インタビュアーは、『ダウンタウンDX』を20年以上演出してきた読売テレビの西田二郎。「西田二郎のメディアの旅」今回は、テレビ局がテレビを超えたビジネスを展開する未来ついて語った。
【構成・鈴木しげき】
アイデアの総量は移動距離に比例する。だから動く!
清水 : ありがとうございます。すごくざっくり言うと、ニュースのプロデューサーとビジネス開発のプロデューサーをやってる感じですね。
西田 : 清水さん、今どこにいてるかわかってます? 読売テレビの東京支社ですよ。
清水 : 入口に名探偵コナンがいましたね。あれ? ちびまる子ちゃんじゃないなと(笑)。
西田 : サーッと他局に入ってきはりましたけど、大丈夫なんですか? フジテレビさんが。
清水 : 大丈夫です。日本民間放送連盟の委員などもやっているので、そういう意味ではテレビ全体が盛り上がればいいんですから。読売テレビや日本テレビが元気なくなることでフジテレビが元気になるというのなら「行くな!」と言われる可能性はありますけど、そういったことじゃないですからね、今の時代。
西田 : テレビ業界、みんなで握手していこうということですね。
清水 : 他に出ていくと、やっぱりアイデアが生まれるというのがすごくあって、僕自身、「アイデアの総量は移動距離に比例する」っていうのをずっと自分の中で大切にしているんです。
西田 : ほー、行けば行くほど、いろんな方に出会うし、活力になるってことですか。
清水 : 読売テレビのある汐留の駅を降りてから見るもの見るものが、普段お台場で見るものとは違いますし、この会議室も二郎さんの後ろにある日本人形だって直接は関係ないけど新鮮ですしね(笑)。
西田 : 初めてお会いしたのは何年前でしたっけ? PRイベントの仕事でしたよね。
清水 : コロナ禍になった直後ですね。
西田 : 初めて会った時、「うわーっ、こんな人がフジテレビにいるんだ」と新鮮でしたよ。いい意味で。そこからずっとFacebookなどでつながらせてもらいまして、折に触れてチェックしてて。最初はPRの仕事でご一緒しましたけど、元々は報道畑なんですよね。けど清水さん、ジャーナリストらしくないですよね?
清水 : ジャーナリストって、外に取材に行って、移動すればするほどネタが取れるんですよ。でも、結局行くだけじゃダメで自分の中で落とし込む。それがVTRだったり原稿だったりっていう形が報道記者なんですね。で、それを最終的にビジネスの形に落とし込むとビジネス開発になるという。まぁ、やってることはどちらもあまり変わらないんですよ。
西田 : そっか、やってることは同じなんや。つまり、ジャーナリストの感覚でビジネスを見たらどうなるかっていう感じなんですか?
清水 : はい。ジャーナリストの仕事も、ビジネス開発もまったく一緒で、同じ場所で待ってたら何か転がってくるかっていうと全然そんなことはなくて、アイデアの種を外へ探しに行かなければならないわけで。もしかしたら今後、読売テレビさんと組んで何かが生まれるかもしれないですし。仮に今日は何もなかったとしても、次へ繋がる何かは感じられたとか、そういうことが大事だと思ってます。
西田 : 今日は僕が清水さんを取材してますけど、逆に取材されてるってことですね!
清水 : 外へ行くというのは、アウトプットこそ最大のインプットということかもしれません。
西田 : フジテレビさんはそういうタイプが多い?
清水 : 他の会社に比べると、やっぱりフジテレビって変なことやるよね、みたいなワクワクした感じで入ってくる人が多いので、私が取材された記事を読んだ社内の人間が個別に連絡をくれたりするんですよ。「わたしも何か新しいことやってみたいので一度お話聞かせてもらえませんか」って。全然知らない営業の後輩とか。
西田 : 清水さん、笑顔がいいですものね。それ、絶対大切だと思うんですよ。話を聞いてみたいなって思いますよ。
清水 : うれしいですね、二郎さんにそんなふうに言われたら(笑)。
西田 : 僕ね、ホントずっとチェックしてますから。今年に入ってからも、アナウンサーらと『わたしのための、BIDISH。』という冷凍食品を出しましたよね。今日は、そういったテレビを超えたビジネスの話をいろいろ伺いたいのですが、順を追って元々の報道の頃の話から聞こうと。で、そこから、なぜそういったビジネスの方に展開していくことになったのかに迫りたいなと。
清水 : わかりました。
24時間ニュースチャンネルへの試行錯誤
清水 : はい、『#シゴトズキ』というフジテレビ公式のチャンネルで、私がメインでやってます。元々は私が勝手に始めたんですが。
西田 : 勝手に始めたんですか(笑)!? そういった配信の試みは、報道から始まってるんですよね。これまで、いろいろチャレンジもされたとか。
清水 : そうですね。最初はニュースを配信するにはどうすればいいか? みたいなところを研究したり、実際にいろんなメディアと組んだり。
西田 : その当時、話題になりましたよね。カタカナで『ホウドウキョク』(フジテレビが2015年4月から2019年3月まで運営していたニュースサイト)。あれは報道の業界ではみんな度肝を抜かれたんちゃいます?
清水 : そうですね。最初24時間のニュースチャンネルをつくって、ずっと配信し続けるというのをやろうと。今で言うと、テレビ朝日系列さんのAbemaTVなどがやってますけど、あれの先駆けみたいなことをやってましたね。
清水 : 最初の企画立案は私という感じでもなかったんですけど、一緒にやりたいという人がいましたから何とか。ただ、当時の私は選挙特番の総合演出などをやっていてデジタルが何なのかさえわかってなくて、指標と言えばいかに視聴率を取るかだけを考えてましたね。そんな時に、いきなり局長から「これからはデジタルやりたいと思うんだけど、なにかビジネス考えてくれる?」って。それでどうやろうかって考えて、当時ドコモさんのNOTTV (2012年から2016年まで運営していた携帯電話端末向けマルチメディア放送)というプラットフォームがあって、そこで出すところからスタートしようと決めて動き出しました。
西田 : それはニュース素材を含めて、いろいろ大変だったでしょ? 何人ぐらいでやったんですか?
清水 : 最初のメンバーでいうと10人もいないくらいでしたね。
西田 : 報道全体の素材を統括しながら、さらに自分たちでも独自取材もして?
清水 : はい、24時間を5、6人でやるって本当に無茶苦茶なところからスタートしました。
西田 : 今となっては絶対できない経験ですよね。
清水 : そうですね。
西田 : しかも報道分野で言えば、どこよりも先んじてやった。これっていろんなところから、いろんな声があがったと思うんですよ。
清水 : 一番は、茨城県常総エリアで水害があった時に、流されてる人を救助する瞬間をヘリがとらえたんですね。地上波はタイムテーブルがあって中継できなかったりするんですが、そんな中、『ホウドウキョク』では生配信して新聞協会賞をいただきました。やっぱり配信ってすごいよねと。また、水害などがあると、東日本大震災もそうでしたけど停電になってしまうのでテレビがそもそも見られないんです。
西田 : そっか。
清水 : そんな時にスマホに向けて届けられるというのが、いかに報道として大事かを実感しましたね。
西田 : それってある種ですよ、報道の未来のあるべき姿を『ホウドウキョク』がもう出してしまったって感じでは?
清水 : はい。方向性は示したと思ったんですけど、課題はまだまだ山積みで。
(つづく)
2002年フジテレビ入社。報道局に配属され、記者、ディレクター、プロデューサーなどに従事。2016年にコンテンツ事業局(現・ビジネス推進局)へ異動すると、テレビニュースのデジタル化や新規事業開発などを担当。「FNNプライムオンライン」などネットメディアの立ち上げや、テレビ番組との連動コンテンツなど幅広く手掛けた。2023年、再び報道局へ異動。ビジネス推進局も兼務。「ニュース番組プロデューサー」と「ビジネスプロデューサー」の二刀流を務める。また、フジテレビ公認YouTuberの顔も持ち、経済番組『#シゴトズキ』で企業幹部やスタートアップCEO、タレントなど多彩なゲストから「仕事に役立つ思考法」を聞き出している。