慣行農業からの脱却を目指す東南アジア

フィリピンの水田の様子

「東南アジア全体として、有機農業が積極的に推進されている」と話すのは、JICA(国際協力機構)の生駒忠大(いこま・ただひろ)さん。「各国でワード選びは違うものの、タイやラオスなどの東南アジア諸国では有機農業推進を政策として掲げています。各国の2022年の農地面積に占める有機農業の割合は、タイ1.03%、フィリピン1.79%と、日本の0.33%に比べて高い国もあります」

生駒さんによると、東南アジアの中でもフィリピンは、政府が有機農業の普及に特に力を入れている国だという。2005年にはアロヨ大統領が有機農業法を発令。2012年に制定された国家有機農業計画では、具体的な数値目標も定めた上で有機認証農地の拡大を目指す方針が力強く示された。

「フィリピンが有機農業を政策的に推し進めるようになった背景には、国内の貧富の格差もあります」と生駒さんは言う。

東南アジアでは1960年代から、品種改良に加えて化学肥料や農薬を多用することでコメやコムギなどの穀物の収量を増加させる「緑の革命」による農業の技術革新があった。「中でもフィリピンは、品種開発を行ったIRRI(国際稲研究所)の本拠地が位置することもあって、化学肥料・農薬をふんだんに使いつつ収量増大を実現させてきた国です」(生駒さん)

農作物の収量を劇的に増加させた緑の革命は一部の農民に富をもたらしたが、一方で農民間の貧富の格差拡大にもつながったとの認識を生駒さんは示す。「フィリピンでは大きな農地を保有する農家がいる一方、農地を持たず地主から土地を借りて耕作する小作人のような小規模農家が多くいます。緑の革命は、こうした小作人にとってあまり利益にはなりませんでした。結果として、土地所有者と小作人との間の格差は広がったという報告も多い」

そこで白羽の矢が立ったのが、有機農業だ。有機農業では化学肥料や農薬を村の外から購入する必要がないため、生産コストの削減が見込まれる。2012年の国家有機農業計画においては「農業収入の向上」が目的として定められているように、フィリピン政府としては有機農業を小規模農家の貧困対策の一つとしても位置付けている様子がうかがえる。

生駒さん。JICA海外協力隊員として、フィリピンで2年間活動した

有機を推し進める政府、農家の冷ややかな反応

フィリピンでは、有機農業の普及を担うのは農業普及員だ。農業関連の民間企業があまり発達していない同国において、町に1人は必ずいる農業普及員は農家にとって大変重要な存在だと生駒さん。「国家有機農業計画においては、農業普及員が有機農業を普及させるという建て付けになっています。園芸や稲作において化学肥料や農薬を使用するような指導は禁止されていますし、実際に行っていません。反対に、有機農業の技術的なトレーニングが頻繁に行われています」

農業普及員の仕事は、慣行農法の代替となる有機農業の技術を伝えていくことだという。たとえば、ミミズ堆肥(たいひ)の普及などがそれにあたる。ミミズ堆肥とは、作物の残りカスや生ゴミなどを食べるミミズの生態を活用して有機物残渣(ざんさ)を堆肥化したものだ。その他にも、刺激的な成分を含む野菜や植物を発酵させたものを農薬として使うことで病虫害を防止する方法などを広めている。フィリピン政府としては、農業普及員を通してそうした有機農業の技術を広めたい模様だ。

ミミズを使った堆肥づくり。通称「ミミズコンポスト」

ところがフィリピン政府の思惑とは裏腹に、フィリピンにおける有機農業の普及状況は芳しいものではなく、「ほとんどの小規模農家は慣行農業を選択しているのが現実」と生駒さんは言う。FiBL(スイス有機農業研究所)のデータによれば、フィリピンの農地面積に占める有機認証農地の割合は2022年に1.79%であり、有機農業法が発令された2005年の0.12%、国家有機農業計画が制定された2012年の0.68%に比べると伸びてはいるものの、国家有機農業計画で掲げた目標の5パーセントには遠く及ばない。

「有機認証を取得した法人のリストを見たところ、掲載されていたのは海外に販路を持っていたり、観光農園を経営していたりするような企業ばかり。政策がターゲットにしていた小規模農家の間への広がりは確認できませんでした」(生駒さん)

堆肥づくりのトレーニングを受けているフィリピンの農家

販路の確保や認証コスト引き下げが有機農業普及の課題

フィリピン政府が有機農業を強く推し進めているのに、対象とする小規模農家の間に普及していない。その要因は何だろうか。

生駒さんは、有機農産物の買取価格を要因の一つとして挙げている。「農村や地方都市で、化学肥料や農薬を気にしている人はほとんどいません。色や形が良くて安いものが消費者には人気です。有機だからといって高く売れるわけではない」とのこと。首都のマニラなどでは多少は高く売れるものの、それでも「価格の上乗せ分は2割くらい」だそうだ。

有機農業のデモ圃場(ほじょう)。空き地を開墾して土地を確保した

有機認証を取得する費用の高止まりも課題の一つだと生駒さんは言う。「私も現地で調べたことがあるのですが、2019年当時、認証取得に要する費用は規模にもよるのですが日本円で5万円から10万円ほどでした。1人当たりのGDPが日本の10分の1くらいであることを考えると、小規模な農家さんにとってはかなり大きな負担です」

これらの要因に加えて、有機農業の普及を妨げる根源的な要因が、有機農業を実践する労力や難しさである。

フィリピンではミミズ堆肥の普及が進められていると上述したが、こうした堆肥づくりは各農家で行わなければならない。「人手はかかりますし、専用の設備を作るのであればセメント代などもかかります」と生駒さん。
このほか、有機農業では除草の手間もかかるほか、有機的な害虫忌避剤を手作りするならその手間もかかってしまう。買ってきた肥料や農薬をまく慣行農業に比べれば労力がかかることは明らかだ。

さらに、有機農業は環境に大きく左右されるためリスクが高く、畑ごとの試行錯誤が求められる。たとえば生駒さんがJICAの協力隊員として有機農業の普及を担当したとき、ある村でうまくいったトウガラシの栽培手法を別の村で試そうとしたところ、全滅してしまったことがあるという。有機農業をその地域・その畑で根付かせるためには、それぞれの環境に応じたプロセスが必要なのだ。だから有機農業は「地域的な技術」だと生駒さんは表現する。

有機農業と一言で言ってもその振れ幅は大きく、「地域や畑によって、有機農業の在り方は千差万別です」と生駒さんは言う。「慣行農業では化学肥料を使って圃場内の栽培環境を均一化して作物を生産できてしまう。しかし有機農業の場合は土壌や環境に強く左右されるので、一律化したマニュアルは意味を成しません。この技術やあの肥料を使えと政府が号令をかけてもうまくいきません。農家が個々に試行錯誤するしかないんです」

有機農業には大きな労力と高いリスクを払わなければならないのだから、それに見合った対価が求められる。しかし現状では、有機農産物だからといって高く売れるとは限らない。インセンティブ(取り組む動機)が見当たらない状況では、大金を払って有機認証を取得する農家が現れるはずはない。有機農業が普及しないことは、当然の結果だと言えるのかもしれない。

デモ圃場で有機農業に取り組む農家と生駒さん

日本のみどり戦略、有機の取り組み面積目標達成への道は

ここまで見てきた通り、フィリピン政府は有機農業を力強く推し進めてきた。しかし政策の効果は限定的だ。その原因としては、有機農作物の販路が確立されていないこと、有機認証を取得する費用が高いことが挙げられる。有機農業を実践するコストが高い中で、現行の政策だけでは有機農業が普及する未来は見えてこない。「東南アジア全体でも同じような状況なのではないか」と生駒さんは話した。

日本にも同様のことが言えるのではないだろうか。日本で実際に有機的な栽培に取り組む小規模農家から「有機認証を取得するのは面倒だ」という声を聞いたこともある。高齢化や人手不足が叫ばれる日本で、小規模農家が労働集約的な有機農業に切り替える難しさは、フィリピンよりも深刻かもしれない。

しかし販路については、徐々にではあるが広がりつつあることを感じる。生産コストに見合うほどの高値で売れているかは疑問だが、日本のスーパーの店頭には有機農産物が少ないながらも並ぶのを見かけるようになった。背景には、大規模農業法人などが有機栽培に取り組み、独自の販路で商品を展開させ、マーケットを拡大させている現状がある。有機農産物ニーズをうまく喚起できれば、フィリピンをはじめとする東南アジアとは違った状況が生まれるのではないだろうか。

消費者ニーズの呼び起こしや販路の確立など、確かに課題は多い。農業分野に限らず人手不足が叫ばれる中で、有機農業の生産コストをどのように抑えるのかも考えなければならない。山積する課題に向き合うヒントは、フィリピンの事例に眠っているのかもしれない。

【取材協力・画像提供】生駒忠大