紙一重の差のバトルを、強靱なメンタルでものにした。逆境に立たされたときの強さが驚異的だった。

パリ2024パラリンピックの車いすテニス男子シングルスで、第2シードで18歳の小田凱人が、第1シードのアルフィー・ヒューイット(イギリス)と対戦。小田は、ファイナルセット3-5で迎えた第9ゲーム、相手にマッチポイントを握られる大ピンチに直面したが、これをしのぐと、最後は4ゲームを連取して大逆転勝利。セットカウント2-1(6-2、4-6、7-5)で金メダルに輝いた。

18歳での優勝は、この種目で史上最年少。憧れの国枝慎吾さんに続く、日本男子2人目の金メダリストとなり、女子単複2冠の上地結衣と合わせて日本勢にとって今大会3つ目の金メダルをもたらした。

追い込まれるほど強くなれる

決勝の朝は、起床時にいつも通りルーティンとしている尾崎豊の『僕が僕であるために』を聴いて会場入りした。気合十分に試合を開始すると、第1セットは立ち上がりに4ゲームを連取するなど、6-2であっさりと奪った。

ところが、第2セットは様相が変わった。小田のスタイルである前に出る攻撃がトーンダウンし、調子を上げてきたヒューイットのショットがコースに決まり始める。4-3で小田がリードして迎えた第8ゲームから曇天のなかでコートの屋根がしまると、流れが一気に相手へ。このセットを4-6で落とし、運命の最終セットに突入したが、そこでも嫌な流れは変わらない。

試合開始から両者譲らない展開が続いた

しかし、追い込まれてからが“凱人タイム”の始まりだ。

小田は1球ごとにスタンドをあおり、拍手や声援の力も借りて自分を鼓舞していった。

「まだ終わらないぞ、という僕なりの表現」という言葉通り、小田は苦境でもうつむくことなく、常に顔を上げていた。

「ギリギリの局面になると彼は勝負強さを発揮する。それを最後まで期待して、コートサイドで一緒に闘った」と、熊田浩也コーチも小田を信じていた。

名実ともに日本のパラスポーツ界の顔になった小田

ゲームカウント3-5からの第9ゲームでは、マッチポイントを握られたが、相手の際どいドロップショットがラインを割って命拾い。すると、息を吹き返した小田に気圧されるように、ヒューイットのボールが短くなっていく。

「3-5になったときは、『やっぱ俺の日じゃないのかな』みたいに思ったし。心臓もバクバクしていたけど、相手がミスを出し始めてからは『もうこれは俺のもんだな』と思うようにした。4-5になってからはまったく怖くなく、もういけるという感じだった」

「この緊張感は4年に1回がちょうどいい」第9ゲーム以降はゲームを取り続け、第12ゲームはフォアハンドの逆クロスで連続ポイントを獲得。このゲーム2度目のマッチポイントで勝利をもぎ取ると、ラケットを放り投げて感情を爆発させた。

大観衆がいるからこそ作り出せる熱量を全身に浴び、ヒューイットとの激戦に陶酔しながらつかんだ勝利だった。

「世の中に伝えたいことがあるから、金メダルが必要なんです」

小田はそう語る。

「何かを変えていきたい。僕はそう思っている。ダイバーシティとか共生社会とかっていうのは僕はあまりよく分かってない。それは口に出すんじゃなくて、僕は試合をすれば全部丸く収まると思うし、なんでもできちゃうと思っている。試合をすることで、いろいろなことを変えていきたい」

変えたい。変える人になりたい。そのために生まれてきた。だから、テニスで魅せたい。勝ち続けたい。

パラリンピック初出場で金メダルを獲得した小田

「僕の評価は自分では決められないと思っている。テレビで放送する価値があるかないか、お金を払って見に行く価値があるかないか。僕が何をどれだけ言っても、よくわかんない試合をしていたら無理」

ただ、「この緊張感は4年に1回がちょうどいいかな。だから、4年に1回なのかなっていうのは思いました」とも言う。それほどの重みがあるのがパラリンピックの金メダルなのだ。

トキトコールに包まれて

マッチポイントをものにした瞬間、スタッド・ローラン・ギャロスのセンターコート「コート・フィリップ・シャトリエ」に集った大観衆に、スタンディングオベーションで称えられるなか、小田は車いすをスピンさせながら車輪を外して仰向けに愛する赤土のコートに転がった。

「ちょっとかっこよすぎる(笑)。やっぱ、このために生まれてきたなと、今日ちゃんと再確認できた。ここからどう頑張っていくかっていうのは、これまでより大変だと思うんですけど、一番楽しい試合でした」

両者の戦いは、まさにパラリンピック史に残る名勝負だった

手で目元を覆い、起き上がれずにいる小田に近寄ってガッチリと手を組んだのはヒューイットだった。

「金メダルを獲得するまであと数センチだった」

悔しい気持ちは尽きないが、第1セットの立ち上がりに脚のつけ根に痛みを覚えて治療を施しながらも、勝負を諦めるどころかマッチポイントまで握った不屈の男は、26歳の立派な紳士だった。

「トキトは信じられないほどの戦いに勝つに値した。彼には『この勝利をただ受け入れて楽しんで』と言った。なぜなら、私たちの今日のプレーは、パラリンピックの車いすテニスの歴史に、最高の試合として残るかもしれないから」

小田もヒューイットも激闘から一転、表彰式では穏やかな表情だった

小田も言う。

「お互いが(最高の試合と)思っていたら、何より良いことだと思う。車いすテニスを(コート・フィリップ・)シャトリエでやっても、これだけのお客さんが入ることは証明できたと思うし、見合う試合もできた」

「凱旋門」を由来とする凱人の名前。この日、会場では何度も何度も「トキト」コールが起きた。パリ大会の覇者として刻まれるのにふさわしい響きだった。

edited by TEAM A
text by Yumiko Yanai
photo by Takamitsu Mifune