南海電気鉄道は10月30日の取締役会で、鉄道事業の分社化へ向けた準備の開始を決議した。創業事業を分社化するとあって驚きもあるが、鉄道が切り捨てられたわけではない。鉄道と不動産が連携して成長するという「日本型私鉄経営」が終わり、鉄道会社の単独独立で、これからの鉄道事業は安全・サービス面の経営判断が速くなる。鉄道利用者や従業員にとって、むしろ前向きな話だろう。
南海電鉄は関西を代表する大手私鉄のひとつ。その南海電鉄が鉄道事業を分社化する。有名企業の経営大改革でもあり、大きなニュースになった。分社化とは、親会社が100%出資して子会社を設立することであり、一見、創業事業の本業を手放すように見えるが、鉄道事業の子会社化は地方鉄道にも事例が多い。大手私鉄のホールディングス化も含めれば、珍しいことではない。
鉄道と沿線の一体開発の時代が終わった
南海電鉄と似た事例として東急を挙げる。東急は2019年に鉄軌道事業を分社化した。それまでの「東京急行電鉄株式会社」が親会社の「東急株式会社」になり、新たに設立された鉄道事業会社が「東急電鉄株式会社」になった。
東急電鉄といえば、渋沢栄一の田園都市構想をもとに、鉄道と不動産の両輪で開発を進め、相乗効果を高めてきた。戦前は田園調布、戦後は多摩田園都市がその象徴となった。安価に広大な土地を取得し、そこへ鉄道を建設して、住宅をはじめとする沿線の不動産を開発する。土地の価値が上がり、鉄道の利用者も増える。沿線の開発が成熟したら、また鉄道路線を延長し、新たな「沿線土地」を設定して不動産業を展開する。
しかし、この好循環はいつまでも続かない。鉄道路線の延伸が止まれば、新たな「沿線土地」を得られない。そこで東急は観光業と都市開発事業を沿線外に求めた。奈良県奈良市、徳島県徳島市、福岡県筑紫野市、石川県金沢市、神奈川県県央湘南地域、愛知県知多市、北海道などに進出していき、鉄道の代わりに流通・ホテル等の基幹商業施設も組み合わせた。
この勢いは海外へと広がる。そこは東急の鉄道沿線ではなく、鉄道と開発事業の相乗効果はリンクしない。一方、創業事業の鉄道のほうは複々線化や相互直通運転、立体交差などの輸送力強化に注力する必要が出てきた。さらには老朽化した施設の補強と建替え、省エネ、沿線人口の減少といった課題も多い。東急は生活沿線ブランド化に成功したため、2035年まで人口は増加し、そこから下降に転じるという予測もある。利用者数は増えるが、その先の減少も見える。
東急の不動産観光部門が沿線外の新天地を求める一方、鉄道は沿線の足固めを行う必要がある。阪急電鉄の創始者・小林一三が発明し、東急の五島慶太に伝授した「沿線一体ビジネスモデル」は、もはやビジネスの主役ではなくなった。東急の分社化は「日本型私鉄経営」の転機だったといえる。
南海電鉄は参詣鉄道として建設した高野線の沿線で大規模な宅地開発を行った。とくに1995年の河内長野~橋本間の複線化と「りんかんサンライン」の愛称決定は、「橋本林間田園都市」の開発に貢献した。高野線を通勤生活路線に変化させる事業の集大成ともいえた。
鉄道の延伸は1994年に空港線の開業があったものの、空港線沿線のりんくうタウンは大阪府主導の開発だったため、南海電鉄の不動産事業にとって旨みはなかった。その一方で、南海電鉄の完全子会社となっていた泉北高速鉄道の吸収合併は「新しい南海沿線」の獲得につながっている。泉北高速鉄道が南海電鉄「泉北線」になると、運賃が通算になるため、鉄道事業は減収となってしまう。それでも、「泉北高速鉄道沿線」が「南海電鉄沿線」になる意味は大きい。
南海電鉄の今後の新路線として、2031年開業予定の「なにわ筋線」が控えている。しかし、都心側だから沿線開発の余地はない。むしろ南海電鉄にとって初となる都心直通運転により、一部の列車が難波駅を通過してしまう。南海電鉄としては、拠点駅である難波駅周辺のまちづくりが課題になる。ここも東急が渋谷駅周辺を再開発する事情と似ている。
泉北高速鉄道の吸収合併が終われば、その後に新たな沿線土地は生まれない。南海電鉄が成長するためには、沿線外に不動産事業・観光事業を広げるしかない。
ただし、100年以上も鉄道事業を続けてきた南海電鉄は、沿線外の土地でも企業の信頼度が高い。沿線外の土地で勝負するなら、「鉄道事業と相乗効果はあるか」という価値基準は不要になる。鉄道と切り離して不動産業の成長と拡大を狙いたい。
鉄道事業の課題解決にスピード感が必要
鉄道事業を分社化する理由として、おもに「経営の独立」と「経営判断のスピードアップ」が挙げられる。「経営の独立」は地方鉄道で用いられる。たとえば鉄道、流通、観光、不動産を手がけていて、鉄道の赤字を他の事業の黒字で補っているとする。鉄道に足を引っ張られるくらいなら、鉄道を廃止したい。しかし、地域の交通手段として残す必要がある。そこで自治体から支援を受けたい。その際、自治体としては鉄道事業への支援だと明確にしてもらいたいだろう。だから鉄道事業を分社化する。上田交通から分社化した上田電鉄、一畑電気鉄道から分社化した一畑電車などの例がある。
東急や南海電鉄といった大手私鉄の分社化は、「経営判断のスピードアップ」が主体となる。「新型車両を導入したい」「新しい中間駅を作りたい」というような「鉄道事業の専決事項」であっても、金額が大きくなれば会社全体の判断が必要になる。取締役会には、鉄道事業担当の他に各事業担当の取締役がいる。それぞれ自分の担当事業が大切であり、その結果、取締役会全体が鉄道事業に理解があるとはいえないし、最終決定までに足踏みするおそれもある。分社化すれば、鉄道事業会社は鉄道の事案を優先して決定できる。
直近で南海電鉄が持つ課題は何か。
なにわ筋線の開業
大阪駅(うめきたエリア)の地下ホームから南下し、京阪電気鉄道の中之島駅付近を経由して難波方面に至る路線。大阪駅から(仮称)西本町駅まで南海電鉄とJR西日本が共用し、(仮称)西本町駅で分岐して、南海電鉄の(仮称)南海新難波駅を経由して新今宮駅に至り、南海本線などに合流する。新大阪駅から関空・和歌山方面へ直行できるだけでなく、高野線経由で高野山方面とも結ばれる。
関空特急「ラピート」の更新
なにわ筋線と関連して、南海電鉄が関空方面へ運行する特急列車も大阪駅(うめきたエリア)の地下ホームから新大阪駅へ延長運転が計画されている。ただし、現行の関空特急「ラピート」は前面に非常口がないため、地下区間を走行できない。そこで、なにわ筋線の開業に合わせて新型車両を投入したい。ただし、新大阪~大阪~関西空港間はJR西日本の特急「はるか」と競合する。JR西日本との熾烈なサービス競争が予想される。
働き方改革
長時間連続労働を禁じた労働基準法改正によって、人員の不足が深刻化している。従業員の待遇改善と、自動化による負担軽減が急務となっている。
施設老朽化と安全施策
自然災害リスクと防犯対策の強化、施設改善による重大事故防止、ホームドアやバリアフリー設備の充実、踏切の安全性向上、車両・線路・信号設備の更新または改善による保安度向上などの課題が山積みになっている。デジタル技術を駆使した安全システムの整備、安全を支える人材の育成、車両・線路の保守技術の継承によって解決していく。
これらの課題に関して、沿線の不動産事業との連携はさほど重要ではない。不動産業が沿線外に進出して鉄道事業と関連しなくなったように、鉄道事業も沿線外の利用者を呼び込むとき、沿線の不動産事業に忖度する必要がなくなっている。つまり、鉄道事業と不動産業はそれぞれの役割に向かって独自の判断を進められるようになる。
鉄道会社で「持株会社化」も進んでいる
近年、大手私鉄が持株会社を設立し、鉄道事業を子会社化した事例が多い。とくに関西において、近畿日本鉄道が近鉄グループホールディングスの子会社、京阪電気鉄道が京阪ホールディングスの子会社、阪急電鉄と阪神電気鉄道が阪急阪神ホールディングスの子会社になっている。関東の大手私鉄も、西武鉄道が西武ホールディングスの子会社、相模鉄道が相鉄ホールディングス株式会社の子会社になった。いずれも鉄道事業に特化し、意思決定のスピード感を高めるために子会社化された。
持株会社化と分社化はどちらも子会社化である。持株会社化はすべての事業を子会社化する一方、分社化は本社直轄事業を残して子会社化する点が異なる。どちらであっても、会社の規模を小さくして事業の独立性を高め、経営判断を高速化するねらいがある。
その良い例が阪急阪神ホールディングスだろう。阪急電鉄が持株会社の阪急ホールディンクスを設立して鉄道事業を子会社化した後、阪神電気鉄道の株式を公開買付けして子会社化した。持株会社に「阪神」の名を入れ、「阪急阪神ホールディングス」になった。当時、阪神電気鉄道は企業乗っ取り騒動に巻き込まれており、阪急ホールディングスが救済した形となった。
阪急電鉄が競合関係にある阪神電気鉄道を合併しても、商圏が重なって利点が少ない。そこで、持株会社が「新たな投資先を獲得し、グループの商圏拡大を狙う」という意図で阪神電気鉄道を傘下に収めた。かつてライバルだった鉄道会社同士で合併するより、独立性を維持し、競争力の維持と経営判断の高速化を狙っている。持株会社制度だからできた施策といえる。
鉄道会社は歴史もあり、信頼もあり、それゆえに多角経営によって大きくなりすぎた。鉄道事業の本業に専念することで、利用者により良いサービス、従業員に働きやすい環境を提供できる。南海電鉄の鉄道事業が躍進することを期待したい。