日本テレビ系スポーツバラエティ特番『加藤浩次&中居正広の歴代日本代表286人が選ぶ この日本代表がスゴい! ベスト20』が、4日(19:00~)に放送。元ラグビー日本代表の五郎丸歩が、「スゴい日本代表」について語った。

  • 五郎丸歩

――五郎丸さんの、スゴいと思う日本代表はどなたでしょうか?

東京オリンピック2020の柔道団体ですね。はい。

――なぜですか?

フランスに負けはしたもののですね、喜んでいるフランスの方々を、畳の上で微動だにせず、ずっと見ていたあの姿に惚れましたね。

――柔道の魅力は?

柔道に惹かれるのは、やはり個人競技として勝ち上がっていくあの個の強さ。私はずっと小さい時からラグビーという団体スポーツできたので、この個を極めて世界で勝っていく。しかも優勝しないと評価されないというこの柔道の世界に私は昔から惚れています。チャンピオンにならない限りは評価されない。金メダルを取ったとしても取れない段がある、この柔道の奥深さっていうのが私は大好きですね。

――もともと柔道に興味を持ったきっかけは?

井上康生さんが現役の時に柔道を見て、柔道かっこいいなと思ったのが最初のきっかけです。それこそ東京オリンピックで井上さんが監督されていて、さらにこの柔道という世界に惹かれてですね、実は今、私の息子も柔道をやっています。

――息子さんは、今、おいくつなんですか?

下の子が小学校ですね。

――どうですか?センスみたいなのは感じますか?

いやー、柔道はわからないです。あとラグビーも並行してやっています。息子のラグビーを見ている時ときはイライラしますけど、柔道見ているときは一切イライラしないです。僕がやったことないのですごいなと思っていて。

――柔道、パリオリンピックはご覧になっていましたか?

もうずっと見ていましたね。パリオリンピックでいくと、やっぱり阿部詩さんが2回戦で敗退して号泣されていた姿を見て、どれだけの思いを持ってこの大会に臨んでいたか。私も元アスリートなので非常に何とも言えない感情にはなりましたけど、そこから団体戦の方に出場して、勝利を挙げる姿とかっていうのは逆に力をもらいました。 アスリートとして本当に尊敬できる部分だなと思いましたね。

――オリンピックとワールドカップ、大会は4年に1回。その気持ちは分かるものですか?

本当に全てをかけないとなかなかその地には立てない。プラスアルファ自分が立つだけではなくて、やはりその国を背負っているということで、しっかり結果を残して帰ってこなくちゃいけない。こういった重圧っていうのはやはりずっと受けますよね。

――個人で負けて団体で復活するっていう、そこのメンタルの難しさみたいなこと、アスリートとして感じる部分はありますか?

我々は団体スポーツなので、周りに声を掛けてくれたりとかする。同じようにピッチに立っている選手とかいますけど、畳の上で一人ですからね。その状態から復活して、また勝利をあげるっていうのは、本当にすごく素晴らしいなと思いますね。

――阿部詩選手が負けた日に、お兄さま(阿部一二三選手)が金メダルを獲って、そこのすごいなって思う部分はありますか?

そうですね、男だなと思いますね。

――ラグビーのお話を伺いたいのですが、2015年のW杯で何か変わりましたか?

ラグビーが何かという説明をしなくてよくなりました。2015年のワールドカップ前は「ラグビーって何?」みたいな方が結構多かったです。その説明をしなくて大丈夫というのは非常にいいですね。ありがたいです。

――2015年のW杯を迎える前の日本代表の空気感はやっぱり違かったのですか?

これで勝てないと、多分もう一生日本代表は勝てないなっていうぐらい我々は準備してきましたし、自信はありましたね。はい。

――チームが変わるきっかけはどういったところだったのですか?

イングランドに渡ってから、本当に空気がガラッと変わりました。僕がすごく印象的なのは、ワールドカップに入る前のジョージアとのテストマッチ。2012年にもジョージアとはやっていて、その時スクラムが崩壊したんですよ。2015年のワールドカップに向けて、FWのメンバーがかなり努力してやってきたのを見てきていてどうかと思ったら、ピタッっとスクラムが止まったんです。その瞬間に、ああ、なんかワールドカップいけるなっていうのを感じましたね。

――テストマッチの部分で感じられて、初戦南アフリカ戦を迎えて、どこで手応えを?

本当に普段通りというか、練習通りのことがみんなできていました。初めて南アフリカと体を当てた時、もちろん痛いのですけど、自分たちがイメージしていた南アフリカより痛くないみたいな、そんな感覚でしたね。

――それも4年間エディーさんとの練習の積み重ねみたいなものが自信になったということですか?

そうですね。チーム全体としての底上げをしていく中で、一人一人の体っていうのも全部変えました。本当に世界で戦えるレベルのフィジカルを作った上で、技術というものが乗っかって、成熟したチームだったのじゃないかなと思います。

――以前、真壁さん含めて地獄の150日合宿というのをお聞きして、具体的にどういったことをやられたのですか。

朝からもう4部練、5部練みたいな感じでずっとやっていました。1日全部スケジューリングされているのですけど、1日4回も5回も練習して、しかもその間にsleepって書いてあって。寝なくちゃいけない時間なので、寝て起きたら「ここどこだ?」「今、何時?」「何回目の練習だっけ?」みたいなのを繰り返していましたね。

――寝るのは疲労回復みたいな?

疲労回復ですね。回復させるために動いて、食べて、寝ての繰り返しを1日に4回やるので、何時かも分からないし、そもそも部屋のカーテンすら開けないみたいな。一番辛かったのは、5月から6月にかけての宮崎合宿で、試合がなかった時期。。大体ハードなトレーニングがあっても、その週末に試合があればモチベーションって湧くのですけど、4週全く試合がないというのがあってですね。ちょうど梅雨の時期だったので、太陽も見ないみたいな。4回も寝ていたらもうわけわからなくなるし、太陽を見ないと人間ってだんだん暗くなってくるのですかね、あんまりみんなしゃべらなくなってきましたね。

――今同じことをやれと言われたらできますか。

絶対やらないですね。

――それだけ大変だった?

大変でした。

――その練習が実を結んで。南アフリカ戦も先制ゴール挙げられて、この大会を通して半分以上の得点を五郎丸さんがあげました。そこの決定力というか、メンタルの部分で気をつけていたことはあります?

2012年からですね、メンタルコーチにいろいろな方に来ていただいたのですけど、 大体3日ぐらいで帰ってしまいます。なんか自分自身がシャットアウトしちゃっていた部分もあります。見えないものと戦うのって大嫌いだから、何かイメージしろとか言われても、「う~ん。」みたいな。でも荒木香織さんと出会ってから、自分がコントロールできるところをしっかりコントロールしていくことで、メンタルと言われるものにアプローチしていくっていう逆の発想だったので、これだったら何か一緒に作り上げていけるなという感覚がありましたね。

――ルーティンも荒木先生が作られた?

作ってもらったというより、もともとやっていたものを毎回同じようにやりましょうというところですね。それを作り上げていったという感じです。

――決定力をご自身で分析して、どういったところだと思いますか?

本当に練習通りにキックが飛んでいたのが結構自分の中では驚きでした。ポールを真ん中から蹴って右側を狙う練習をずっとしてきたのですね。それはなぜかというと、右キッカーっていうのは大きな舞台になればなるほどボールの左側にそれるというデータがある中で、右側を狙いなさいっていうのはすごく理にかなっているなと思って、ずっとそれを信じてトレーニングしていました。本当にワールドカップってボール真ん中から蹴って、右側にほぼほぼ入っているんですよ。すげえなってなんか自分で感じましたけど。

――南アフリカ戦のキーマン一人を挙げるとすると、どなたになりますか?

キーマン。やはりリーチマイケル選手じゃないですか。

――リーチマイケル選手のそのすごさっていうのはどういったところですか?

有名なところでいくと同点ではなくて逆転狙いにいったというところだと思うんです。だけど僕はそこじゃなくてですね、あの後の彼のプレーを見てほしいんですけど、80分超えているのにボールキャリーを2回ぐらいしてるんですよ。ボール持って、ぶつかっていって寝っ転がりもみくちゃにされる。でも、そこからいち早く起き上がってきて、2回目行くって。普通あの時間帯は無理なのですよ。どう考えても。僕なんか足つっていました。そんな中でも、キャプテンとしての責任というのを果たしている彼の背中を見ていて、やっぱりキャプテンだなと思いましたね。

――当時の日本代表の中でリーダーの存在というのはやっぱり大きかったですか。

大きかったですよ。やっぱりプレーでの彼のリーダーシップももちろんありますし、ラグビーはやっぱり国籍に縛られての代表ではないので、いろんな国のルーツを持った人間がいる中で、彼はやはり札幌山の手時代にこっちに来ていて日本のこともわかっている。でも海外の選手たちの気持ちもわかるっていう、だからそういう受け皿としての彼の人間の大きさっていうのはすごかったですよね。

――ラストワンプレーのリーチ選手の決断というのは間近で見ていてどう感じました?

あの決断はピッチ上にいた人間全員そう思っていましたね。これだけ勝つためにやってきて「同点?」みたいな。

――いち視聴者からしたら同点でも大健闘じゃないですか。ワールドカップで勝ち点を取るっていう。でも、プレーしている選手たちはやっぱり違ったんですね。

我々はこの4年間、歴史を変えるって言ってやってきたんですよ。もちろん同点でも変わるかもしれないですけど、やっぱり勝ってこそ歴史は変わるっていうところかなというふうにみんなが思っていたと思います。

――でもエディーさんはキックを指示されますね。そこを無視するメンタルというか。何て言うんですか、指示に背くじゃないですか。

いい意味でも悪い意味でも監督がピッチ上にいないんですよ。だからまあまあ大丈夫です。

――でも、やっている側全員が気持ちはひとつの方向を向いていた?

全員思っていました。でもエディーさんの気持ちも分かります。やはり初戦でしっかりポイント取って次に行きたいという指揮官の思いも分かりますけど。でも4年かけてここまできて、やれること全てやってきたっていう気持ちはもうみんなピッチ上、ベンチも含めてそうだったですね。

――少しも思わなかったですか、もしスクラムで負けちゃったらどうしようとか?

それはないですね。その心配はなかったですね。

――じゃあもう負けるということよりも逆転するという気持ちの方が強かったですね。

仮にあそこでトライをとれなくて負けたとしても多分後悔はなかったと思います。

――リーチ選手に話を聞くと、立川選手のカットパス(すぐ横の選手を飛ばして、その次の選手へ投げるパス)をエディーさんがあまり、禁止していたとか?

あまりじゃないです。エディーさんにブチ切れられます、あれをやったら。

――そうなのですね。あれを大舞台の最後ラストワンプレーで出したのがすごいっておっしゃっていたんですけど。

まあそうですね、あそこにつながるまでにみんな自分がやらなくちゃいけない仕事を全うしているんですよね、全員。そこであそこにマレ・サウ選手とカーン・ヘスケス選手という最もトライを取れる二人がここにいるわけですよ。それで、そこに飛ばす立川選手、考えられないですね。もう本当にすごいことが起きたなとは思いましたね。

――あのプレーはだいぶでかかったですか?

でかかったです。でも、やっぱりあの時間になっても南アフリカに対して走り負けてない日本代表がそもそも勝ちだと思うんですよね。そこまでに必要なトレーニングしてきたし、もちろん戦術組むんですよ、一番最初から。でもラグビーって戦術立ててもどうもうまくいかないときもあるし、パニック起きるときもあるんですけど、パニック起きる前提のトレーニングもしてきたりだとか、本当にやれる準備はすべてやってきたので。なるようにしてなったなというふうな感じはします。

――2015年に日の丸を背負われて、ご自身の意識というか、よかったなと思うことはあったりしますか?

やっぱりオリンピックの方々もそうだと思うんですけど、大舞台で国歌斉唱が流れて、日の丸を見たときに、ああ、日本人でよかったなって初めて思いましたね。

――感動するものなんですか?

こみ上げてくるものがありますね。覚悟が決まるというか。

――それこそ外国人の選手も国歌練習されたりして、そこのチームの一体感みたいなものがすごく良かったんですか?雰囲気とか。

行く前は結構バラバラでした。本当に行っていきなりギューって、まとまった感じですね。それまでは結構喧嘩したし、色々なんかベクトルが違う方向を向いていたんですけど、イングランド行ってからラスト1週ぐらいで急にギューってなりましたね。

――何がきっかけだったんですか?

いやまあ覚悟が決まったんでしょうね。全員の。我々君が代の練習とかってするんですけど、それは外国籍の方がいたりとかするからなんですけど、でも振り返ってみたら唯一そこが一つになれる言語だし、時間なんですよね。英語しかしゃべれない外国人の選手たちもいるし、日本語しか喋れない人もいて、みたいな。唯一、言語を一つになって気持ちが一つになれる瞬間だったので、あの国歌斉唱の時間というのは、日本の代表にとっては非常に特別な時間ではありましたね。

――最初、五郎丸さん自身がルーティンを始めたきっかけは?

僕が一番初めに始めたのは2004年に大学入学した当時ですね。大学に入学した年が、2003年オーストラリア大会が終わった翌年だったんですよ。オーストラリア大会で優勝したのはイングランドだったんですけど、その時のジョニー・ウィルキンソンというキッカーが、なんと大学1年生の時に大学に教えに来てくれたんですよ。スポーツメーカーのプロモーション活動の一環として。その時にやっぱり世界一のキッカーに教えてもらって真似しないわけないじゃないですか。それが最初のきっかけですかね。

――そこからルーティンと変わっていくタイミングで、何かきっかけになって、それこそ荒木さんの言葉なら、ご自身の中の何かきっかけがあったのか。

うーん、まあ、安定させていかなくちゃいけないなとは思っていてですね。ワールドカップの成功率というのも、85出しなさいっていうのはずっと言われていましたから、何かこの感覚的なものをなくしていかなくちゃいけないなと思っていた時に、荒木さんに来ていただいて、その感覚というものを文字に起こして自分のものにしていこうみたいなところからのスタートでしたね。

――具体的にはどのような?

自分の動作っていうのを4つぐらいに大きく4つぐらいに分けてですね、毎日採点していくんです。キック練習した後に。採点することにあんまり意味はなくてですね。そういう手を動かして確認作業をすることによって、自分の感覚というものを採点しなくても自然とできるまでに持っていくっていう感じですね。

――まさにそれの集大成の形になったのが15年で、結果として

結果として表れたかどうかわかんなくてですね、85出てないんですよね、あの大会って。結局そこに歯がゆさはすごくあったんです。ここまでやってできないって何なんだろうって。それがあって、実はワールドカップ終わってから海外行った時に、大きく皆さんが知っているルーティンポーズみたいなのをやめてですね、一番大事にしているところだけはとっておきながらも、他は全部いらないものを削っていったっていう感じですね。

――最後にルーティンやることによって、何が安定するんですか?

自分がフォーカスしなくちゃいけないところが明確になるってことですね。はい。ルーティンの良さっていうのはフォーカスするところがもう決まっているので、そこに集中して雑念なくプレーに臨めるっていうのが良さかなと思います。

――今後のラグビーについて

そうですね。ラグビーのワールドカップというのはサッカーとは大きく違ってですね。サッカーは加盟国がすごく多いので、おそらく我々が生きている間にワールドカップって戻ってこないんだと思うんですけど、ラグビーの場合はですね、加盟国がサッカーほど多くないということと、そもそも開催できる国っていうのがある程度限定されているということがあってですね、もしかしたらというより、もうほぼほぼ日本に我々が生きている間に帰ってきますから。その帰ってくる時間、残り多分10数年しかない中でワールドカップを開催、その時に19年の時以上に、やっぱりラグビーっていうものがこの日本国内に浸透するためにはどうしたらいいかということを一つずつ積み上げていきたいというふうに思います。

最終的にはやっぱりラグビーに恩返ししたいっていうのが一番にあります。ワールドカップとかラグビーというものを今後日本の中で普及させていくためには、ラグビー知らない人たちにどうコミットしていくかがすごく必要になるという思いがあるので、恩返しできるような実力をつけていきたいなと思っています。

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