「上司選択制度」「ドラゴンマネジメント」、さらに上司の通信簿や上司の活用マニュアルの作成!?
こうして並べただけでも、まるでゲームかドラマの中での非現実的なシステムだろうかと錯覚するが、実際に運用し、創業以来社員が増え続け、売り上げを伸ばし続けている会社があるという。
本当だろうかと疑問を抱いた筆者は、実態を探るためにその噂の会社を訪ねて創業者である社長にユニークな人事制度の背景などを聞いた。
社長の経歴は驚くほど異色!?
何とも画期的過ぎて、すぐには理解できない人事制度を取り入れているのは、建物の耐震性を高める構造設計を主な事業とする「さくら構造」。本社の自社ビルは札幌市北区にあり、東京、大阪、仙台、名古屋、沖縄にもオフィスを構えている。
同社のスタート地点は、社長である田中真一氏の実家の6畳間。2005年にたった1人で事業に着手した。2006年に法人化して現在の社員数は130名、非木造での構造設計棟数は日本一を誇るという。
さぞかし若いときから一級建築士としてひたすらキャリアを積み上げてきたのかと思ったが「いやいや、大学は行かずにすすきのの飲み屋で働いていました」と、田中氏。
「これからどうしようと考えるタイミングで、たまたま選択肢の1つとして一級建築士を目指そうと思い立ち、さらに構造という科目があると知ってはまったんです」
一念発起して専門学校で学び、起業後は試行錯誤の連続だったようだが、少しずつ社員が増えて社内の体制づくりにも追われるようになる。
「せっかく入ってくれた仲間が自分のペースで成長し、仕事にやりがいを見いだしてくれるにはどうしたらいいのかと考え続けていました。飲み屋での経験がすごく役立ったんですよ!」(田中氏)
こうして、かなりユニーク過ぎる数々の人事制度が、かなり異色な経歴の田中氏によって生み出されていったようだ。
ピンチには「ドラゴンマネジメント」発動!
8年前のある日、夜中まで1人でポツンと仕事をしている社員をみて「つらそうだ。どうして他の人が手伝わないのだろう」と田中氏は感じたそうだ。
起業してから一度も社員に「1人でやりきれ!」とは言ったことがないのに、スペシャリストを目指すならば1人でやりきることが成長につながるという思い込みがいつのまにか社員の間に浸透していたことに気づいたと言う。
そして、「1人でやりきることが難しい状況にはチームプレイに切り替える」と決めて、「ドラゴンマネジメント」制度を考案。
「ちょうどオンラインゲームをやっていたときに思いつき、わかりやすく伝えるためにネーミングも考えました(笑)」(田中氏)
ドラゴンとは、構造設計者たちの「技術」と「ウェルビーング(身体的・精神的・社会的に良好な状態にあること)」をマネジメントする奥義伝承者で、社内では班長と呼ばれている。現在は社長が率いる田中班を含めて7つの班がある。
納期が迫り、1人では無理そうだと感じたときに社員自ら「ドラゴン」を発動すれば、班長が他のメンバーに仕事の一部を振り分けてくれる。班長自身、または周囲の仲間が気づいて発動されることもある。
そんな非常事態以外のときでもそっと見守り、日常的に気にかけているのが「ドラゴンマネジメント」で、社員誰もが「ギブアップ」を言いやすい環境づくり、自分の能力の限界を受け入れて、ピンチのときは仲間同士で助け合おうという社風を育むのにも役立っているようだ。
合わない上司と働かなくていい? 「上司選択制度」
「人には個性があり、相性があります。だから、上司も選べるようになったらいいな」と、田中社長がまたまた思いついたのが「上司選択制度」。
社員1人ひとりが、相性をはじめ自分の成長に合わせてこの班長から学びたいと責任を持って選択するのが大前提。
毎年1回の社員アンケートで、どの班で働きたいかの希望と理由を書き添える。そして、班の人数のバランスなども考慮しながら人事異動を行う。
5年前に初めて導入した際には、7つあった班のうち1班が「どの部下からも選ばれず」消滅したそうだ。
その班長をどうフォローするか悩んだものの「非常に技術力が高く、超一流プレイヤーです。たまたまマネジメントは苦手だっただけ。神の手と呼ばれるほどの希少な人材ですから、その後は社長直属チームの一員として技術開発などで能力を発揮してくれています。班長だったときよりイキイキとした表情ですよ」と、田中氏は同制度の導入について手ごたえを感じている。
上司というのは1つの役割であり、人事異動はその役割が変わっただけと解釈するのが同社のスタンスのようだ。
また、班長それぞれに人間的な個性、得意分野、技術があるので、どんな人なのかわからないまま選択はできないだろうと、「各班長の特徴まとめ」と「班長活用マニュアル」も作成して全社員に公開した。
「特徴まとめ」は「売り上げの確保」「社員の不安や悩みのケア」など14項目において「◎(特に期待できる)」「×(期待してはいけない)」など4段階で表記され、班長の通信簿とも呼ばれている。
一方、「班長活用マニュアル」では、技術指導力、現場対応力、能力や性格などについて「ここがすごい」「ここがイマイチ」と班長1人ひとりについて詳細に書き記されている。
さらに、班長とうまく付き合っていくためのトリセツも記載されている。例えば、社長である田中氏のトリセツの一部を紹介する。
「パワフルですが、波も激しい。付き合っていくためには、振り回されることを楽しむことと、振り回されすぎないように回避すること両方が必要」
社員は、この通信簿とトリセツを参考にしながら自分の上司を選ぶというわけだ。
選択する。そこには必ず責任がつきまとう。仕事にも通じる責任感を学びながら環境を変えて新しいことをしてみたい、ステップアップしたいという社員の意欲にも応えているのが「上司選択制度」だと田中氏はその狙いを明かす。
また、通信簿やマニュアルを公開されている班長にとっても「この業務は苦手だから助けて」と部下に言いやすくなったという。
完璧な人間などいないという価値観を受け入れやすい制度になっているようだ。
「辞められたら困るランキング」を社内共有
同社では評価制度にも独自の考え方を反映させている。その1つが「辞められたら困るランキング」。社員1人ずつの評価を点数にして辞められたら困る順に並べ、結果を社内で公開している。
「評価をブラックボックスにしないというのが基本的なスタンスです。実は、順位を隠した方が説明するのはラクなんです。でも、それってずるいかなと思って、ごまかしがきかないようにしたいと考えました。社員1人ひとりに点数の根拠をしっかり説明する。それは私や班長が負う義務なんです」(田中氏)
さらに、順位が低いとダメな人間だとネガティブに捉えるのは絶対にやめてほしいと伝えたかったと言う。
「順位と人間的な価値は全く違うもの。順位を上げたければ努力してほしいし、全力でサポートします。ただ、どうしてもダメだったら別の選択肢があってもいい。それだけのことという認識で公開しています。お互いの解釈をすりあわせるために私は社員に向けて動画などで発信し続けているというわけです」(田中氏)
さらに、同社は仕事量と報酬との関係が明確で、仕事で成果を出して一定の条件を満たした社員は週休2.5日が与えられる制度も導入している。
「いわゆるエキスパート社員ならではの重責から少しでも離れる時間を過ごしてもらうための配慮です。多忙さゆえになかなか休みを取りにくい状況を解消し、いずれは週休3日を実現させたい!」(田中氏)
構造設計者の価値を向上させたい!
普通ではない制度を次々と打ち出してきた田中氏の小さな頃の夢は、仮面ライダーになること。
残念ながら仮面ライダーにはなれなかったものの、大人になってからの夢、一級建築士になることは叶えた田中氏は、起業して社員数20名ほどのときから100名にするのを夢の1つとして掲げていた。
すでにその夢をクリアした現在、次の中・長期的な夢は「売り上げ100億円達成」「社員の平均年収1,000万円」だと言う。
現時点での売り上げはグループ全体で20億円ほど、平均年収は650万円。この数値を上げていくために、どのようなビジョンを描いているのだろうか。
「当社の年間構造設計数は750案件で非木造の棟数としては日本一です。ありがたいことに非常に優秀な人材がそろっているので、耐震性を高めながらもコストダウンできる独自の工法などを開発しているんです。今後、市場が急速に伸びるとは考えにくいのですが、当社のクオリティを評価してくれるお客さまは確実に増えて同業他社より設計料も高く設定しています。私は、当社のステージをどんどん上げて構造設計者の価値をさらに向上させたい!」(田中氏)
ここまでの夢を着実に叶えてきた田中氏ならば、100億円の売り上げや平均年収1,000万円もただのおとぎ話では終わりそうにない。
ただ、建設業界では「構造設計AIシステム」の導入などDX化の変革が進んでいるが、今後の仕事に影響はあるのだろうか。
「実は、当社独自の"AIさくらちゃん"がすでに稼動しています。当社がこれまで手がけてきた数千件の設計データや分析データをさくらちゃんに覚えさせています。かなりのビッグデータですよ! これからはAIによって業務の効率化は進むと思いますが、構造設計には空間に対する人間的な感性も反映されています。構造設計者に求められる能力は多少変わっていくかもしれませんが、AIだけで仕事が完結することはないでしょう!」(田中氏)
同じ業界内では「変わり者」と呼ばれていると苦笑する田中氏。そんな変わり者の頭の中から、次はどんなアイデアや秘策が生まれてくるのだろう。
建築業界にとどまらず、もしかしたら日本の働き方を変えるかもしれない。田中氏の話を聞くほどに、無責任ながら期待がどんどんふくらむのを感じていた。