H-IIA 50号機のミッション
H-IIA 50号機は、JAXAの温室効果ガス・水循環観測技術衛星「GOSAT-GW」を搭載し、所定の太陽同期準回帰軌道に投入することを目的としている。
打ち上げ時期は2024年度中の予定で、具体的な日時は調整中としている。
50号機は、SRB-A3を2本装着するH-IIA 202型で、直径4mシングルローンチ用フェアリング(4S型)を搭載する、最も標準的な構成で打ち上げられる。
ただし、コア機体はSRB-Aを4本装着する204型の仕様で造られた、“特殊仕様”になっている。
H-IIAは50号機で最後になることが決まっていた一方で、どのような衛星を積むかはあとで決まることになっていた。万が一、202型では打ち上げられない大きな衛星を積むことになった場合、従来なら204型の機体を造って打ち上げ順を入れ替えるなどすれば対処できたものの、最終号機ではもう次がないため、そうはいかない。そこで、そうした場合に備えて、コア機体だけは204型の仕様で造ったのだという。
実際に打ち上げることになったGOSAT-GWは、H-IIA 202で十分打ち上げられる衛星であり、したがって50号機はSRB-A3を2本しか装着しないにもかかわらず、コア機体は204型の仕様――エンジンカバーが大型のものを使っていたり、エンジン部の外板が補強されていたり――になっている。ちなみに、同じような形態は2009年打ち上げの15号機で実績がある。
また、ロケットの段間部には、最後の打ち上げを記念した特別なデカールを貼るという。機体公開が行われた時点ではまだ貼られておらず、どんな絵柄になるかはお楽しみとのこと。
コア機体以外の部品のうち、SRB-A3は、種子島宇宙センターで燃料の充填を終えている。また、衛星を保護する衛星フェアリングは、メーカーである川崎重工の播磨工場で製造中だという。
これらは、種子島宇宙センターの大型ロケット組立棟の中でコア機体と結合され、初めてロケットとして完成し、そして打ち上げられることとなる。
また、50号機の製造にあたっては、最終号機ならではの、終わらせる難しさがあったという。
三菱重工の宇宙事業部マネージング・エキスパートを務める田村篤俊(たむら・あつとし)氏は、「これまでは、仮に組立中に部品を壊してしまっても、予備の部品を使ったり、後続号機で使う部品を持ってきたりして対処することができました。しかし、最後の50号機ではそうはいきません。バルブなど汎用品を使っているところはともかく、推進薬タンクは特注品のため代えが効きません。そのため、いつも以上に、慎重に慎重を期して作業しました」と振り返った。
H-IIAの50機という生産数は、日本の衛星打ち上げ用ロケットの中で最も多い。たとえばH-IIは1994年から1999年までに7機、その前のH-Iは1986年から1992年の間に9機の打ち上げ実績しかなく、2桁に乗ったのもH-IIAが初めてだった。
H-IIAの開発初期から携わってきた田村氏は、次のように振り返る。
「H-IIAより前のロケットは、開発して、技術を習得しただけで終わっていました。H-IIAも、最初はNASDA(宇宙開発事業団、現JAXA)さんの下のメーカーとして進めてきましたが、その後製造プライムとなり、13号機からは打ち上げサービス事業者となり、だんだん責任が大きくなり、育てられてきました。H-IIAは、技術の開発にとどまらず、ビジネスになったロケットでした」。
また、「どれひとつとして、易しい打ち上げはありませんでした」とも語る。
「試験機1号機の打ち上げ、6号機の失敗、7号機での飛行再開の成功と、いろいろと思い出はありますが、すべての打ち上げで、かなりの緊張があり、それを乗り越えて打ち上げ成功を続けることができました」(田村氏)。
三菱重工でH-IIAロケット プロジェクト・エンジニアを務める穎川健二(えがわ・けんじ)氏は、上司である田村氏から、かつて「一つひとつ、確実に」という言葉を教わったエピソードを披露し、「関係者の中で呪文のように繰り返し口にし、身に染み込ませることで、これまでやってくることができたと思います」と振り返った。
そして、50号機の打ち上げに向けては、「私がロケットに関わるようになってから、H-IIAはずっとこの工場にある機体でした。それがいよいよ最後というのは、感慨深く、寂しい気持ちもあります。ただ、最終号機だからといって必要以上に意識することなく、普段どおりの仕事をこなして、確実に打ち上げを成功させ、有終の美を飾りたいです」と語った。
コア機体は9月27日に飛島工場から出荷され、30日に種子島に到着し、その後種子島宇宙センターへ送られた。そしていま、飛島工場では、H3のコア機体が続々と製造されている。
H3は打ち上げ能力を高めているため、コア機体の太さも長さも、H-IIAより大きくなっている。さらに、色が薄い黄色になっている点が目を引く。
実は、H-IIAもH3も、生まれたての時点ではどちらも同じ、白に近い薄い黄色をしている。この色は、タンク表面に塗布している断熱材の色で、製造から時間が経つにつれて酸化して色が濃くなっていく。H3はH-IIAに比べ、打ち上げの高頻度化を目指して生産体制を見直したおかげで、製造から打ち上げまでの期間が短いため、薄い黄色を保ったまま私たちの前に姿を見せるのである。
曰く、黄色は太陽を連想させ、エネルギーやパワーにくわえて、希望や未来への期待感も表す色だという。それはまさに、H-IIAがこの四半世紀で築き上げてきた技術と経験を受け継ぎ、より大きなエネルギーとパワーで未来を切り拓こうとするH3を象徴するかのようだ。
その黄色いロケットは、オレンジ色のロケットが工場から出て行く最後の瞬間を、静かに、しかし頼もしく見守っていた。