海上が主な仕事場である船員は、船舶で起きる火災事故や海難事故に備えた訓練を行っていることを知っていますか? 日本海洋資格センター(JML)が開催する、船員と船舶の安全を確保する「STCW基本訓練」をレポートします。

船舶の安全を確保する「STCW基本訓練」とは?

船舶の運航に従事する船員は、船長や機関長等それぞれに対応した資格を保有することが国際条約上求められており、それらの資格は「STCW条約(船員の訓練 及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約/International Convention on Standards of Training, Certification and Watchkeeping for Seafarers)」に規定されています。

過去、船員の訓練資格は国によって大幅に異なっていましたが、1967年にドーバー海峡で発生したタンカー事故「トリー・キャニオン座礁事故」による大規模な原油流出と、それが引き起こした深刻な海洋汚染をきっかけに、1978年、国際基準である「STCW条約」が採択されました。

  • 内航船員は、陸上での「STCW基本訓練」の実地訓練と5年ごとの能力維持の証明が義務化されている

2010年に改定された「STCW条約」では、近海区域及び沿海区域(限定沿海区域を除く)を航行する20トン以上の内航船に乗る船員は「STCW基本訓練」を受けることを定められ、さらに2017年からは陸上での実地訓練と5年ごとの能力維持の証明が義務化されています。

大きく4つの要素から構成される「STCW基本訓練」は、海難事故や遭難時に生き残るための「個々の生存技術(生存訓練)」、船舶の火災予防や消火方法を学ぶ「防火及び消火(消火訓練)」、傷や病気の応急処置や心肺蘇生法、救命浮環の使い方といった「初歩的な応急手当(応急訓練)」、そして船員の自己保護と他の船員への配慮に関する訓練「個々の安全及び社会的責任(安全社会訓練)」から成ります。

「STCW基本訓練」は全国各地にある機関で実施されており、今回取材した日本海洋資格センター(JML)では、北は北海道の苫小牧や函館、南は沖縄まで全国12か所で開催しています。日本各地を船で移動しながら仕事をする内航船員の方は、寄港のタイミングで受講する方も多いそう。

海難事故に遭ったときはどうする?「生存訓練」

今回、「STCW基本訓練」のうち、実地訓練が必要な「生存訓練」「消火訓練」を取材しました。「生存訓練」は、海難事故に遭った時や遭難した時に生き残るための訓練です。

救命胴衣の着用や救命筏の取り扱いなどを水深5mのプールで実施。もしもの時に備えて、実際に使う装備の使い方を学びます。

正しい着用や姿勢が命を守る、イマーションスーツや救命胴衣

最初に座学で今日の訓練で学ぶことやポイントの説明を受けたのち、プールに移動して準備運動を。これからプールの中で活動するにあたりしっかりと体が動くように準備します。続いて、イマーションスーツや救命胴衣の着用を練習します。

  • イマーションスーツ

イマーションスーツとは、船舶で火災・沈没などの緊急事態が起きた際、海へ脱出して救助されるまでの間に使用する防寒・防水の救命衣です。緊急時を想定して目標時間の2分以内に着用します。

容易に着用できるよう設計されているイマーションスーツですが、慣れていないと着るのに手間取ってしまうもの。また、「エアー抜き」という空気を抜く作業を怠ると、足元が浮き上がったりフードが脱げるというトラブルも起きてしまいます。教官のアドバイスを受けながら、慌てずに正しい着用を実践していきます。

  • 救命胴衣

  • 救命胴衣を着用した様子

また、ブロック状になっている救命胴衣の着用練習も行います。救命胴衣を着用する目標時間は1分。隙間から冷水が入り込むと体温の低下に繋がったり、救命胴衣の浮力で顎を打つ危険があるため、しっかりとベルトを締めて装着する必要がありますが、これも慣れていないと難しい……。緊急時に迅速に着用できるよう、受講生は真剣。

安全な飛び込み方や、海上での過ごし方

緊急の場合、一旦水中に飛び込んでから救命艇に乗るケースもあります。飛び込んだ時の衝撃でケガをする危険もあるので、正しい飛び込み方を訓練します。

まずはイマーションスーツを着ての入水を。飛び込むときは、飛び込み元に異常がないか、また飛び込み元から飛び込み先に異常がないかを確認します。入水時は、水面との接触面積を最小限にし、かつ股関節を保護するため、足をしっかり閉じて体を棒のようにまっすぐな姿勢に。この耐衝撃姿勢は水面に上がるまで保持します。

入水したのちは、なるべく早く船から離れ、安全な場所へ退避しましょう。救助されるまで海上で安全に過ごすための泳ぎ方やフォーメーションも訓練します。海中で救助を待つ間、体温が低下することで体力や意識レベルの低下が起こるため、体温の保持は重要な項目。

イマーションスーツを着用した退避者が複数いる場合、「ヒューマンカーペット」を作ります。隣の人と頭と足を互い違いにして、腕で隣の人の足をつかみ、ひとかたまりになる「ヒューマンカーペット」は、発見されやすいこと、肉食動物に襲われにくい、負傷者や浮力体を持たない人の救助や、生存へのモチベーションを保つ利点があるそう。

  • 「集団密集体系」は、ひとつ離れた人同士で手首と手首をつかみ円陣を作る。360度の視野が得られるというメリットも

救命胴衣を着た場合、水中で体育座りのような姿勢をとる「熱損失低減姿勢」や、周囲の人との円陣を組む「集団密集体系」、縦列隊形で移動する「集団移動隊形」を訓練します。「熱損失低減姿勢」は大きな血管が通る腋窩や鼠蹊部、肘の内側や膝裏といった太い動脈をカバーすることで体温の低下を防ぐ姿勢です。

  • 「集団移動隊形」は、波に飲み込まれにくい、孤立を防止するといったメリットがある

また、救命胴衣やイマーションスーツなど浮力体を持たないで浮く状況を想定した訓練も。万が一、不意に海中に転落したり、救命胴衣を着用する余裕なく海中に脱出する可能性もあります。救命胴衣の浮力がない場合、うつ伏せで浮く「伏し浮き」や仰向けで浮かぶ「背浮き」をすること。最小限の運動で浮いて体力を温存し、長く救助を待つことができる浮き方です。

  • 浮力体を持たない場合「背浮き」や「伏し浮き」で救助を待つ

救命筏の反転復正と乗り込み

続いて、救命筏(いかだ)を使った訓練へ。船舶に備え付けられた救命筏は、海上に浮上させる際まれに反転してしまうことも。正しく乗るために、体重をかけて反転復正の練習を行います。

風向きを確認し、風下に炭酸ガスのボンベが位置するように動いたのち、炭酸ガスボンベに足をかけ、救命艇の裏面上部に上がります。

反転復正用の紐を持ち、息を大きく吸い、背筋と肘をしっかりと伸ばし、体重を後ろにかけて反転。紐をたどって救命筏の底から速やかに抜けます。脱出後は外周にある救命索をしっかりつかみ、筏から離れないようにしましょう。

救命筏が正しい位置になったら、乗り込み口から筏へ。すでに乗り込んでいる人が引き上げたり、海中にいる人が押し上げたりと、連携しながら素早く乗り込んでいきます。乗り込んだのち、オールでなるべく遠く離れた安全な場所へ移動。筏の移動方向で移動先を指示する人、櫂を持ってこぐ人と、ここもチームワークが必要です。生存率を高めるためには「必ず生きて帰る」という気持ちが大切だと学びます。

船舶火災に備える「消火訓練」

もうひとつの訓練が「消火訓練」。こちらも座学で説明をうけたのち、防護用具をつけて準備をします。 防護用具は、火炎からの放射熱や蒸気などによる火傷を防ぐため、耐熱・防水性のある防火服、絶縁性と耐熱性のある素材で作られた手袋、長靴、そして頭部を守るヘルメットを着用します。

そして煙やガスが充満する中で作業することを想定して、高圧の空気を充填したボンベを背負って使う自蔵式呼吸具の装着方法も学びます。容器内の空気残量が少なくなると、警報機が作動するそう。

消火器や射水消火装置を使った消火活動

  • 写真左より、粉末消火器、炭酸ガス消火器、泡消火器

消火の訓練では、水を使った消火、粉末消火器・炭酸ガス消火器・泡消火器を使った消火を行います。消火器ごとに使い方や噴射する対象が異なるため、それぞれ正しい使い方を覚えましょう。

出火初期のまだ規模が小さい段階では、主に消火器による消火活動を行います。火災を発見したら大きな声で周囲に呼びかけ、安全ピンを引き抜きホースを外してテスト噴射をします。「粉末消火器」の場合、テスト噴射をしたのち、腰を落とし火元に対して半身の姿勢で向かい薬剤を噴射。消火器は使い切りが基本なので、火が消えた後でも薬剤がなくなるまで噴射を続けます。

「炭酸ガス消火器」は、油の火災や電気設備や電気器具など感電の恐れがある電気施設を含む火災に有用な消火器です。炭酸ガスで酸素を遮断し消火するため、機器への二次災害を抑えられることも特徴。静電気を放電させるため地面や床に設置した状態で移動することや、火元を上から覆って窒息させるイメージで噴射すること、また閉所での使用は酸欠事故が起こる可能性があるなど、座学で学んだポイントを復習しながら実践していきます。

石油やガソリン、油脂類など油の火災に効果の高いのが「泡消火器」。混合タイプと蓄圧タイプの2種類があり、今回の訓練では混合タイプを使用します。ホースを抑え、逆さに倒して中の消火液を混ぜたのち、壁面に当てて流れ落ちた泡で火元を覆うように放射。放射距離が長いので、噴射する位置も考慮して消火活動を行います。

また、泡消火器を使って消火した場所で要救助者の捜索を行うことになった場合、泡で足元が滑りやすく、障害物が見えづらい状況に。その状況を想定し、滑って転ばないよう安全確認しながら通過する訓練も行います。

大規模な火災に備え、消火ホースを使った消火活動の訓練も。ひとつのホースに対して4人が1チームとなり、放水口のノズルを持つ「ノズルマン」、ノズルマンの補助にあたる「サブノズルマン」、周囲の状況を監視しホースを抑える「ホースマン」、火災現場全体の状況を把握してホース操作の障害となるものの排除や、ホースのねじれなどをコントロールする「タグラインマン」とそれぞれの役割を担います。

  • 上が直射用の可変ノズル、下がアプリケーターノズル

大規模火災の場合、直射用の可変ノズルと、高いところや配管が絡み合うところに微粒子噴霧を行うアプリケーターノズルを並列して使用し、死角を埋め合いながら消火活動を行います。

煙が充満した区画での救助活動

消火活動の訓練が終わった後は、煙の充満した区画での呼吸具を用いた消火活動・救助活動の訓練へ。こちらの訓練も4人一組でチームを組み、それぞれ役割を分担しながら進めていきます。

自蔵式呼吸具とライフラインをつけた受講者2名は、煙で視界が悪い状況を模したフィルムをつけ、煙が充満した区画を進みます。まずは下のほうからドアを軽く触り、入口付近で火災が発生していないかを確認。次に、炎の勢いや熱風が出ても体で押し戻せるようドアを少し開けてすぐに締めます。

低い姿勢で進みながら、火元に見立てたランプへ消火活動。先頭の人は壁沿いを、もう一人は壁から少し離れた位置を探りながら要救助者を探します。

要救助者を発見したら、バディーにも知らせて位置を確認、ライフラインを3回引き、区画外のメンバーにも伝えます。意識がない場合を想定して、要救助者の頭と足をもって搬送します。

消火器で火を消し、要救助者を探し出して区画外へ搬送、という一連の流れは、煙で視界を遮られ、かつ重たい呼吸具を装着しながらでは想像以上に困難な様子。区画の外でライフラインを持つ受講生、救出のタイムを見る受講生と連携しながら進めます。

「生存訓練」「消火訓練」の受講が終わったら、基本訓練修了証を渡されて講習は完了。すべての船員に実地訓練と能力維持の証明書が義務化されている「STCW基本訓練」、講習を開催する日本海洋資格センター(JML)の代表取締役・中野 隆氏は「5年に1回の訓練ですが、過酷ではないですし、無茶のある訓練ではありません。心配しないでぜひ受講に来てください」と語ります。水深のあるプールや実際に火を前にした講習など実践的な状況を通して、船員や船舶の安全が確保されていることがわかる訓練でした。