基本理念の中心に「食料安全保障」を据えた意味
この度の食料・農業・農村基本法改正の主なポイントは5つである。
①食料安全保障の確保を基本理念の中心に位置づけ ②環境と調和のとれた食料システムの確立 ③人口減少下における農業生産の方向性の明確化 ④人口減少下における農村の地域コミュニティーの維持 ⑤「食料システム」の位置付けと関係者の役割の明確化 |
基本法改正案を取りまとめるまでには、2022年9月から2023年9月まで17回の検証部会が開かれ、改正法案は2024年2月に国会に提出された。多くの議論が行われたが、いずれも関係者の危機感が改正へのエネルギーとなっていたようだ。改正基本法をひもとく第1回となる本記事では、基本理念の中心に据えられた「食料安全保障」について掘り下げる。また、基本理念を実現するために必要な制度整備について、現段階で計画されている内容を示しておきたい。
食料に関する基本理念の一つだった「食料の安定供給の確保」が「食料安全保障の確保」に改正され、基本理念の中心に位置づけられた意味は大きい。食料安全保障の確保とは、「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、国民一人一人がこれを入手できる状態」にすること。つまり、十分な供給量があればいいだけではなく、一人一人に食料が行きわたっているかどうかを重視している。
裏を返せば、食料の入手が困難な人たちがいるという実態(食品アクセス問題)があり、国として対策を取らなければならないほどに深刻になっている、ということになる。この背景には、世界的な課題、すなわち「世界的な食料需給の不安定化」と、国内課題としての「国内の食品アクセス問題の増大」「人口減少に伴う国内市場の縮小」「デフレ経済下での低価格定着」がある。
世界的課題として把握しておく必要があるのは、気候変動、世界的な人口増加、不安定な国際情勢などの食料の安定供給に対するリスク要因が、見過ごせないレベルまで大きくなっていることだ。
世界的課題の影響をできるだけ避けるには、国内の農業生産を増やして自給率を上げることが必要だ。だが、日本が輸入に依存せざるを得ない現実を見れば、「自給自足」という理想も絵に描いた餅でしかない。
そのため、農業生産の増大を基軸としながらも、いかに輸入の安定化を図り、いざというときのための備蓄を確保するか、併せて対策を進めることとした。世界的な変化と必要な対策については、第2回の「『持続可能な農業』は世界の課題」の中で詳しく解説したい。
一方、国内に目を向けると、地方の過疎化、高齢化、貧困・格差の拡大、人口減少、デフレ経済といった、日本の将来を脅かす社会要因が、食料安全保障の観点でも大きなリスクとなることが明らかだ。
「過疎化、高齢化、貧困」は国民一人一人が良質な食料品にアクセスすることを阻害し、「人口減少、デフレ経済」は食料の供給構造そのものを不安定にするため、さらに食品アクセス問題を悪化させる可能性がある。
食品アクセス問題の現状と施策
現在、国内の食品アクセス問題は、次のような状況になっている。
・地方の過疎化が進めば、農業の担い手が減少するだけでなく消費者も減少し、商売として成り立たないため生産品を流通させる事業者(小売店・スーパーなど)がいなくなる。良質で合理的な価格の食料品を入手したくても、店そのものが近隣からなくなっていく事態が生じている。
・自動車の免許返納で自由に移動できなくなったり、一人暮らしで生活のサポートを得られない状況に置かれたりすることにより、買い物ができなくなる高齢者が増加している。こういった食品アクセス困難人口(店舗まで500メートル以上かつ自動車利用困難な65歳以上の高齢者の数)は2020年に約900万人に達し、都市部や農村部などの特定地域に偏らない全国的な問題となっている(下図)。
・同じく全国的に問題となっている貧困や格差の拡大は、「良質な」食料品へのアクセスができなくなる人を増やしている。日本の貧困率15.7%(2018年)は各国と比べても高く、1世帯当たりの平均所得金額が減少しているだけでなく、平均所得以下の世帯割合が増加している(下図)。
全国でこども食堂が増加し続けている(2021年に約6000カ所※1)のは、貧困問題に取り組む非営利団体が尽力している結果だが、それらの活動を国家レベルで支える仕組みが必要な段階に達している。
食品アクセスに対する具体的な施策としては、「食料の円滑な入手の確保」の条項が新設された。
この中で、「食料輸送手段の確保」として物流拠点の整備、産地から消費地までの幹線物流対策、消費地における移動販売の推進を、「食料の寄付促進の環境整備」としてフードバンクやこども食堂などの取り組みに地域関係者が連携する体制づくりへの支援を掲げている。
※1 認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ「こども食堂全国箇所数調査2021」より
人口減少とデフレ経済による農業・食品産業の衰退は止められるか
輸出支援で農業・食品産業のモチベーションを高める
もはや、人口減少を止める手立てを考えるのではなく、人口減少を前提とした社会モデルの構築を考えなければならないステージに立っている。このまま何もしなければ国内市場は縮小し、それに応じて農業生産基盤や食品産業の事業基盤が衰退していくのを止めることはできない。
しかし、「世界的な食料需給の不安定化」というリスクへの対応策として国内の農業生産を増大させようとするならば、食料の供給能力を維持できるだけの成長可能性を農業・食品産業に携わる人々に示していく必要がある。そのための施策が、海外への輸出を安定的に成長させていくための仕組み作りだ。
具体的には、「農産物の輸出の促進」の条項を新設。以下5つの項目を規定した。
①輸出産地の育成 ②輸出品目団体の取り組みの促進 ③輸出相手国における販路拡大支援(輸出支援プラットフォームなど) ④知的財産権の保護 ⑤輸出条件の協議(動植物検疫など) |
輸出先を成長市場として育てることにより、国内で事業に携わる人々の成長意欲を高める。また、原発事故とALPS処理水の海洋放出に伴い日本からの輸入規制措置をとっている国・地域に対して、政府は科学的根拠のない輸入規制として即時撤廃の働きかけを続けるとしている。
適正な価格を形成する
長く続き出口の見えないデフレ経済も、衰退を促す要因として立ちはだかっている。デフレ経済は低価格を定着させ、国内外のコスト増を価格に転嫁しづらい事業環境を生んでいる。そのため、農業に携わる人々の収入を不安定にするだけでなく、新たな取り組みや技術導入への積極的な投資を阻む要因にもなる。
これを変えるため、食料安全保障を柱とする新たな基本理念の一つとして提示されたのが、「合理的な費用を考慮した価格形成」だ。食料の価格に需給事情や品質評価を適切に反映しつつ、持続的な供給ができるよう、農業者、食品産業の事業者、消費者などの食料システム(※2)の関係者によって合理的な費用が考慮されるようにしなければならないと規定した。これにより「合理的な価格の形成」をどのように行うか、その仕組み作りが検討されることとなった。
※2 食料の生産、加工、流通、消費に関わる一連の活動。
農水省は、2023年8月に設置した「適正な価格形成に関する協議会」で、基本法の改正に先んじて検討を開始している。この協議会では、生産者である農林水産業の事業者から食品産業を経由して消費者に至るまでの各段階の関係者が一堂に集まって適正な価格形成のあり方を協議することとしている。
協議会のメンバーに消費者まで加わっているのは、「合理的な費用を考慮した価格」が意味するのは消費者にとっての「値上げ」であるため、消費者の理解を得ながら進めていく必要があるからだ。
具体的な検討のステップとしては、品目ごとにコストの実態を調査した上で、コストの指標化・見える化を行い、持続可能な食料システムを実現するための価格形成の仕組みを新たに法制化する。新たな法律については、2025年中に法案を国会提出する見込みだ(下図)。
基本法改正を受けた政策の進め方
食料・農業・農村基本法は農業政策の基本理念と方向性を示すものなので、具体的な施策に落とし込んで実行に移すためには、さらに新たな法制度をまとめ、既存の法律を見直すなどの作業が必要となる。それらの関連新法・改正法も含めた全体的な取り組み方針となるのが「食料・農業・農村基本計画」だ。
これまで、基本計画はおおむね5年ごとに改定されてきたが、今回の基本法改正を受けて基本計画も見直しに向けた検討が進められている。2024年度中には新たな基本計画がまとめられる予定だが、「早期に打つべき施策は打つ」方針により、食料安全保障の強化に向けて施策を集中的に実施していくという。
また、6月14日に成立した関連3法の中で、「スマート農業技術活用促進法」は2024年中に、「食料供給困難事態対策法」と「農振法等改正法」は2025年中に国の基本方針・指針が策定される。
さらに、食料システムの持続性の確保に向けた合理的な価格の形成や、人口減少下における土地改良の在り方などは新たな関連法案をまとめ、2025年中の国会提出を目指す。
基本法改正により農業政策の基本理念は改められたが、具体的な施策として運用されるまでには、まだ時間を要する見込みだ。すべての枠組みが整うために継続的に検討される事項も多いため、今後の動きを引き続き注視していきたい。
出典
農林水産省: