中垣征一郎さん

 オリックス・バファローズは中嶋聡監督のもと、2021年からパ・リーグ3連覇を果たした。25年にわたってパ・リーグ制覇から遠ざかっていたチームが、若手の成長によって素晴らしい結果を得た。中垣征一郎コーチは「野球経験が中学まで」という異色な存在ながら、そんなチームで大きな役割を与えられていた。

 特に野球界では近年トレーナーの役割に焦点の当たることが多い。選手の治療やケアだけでなく「スポーツパフォーマンスの向上」に寄与する人材が増えている。中垣氏もその一人だが、オリックス球団では単なる選手への指導でなく「チーム全体に目配りする」役割を与えられていた。

 そんな中垣氏がこの12月1日からは「株式会社斎藤佑樹」に所属して、新たな活動をスタートさせる。野球界でのキャリアが長かったものの、スポーツパフォーマンス全般に知見を持つ彼は、オリックス時代よりさらに広い対象に、そのメッセージを広めようとしている。彼はなぜ斎藤佑樹氏とタッグを組み、どういう発信をしようとしているのか?「コーチにインスピレーションを与える」とはどういうプロセスなのか? インタビュー後編ではオリックス時代の総括と、これから目指す方向を語ってもらっている。

――― 中垣さんはオリックスに6年在籍していて、最初は「パフォーマンスディレクター」だったのが、最後は「巡回ヘッドコーチ」の肩書になりました。この肩書き、役割は前例が無いと思います。

中嶋(聡/当時オリックス監督)さんが監督になるときに「これで行くから」と言われて決まりました。自分が日本ハムに入った年にちょうど中嶋さんが横浜ベイスターズからトレードで来て、日本ハムでは「同期入団」なんです。一つ年上で、本当に兄貴のような存在でした。「こいつ使えるぞ」と思ってくれたみたいで、コーチ兼任(2007年)になったときも僕をよく使ってくれていました。

中嶋さんが2019年にオリックスの二軍監督に決まったとき、「一緒にやろうよ」と言ってくれました。僕はアメリカにいて、残るか日本に帰ってくるかすごく悩んでいましたが、こんなに光栄なことは無いと思って、一緒にやることにしました。

中嶋さんが一軍の監督になるときには「トレーニング、コンディショニングに対するスーパーバイザー的な仕事もやってほしいけど、具体的に筋道を立てて選手の育成をやる姿勢をまずファームでコーチ陣に見せてほしい」というようなことを伝えられました。

一・二軍の選手の循環などについても「遠慮なく俺と話ができる立場にいてほしい」という指示でした。一・二軍のパイプラインになることについて、「変な誤解を招かないように」という意味合いで、そのジョブタイトルにしてくれたのだと思います。

――― 二軍監督とは別のチャンネル、少し違う角度で中嶋監督に意見を伝える立場ですか?

僕が意見を上げるのは二軍監督以下、コーチ陣から意見を吸い上げてからです。あと一軍の空気感を見ながら、「ファームで次は誰を準備しておかなければいけない」みたいな内容も、各担当コーチや小林(宏)二軍監督に伝えていました。中嶋さんの話を聞いて、次は誰のどの準備しておかなければいけないか、円滑に運ぶようにする役割をしていました。

――― オリックスは日本一にもなりましたし、山本由伸投手や吉田正尚選手はアメリカでも大活躍をしています。山下舜平大投手も日本を代表するレベルになる才能でしょう。そういった「逸材との関わり」はどうでしたか?

日本ハムの頃は、本人が望むか望まないかで、選手に対する指導の深さが決まっていました。ただ、日本ハムの時とオリックスの時とでは、各選手との関わり方というのは少し違ったかもしれません。そういった背景もあり、ダルビッシュや大谷と比べて、山本や山下などの選手との関わり方は違っていたと思います。

オリックスでは育成と「チーム全体をどれだけ勝利に持っていくか」を、中嶋さんの意向を汲みながらやる立場にありました。チーム強化は核となるスター選手の存在も大事ですけれど、「一軍で主力になれるかギリギリ」「一軍で役割を得られるかギリギリ」「二軍から一軍に上がれるかギリギリ」の選手たちを、一つ上に持っていくことがとても大事です。オリックスではその意識を特に強く持って、仕事をしていました。

――― 中垣さんは中嶋監督と同じタイミングでオリックスのコーチを退任し、今後は「株式会社斎藤佑樹」とマネジメント契約を結んで、新たな活動を開始します。

斎藤とは4年間一緒に(北海道日本ハムファイターズの)チームメイトとして時間を過ごしました。僕には力になれなかった選手、一生懸命やってくれたのにサポートが足りなかった選手がたくさんいます。斎藤もあれだけ才能あふれる選手だったにも関わらず、彼の望むような成果に近づけなかった。そういう気持ちが僕は斎藤に対してもあります。

にも関わらず、彼は何かことあるごとに連絡をくれて、年齢がずいぶん離れていても友人として付き合ってくれていました。斎藤が2017年に一軍で久しぶりに勝ったときも、わざわざ「ありがとうございました」と連絡をくれました。

「いつか一緒に何かできたら良いね」という気持ちをお互い言葉にしたこともあったと思います。僕がプロ野球の仕事に区切りをつけると話をするかしないかのタイミングで、すぐ「中垣さん、一緒にやりましょう」と言ってくれました。

本当に自分で良いのかなという気持ちはあります。それでも「自分が何を根拠に仕事をしてきたのか」を伝えて、もしそれでインスピレーションを感じてくれる人がいるなら、接する人数はやはり多い方が良いと思います。接する相手の分野も広い方が良いでしょう。斎藤もそのような話を持ってきてくれたので、迷いなく「お願いします」という気持ちになりました。

――― 現時点でどういう活動を展開していくお考えですか?

僕が考えてやってきた「スポーツパフォーマンス向上のプロセス」について、指導者とシェアできる機会を増やしていきたいです。僕が指導者を育成できるとは思っていないのですが、自分が一体どういう思考で何をやってきたのか、できるだけ多くの人たちとまずシェアをする――― 。そうすれば皆さんの持っている能力の中に、何かインスピレーションを与えられると考えています。

僕は野球で長く仕事をしてきましたし、僕を認知してくれる方は野球に携わる方が多いはずです。一方で違うスポーツの方からも「ちょっと見に来てほしい」という話を少しずついただいています。斎藤との協力の中で、輪を広げていけたらいいなと思っています。スポーツパフォーマンスの「山」には野球、バスケット、ゴルフ、サッカーといった競技ごとの頂点がありますが、裾野を見ると共通点がたくさんあります。

僕の考えてきた「裾野」のところで抑えなければいけない原則、運動技術として持っておくべき考え方、選手が技能を身に付けていく段階で踏んでいくべきプロセスのあり方を、発信できたらいいなと考えています。

――― 今まで大人を指導されてきたと思いますが、育成年代を意識した活動についてはどうですか?

僕自身も小学生に対して直接どこまでできるかは、時間が経ってみないと分からない部分です。ただ、そういうところにいる人と話をして、小学生を教える方たちにインスピレーションを感じるようにすることが、僕のできることですね。

――― 「インスピレーションを与える」とは、どういう意味でしょうか?

僕が特別なことをできたらいいですけど、本当に「普通のこと」しか知りません。「当たり前とは何か」を考え続けてやってきました。これは逃げ口上でもあるのですが「同じことをやっても違うのがプロ」と位置づけています。スクワット一つ教えるにしても、「テーマがあって、最終的にどうやって投球動作につながるかまでストーリーがある」のがプロです。

「あなたの考えている基本はちゃんと合っていますか? 僕が考えている基本はこうです」と言えるコーチが、自分のメソッドを作っていけると思っています。それをどうやって、どういう手段で伝えていくかが自分にとってこれからの課題です。

これまでも人前で話す機会はいただいてきて、今は資料をまとめているところです。一人の選手を捕まえて教えるのではなくて、何人かの選手をコーチとともに見ながら「ここはこうではないですか?」と繰り返したり、セミナーなどでアカデミックに筋道を立てて学ぶ機会を作ったり――― 。そういう総合的な活動の中で、伝えられることが増えていくといいなと思っています。

――― 「人を通して伝える」ことで伝わる範囲は広がりますけど、直接伝えるより難しいスキルになると思います。そのための工夫はありますか?

これは少し傲慢な言い方になってしまうかもしれませんが、僕がこれからインスピレーションを与えたいコーチがいるとして、その方はどこかで失敗をするはずです。だけど「自分が失敗した」という自覚を持つ準備をさせておけば、次につながります。

「中垣がやったのと俺はここが違う」という感覚や、「中垣は上手くいっていたように見えたのに、なぜ俺は上手くいかないんだろう」と疑問に思ってくれるだけでも十分です。最初に僕の話、僕が見せたときの説得力がどれくらいあるかが、次につながるかどうかのキーになります。導入のところで、まず自分自身がどういうものを提示できるかが、その答えになるのかなと思います。

――― 改めて今後の活動を通して、日本のスポーツ界にどういうインパクトを与えたいかのか、お話をお願いできますか?

スポーツは本当に世の中で様々な価値を生み出していると思います。楽しみであり、エンターテイメントであり、身体を強くすること、心清々しくいることにもつながります。僕自身はスポーツ一本で人生をずっと過ごしてきました。それを真剣にやっていくと、スポーツを通して生まれる知性があると考えています。僕もスポーツを通してしか、知性を磨いてくることができなかった人間です。

プロ野球まで来ても、野球だけで一生「食べていける」人は多くありません。それは日本の最高峰のプロリーグで20年以上仕事をして強く感じています。逆にスポーツを通して過ごした時間は違う場所に行っても、何かしら自分の誇りになるし、役に立ちます。たとえ高校の部活で終わったとしても……です。

学術的に学べる知性や得られる知性と、スポーツを通して得られる知性には共通点がある一方で、それぞれ別の価値も持っています。だから企業はコーチングセミナーをしますし、スポーツを一生懸命やっていた方が、社会ですごく大きな役割を担っていたりもする。

ビジネスに携わる多くの方が「スポーツの経験はやはり大きかった」と常に思っていますし、実際にスポーツを通して育まれる知性は大きな価値を持つものでしょう。自分がその一端を担い、自分が持っているものを世の中にできるだけ多く出せる機会を作り、さらにどのような反応があるのかを見られたら嬉しいです。

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取材=大島和人

写真=須田康暉

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