「eスポーツがオリンピック種目になった」
国際オリンピック委員会(IOC)が、「オリンピック eスポーツゲームズ」開催を正式に決定したニュースを聞いて、上記のような勘違いをしている人が多いのではないでしょうか。
筆者もeスポーツ業界に身を置くものとして、前向きな記事を書きたいところではありますが、どちらかというと今回の報道はさまざまな「誤解」を招いているように感じました。
結論、“まだ”eスポーツは(我々の頭の中にあるような)オリンピックにはなっていません。
「eスポーツが五輪競技に選ばれた」ではない
簡単に整理します。
1:eスポーツがオリンピックの正式種目に選ばれたわけではない
2:オリンピックにおけるパラリンピックのような立ち位置でもない
3:IOC主催であるものの、従来とは別の組織で展開される
4:開催のスパンは未定(期間は2025年から12年間)※4年ごととは限らない
つまり「eスポーツが五輪競技に選ばれた」ではなく「IOCがオリンピックの名を冠したeスポーツ大会の開催を決めた」に過ぎないのです。
また、2021年5月開催の「オリンピック・バーチャルシリーズ」や2023年6月開催の「オリンピック・eスポーツシリーズ」など、すでにIOC主催のeスポーツ大会は過去に開催されています。
そのため、筆者が「オリンピック eスポーツゲームズ」の報道を見たときに感じたことは、「今までやっていたことと何が違うの?」でした。
全く進展がないわけではなく、2037年までのざっくりとした展望が示されたこと、組織体勢が明言されたことについては、一定の前進と捉えることもできるでしょう。
ですが、基本的には「大会の名前が変わっただけ」です。
この「名前が変わっただけ」をメディアが過剰に取り上げ、無根拠に世の中の機運が高まっているのは、(どこかの政党がやっている“名前変え”戦術にメディアが踊らされているのと同様で)得体の知れない気持ち悪さを感じました。
そもそも従来のeスポーツ五輪が盛り上がっていない問題
過去に開催されたIOC主催のeスポーツ大会(「オリンピック・バーチャルシリーズ」「オリンピック・eスポーツシリーズ」)の評価についても触れておかなければなりません。
まず、これらの2大会は定期開催のオリンピックと同時期に実施されたものではなく、いわゆる五輪の公式大会とは別大会という位置づけです。
また、IOCの考える「バーチャルスポーツ」と一般的なゲームファンが考える「eスポーツ」の間には認識差があります。
具体的には「リアルスポーツが存在するゲーム」であることが採用タイトルの条件になっており、多くのゲームファンがeスポーツとして認識するFPSタイトルは、表現上の問題から今後も採用される可能性は低いように見受けられます。
実際、「第1回 オリンピックeスポーツウィーク」では、Epic Games社の『Fortnite(フォートナイト)』が採⽤されたものの、「射撃競技」に使われました。それ以外の採用タイトルも、一般的なeスポーツファンからすると、納得感に欠けるラインアップ。総視聴者回数も600万回に留まり、いまひとつ盛り上がりに欠けるものでした。(比較:2021年に開催された『リーグ・オブ・レジェンド』世界大会では、最多同時視聴者数7,386万人)
今回の体制変更および「オリンピックeスポーツゲーム」という改名を経て、内容にどの程度の変更が入るのかは不明です。
開催国がサウジアラビア(※1)であることに強く言及している記事もあり、「もしかしたら、今度こそ(私たちが望んでいる)eスポーツタイトルを採用してくれるのかもしれない」という希望をほのめかしているのかもしれません。
※1:サウジアラビアは、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子兼首相が設立した非営利団体「Esports World Cup Foundation」を有しており、自国ではeスポーツ史上最大の賞金規模を誇る「Gamers8」、2024年に「eスポーツワールドカップ」を開催している。
ただ、少なくとも「サウジアラビアの国内オリンピック委員会がどのような関わり方をするのか」「採用タイトルは何なのか」が不明な現状において、無根拠に「きっと盛り上がるぞ!」という機運に誘導するのは、一定の理解はするものの、私個人としては距離を置きたいところです。
「抽象度」を逆手に取ったポジショントーク
今回、気になったのは、報道内容の「曖昧さ」と「抽象度の高さ」を逆手にとった、eスポーツ業界の一部の関係者のポジショントークが散見されたことです。
前提として、ニュースリリースを拡大解釈して報じるメディア、裏を取らない読者も問題ではありますが、その構造を逆手に取って、実態と異なるイメージを流布しかねない2次情報の数々は看過しがたいものがありました。
邪推かもしれませんが「eスポーツ」と「オリンピック」、これら2つの単語を並べさえすれば、「世間がいろいろと勘違いしてくれそう」という下心まで透けて見えます。
誠実にeスポーツと向き合う者であれば、「eスポーツが五輪競技に正式に選ばれるまでがんばります」「eスポーツといっても、さまざまなゲームタイトルやコミュニティがある」「採用されないゲームタイトルがほとんどなので、五輪の採用には一喜一憂しない」といった態度表明があっても良かったように思えます。
筆者の周囲にも「eスポーツとオリンピックの話題」について、一定の距離を置いている関係者は多く、業界も一枚岩ではありません。当然のことながら、彼らはSNS上で「疑義を主張する」ことはなく、結果的に「前向きな発言」だけがSNS上には溢れています。
今回は、eスポーツ業界の一部の利害関係者の「視座の低さ」が露呈したように感じました。
加えて、筆者が問題視しているのは、世間のリアクションが、“肯定派”(主な主張は「eスポーツの価値が認められた」)と“否定派”(主な主張は「ゲームのオリンピック化は認めない」)の2陣営になっていることです。
これらの主張はどちらも的を射ておらず、穿った見方をすると、各陣営ともに「日ごろから言いたかったこと」を(今回のニュースを引き金にして)発信しているだけであり、ニュースの内容そのものと向き合っていないように思えました。
「eスポーツ好き」という存在しないペルソナ
最後に、そもそも「eスポーツ」という言葉は、言わば「飲み物」というジャンル表現に過ぎません。
「飲み物」には、水、炭酸飲料、コーヒー、ビール、ワイン、日本酒、などさまざまな小分類があります。「eスポーツ」という分類にも、『League of Legends(リーグ・オブ・レジェンド)』『VALORANT』『Fortnite(フォートナイト)』『ストリートファイター6』などのさまざまなゲームタイトルがあります。
そして、ゲームタイトルごとに独立したコミュニティが醸成されており、その中には人生を懸けてきたゲームファンたちがいます。
「eスポーツ」という言葉を使えば使うほど、それぞれのゲームコミュニティにいる「名もなきファンたち」の存在を不透明にしている気がしてなりません。
筆者の周囲にも、意図的に「eスポーツ」という言葉の使用を避ける関係者もいます。正直のところ、eスポーツがオリンピックになったところで、「彼ら」にどれだけの恩恵があるのか、いまいちピンとこないのです。
むしろ「eスポーツ」、いやゲームが市民権を得て、社会化する話題が上がれば上がるほど「本当にゲームと歩んでいる人たち」の声がさらに奥底に沈んでしまう感覚すらあるのです。
最後に私も「言いたいこと」を書いてしまった気がします。失敬。