今回は、奇跡的にytv内で稽古ができましたが、今の生放送の状況だと当分できないと思います…。貴重な経験をさせていただきました。
舞台の本番を迎えるまでは、ハードスケジュールで早く荷を下ろしたい気持ちでいたのですが、本番を迎え、千秋楽ともなると、もうちょっと皆といたいなという気持ちになり、終わると寂しい気持ちになりました。こんな感覚を味わえるのも舞台のいい所ですね。文化祭が終わってしまったような感覚です。
素敵な出演者の方々とスタッフに恵まれました。
今回はjazz喫茶が舞台で僕の出演する時代は1940年(昭和15年)。
役どころはjazz喫茶の常連客で、設定は自分で作れる余白がありました。なので僕が作ったのは、jazzが好きな当時の気象台職員で大阪から東京に転勤中の設定。40代、家族あり。姉さん女房。台本のセリフには(ノリツッコミで)とあったので、関西弁でアドリブも入れながらやりました。
これが、天気を伝える上でもつながる部分があるなと感じ、すごく実のなる体験をしました。
天気予報を伝える上で、ある程度、定型文みたいなことがあります。
例えば、「あすは洗濯日和でしょう」のように。
でも、これが「きょうも晴れて洗濯日和で、あすも」という意味なのか、「きょうは予報が外れて雨が降ってしまい、あすこそは」という意味なのかなど、誰にどういうつもりで言うかを明確に意識することで表現が変わり、伝わり方が変わってきます。
意識的になることで、声のトーンや間が変わり、伝わり方が大きく変わるということ。漠然と言葉を発すれば、漠然としか伝わらないということ。
言葉の意図がしっかりと伝わる表現で、しかもそれを自然に天気予報で表現できるようになるには、普段から少し意識しておく必要があるということ。
こういったことが、今回舞台を経験することで勉強になりました。
言葉を発した先には相手がいて、その相手の言葉をよく聞くことで、次に自分が発する言葉のトーンや間が変わり、場合によっては意味も変わることもあるということを、今回の舞台を通じて体験させていただきました。
天気予報に応用すると、普段、目の前にいない視聴者がどういう人かといったイメージを、もっと自分の中で明確にすることで、話す内容、トーンも変わるのではと思いました。
テレビを見ている人の相づちやリアクションさえもイメージできたら、もっと表現が変わるかもしれません。
生活のスケジュールを少し無理してでもチャレンジしておいてよかったなと。おそらく今回の舞台を断って、もし10年後にこういったチャンスがきたとしても、50代の自分ではできないし、やったとしても感じる学びが違ったと思います。40代のこのタイミングだからこその学びがあり、よかったと感じています。
18年前に役者でプロを目指していた20代の自分よりも、今の自分だからこそできたこともありました。不思議ですね。
その瞬間にしか出会えない共演者がいて、その日しか出会えない空があり、その時でしか聞けない音楽演奏もある。
「舞台も天気もJAZZも通じるものがある」
改めて、素敵な共演者とスタッフ、観にきて頂いた方々に心から感謝いたします。
これを読んだ皆様も芸術の秋、今しか出会えない舞台、演奏、芸術に足を運んでみてはいかがでしょうか。