繰上げ受給を選ぶ人は一定数いる一方、繰下げ受給を選ぶ人はほとんどいないのが実情ですが、実際にどちらの方がいいのでしょうか。通常のもらい方である65歳受給も含めて、検証してみましょう。

◆年金の受給開始はある程度選べる

現在、年金の支給開始は原則として65歳からとされています(性別や生年月日等により65歳前に老齢厚生年金が特別支給という形でもらえる人もいます)。ただし、本来の年金スタートの年齢にならなくても、前倒しで年金を受けることができます。これを「繰上げ受給」といいます。

反対に「繰下げ受給」といって65歳より後に後ろ倒しで年金を受けることもできます。家計の状況や個人の考え方に即して、柔軟に受給開始時期を選べるようになっています。

◆繰上げ受給にデメリットは多い

繰上げ受給は、60歳になっていればいつからでも受給を開始できます。ただし、本来の受給開始年齢から前倒しをした月数に「一定の率」を掛けて算出された減額率により減額され、減額は一生続きます。したがって長生きをすると損をする、ということになります。

「一定の率」は、生年月日によって決まっており、昭和37年4月1日以前生まれの人は0.5%、昭和37年4月2日以後生まれの人は0.4%となります(令和4年4月~)。

どのくらいの長生きで損をするかというと、人によって違うのですが、0.5%で計算する人の場合、多くの人は繰り上げてもらい始めてから16~17年後といわれています。

したがって、60歳からもらい始めると76~77歳くらいになると損をする計算ですね。その後は長生きすればするほど損は大きくなります。77歳前後というと、男女ともまだ平均寿命にも届いていない時期ですから、実際には損をする人の方が多い、ということになります。

0.4%で計算する人の場合は、多くの人が繰り上げてもらい始めてから20~21年後となります。こちらもやはり60歳で繰上げ受給を開始した場合は損をする可能性が高そうです。

減額の他にも、下記のようなデメリットもあります。

・65歳まで遺族年金と併給不可(繰上げ直後に夫が死亡した妻など、65歳以降の年金が減る可能性大)

・長期加入者特例、障害者特例は受けられなくなる

・在職中(厚生年金に加入している間)は老齢厚生年金に在職調整がかかる

・60歳以降に障害者になった場合、障害年金に該当しにくくなる

そんなデメリットが多い繰上げ受給ですが、なんといっても手続きをするだけである程度まとまった収入を得ることができますので、他に収入が何もなくなってしまった場合には非常に頼りになる仕組みであるといえます。

繰上げを選ぶ人の中には「早死にしたらもったいない」という考え方もあるようです。「元気なうちに年金をもらって、楽しみたい」とおっしゃる方もいます。

◆繰下げ受給のメリット・デメリットは?

繰下げ受給は、65歳より後に受給開始を後ろ倒しします。この場合、65歳前の年金(特別支給の老齢厚生年金)がある人は、その受給をした上で65歳時に繰下げをするかしないか判断することになります。

最低1年間据え置きするので、一般的には66歳スタートが繰下げの最短での受給開始です。昭和27年4月2日以後生まれの人は最高10年まで据え置きできるので、一般的には75歳までですね(昭和27年4月1日以前生まれの人は、繰り下げ受給の上限年齢は70歳)。

据え置いた期間の長さに応じて、1カ月あたり0.7%の率で増額計算され、増額は一生続きます。1年繰下げなら8.4%、5年なら42%、10年なら84%の増額ですね。空前の超低金利時代ですから、この増額率は魅力です。

ただし、据え置きすればもらえない期間ができますから、その分を増額された分で取り戻さなくてはなりません。取り戻し終われば、その後は得をするということになります。取り戻すために必要な期間は一般的には12年前後といわれています。66歳から繰下げ受給すれば、78歳で取り戻し、その後は得をする一方ということになります。

注意しなくてはならないのは、繰下げしても増えないものがある、ということです。

具体的には、

・加給年金

・振替加算

・在職し減額調整された部分

は増額計算の対象になりません。加給年金、振替加算はベースとなる年金を繰下げすると、一緒に止まってしまいますが、増額計算がないので実質捨てるのと同じになります。したがって、得をするようになるまでの期間も延びることになりますが、特に加給年金は額が大きいので、影響が大きくなりがちといえます。

繰下げは老齢厚生年金と老齢基礎年金で別々にできますので、こういった加算がつかない方だけを繰り下げるというのも有効かもしれません。

また、主に女性に多いケースですが、将来遺族年金を受けるようになると、自分の老齢厚生年金は仮に増額があっても、その分が遺族年金からマイナスされてしまうので、老齢厚生年金については元を取るためにはご自身だけでなく配偶者の長生きも必要になります。

◆税金、医療保険、介護保険……繰下げにはこんなデメリットも!?

公的年金も、年金額が一定の控除額を上回ると課税対象となります。年金収入が増えると税金や医療保険(国保や後期高齢者医療)、介護保険の保険料が増加してしまう場合もあります。

また、収入が多いと医療保険や介護保険の自己負担割合が増えてしまうことも考えられます。

繰下げで年金額が増えることは生活の安定につながりますが、その他の出費が増えてしまった結果、手取りは思ったほど増えなかった、という事態も考慮に入れておいた方がよさそうです。

◆繰上げ、繰下げ、通常受給のどれが一番いいの?

どれが一番かは、難しい問題です。個々人の家計の状況や考え方による、といえるでしょう。ただ、「年金で悠々自適は過去のこと」といわれ、潤沢とはいえない年金を目減りさせてしまう繰上げ受給は、避けられるなら避けた方がベターといえるのではないかと思います。

繰下げ受給をすれば年をとったときにもらえる年金額が確実に増えますが、寿命の問題もからんできますし、実際問題として「65歳以降年金がない、あるいは少なくても生活に問題がない」人でないと、繰下げはしたくてもすることができません。

経済的な事情や、年金に対する考え方、さらにいえば人生観そのものによって、一人一人に合った受給の時期を探っていくことになると思います。年金の受給開始は一生の問題です。あくまでも慎重に検討されることをお勧めします。

ちなみに、統計によると全年金受給者のうち、繰上げ受給を選択した人はおおむね2割となっています。一方、繰下げ受給を選択した人は1.5%程度となっています。このデータからすると、多くの方は65歳の通常受給を選択しているといえそうですが、繰上げを選ぶ方も一定数いる、といったところでしょうか。

人生100年時代といわれるようになり、以前よりは繰上げを希望する人が減り、繰下げに興味がある人が増えてきたように感じます。私自身が年金事務所の窓口で繰上げのお手続きをお受けするときには、きちんとデメリットを説明して慎重にお受けするようにしています。中には繰上げするつもりでおみえになったのに、説明を聞くうちに気が変わる方もいらっしゃいますね。

◆繰上げをしないためにはどうすればいいの?

繰上げをしないためには、65歳までの収入を確保する必要があります。具体的には以下のような方策が考えられます。

◇働く

まとまった収入を得るのには、働くのが一番です。今は65歳現役時代を迎えつつあり、企業や働き方によっては、その後も勤務を続けられることも多くなっています。真っ先に検討してみましょう。厚生年金に加入できれば、さらに老後の年金を増やすチャンスでもあります。

ただし、年金をもらいながら働く場合は、在職調整で年金が減額される可能性があることに注意が必要です。

◇個人年金保険を活用する

民間の保険会社等が販売している個人年金保険を活用してみるのも一助となるでしょう。

例えば5年確定で60歳から受け取って公的年金受給までのつなぎに使ったり、10年確定で60歳から受け取り、65歳から一部でも公的年金を繰り下げるなどの活用が考えられます。

◇国民年金基金や確定拠出年金を活用する

2017年1月から加入の門戸が広がった確定拠出年金(iDeCo)や、自営業の方ならば国民年金基金に加入するのも一つの方法です。

iDeCoは、一定の加入期間があれば60歳になれば受け取りが可能で、受け取りを遅らせることもできます。一時金での受け取りと年金での受け取りが選択できます。国民年金基金は、年金のみの受け取りで原則65歳からですが、60歳から受け取れるプランもあります。どちらも節税効果のある年金ですので、検討してみる価値はありそうです。

◇貯蓄を取り崩す

潤沢な貯蓄があれば、わざわざ他に年金を用意しなくても済みます。一般に老後に必要な生活費は月25万円前後といわれていますが、60歳から65歳と考えると1500万円必要ということになります。これを用意するためには若いうちからコツコツと積み立てを続けていくことが大切です。

これらの対策を活用して、少しでも不安のない老後を送れるよう備えておきたいところですね。

文:綱川 揚佐(ファイナンシャルプランナー、社会保険労務士、年金アドバイザー)

金融機関在職中に1級FP技能士を取得後、社会保険労務士や年金アドバイザーも取得。年金記録確認第三者委員会勤務を経て、社会保険労務士・FP事務所を開業。法人向けの労働相談や、多数の年金相談業務等を行う。

文=綱川 揚佐(ファイナンシャルプランナー、社会保険労務士、年金アドバイザー)