約1万7000人を収容するパリ・ラ・デファンス・アリーナ。パリ2024パラリンピック日本勢金メダル第1号の水泳・鈴木孝幸は、大歓声を全身に浴び、幸せをかみしめた。
16年前の自分が作った大記録を上回っての圧勝劇右腕の肘から先と両脚がない鈴木は、先行逃げ切り型。水泳の男子50m平泳ぎ(SB3)決勝に臨んだこの日は、スタート直後の浮き上がりから抜け出して首位になると、その後、いつもは追い上げてくるライバルたちを置き去りにし、48秒04のタイムでフィニッシュした。2位に1秒以上の差をつける圧巻の金メダルだった。
2008年の北京パラリンピックでこの種目を制した第一人者。21歳で初めて獲得した金メダルは、自身のキャリアのなかでも、とくに思い入れのあるものだ。
50m平泳ぎ(SB3)で金メダルを獲得した鈴木孝幸そして、同大会の予選で記録した当時の世界記録48秒49は、鈴木自身がこの日まで16年間超えることができない記録だった。
それを約1秒半近く更新する日本記録。何が記録更新に結びついたのだろうか。
たどり着いたのは「健常者の泳ぎ」ではなく「自分の泳ぎ」鈴木は今回獲得した金メダルも合わせて、パラリンピックで通算11個のメダルを保持するマルチメダリスト。2012年ロンドン大会で平泳ぎと個人メドレー、2016年リオ大会では平泳ぎの金メダル獲得を目標にしていたが、その後は自由形にシフトするようになり、東京大会では100m自由形で金メダルを獲得していた。ただ、平泳ぎへの情熱が消えたわけではない。リオでは4位、東京大会では平泳ぎで銅メダルを獲得するも49秒32と平凡なタイムに終わったから悔しさが、むしろ鈴木の原動力でもあったのだ。
2022年の年末、翌年からパーソナルコーチになる岸本太一日本代表ヘッドコーチは、鈴木とこんな約束をしたという。
「平泳ぎで自己ベストを出して金メダルを取り返そう」
胸に手を当てるのは、試合前のルーティンパラリンピックの前哨戦といえる2023年の世界選手権でも平泳ぎは3位。「体が左右対称じゃないから、バランスを取るためについつい左のストロークが右側に入ってきやすくなっていて、それが(原因で)右側に寄っていってしまう」とレース後すぐに反省点を挙げ、「テクニックを修正してパリは8秒台(48秒台)を目指したい」と話していた。
だが、そのときに試行錯誤していた左腕ではなく、短い右腕の使い方を変えたことでタイムが縮んだ。
これまで健常者の泳ぎに近づけようと、左右対称に泳ごうとしていたが、「実はそれがよくないんじゃないかなっていうのに気づき始めて。それをコーチが気づいてくれて、それでちょっと変えてみた。1ヵ月半前のことです」
水をかいた右腕を腕1本分ほど内側に入れてからリカバリー(肘を伸ばす)ようにした結果、好記録が出るようになったのだ。
「(最後の国内レースになった)福島での大会で48秒90台が出ましたし、(メディアの)皆さんにはお知らせしていませんでしたが、(事前合宿地での)アミアンでも48秒60台が出たので、自信を持っていけるなという感じでした」
好調さをライバルたちに知られることなく、自信をみなぎらせてスタート台に立っていた。
泳ぎに試行錯誤を重ねた日本チームに勢いをつけ、今大会もマルチメダリスト目指す長らくタイムにこそ現れなかったが、これまでも体の使い方や呼吸の回数の変更などさまざまな取り組みに挑戦してきた。16年間の試行錯誤が結実し「やってきたことが報われてすごく幸せ」と鈴木は充実の表情で語った。
3年前の東京大会では出場した種目すべてでメダルを獲得した。そして、今回も複数メダルを狙う。
「(日本勢第1号となった)金メダルが日本チーム全体に広がってくれたら嬉しいなと思います。もちろん、パラ水泳チームにも広がって活躍してもらいたいと思いますし、自分も活躍します」
有観客の会場で鈴木は何度も左手を振り、歓声に応えていた。
左手を振って歓声に応えたtext by Asuka Senaga
photo by Takamitsu Mifune