四国アイランドリーグplusで本塁打王に輝いた経験のある香川オリーブガイナーズの元4番打者の男性が、生まれ育った神戸市で農業を営んでいる。
男性の名前は稲垣将幸(いながき・まさゆき)さん。野球で培った約90キロの巨体と持ち前のパワーは、人手不足が叫ばれる日本の農業界において百人力の存在と言えそうだ。収穫した農作物の安定した供給先を作るため、自らカフェも経営。生産と販売をこなす『二刀流』で歩む元野球選手のセカンドキャリアは、白球を追い続けることで養われたメンタルに支えられていた。

経営するカフェで勤務。ポジションはホール、時々ピンチヒッターカフェ「C-farm cafe(シーファームカフェ)」の店内

ポートタワーや神戸海洋博物館が立ち並ぶハーバービュー。港町・神戸と聞いてイメージする市の中心部から西に約10kmの場所に稲垣さんのカフェ「C-farm cafe(シーファームカフェ)」はある。
「全く景色が変わりますね」。店に近づくと、商業施設が立ち並ぶ風景は一変。田畑を抜けてたどり着く店舗に訪れた客からは驚きの声が聞かれるという。

「周りが田舎なのでおしゃれさにこだわった建物なんかにしてしまったら台無しになってしまう」
店舗は元々倉庫だった建物を改装。かつての面影漂う波型の壁や天井、むき出しの鉄骨はそのままに、明るい木目調のテーブルや暖色の電球をレイアウトした。全体的にシックな雰囲気の店内は、配膳されるお皿に並んだ野菜の鮮やかな色を一層引き立てる。

注文が多いのは「プレートランチ」。旬の野菜を使うため、月ごとにメニューが変わっていく。地元産にこだわり、店舗のある西区の畑で育てた野菜などをふんだんに使った自慢の逸品だ。
従業員は増えているが、自らも週2~3日は店の仕事に携わる。配膳などのホール業務に加え、キッチンに立つこともあるという。「いつでもスタッフのピンチヒッターになれるよう、何でもやれるようにしています」と話す稲垣さんだが、たった5年前まで観客が見守る中、バッターボックスに立つレギュラー選手だった。

大器晩成を信じて歩み続けた野球人生現役時代の稲垣さん

稲垣さんは店舗のある西区の隣、垂水区の出身。小学2年生のころ、少年団のコーチをしていた近所の男性の誘いで本格的に野球を始めた。それからバットとグローブは常に横にあった。

高校は強豪校だったが、夏の県大会はまさかの3回戦敗退。野球から離れる決断はできず、大学に進んだ。毎日のように午後4時から日付が変わるまで練習するなど「誰よりも打ち込んだ」学生生活を送ったが、ほとんど打席に立てなかった。
「打った時の打球の感触や飛距離に自分の成長を感じていました。もっと練習すればどこかできっと花開くはず。その瞬間まで頑張りたい」。最後の望みを賭け、四国の独立リーグのトライアウトに参加。結果はドラフト最下位での指名だった。

「契約の時、『本当にギリギリだから、1年で結果が残せなかったらクビだからね』と言われました。これまで学生生活を送ってきた自分にとって、クビという言葉はかなり重かったです」

シーズン通しての成績はあまり奮わなかったが、終盤にホームランを放った。「あの1本で首の皮1枚つながったと思います」。契約更改を乗り越え迎えた2年目に、自身の野球人生で最高のシーズンが待っていた。

「香川の練習は僕にとって量じゃなく、質でした。練習時間はたった3時間で、それまでに比べれば圧倒的に少なかったですが、一番成長したのは香川での時間でした。周囲の選手の影響で、投手の持ち球や配球も意識して準備を重ねました。身体だけでなく、頭脳でも戦う。入団翌年は野球の本質が分かった年だったと感じています」

このシーズン、見事ホームラン王に輝き、ベストナインにも選ばれた。ただ、翌年さらに成績を伸ばすことができず、再び低迷。すでに多くの選手が辞める年齢になっていた。

「色々ともがいてみましたが、結果は変わりませんでした。人生で一番良い成績を出した昨シーズンを振り返り、自分の中でやりきったなとの思いが芽生えていたのは確かでした。本当にやり切ったのか、さらに伸ばせる余地がないかを確認するために移籍をして環境を変えました」

それでも結果は変わらず、引退を決意。「よくここまで来たな。もう十分頑張ったな」。一切後悔はなかったという。

野球で培った体が輝いた農業農作業に取り組む稲垣さん

退団したのは2019年の秋。27歳から「遅めの就職活動」が始まった。「どうすれば同学年のみんなに追いつけるのか」。神戸の実家に戻りながら仕事を転々とした。フィットネスジムのトレーナーやバーテンダー、映画のエキストラもしたという。

次のキャリアを手探りで探していると、サラリーマンだった父から「これからの時代、雇われるのではなく、自分で稼げる力を身につけろ」と言われた。元々起業という選択肢を考えていた稲垣さん。「成功するには強みがいる。何か自分の身体と経歴を活かせる仕事はないだろうか」。その時に思い出したのは、香川時代に手伝った知り合いの農作業だった。

退団2年前の2017年春、身体のケアでお世話になっていた理学療法士の男性から兼業でやっていた米作りの田植えに誘われ、初めて参加した。秋の稲刈りも手伝ったが、周りの年齢層は50〜70代とかなり高かった。30㎏の精米を運ぶ作業は彼らにとって重労働だったが、鍛え抜いた身体を持った稲垣さんにとってみれば朝飯前。これまでの人生が活かされた瞬間だった。
手伝った後に美味しい夕食をごちそうになったが、その場で聞かされたのは農家の置かれた窮状だったという。「お米は値段が上がらない。作っても赤字かトントンで、後継者のいない周りの家はどんどん辞めていっている」。信じられないと思いつつ、その言葉は「役に立てた」という成功体験とともに稲垣さんの脳裏に残り続けていた。

2年の研修を経て、開業へ人気の「プレートランチ」。食材の穫れた土地の風景を楽しみながら食べられる

「地元は海沿いで、農業というよりは漁業の方が身近でした」。関わりのなかった農業には経験も知識もなく、完全に0からのスタートだった。

引退直後の2020年に世界を襲った新型コロナウイルスの感染拡大が、稲垣さんの学習を後押しすることになった。「記事や動画、農業に関するものをとにかく学びました」。そこで高齢化や後継者問題はもちろん、売り先や価格にも課題があることを知り、自らカフェを立ち上げて付加価値を高める構想を考えついた。

「お客さんには農業が行われている地域にあるリアルを感じてもらいたいので開業するなら田舎」と決めていた稲垣さん。何から始めていいのか右も左も分からないまま、本来、古民家への移住者向けに開かれていた相談会に参加した。そこで話を聞いてもらった男性がたまたま西区で有機農法による野菜作りをしている農家だった。
ただ、待っていたのは厳しい現実だった。「ハードル高いから無理やと思う。農業も経営も分かっていないと痛い目に遭うで」。夢に向かっての特段の収穫はなく、名刺と連絡先を交換するだけで帰宅した。

後日、次の手を考えていると、相談した農家の男性から連絡がきた。「もう少し詳しく話そう」。翌日すぐに男性の元を訪れると、書類の入った封筒を渡された。中には、農業や関連事業で生計を立てることを目指す新規の就農者を支援する国の制度への申し込み用紙が入っていた。
「本気でやるんやったらまずは農業からや。国の研修制度を使って、うちでまず農業を学ばへんか」。嬉しかった。制度申請の期限も迫っており、その場で即決。帰り道に役所で手続きを行った。

それから週4日は農業の研修。残りの3日はカフェ開業の準備に費やした。アルバイトしていたバーで飲食経営のノウハウや経理を学んだり、神戸で人気のカフェに足を運んだりした。「どんなメニューを出していて、どれくらいの価格なのか。何人くらい働いているんだろうというところまで見ていました。ほぼ休みはなかったです」

2年間の研修期間を終え、2022年11月にまずはカフェをオープン。店が軌道に乗り出した2023年夏、ついに農家「稲垣将幸」がデビューした。

失敗がつきものの野球と農業。それでも成功を信じて稲垣さんが収穫した野菜と、育った西区の田園風景

ニンジンやジャガイモ、サツマイモ、ビーツなど10種類の野菜を育てる稲垣さん。
今夏の猛暑の影響で、いくつかの作物が栽培できずに枯れてしまったという。

「失敗がつきものなのは農業と野球の共通点。種を撒いても作物ができるかどうかは分からない。野球も打席に立てば必ず打てるわけではない。一般的に3割打てばすごいと言われますが、裏返せば10打席中7回は失敗するということです。そのあとの切り替えが大事なんですよね」

試行錯誤をしながらも農地面積は広がり、カフェを訪れる人も市内外の垣根なく増えている。周囲の飲食店関係者からも「2年目でこれは立派」と言われるほどにまでなった。

「今度はこちらから都心にアプローチをして、興味を持ってもらった人たちにお店へ足を運んでもらえるようにしていきたい」。稲垣さんは別の農家2人と協力し、隔週で10種類の野菜を届ける「サブスク」を開始した。
運搬のため、地元のバス会社と連携。既存の路線での貨客混載で中央区まで野菜を運んでもらい、バス会社から野菜を受け取った配達員が自転車で3カ所ある受け取り場所まで運ぶ仕組みだ。「利用者は帰宅や外出時など都合の良い時に受け取り場所で受け取れます。配達のコストを減らせる上に、Co2の削減にもなるのがメリットです」と語る。

ただ、順調に見える事業も最初は借金からのスタートとなり、不安に襲われることもあったという。

稲垣さんの野菜が積み込まれたバス。積載が分かるロゴが貼られている

「セカンドキャリアを踏み出す時の恐怖心を乗り越えられたのは、野球のおかげでした。ここで打たなきゃまずいという局面での打席は何度もありましたが、そこで恐怖心のリミッターを外していかないと何も成功できません。事業をしていく中で、不安に襲われた時、打ち勝てているのは野球で養われた精神力があるからだなと感じています」

まだ農家とカフェ経営者としての人生が始まったばかりの稲垣さんだが、再び「やり切る」覚悟を持って目標を掲げている。

「まずは神戸で一番野菜を生産する農家になる。今はうちの畑で足りない分の野菜は地元のものを購入していますが、全てまかなえるようにしていきたい。そして、*有機JASの認証を取得して、オーガニックレストランと名乗れるようになります」

万一農業から離れることになっても、一切後悔が残らない最後を目指す。

*有機JAS:有機食品(農薬や化学肥料などの化学物質に頼らないことを基本として自然界の力で生産された食品)について農林水産大臣が定める国家規格

短いスパンで結果が出なくても、自分自身が感じる成長や手ごたえを信じて努力をし続けられる。その先に求めていた成果を勝ち得たという確かな自信を取材中にひしひしと感じた。
記事中にもあった通り、稲垣さんは長い年月を費やした野球から離れるとき、残りの人生をどのように進むべきなのか迷っていたという。スポーツをしていて得られるものが、そのスポーツの技術だけなのであれば、稲垣さんの進めた道は本当に限られていただろう。ただ、20年間取り組み続けた野球はずっと多くのものを稲垣さんに残していた。この先、仮に目先の栽培が上手くいかなくとも、その課程で得た一つひとつの手ごたえを信じ、掲げた目標に向かい続けられるのだろう。

text by Taro Nashida(Parasapo Lab)
写真提供:稲垣将幸