私たちの世界には、受け継いでいくべき有形無形の文化がある。建物や食事、道具、芸術作品は言うに及ばず、それを生み出す人々の技術や知識、経験といったものまでがその対象だ。もちろん、時代の変化とともにそれらを取り巻く環境や価値観も変容し、人の見る目もまた変わっていく。それでも、たとえ形を変えることになったとしても、モノゴトの本質を可能な限り後世へと伝えていこうとする人々の熱い想いこそが、日々の生活を豊かにし、前を向いて生きるということに繋がっていくのだと思う。
【画像】日本の文化を辿り、フェラーリ・プロサングエで京都から東京へ。道中で出会った伝統と革新(写真34点)
車もまた同じだ。伝統の12気筒にこだわり、パフォーマンスにも妥協せず、その上であらたなモダンスタイルを確立した跳ね馬、フェラーリ・プロサングエもまた同じ文脈で語ることができるだろう。
そのことを私は、京都から金沢、松本、富士五湖、湘南、東京へプロサングエとともに走った4日間で確信するにいたった。
DAY1 京都〜奥琵琶湖〜越前海岸〜金沢
千三百年の歴史を湛える古都、京都。世界の一流がみたモダンジャパンを体験するデュシタニ京都を出発し、まずは創業150年の茶筒メーカー、開化堂へ向かう。見た目はなんの変哲もない金属製の茶筒に込められているのは、「作ることではなく、使うことを重視する」という哲学だ。
何十年も前に作られた茶筒が修理で戻ってくることも決して珍しくない。150年前の筒が戻ってきても修理できる。それでいて常に新たな商品も開発し続ける。伝統と革新の静かな融合が金銀銅(=真鍮・錫・銅)の輝きを放っていた。
白川通を北上し、三千院のある大原へ。歴史的な鯖街道を北上する。八瀬童子で有名な旧天領地を抜けるとそこからは緩やかなカーブの続くカントリーロード。心地よいV12ノートが比叡の山にこだました。
雨の湖西を走り続け、濡れそぼつ新緑の鮮やかなメタセイコイヤ並木をくぐり抜けて、琵琶湖の北辺に佇むホテル・レストランへとたどり着く。
レストランの名は”SOWER”。世界のグルマンが目指すという”noma”のDNAを受け継ぐ”INUA”出身のシェフがこの地に魅せられ料理長に就任。地産地消を徹底し、伝統的な食文化”発酵や熟成”薪や炭を駆使する一方で、料理の構成やプレゼンテーションは実に美しい。それは昔ながらの価値を大事にする人にとっても、また新たな試みを重視する人にとっても、感動をもって受け入れることのできる世界観だったと言っていい。
ランチ後、先史時代から世界に向かって開かれていた敦賀湾の東岸を越前福井方面へ。目指す金沢はもうすぐだ。
加賀の地は長きにわたって東日本と西日本が、そして海から世界も出会う場所だった。美術や工芸といった分野でかの地がとりわけユニークであり続けてきたのは、そうした地理的な重要性が根源にあったからだろう。
この夜。加賀藩重臣の元屋敷の貴重な姿を料理旅館として今に伝える金城樓にて懐石料理をいただく。日本建築の奥深さを体現する建物や数々の調度品、美術品、工芸品などを守り続けるために、”和”のおもてなしを進化させて訪れる人々を楽しませていた。
DAY2 金沢〜白川郷〜飛騨高山〜松本
満潮の千里浜なぎさドライブウェイ、開通を待って走り、こんどは北陸中央道を一気に南下、世界遺産に登録された茅葺の街、白川郷へ入った。
茅葺の家が114軒も残っており、うち60軒は今もなお生活の場として使われている。古き良き日本の原風景といった美しさはもちろん、ユネスコが高く評価したのは現代も残る”結”というこの地域独特の屋根メンテナンスシステムだ。
老若男女がそれぞれの役割を分担しボランティアで互いの家の屋根を葺き治す制度を結という。莫大な時間と労力を伴う葺き替え作業を円滑に行うのみならず、技術の継承という点でも、また経済的な助け合いという点でも優れた制度だ。現在では制度を後世に残すべく一部の家屋のみで実施されている。
時代の変化に合わせながら技術を伝承し、伝統を最善のあり方で残していく。材料である萱ひとつをとっても、また人々の暮らしひとつをとっても、昔と同じではない。一見、昔のまま保存されているように見える村もまた実は、工夫を少しずつ重ねつつ、美しい姿を守っていると言えそうだ。
飛騨高山から乗鞍を抜け信州は松本へ。松本市街に入り、江戸時代の威容を今に伝える国宝松本城を右に見つつ美ヶ原方面へと進む。信州名産のワインとなる葡萄畑の中をさらに山間へと進めば、この日の目的地、天岩戸伝説の残る扉温泉だ。
その昔、神たちも訪れて疲れを癒したという地元の湯治場、扉温泉。2日目の宿となった”明神館”は創業90年以上という一見鄙びた旅館だが、一歩中に入れば和と洋、伝統と最新をほどよく融合させた心地よい空間に誂えられており、疲れた旅人の心を踊らせる。
ルレ・エ・シャトー会員らしく、地元の食材を大いに活かし和のテイストも取り入れたフランス料理のプレゼンテーションもまた伝統と革新の見事な調和であった。
DAY3 松本〜蓼科〜諏訪〜北杜〜富士五湖〜箱根
3日目。海外からのジャーナリストを迎えてのグランドツアー第2部が始まった。扉温泉からビーナスラインへと山間をのぼり、富士山を遠望するスカイラインを存分に楽しんだ。
山を降り、諏訪大社の上社本宮へ。守屋山に抱えられた由緒ある社で参加者は旅を祈る。
諏訪大社から甲州街道を東進、明治天皇が立ち寄られたという由緒ある旧北原家を訪れた。日本酒”七賢”で有名な山梨銘醸だ。日本酒の生産もまた、伝統を守りながら時代の好みに合わせて改良を続けるという挑戦の物造りだろう。欧州からのジャーナリストたちが特に興味を示す。彼らの経営になる発酵料理レストラン”䑓眠”でランチをとり、山々の向こうに一際高くその姿を見せる富士山を目指して富士五湖へとノーズを向けた。
河口湖から西湖へ。それまで厚い雲の奥に隠れていた富士山がいきなり姿を現す。これには中国や韓国からのジャーナリストが歓喜した。冠雪のない夏の富士もまた雄大で、悠久の姿にしばらく見惚れたのち、この日の宿のある箱根を目指した。
俵石閣。仙石原開発の要となった建造物である。100年余り前に建てられた数寄屋造の屋敷で、上皇陛下ゆかりの場所だ。今ではリゾートホテル”箱根リトリート”の料亭”俵石”として活用されている。自然と伝統、そしてモダンが広大な敷地内において緩やかに連携するそのコンセプトもまた、時代を超えて歴史と文化を受け継ぐための知恵というものだろう。
DAY4 箱根〜大観山〜小田原〜鎌倉〜大黒PA〜東京
早朝より芦ノ湖湖畔の宿を出発し、大観山へ。雄大な富士山を背景に撮影を終えたジャーナリストから順に箱根ターンパイクで思う存分、プロサングエを堪能する。スポーツカーと比べても遜色ない加速や制動、ハンドリング性能はもちろん、何よりも箱根の山にこだまするV12自然吸気エンジンのサウンドが、ドライバーを虜にした。
大観山から湯河原パークウェイを一気に下り、江之浦測候所(小田原文化財団)にて日本の歴史と現代の芸術的な融合を目の当たりにした。大海原の絶景を眼下に、モダンなガラス張りのギャラリー、日本の伝統的な様式を今に伝える建築、庭園、茶室、考古遺産などが広大な敷地内に美しく配され、どの場所からでも人々が積み重ねてきた文化的所業の数々を肌で感じることができる。この場所を特に気に入っていたのは中国からのジャーナリストだった。
湘南海岸を走り抜け、鎌倉山でローストビーフを堪能したのち、大黒パーキングへと向かう。”日本のクルマ文化”の新たな発信場所となったこの場所は海外でも有名らしく、海外勢のはしゃぎようは富士山が見えた時と変わらない。
ダイコクからは首都高速を使っていよいよ日本の首都、東京へ。信州から箱根にかけての自然や歴史に包まれた景色がドラマティックに一転、ビルや巨大な橋などによる近代的なランズスケープに、これぞ日本だと海外勢は感嘆した。
文:西川 淳 写真:フェラーリ、西川 淳
Words: Jun NISHIKAWA Photography: Ferrari, Jun NISHIKAWA