11月2日、富士モータースポーツミュージアムが主宰するオーナー向けミーティング『富士ファンクルーズ(FFC)』が開催された。2022年12月から、毎回テーマを変えながら行われてきているこのイベント。今回のテーマは『1960年代~1990年代の日本が世界に誇る名車』となった。それと言うのも、今回のFFCに特別な来場者がやってくるのだ。それは、『2024世界自動車博物館会議 日本大会(WFFMM)』の参加者たち。彼らは世界15カ国から来日した名だたる自動車博物館の関係者で、近年の日本車の世界的人気を踏まえ、本場日本で実車の魅力を堪能すべく、FFCを見学するのだという。
【画像】あいにくの悪天候にもかかわらず、会場にはトヨタ2000GTをはじめとする日本の名車が50台近くも来場!(写真89点)
今回のFFCの参加対象は、1960年代から 1990年代に日本国内にて製造販売された日本製4輪車。事前審査を経て、60台以上が参加を表明したが、当日生憎の大雨となり、来場を断念した車もあった。
それでも、富士スピードウェイ西ゲート横のウエルカムセンター駐車場には、この日、50台近くの日本の名車が集結。静岡県内や関東近郊はもとより、兵庫や徳島からの参加者も。激しい雨が降りしきる中、トヨタ2000GT、初代日産シルビア、初代ホンダ・アコードといった貴重なクラシックカーたちも並び、参加者はその様子をコーヒー片手にテントから眺めていた。
雨がほんの少し弱まったころ、約80名にも上るWFFMMのメンバーが到着。本来の予定では、隣接された建物2階からガラス越しに展示車両を眺め、スライドで写真を見ながら解説を聞く予定であったのだが、そこは車好きの血が騒いだらしく、皆、傘を手に車のそばに寄っていった。
今回行われたWFFMM日本大会では、トヨタ博物館で2日間にわたる講演が行われた。そのうちひとつの議題は「海外での日本の旧車人気とは?」というもので、アメリカLane Motor MuseumのDerek E. Moore氏は、特に若い世代がJDMに惹かれる理由を、アンケートを元に、映画やゲームの影響や子ども時代の原体験(父親が乗っていた車の思い出等)などを挙げながら、年代、モデルと紐づけて解説していた。その講演は大変盛り上がり、終了後に人の輪かできて、それぞれの思い出のモデルを口にしていたのが印象に残っている。この日も参加者たちは、スマホ片手に車のそばに行き、一台ずつの解説(同時通訳付き)に熱心に耳を傾けた。
イギリスNational Motor MuseumのJon Murden氏に、展示してあるこれらすべての車を知っているのか尋ねてみると、「名前だけ知っているが初めて見る車もたくさんあった。日本で当時、日常的に使われていたシティカーをこうして見ることができたのは新鮮な驚き。一方で、ヨーロッパで販売していた車もたくさんあったよ。スズキ・カプチーノはイギリスで販売していたし、マツダのMX-5には、僕も昔乗っていたしね」と声を弾ませて答えてくれた。すると横にいたアメリカのPhillip Sarofim Car CollectionのJack Wiegmann氏が「僕、今、MX-5乗ってるんだ!」と笑顔で写真を見せてくれた。「ブラックなんだ。きれいに乗っているね」、「いい車だよね」と意気投合した様子に、イギリスとアメリカにおける自動車愛好家のトップとも言えるふたりが、日本の地で、日本車で盛り上がっているという光景に、なんだか胸が熱くなった。
FFCは毎回アワードがあるが、今回は5つの賞が用意された。富士モータースポーツミュージアム賞を受賞したのは、1969年式トヨタ2000GT。富士モータースポーツフォレスト賞は、この日登壇者として来場していた中村史郎氏の1965年式日産シルビアCSP311型が選ばれた。さらに、FIVA(Federation Internationale Vehicules Anciens、国際クラシックカー連盟)は、Tiddo Bresters会長自ら丁寧に審査した結果、1980年式ホンダアコード・ハッチバックEXにFIVA賞を贈呈。そしてWFFMM賞には、父親が乗っていた思い出の車と同じ年代のチェイサー駆る若きオーナーのトヨタ・チェイサー・アバンテロードリー(JZX81)が選ばれ、大きな拍手が贈られていた。
最後、来場者投票によるエントラント&オーディエンス賞は、マツダ・ユーノスコスモ20B TYPE SXが獲得。副賞として、『ガソリン満タン』の権利が授与されると「リッター3kmしか走らないので、嬉しいです!」という切実な歓喜の声に、会場は大いに盛り上がった。
WFFMMのメンバーは授賞式直後、帰路へのバスに駆け足で乗車。日本最後の思い出が、大雨の中の日本の名車たち、というのは、彼らの中で強い印象を残し続けるのは間違いない。参加者も、新幹線が止まるレベルの大雨の中、大急ぎで家路を目指したのだった。
文:大西紀江 写真:平井大介
Words: Norie ONISHI Photography: Daisuke HIRAI