誰しもがいずれ直面するのが、自分自身や家族における「老い」の問題だ。若い頃には考えもしなかったような現実に、ダメージを受けている中高年は多い。中高年となり人生の後半戦を迎えたとき、わたしたちはどのように生きていくべきなのか。
5年半ぶりの著書『美しく枯れる。』(KADOKAWA)が発売から重版を重ね、話題となっている芸人の玉袋筋太郎さんが、「美しく枯れる」ための持論を語る。聞き手は、作家・ノンフィクションライターとして活躍する長谷川晶一さん。
ひとりの社会人として謙虚に生きることを目標にしたい
【長谷川晶一】
中高年向けのビジネス書や自己啓発本などでは、「人生後半戦はわがままに生きよう」というメッセージをよく目にします。「会社でも家庭でもさんざん我慢して生きてきたのだから、そろそろ自分に素直になって好き勝手に生きていいのでは?」という意味だと思いますが、この考えについてどう感じますか?
【玉袋筋太郎】
正直、俺は嫌だな。それこそ昭和の時代には、いわゆる偏屈ジジイとか頑固親父がたくさんいて、煙たい存在ながらもためになることをいってくれるようなところもあった。だけど、いま「老害」と呼ばれるおっさんたちを見ていると、あまりに身勝手で「ああはなりたくねえな」と感じることが多いからさ。
そもそものことをいうと、俺自身は40代まではまさに好き勝手に生きてきたんだよ。水道橋博士と一緒に「これがお笑いなんだ!」という根拠のないプライドを持って、浅草キッドの漫才をひたすら追求していたから。「別に天下を獲ったといえるほど売れなくてもいい」という開き直りもどこかにあって好き勝手やってきたから、結果として周囲に迷惑をかけることもあったように思う。
でも、50代にもなってくると、かつての自分を否定することはしないまでも、「もう少し柔軟性があってもよかったのかな?」「もっと人の意見に耳を傾けてもよかったのかもしれないな」って思うところもあるんだ。好き勝手に生きてきたうえに、老害なんて呼ばれるようになったんじゃ目もあてられないじゃない。
もちろん、芸人としてはまだまだ身勝手に面白さを追求していってもいいと思う。だけど、ひとりの大人としては、謙虚に生きるということを目標にしたいよね。
【長谷川晶一】
謙虚に生きるということは、自分に制限を課すということでもあると思いますが、そうすることのメリットは?
【玉袋筋太郎】
老害と呼ばれないことは大前提として、ものごとをじっくり見ることができるんじゃないかな? 制限なく、いわば広角レンズでものごとを見ようとすると、この年だと、もうくたびれちゃうもん。いい意味で意図的に視野を狭めてじっくり見て判断する。俺はそっちを選んでいる気がするな。
健康は大事。だけど、ヴィンテージのよさもある
【長谷川晶一】
それなりの年齢になると、健康について考えることも増えてきます。玉袋さんは、なにか健康法を取り入れていますか?
【玉袋筋太郎】健康が大事なのは十分に理解しているよ。ただこれまでもさ、「バナナダイエットだ」「納豆ダイエットだ」とテレビで紹介されるたびに、バナナや納豆が売り切れたって話もあったよね。
ダイエットに限らず、健康法は流行っては廃れ、また新しいものが出てくる。ただ、そんなに必死になって健康法を試したところで、150歳まで生きたなんて人に出会ったことがないよな(笑)。俺はさ、アンチエイジングのアンチ、いわば「アンチ・アンチエイジング」という考えを大切にしているんだよね。
【長谷川晶一】
「アンチ・アンチエイジング」で、自然体でいる。
【玉袋筋太郎】
そうだね。俺の場合は酒の飲み過ぎで、「γ-GTP(肝機能の指標)」の数値なんかは気にしないと駄目な立場なんだけど、ヴィンテージもののよさというものもあると思うんだよ。シワ1本だって、その人の味になってるじゃない。むしろ、80歳も過ぎてツルンとした味わいのない顔の人間になんてなりたくねえな。80歳も過ぎてツルツルの肌なんて、なんか魂胆があるような気がしてならねえもん(苦笑)。
人間は絶対に重力には抗えないし、年を取れば尻だって垂れてくるよ。でも、それが人間として自然なことだし、老いることで出てくる味につながるはずなんだよな。
むかし、俺の両親は新宿で雀荘とかゲイバーなんかをやっていてさ、そこにはおじさんたちがたくさん来ていたんだよ。中学の頃にそのおじさんたちを見て、「ああ、俺も早くおじさんになりてえな」っていつも思っていた。
【長谷川晶一】
「おじさんになりたい」というのもまた、珍しい中学生ですね(苦笑)。
【玉袋筋太郎】
うん。でもみんななんだか格好よかったんだよ。俺も既に57歳で、やっとおじさんになってきて、まずまずのレベルのおじさんになってきたよ。まだまだ完成形じゃないけれど、それなりのおじさんにはなれた気がしている。
母の認知症の進行、孫の誕生から考える「老い」
【長谷川晶一】
老いを考えた場合、自分より先に老いていく親との向き合い方も中高年にとっては重要なトピックになります。著書では、お母様が認知症を発症していることについても触れられていました。
【玉袋筋太郎】
おふくろは80歳になる頃から認知症になって、しばらくは自宅介護を続けていたんだけどさ、それも難しくなって2017年に施設に入ってもらうことにしたんだ。車におふくろを乗せて施設に送っていく道中なんて、心から落ち込んだよな……。まさに、姥捨て山に老親を捨てる映画『楢山節考』(1983年作品)の緒形拳の心境だったもん。
ところが、あとでおふくろがいうんだよ。「考えたのよ。最初はこんな場所にわたしを置いていくなんて酷い息子だと思ったんだけど、わたしをここに置いていったあんたのほうがつらかったでしょう」って……。自分の親ながら、すげえことをいうなって。
【長谷川晶一】 老いていく親の姿から学ぶこともありますか?
【玉袋筋太郎】
親が老いていく姿を見ることは誰だってつらいよ。だけど、その姿を見ることは、「人間が生きること」「人間の命」というものを、あらためて教えてくれる機会になると思う。そうして老いていく親の姿を見届けていくなかで、今度は俺自身がどうやって老いていくのか、どうやって死んでいくのかということを考えることになる。
それに、老いていくのは悪いことばかりじゃないよ。おふくろの場合、認知症が進行するなかで、いいことも嫌なことも含めて過去の記憶を忘れていっているみたいなんだ。
それは息子の俺からするとショックなことでもあるんだけど、おふくろは、死んだ俺の親父やじいちゃん、ばあちゃんといま一緒に平和に暮らしているっていうんだよ。それは悪いことじゃないし、むしろいいなと思えたよ。
【長谷川晶一】
お母様のお話と対照的ともいえるかもしれませんが、2022年の春、玉袋さんは「じいじ」になられましたよね。
【玉袋筋太郎】
孫の誕生からも、老いについて考えることもあるよね。俺のせがれはカミさんの連れ子だから、俺は出産に立ち会ったことはないし、赤ん坊の面倒もろくに見たことがなかった。だから、はじめて孫を見たときは、まだなにもできないのに一生懸命生きようとしている姿に、とにかく「すげえな」って感動しちゃったよ。
でも、「ちょっと待てよ、俺もそうだったじゃねえか」って。生まれたばかりの頃の俺を、じいちゃんやばあちゃんはどういう気持ちで抱いたんだろうなんて考えるよ。自分が生まれて半世紀以上が経って、いい意味でのブーメランが返ってきたんだ。こんなことは、自分が老いて孫が生まれなければ絶対に考えなかったことだよ。
年相応に、「いい味を出してきた」といわれたい
【長谷川晶一】
最後に、これから玉袋さんはどのように生きていきたいのか、心づもりのようなものをお聞かせください。
【玉袋筋太郎】
それはもう「発酵」して生きていきたいよね。一方で、「腐敗」はしたくない。発酵している状態なら絶品となる珍味も、一歩進んで腐敗してしまったらただの腐った食い物になって腹を下すことになるからさ。「あいつは食えねえ野郎だ」より、「いい味を出してきたな」っていわれるほうがいいじゃない。ひと粒3,000円くらいする数年ものの梅干しみたいになりたいわけよ。それが、俺にとって「美しく枯れる」ということだね。
【長谷川晶一】
腐敗すると食べられないけれど、発酵食品なら食べられるし、しかも美味い。
【玉袋筋太郎】
フグの卵巣なんてすごい食い物だぜ。元来、毒性が強いのに、数年間糠漬けにしたら毒が抜けて信じられないくらい美味くなる。若い頃は釣ったばかりの鯛を船上でさばいて、まだ口がパクパクしている状態で踊り食いするような華やかな素材に魅了されたものだけど、50代になったらあらためてこのわたや塩辛の旨みがさらに理解できるようになった。
人間だってそうだよな。若い頃はとげとげしていて、「売れたい」「儲けたい」「モテたい」と欲望にまみれているのに、「人生」という糠床に浸かることで毒素が抜けて、いい味が出てくる。
このスタンスは、中高年の仕事術にも通じるんじゃないかな。俺の場合も、50代になったことで、ちょうどいい具合に発酵が進んで、ようやく年相応の渋み、辛み、塩みのようなものが評価されるようになってきた。
せっかく発酵大国ニッポンに生まれたんだから、そこに感謝しつつ、日本の中高年たちは発酵しながら美しく枯れていってほしいよね。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 文/清家茂樹 写真/石塚雅人
玉袋筋太郎(たまぶくろ・すじたろう)
1967年、東京生まれ新宿育ち。高校卒業後、ビートたけしに弟子入りし、1987年に水道橋博士とお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。芸能活動のかたわら、多数の本を手がけ、小説デビュー。社団法人「全日本スナック連盟」を立ち上げ、自ら会長を務める。主な著作に、『粋な男たち』(角川新書)、『スナックの歩き方』(イースト新書Q)、『痛快無比!プロレス取調室~ゴールデンタイム・スーパースター編~』(毎日新聞出版)、『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』(新潮文庫)などがある。
長谷川晶一(はせがわ・しょういち)
1970生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。2005年より、プロ野球12球団すべてのファンクラブに入会する、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家®」。著書に『生と性が交錯する街 新宿二丁目』(角川新書)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)、『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』(KADOKAWA)など多数。
※本稿は、マイナビ健康経営が運営するYouTubeチャンネル「Bring.」の動画「新刊『美しく枯れる。』が話題沸騰! アンチ・アンチエイジングで発酵する、玉ちゃん流・人生後半戦の歩き方」で配信された動画の内容を抜粋し、再編集したものです。