◆75日間、毎日2回登頂したこともある“ミスター富士山”
御年81歳にして、これまで2,230回も富士山を登頂してきた、“ミスター富士山”の實川さん。「昨年の2023年が富士山の年だったんですよ。その年に偶然にも2,230回の富士山登頂を達成することができたんです。9月10日の閉山の日に」と胸を張ります。
そんな實川さんが、富士山を登り始めたのは、42歳のとき。つまり、約40年がかりで達成した記録ながら、「日本の山は、どこでも夏山シーズンとシーズンオフがあります。その山によってシーズンが決まっているんですけど、富士山は、山梨県側が7月1日から9月10日まで。静岡県富士宮市側が7月10日から9月10日までなんです」と補足します。
それを聞き、小山は「意外とシーズンという点では短いんですね」と驚きつつ、「2ヵ月ちょっとしかない……ほぼ毎日登るってことですか?」と質問。
すると實川さんから「1日1回では積雪期は足がやられますから。なので、大体ゴールデンウィークから12月末まで、大体1日、2往復を基本として登りました」との回答に、宇賀は「2回!? 頂上まで行くんですか? そんなことできるの!?」と驚きの声をあげます。
思いもよらない回答に、小山が「どんなスケジュールなんですか?」と尋ねると、實川さんは「大体、登りに2時間半前後かかるんですね。ゆっくり歩いてですよ。その代わり休憩はしません。下りは大体1時間半」とあっけらかんと言ってのけます。ちなみに、實川さんいわく、普通の人だと登りは4~5時間、下りに3時間前後かかるそう。
さらに宇賀から「そもそもどうしてそんなに富士山がお好きになったんですか?」との質問に、「本当は登るつもりはなかったんです」と實川さん。42歳のときに、“人生に1回ぐらい記念に富士山に登ってみたい”ということになり、家族5人で最初で最後の富士登山をしたと言います。
ところがその後、實川さんが勤めていた会社に中国から研修生20人が1年交代で来日することになり、「(彼らが)『富士山に登りたい』って言うものですから、私の車で4人ずつ、年間5~6回案内しました。頂上に着いた途端、地に伏して泣き出す女性がいて『登れたのがうれしくて泣いた』と。下山時に、『中国はどっち?』って言うから『こっちだよ』って指を差すと、国に残してきたお子さんの名前を呼ばれて涙ぐむ女性もいたりして。それからバブルが弾けて研修生が来なくなったんですけど、研修生とのいろいろな思い出が残ったので、夏になると、富士山に足が向くようになりました」ときっかけを振り返ります。
そんなエピソードに、小山が「どちらかと言うと、人をきっかけに富士山に登るようになったということですね」とうなずいていると、實川さんは「研修生との出会いがなければ、いまの富士山の虜になっている私はありません」とキッパリ。
開山時には75日間、1日2登頂を続けたこともあるという實川さん。それを聞き、小山と宇賀が膝や体への負担を案ずると、「膝よりも体全体の疲れが溜まります。ただ、富士山にいる間は何でもないんですよ。人間の気力ってすごくて富士山にいる間は疲れも何も感じないんですよね。それで車に乗って自宅に帰るまでの間に一気に疲れが出てきます(苦笑)。着いたら約30分歩いて写真を現像しに行くんですよ。その後は焼き鳥屋に行って1杯飲むんです。それが自分へのご褒美。それで帰宅して寝て、朝はやっぱり(前日の)疲れが溜まっていますね。それでもまた(富士山に)行かなきゃ駄目ですから」とルーティンを語ると、思わず小山から「いや、行かなくてもいいと思うんですけど(笑)」とのツッコミが。
しかし、實川さんは「私は決めたことをやらないと気が済まないんですよ。車に乗って、富士山に着くまでの間にだんだんと気合が入ってくるんです」とタフネスぶりを明かします。
また、“手紙”がテーマの当番組にちなんで、小山が「今度は手紙にもハマってもらって、毎日、富士山の山頂から手紙を出すのはどうですか?」と提案すると、實川さんは「山頂から暑中見舞いを出すと皆さん喜ばれます。山頂のスタンプがありますから。皆さん感動して返信をくれますよ」と話していました。
<番組概要>
番組名:日本郵便 SUNDAY’S POST
放送日時:毎週日曜 15:00~15:50
パーソナリティ:小山薫堂、宇賀なつみ
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/post/