表彰台の真ん中で、涙が止まらなかった。

9月7日、パリ郊外の街「クリシー・ス・ボワ」で行われた自転車競技の女子個人ロードレース(C1-3)で、杉浦佳子が東京2020パラリンピックに続き2連覇を達成した。金メダルの日本最年長記録を自ら更新。体調不良に苦しみながら自転車競技4種目に臨んだ今大会、最後の最後で調子を合わせて見事、結果を出してみせた。

絶不調から救ったのは、蓄積してきたデータ

東京大会では、女子個人ロードタイムトライアルと女子個人ロードレースで2冠に輝いた杉浦。今度はトラック種目でもメダルを目指すべく、パリに挑んだ。

トラック種目でメダルを目指していたが……

練習の成果は確実に上がっており、パリ大会2週間前には、女子3000m個人パーシュートで自己ベストを記録していたという。しかし、暗雲が立ち込める。さらに1週間前からはぜんそくの発作が出始めたことで、夜は眠れず、練習も満足にできない状態でパリに乗り込まざるを得なかったのだ。

結果、女子3000m個人パーシュートは5位、女子500mタイムトライアルは7位という結果に終わった。

ロードでは調子を取り戻した杉浦(中央)

「ここまで付き合ってくださったスタッフの方とかに、どうお返ししたらいいんだろう」と苦悩し、「早く日本に帰りたいとさえ思っていた」と打ち明ける。

しかし、手をこまぬいているわけではなかった。出国前に薬を1つ増やすとともに、パリに入ってからも薬の量を調整することで、咳はだんだんと治まっていった。また、これまで、どのような練習をすれば体調が回復するか、どのような数値が出ればいいタイムが出せるか、といったデータを蓄積してきたという。そのデータに基づき、日々、練習メニューを調整し、ケアを行った。

その成果は確実に現れた。日を追うごとに調子は上向き、「ああ、やっと戻ったな」というところまで数値も体調も回復したタイミングで、女子個人ロードタイムトライアルを迎える。結果は6位だったが、手ごたえは感じていた。

そして、数値を「絶好調」まで戻して臨めたのが、ロードレースだった。

“ナイスグランマ”の快挙を実現した周到な準備と作戦

14.2kmの周回コースを4周する全長56.8kmのコースに挑んだ杉浦。大会前に試走してコースレイアウトは頭に入っており、作戦も綿密に練っていた。

「私が先頭で行くことで、後ろの選手たちに足を使わせる」という作戦通り、レースは終始、先頭集団に位置し、集団を引っ張る時間も長かった。

仕掛けたのは、ゴールの手前にある1kmほどの上り坂だ。

「本当は坂で15秒差をつけて最後1人でゴールしたいなと思っていたが、タイムトライアルの結果を見て、スプリントの力を温存しながら9割のパワーで上り切るという作戦に変えた。(メダル争いの人数を)3人に絞りたいと思い、アンナ(・ベック)とクララ(・ブラウン)に『ペースアップするから一緒に行こう』と声をかけて、立ち漕ぎではなくシッティングで行った」

上位3人が同じタイムでフィニッシュ。僅差で金メダルを手にした

準備もしてきた。

「必ず坂を上って、最後にゴールスプリントをすることになる。だから、似たようなコースレイアウトで繰り返し練習してきた。とてもつらかったが、『スプリントは別腹』と思いながら練習してきた。これが大きかった」

スプリントをかけるタイミングもハマった、と振り返る。

「残り200mぐらいで、スプリントをかけ始めた選手が見えたので、先に行かなきゃ、と早いけどかけた。(これまではスプリントを)早がけすると最後に抜かれていた。今回も、絶対後ろから来る、だからもっと上げなきゃって。最後はギアを重くするようにと(コーチから)言われていたが、そのタイミングもよかったと思う」

懸命のスプリントの末、1位でフィニッシュしたが、ゴール直後は結果がわかっていなかったようで、自分の着順を確認すると、驚いたような表情を見せた。

結果を聞いて驚く杉浦。「私なの?」

「なんか信じられなくて。作戦通りで全部が言われた通りにできたし、ほっとした」

53歳での金メダルは、日本代表選手団の歴代最年長。3年前、50歳のときに自らが打ち立てた記録を更新した。

「まさか自分が最年長記録を更新するとは思っていなかった。でも、(同世代の人たちに勇気を与えられていたら)嬉しい」

2人の孫がいることから、選手仲間の間では「ナイスグランマ」と呼ばれているそう。ナイスグランマの快挙は、同世代はもちろん、あらゆる世代に明るいニュースとして響いたに違いない。

トラックの悔しさをロードで晴らした杉浦。女王は最後に笑った

text by TEAM A
photo by Hiroyuki Nakamura