビジネスチャンスがある。

このことが強調されるべきもうひとつの理由は、「感動がリピートを生む」からである。ビジネス分野では言い古された方程式だが、農業界ではまだまだ認識されていないように思う。

おいしいものが溢れている現代、野菜の味わいだけで感動を生むのは至難である。一方で、農業のプロセスに参加してもらうことは、感動を生みやすい。

このように農業プロセスを商品にする新規就農者が増えていけば、都会に住む人の農業への理解が進むことだろう。それは全国の農業にとっても良い影響があるはずである。