地上に頭を出してしまうと白子タケノコとは呼べない

貝塚市にある藤原竹工房は、それぞれ約1町(1ヘクタール)ある3カ所の竹林でタケノコを栽培している。天候にもよるが最盛期の4~5月には、約400キロの「白子タケノコ」を収穫している。白子タケノコとは、地上に頭を出す前に掘り出した、真っ白でえぐみが少なく柔らかいタケノコのことだ。地上に頭を出してしまうと、白子タケノコとは言わない。
「白子タケノコは、土から出たらあかん。土がひび割れて、そのひびのところがちょっと盛り上がったところにタケノコがある。そこをトンガ(硬い地面を掘る時などに使うクワ)で、50センチから1メートルくらい掘るんや」
白子タケノコを見つけるコツをこのように説明してくれたのは、藤原竹工房3代目の藤原奥紘(ふじわら・おくひろ)さん。1943年生まれの81歳だが、筆者を案内して傾斜の急な竹林を歩く足取りはとても軽い。「ええタケノコが掘れたら楽しくて疲れもふっとぶ」という、根っからのタケノコ職人だ。今はタケノコ栽培だけだが、3代目を継いだ頃は鉄工所との兼業農家で、タケノコのほかに温州(うんしゅう)ミカンやコメ、タマネギの栽培、さらにはスギの植林などもやっていたそうだ。

藤原奥紘さん

藤原さんの言う土のひび割れの幅は5センチにも満たない小さなもので、それを見つけ出し、タケノコを傷つけないように掘るのは至難の業である。まだ土に埋まっているタケノコは小さいものばかりかと思いきや、中には長さが1メートルもある白子タケノコが掘り出されることもあるという。

地中から掘り出された白子タケノコ

料理人たちがほれこむ白子タケノコ

そんな職人技もあって、藤原さんのタケノコは特別おいしいと、ほれ込んでいる料理人も多い。収穫期には、ミシュランガイドの掲載店に食材を納めるバイヤーが、毎日木積までタケノコを取りに来てくれ、関西だけでなく東京の高級料理店にも届けている。国内だけでなく、バイヤーを通じてフランスのシェフのところに渡ったこともある。そんな藤原さんの竹林には、バイヤーだけでなく料理人もやってくるそうだ。

収穫したばかりの白子タケノコ。高級料亭では、重さ500グラムから2キロほどの大きさのものが人気だという

竹には竹の乳酸菌。土壌改良剤の竹パウダーが味を良くする

タケノコの収穫時期は3月末から5月のゴールデンウイークあたりまでだが、作業は通年である。重要な作業の一つに肥料投与がある。

「うちの白子タケノコがおいしいと言われているのは、竹パウダーを土に混ぜているからや。味が全く違ってくる」(藤原さん)

竹パウダーを土に混ぜ込むことにより、土の中で乳酸菌が増えるのだそうだ。11月頃から行われる「土かぶせ」の土にも肥料と竹パウダーが混ぜ込まれている。

タケノコが頭を出さないよう定期的に土をかぶせる「土かぶせ」のための土を切り出しているところ

その竹パウダーは、自家製である。竹整備で伐採した竹を自社で非常に細かい粉末にして発酵させ、竹パウダーとして商品化している。

今から約10年前、藤原さんは伐採した竹の処理に困り、なんとか有効活用できないかと思案していた。そんな時、取引先の肥料屋から「姫路の企業が竹を粉砕して粉にする機械を開発し、さらに作った竹の粉を土壌改良剤にしている」と聞き、その企業を訪ねた。同社から30ミクロンまで細かくして乳酸菌発酵させた竹パウダーが微生物を活性化させ、土そのものの力を強くするのだと説明を受け、早速その竹粉砕機を購入し、自ら竹パウダーを製造するようになった。

発酵竹パウダー

取材の際、筆者は藤原さんの自宅裏にある竹パウダーの製造場所に案内してもらった。
発酵中のタルのフタを開けると甘酸っぱいような香りがした。中には米ぬかのように細かい粉が入っていて、手に取ってこすりつけてみると、肌がすべすべになった。とても伐採した竹が原料の粉であるとは思えない。藤原さんによると、肥料以外にも生ゴミ処理の消臭剤として使用することもできるそうだ。

藤原さんが作った竹パウダーを使用している農家は多い。貝塚市特産の泉州水ナスを栽培する農家からは、味が格段に良くなったと好評である。

自社で製造している発酵中の竹パウダー

3世代総出で守る木積の白子タケノコと竹林

藤原竹工房では、ほかにも竹を使った6次化商品がある。商品開発を担当しているのは、娘の楠本(くすもと)たみこさんだ。料理店で働く傍ら、木積の白子タケノコを広く知ってもらうために、タケノコのオイル漬けや甘酢漬けなど多くの加工品を考案している。タケノコの季節には期間限定で白子タケノコと共にこれらの加工品が百貨店の店頭にずらりと並ぶ。中でも「たけのこご飯の素」は、ふるさと納税の返礼品にも選ばれている。

木積の白子タケノコの加工品の数々

藤原さんにとって竹林は庭のようなもので、もっとも落ち着く場所だという。小学2年生の頃には、真夜中にロウソクの明かりを頼りに竹林に行き、大人が取ったタケノコを集める手伝いをしていたとのことなので、竹林とはもう70年以上の付き合い。今も毎日、早朝5時に竹林に出かけ、「おはよう」と竹に声をかけてから作業を始めるという。
タケノコの栽培には年間を通じた竹林の整備が必要だ。竹林は獣のすみかになってしまうこともあるため、藤原さんはイノシシなどに荒らされていないかなどを細かくチェックしている。イノシシよけのフェンスも藤原さん自身が設置した。
親竹は約5年でタケノコが育たなくなり、その役割を終える。そんな竹は伐採しなければならないが、藤原さんは竹林を一目見れば、どの竹を残し、どの竹を伐採しなければならないかがすぐに分かるという。

こうした藤原さんの技を受け継ぐのが、子や孫たちだ。商品開発担当の娘のたみこさんと、家業の鉄工所を引き継いだ息子の宏章(ひろあき)さんは、タケノコ栽培にも従事している。2人とも代々続く「木積の白子タケノコ」の栽培技術と竹林を守っていく覚悟だ。父である藤原さんのことを「師匠」と呼び、その技を受け継ごうとしている。
しかし、トンガの入れ具合も土のかき分け方や持ち上げ方も、長年の勘によるもの。藤原さんがいともたやすく作業する様子を見て、「なかなか師匠にはかなわない」と2人は言う。

春のタケノコの収穫時期には3世代が総出で竹林に入る。「師匠は家にいる時よりも竹林にいる時のほうが元気なんです」とたみこさんは笑う。
藤原さんの竹林からおいしいタケノコが生み出されるのは、藤原さん自身の竹への愛情があるからだろう。
「土の中にあるのを掘るのは宝さがしみたいなもんやさかい、掘り出した一本一本が大切なんや。僕は木積の白子タケノコを有名にするためにずっと頑張ってきたんや」と藤原さん。そんな藤原さんを尊敬し愛してやまない家族たちが、竹林を守っていく未来が見えた。

藤原さん夫妻と孫たち

左から息子の藤原宏章さん、藤原さん、たみこさんの夫・楠本謙二(けんじ)さん