時々、現実から逃げ出したくなる時が、ありますよね。なので、ちょっと逃げ出して旅へ出ることにしてみました。

気が付けば11月も半ば。あっという間に年が明けることでしょう。読者の皆さまは、いかがお過ごしでしょうか。この1年、筆者は前世の業でも背負っているのか、まぁいろいろありました。今回は、そんな人生に疲れた筆者が、会社をズル休みして旅に出たっていう話です。

◆前世で何かした? 波乱続きの1年間

2023年12月、義父が死去。2024年1月は新型コロナウイルスで夫婦そろってダウン。4月に尿管結石その1、5月にその2、6月に手術。退院ほどなく実母が突然死……、どんなけ。どんなけよ。さらにそこにのしかかる“実家の片づけ”という重し。うーん、疲れた! というわけで、「少々人生に疲れたため、しばし旅に出させていただきます」と会社にメールをして旅に出ました。あっ、そうは言っても弊社はちゃんとした“株式会社”です。こんなぶっ飛んだ人間ばかりではなく、筆者がぶっ飛んでいるだけなので、そこのところ、誤解なきよう。

さて、旅に出るっていっても、東に住む大阪出身者はやはり西が恋しい。そして、「癒し」は外せない。なんかこう、「はぁ~! 癒されるう~」って声が漏れるような体験がしたいんです。そこで、大阪までの経路を地図アプリを眺めていたら、いい所を発見。スマホを手に取り、大阪の親戚に電話をかけ、「お兄やん? 明日の朝、奈良公園来てくれへん? ついでにうちら(人間2人&犬1匹)も泊めて~。ほな、朝に!」と話し、当面の着替えと愛犬のドッグフードと薬を車に詰めて、深夜の東名を西へと下るのでした。

◆右も左も、シカ・シカ・シカ!

大阪出身の筆者。道中、助手席で銅像のようにピクリとも動かぬ夫を横目に、どれだけ往来したか分からない慣れた道を進みます。夜が明ける頃には名阪国道に入り、そこから奈良県に入って、奈良市街地、そして奈良公園へ。すると、木々に囲われた広大な奈良公園の赤信号の歩道を、シカがゆっくりゆっくり歩いているではないですか! 「これや! これこそ、求めていた癒しである!」とテンションMAXなまま、親戚の“お兄やん”と合流。朝8時半にもかかわらず、駐車場はほぼ満車でした。年老いた愛犬を乗せるカートを車から引っ張り出して、癒しを求めいざ、公園へ。

もだえ続けて夫からもお兄やんからも、愛犬からもドン引きされる筆者。知ったことか、かわいいは正義! なのだ園内に入ると、右も左もシカ! シカ! シカシカ、シーーーッカ! さらに、今年生まれたバンビちゃんがそこかしこにいます。そのバンビちゃんのふわっふわな尻毛が、もうどうにもたまらないかわいさでして。バンビちゃんたちに囲まれることを夢見ながら、鹿せんべいを売っているおばちゃんの元へそそくさと行き、いざ、「さぁ、おいで」「お食べ」と声を掛けてもまったく近寄ってくれないシカたち。鹿せんべいを持っているほかの人には、人種や男女を問わず、ワラワラと群がるのに、筆者は1人、ポツンと鹿せんべいを持って立っているだけ。

すると、茶屋のおばちゃんが「シカにとって犬は天敵やからねぇ」と言いました。横を見ると犬なのに「鹿せんべいください~」とグヘグヘする愛犬が。シカからすると“狩る者”のようです。もう1つの目的、愛犬とかわいいシカのツーショット……。この時点で断念しました。

不敵な笑みを浮かべる愛犬を警戒するシカ(左)と、鹿せんべいにしか目を向けないシカ(右)その後、愛犬を夫に任せ距離を取ると、少しずつシカたちが寄ってきてくれました。「おばちゃん、ちょーだい」って頭を下げてくれるシカさん。「ええよ、ええよ。たーんとお食べ」と頬を緩めながらせんべい配りおばちゃんと化す筆者。「ちょっと、おかわりしてくるわ!」と鹿せんべいを再び購入し、また「おいでおいで。せんべいお食べ~」とホックホクな時間を過ごしました。ありがとうシカさん! ありがとう、会社!

ハート型の真っ白でフッサフサのお尻! ここは天国なのだろうか? 平和な光景に頬がユルユルになる

◆人生に疲れたら、奈良公園へ

奈良公園、めちゃくちゃ癒されます。筆者同様、人生に疲れた人にはめっちゃおすすめです。比較的空いている朝がオススメ。こんなにメンタルのパワーチャージができて、(犬がそばに居なければ)優しいシカたち、まさに神対応極まれり!

一方で昨今、外国人観光客らによるシカへの虐待行為が話題になっています。この日は朝早かったからか、あまりそうした光景は見られませんでしたが、中には通りすがりにシカの頭をたたいたり、大声(もはや奇声に近い)を上げる人たちもいました。そうした行為は断じてやめていただきたい。そして、優しいふれあいの時間を過ごしてほしいと、切に願う筆者でした。

◆「堺打刃物」600年の伝統を引き継ぐ職人たち

シカにめちゃめちゃ癒された翌日、筆者はある人の元を訪れました。大阪といえば、551の豚まんやお好み焼きなどいろんなグルメがありますが、実は大阪の堺市は和包丁の名産地。国内シェア率が90%ともいわれています(出典:大阪公式観光情報Webサイト)。

熱した鋼をたたく「鍛造」中の写真。高温の窯がすぐ近くにあり、少し離れた場所に居ても、その熱気が伝わる。伝統的な製法で作られる「堺打刃物」は、鍛冶と研ぎの担い手に分かれている“分業制”です。大阪ラバーな筆者ですが、自宅で使っている「堺打刃物」の製造工程は見たことがない。せっかく大阪に滞在するのだから、ぜひこの目で見てみたいと伺いました。

同業者いわく、中川氏の包丁は「2~3年待ち」との情報も。国内外を問わず、使い勝手はもちろん丁寧な仕事ぶりにリピーターも多いこの日、最初に訪れたのは鍛冶屋の「中川打刃物」。史上最年少で伝統工芸士となった中川悟志氏が同社の代表を務めています。今回の訪問では、包丁の素材となる軟鉄や鋼を真っ赤に熱して金槌などでたたき、延ばして鍛える「鍛造(たんぞう)」という行程を間近で拝見させていただくことに。

トントンと規則正しい音とともに、1枚の鋼材が包丁の形をなしてゆく1本の真っ赤に熱した棒状の鋼材が中川氏の手によって、ものの数分で“包丁”へと形をなす。マニュアルに沿った作業ではなく、その日の気温や鋼材の状況を見て調整を加えながら、最高の1本に仕上げるのです。飛び散る火花をよそに、まばたきも忘れ職人の息遣いを肌で感じながら、作業に見入りました。

◆鍛冶の後は研ぎを見る!

「中川打刃物」を後にして、次は「山脇刃物製作所」へ。こちらでは、“研ぎ”の現場を拝見。鍛冶屋から回ってきた包丁をロール状の砥石(といし)で、1本ずつ手作業で丁寧に研いでいきます。間近で見るとキーンという音とともに、激しい水しぶきが上がり、思わず「おぉ~!」と声を出してしまいました。

1本ずつ、丁寧に職人がコンディションを見極めながら研いでいく実は同社で刺身包丁を購入予定だった筆者。包丁の柄(え)を自分の好みでセレクトしました。そして、柄を付けるところも見せてもらうことに。木槌で柄の底をトントンとたたきながら、ゆっくり取り付けます。ゆがみなどを調整しながら目の前で自分の包丁が仕上がっていくのを見られるのは、至福です。

柄の底をたたきながら、刃の部分と柄を付けていく。ゆがみなどを調整しながらベストな1本に仕上げます筆者宅には数本しか包丁はありませんが、やはり「堺打刃物」は「もう1本欲しい」と思うほど、よく切れます。コロナ禍で“おうち時間”が長くなり、料理を始めたという人も少なくないのでは。包丁の世界は、鋼かステンレスか、使用する鋼材によっても切れ方の感覚が変わるなど、とても奥深い世界です。まだ、「これぞ、My 包丁!」という“1本”をお持ちでない人は、ぜひ、大阪が誇る「堺打刃物」を手に取ってみてほしいですね。より料理が楽しくなりますよ。

◆あの日から、1日たりとも考えない日はない

シカにも癒され、職人仕事に感銘を受けた筆者。なんだか帰って仕事をしたくなりました。でも、1つだけ心残りが。祖母の事です。前回の記事で「祖母を捨てた」筆者ですが、忘れた日は1日もありません。慣れ親しんだ大阪。車なら、ちょっと走ればもう、祖母が現在、1人暮らしをしているあの家に着くのです。そして、その家は筆者自身が生まれてから10歳近くまで住んでいた、いわば実家のような存在でもあるのです。

帰阪して家に帰らないことなんて、これまでただの1度たりともなかった。慣れ親しんだ街並みの中を車で走りながら、「かなわんな」とあふれる涙を手で拭いながら苦笑いをしました。そんな筆者に、「家の前を通ってみたら?」と言う夫。「そうやね」と自分が捨てたのに気になるという矛盾した思いを抱えながら、大阪の家の前をゆっくり通ると、明かりがついていました。ほんのわずかに、心が軽くなりました。

自宅へ戻る帰り道、京都のおひいさまの元へ。お嬢さまというよりお姫様のようなお育ちなので、筆者はその女性を「おひいさま」と呼んでいます。道に迷ったときに導いてくれる、道しるべのような存在ですが、1年ぶりに会ったおひいさまは、去年より小さく見えました。

◆「難しいわね、人生の“しまい方”って」

「今年は本当にいろいろ、大変だったわね。ようやったね」と、優しく筆者に手を添えるおひいさま。張りつめていた糸が、一気に緩んだ瞬間でした。おひいさまのお顔を見て、おひいさまに甘えて、少し落ち着いた頃、自らも闘病中のおひいさまが突然、少し遠くを見ながらこう言ったんです。

「お母さまの訃報を受けて、私もいろいろ考えたわ。本当に難しいわね、人生の“しまい方”って」と。思えば、筆者自身もいつからか足し算が多い人生から、引き算が多い人生に変わりました。おひいさまの言う「しまい方」が「仕舞い方」なのか、「終わり方」なのか。答えを問う勇気もなく、「そうやね」と一言だけ返し、筆者もまた、少し遠くに視線を送りました。

文=石井 有紀