今回の配達先は、日本。全国各地の廃材を使って絵を描く画家の田村綾海さん(27)へ、長崎県で暮らす父・哲彦さん(62)が届けたおもいとは―。

廃棄されるイカ墨を求めて、キャンピングカーで北海道・函館へ

綾海さんは、ジーンズの切れ端やコーヒーかすなど本来は捨てられるはずの廃材をもらい、アートを生み出す廃材画家。今回は、地元ならではの廃材があると聞いて、北海道・函館の北海道教育大学にやってきた。招いたのは、イカの加工工場が多い函館で、廃棄されるイカ墨を有効利用する研究に取り組む松浦俊彦教授。綾海さんの活動に賛同して、イカ墨を提供してくれるという。

綾海さんの移動手段は「ひまわり号」と名付けたキャンピングカー。車内には寝床や生活用品のほか、さまざまな廃材で作られた顔料が置かれている。絵の具の元となる顔料は素材ごとに瓶に分けられ、意外にもカラフルだが、それぞれ廃材本来の色なのだそう。そんな廃材はただもらうだけでなく、その性質や廃棄される背景を知ることを大切にしているといい、害獣被害に悩む岩手県では綾海さんも猟に同行。そこでもらった鹿の角と骨を絵の具にして、土にかえる鹿の屍(しかばね)を描いた。また、放置竹林が問題となっている群馬県では間引かれた竹を絵の具に竹林を描くなど、綾海さんは「100年後の未来」をテーマに、その廃材が持つストーリーを後世に伝えられるような作品を作っている。

函館でもらったイカ墨を作品にするため、訪ねたのは青森県にある知り合いのコミュニティスペース。台所を借りて絵の具作りに取り掛かる。イカ墨を扱うのは初めてということで、まずは蒸発させてみることに。熱を加えると一気に乾燥し、粉状になったイカ墨にはキラキラとした輝きが浮かび上がった。制作の過程ではこういった思いもよらない変化が一番楽しいところだそう。こうして完成した黒い絵の具で、綾海さんは函館の夜景を描くことにする。

全国を巡ること2年半「人のために描きたい」

幼い頃から絵を描くのが大好きだったものの、アートで食べていくのは難しいという周囲の声もあり、19歳のときにデザイン会社に就職。絵は趣味にしようと考えたが、趣味もできないほど仕事は多忙を極め、結局退職を余儀なくされた。  

廃材で絵を描くようになったきっかけは、沖縄の環境問題のシンポジウムに参加し、死んで白骨化したサンゴの存在を知ったこと。除去にも莫大な費用がかかるサンゴを絵の具にできれば一助になるのでは、と思ったのが最初だった。そしてキャンピングカーで全国を巡ること2年半。「シンプルに、出会った人のために描きたい。見え方としては社会性のある絵にはなっていると思うんですけど、信念としてあるのは“人の幸せ”ですかね」と活動の原動力を語る。

ある日、綾海さんが訪ねたのは青森県の伝統文化であるねぶたの制作現場。昨年、破いて捨てられるはずだったねぶたの和紙をもらい作品にしたことから、特別に制作現場を見せてもらえることになったのだ。さらに別の日は、秋田県能代市で行われていた草木染めの展示会へ。鹿角紫根染(かづのしこんぞめ)・茜染という奈良時代から伝わる技法の制作過程で出る廃材を譲り受けるという。「素材は無限にあると思うので、生きている限り作品はたくさん作りたい」。廃材が縁で人との輪も広がっていく綾海さんのゴールはまだまだ先のようだ。

廃材を通して絵を描き続ける娘へ、父からの届け物は―

最初は「絵で生活できているのか」と心配していた父・哲彦さん。だが、娘の活動を見るにつれ「親から言うのもおかしいですが、素晴らしいなと思います。感動させる以上に、社会に対して訴える力を持っているのがプラスアルファですごいなと思いますね」とその姿勢に称賛をおくる。

廃材を通し、そこに携わる人々の幸せを願って絵を描き続ける娘へ、届け物は父が描いた綾海さんの似顔絵。実は哲彦さんはかつて芸術家を志すも、家族を養うことを第一に考え道を諦めたという。その後、自身が白血病にかかったときには小学生の綾海さんが描いてくれた絵に生きる力をもらったといい、今度は娘の幸せを願って自ら筆をとったのだった。父の想いをくみ取った綾海さんの瞳からは涙がこぼれる。そして、「やっぱり、人を幸せにするための絵はずっと描きたいですね」と、揺るぎない信念を改めて語るのだった。