表現者として幅広く活動している星田英利が、自身初となる小説『くちを失くした蝶』を9月3日に上梓し、小説家デビューを果たす。お笑い芸人・ほっしゃん。として活躍し、『R-1ぐらんぷり』優勝など輝かしい実績を残しつつ、現在は俳優業に中心に活動している星田が、小説を執筆した理由とは――。

  • 星田英利

    星田英利

小説『くちを失くした蝶』は、貧困、ネグレクト、いじめなど幼い頃から心と体を削られてきた女子高生のミコトが、逃げることができない現実に絶望し、自ら命を絶つことを決意したことから始まる物語だ。

星田は執筆のきっかけについて「小学校のときから、読書感想文が褒められたりするなど『書いてみたら?』と言われることが多かったんです」と振り返り、「この仕事をするようになっても、仲のいい番組プロデューサーに『いつか絶対書きなよ』と言われていました」と潜在的に心のなかに“モノを書く”という表現方法があったという。

それでも「文章の書き方を習っていたわけでもなく、なかなか書き始めることへのハードルが高かった」という。そんななか直面したのがコロナ禍だ。

「外に出られないし、経済的にも精神的にも追い詰められました。僕は単身赴任なので、家族とも会えないし、本当に“死”みたいなこともよぎったんですよね。そこから逃げるためにどうしたらいいのか……と考えたとき、何かをしないと“死”に食いつかれてしまいそうだった。それが書くことだったんです。半ば遺書みたいな感じ。家族や子供へのメッセージみたいな……」。

物語に出てくるエピソードなどは完全なるフィクションであり、誰かをモデルにしたものではない。ただ登場人物が発する言葉や思いは星田自身そのものだという。「登場人物は全部僕。僕だったらこういうことを言うだろうな……という発想で書いています」。

自らの命を救うために書いた物語。こうして出版されるなどということは、まったく考えにはなかった。「ストーリーも考えずにただ書き始めているので、辻褄が合わなかったら戻って直して……という作業で、誰かの目に届けようなんて思いはなかったんです」。

だからこそ、書き終わることが怖かったという。星田は「書き終わったら死んでしまうのかな……という思いはありました。だから同時進行で別のものも書いていたんです」と綴ることが生きることだったと振り返ると「そんな感じの作品がこうして世に出るというのは不思議な感じでもあります。もちろんうれしいですけれどね。夢みたいな話ですよ」としみじみ語る。

一方で“出版して売る”という発想がなかったからこそ葛藤もあった。「本当は僕の名前を出さずに読んでほしかったんです。何のフィルターもなくただ読んで欲しかった」と胸の内を明かし、「でも版元さんがついて商業としてのラインに乗るわけで……。名もなき人物がいきなり出しても、誰も取り上げてくれないじゃないですか。こうして取材をしていただけるのも、一応僕の名前を出しているからで……。でも最後までそこは葛藤がありました」と語る。

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書くことで「改めて自分は“表現者”なんだなと思った」

芸人として輝かしい実績を持つ星田。自身のコントや一人芝居では作、演出、出演など幅広い表現方法に挑んでいる。そんななか「モノを書く」という行為は、何か新たな発見があったのだろうか――。

「改めて自分は“表現者”なんだなと思いました。書くことも表現の一環であり、一つ楽しみが増えたということなのかもしれません。世間からどう見られるかというのは、僕にはどうでもいいこと。小説家って言われたらうれしいですけれども、そこに何かこだわりみたいなものはないんです」。

自身を「表現者」というが「何かを伝えよう」と思ってはいけないという。星田は「こちらから何かを伝えようと発信が強くなってしまうと、受ける側はしんどくなると思う。特にいまの若い子は敏感なので」と語ると「もちろんそういう作品も大切だと思う。僕も『シンドラーのリスト』とか大好きなので。でもいまはテーマを前に出すのではなくて、自由に受け取ってもらいたい」と自身のスタンスを述べる。

子供たちに自由に受け取ってもらい、自由に選択してもらう。そういう発想になっていったのは、子供を持ってからだという。

「もう子供が生まれた時点で、次の世代にバトンを渡した感覚。自分の時代ではない。間借りさせてもらっている意識があるんです。でも若い子たちが未来に希望が持てず死を選んでしまうのって大人の責任。だからこそ、僕らは若い子たちに自由に感じ取ってもらえるような世界を作らなければいけないと思うんです」。