2014年放送のNHK連続テレビ小説「花子とアン」。赤毛のアンの翻訳者である村岡花子と、大正天皇の従妹にあたる柳原白蓮の友情が描かれた本作は、高視聴率を記録しました(私は悪いオトナなのではっきり言いますが、本作はフィクションで、実際の二人は特に親しいということはなかったそうです)。何度も映画化された「セックス・アンド・ザ・シティ」は、おかしなオトコにふりまわされても、女友達がいつもそばにいてくれるというオチで、「主人公が最後にはイイ男と結ばれる」がテンプレだと思っていた私は驚いたものでした。この頃からでしょうか、「女性の友情はいい」という流れが生まれ、2018年の#me too以降のフェミニズムブームもあって「女友達フォエバー」という流れは定番化していったように感じています。

サバサバ女子を演じていた著者による女の友情論「女友達ってむずかしい?」

  • 「女友達ってむずかしい?」クレア・コーエン著(河出書房新社)

この流れを私は危険だなあと思って見ていたのでした。女性同士の友情はモロい、ハムより薄いと言いたくはありませんが、自分と友達が同じ量の友情で結ばれるというのは、かなり難しいことだと思うからです。恋愛であれば、セックスでごまかせてしまうことが、友情ではできない。だからこそ「女友達フォエバー」と言ってしまうと苦しくなる人がいるのではないかと思ったのでした。

で、実際にいたのです、苦しくなった人が。イギリス人の気鋭のジャーナリスト、クレア・コーエン。頭脳明晰な彼女でしたが、ずっと悩んできたのが女性同士の友情についてなのでした。親友と思っていたのは自分だけとか、いつも自分は相手のことを思って行動してきたのに、むこうはこちらの気持ちをふみにじるようなことを平気でする、フレネミー(友達のふりをした敵)に遭遇したクレアは「私ってオトコみたいだから、オトコ友達と一緒にいるほうがラクなんだよねぇ」とサバサバ女子を演じつつ、「女性が苦手」な自分を少し恥じていたのでした。

しかし、女友達とほろ苦いものを感じたことのある女性というのは少なくないようで、BBCのラジオ番組で、「女性の友情の終わり」というテーマで体験談を募集したところ、これまでにない早さで、女性たちが「女友達との別れ」を告白したことに勇気づけられ、「なぜ女の友情は難しいのか」を知るために、学術的な知識も交えながら“友達論”を展開していきます。

女性の友情が軽んじられてきたのは、女性の地位が低かった(友情を築くのに必要な知性を持たないと信じられてきた)ことや、だからこそ、男性と恋愛し、結婚して一人前になるべしという恋愛至上主義が生まれたことなど、歴史的な背景にふれつつ、生物学的な特徴にも触れています。男性はピンチになると「戦うか、逃げるか」という方法を選びがちですが、女性は「いたわり友好的になる」ことでピンチを乗り切ろうとするのだそうです。実は女性にとっては、男性(夫や彼氏)よりも女友達のほうが情緒の安定に役立つことがわかってきたそうです。

やっぱり、女友達はいい!と思う人もいるでしょう。しかし、本書に収められたエピソードを見てみると、外国のお話なのに「あるね、そういうこと」と言いたくなるのです。 たとえば、自分は友達の親が亡くなった時はかけつけてお悔やみを言ったけれど、自分の親が亡くなった時、友達は旅行中で、帰宅しても特に何もしてくれなかった(街でばったりあってしまった)とか、妊娠した友人が、結婚していない友達や子どものいない友達にむかって「次はあなたね」と言って、なんだか変な感じになったなど、日本でもこういう経験をしたことのある人は多いのではないかなぁというものばかり。

こういう経験をすると「やっぱり、オンナの友情なんて!」と思う人もいるでしょうし、私もそう思ったことがありました。が、今思うのは、そういう時、家族と自分との関係性や距離について考えてみたらどうでしょうか。「セックス・アンド・ザ・シティ」の4人組は、家族と離れて大都会ニューヨークで自立して仕事をしていますが、家族とあまりうまくいっていないという共通点があります。全員が「自分以外、頼れる人がいない」という状態なわけですから、この4人は助け合いやすいのです。

心理学では、他人の世話を焼きすぎたり、物を過剰にプレゼントする人は“交換性”を求めていると言われています。「私もやるから、あなたもやってね」と行動で確約を募っているわけですが、家族とうまくいっている人は、悲しみや喜びは家族とわかちあうし、ピンチの際も家族が救ってくれるもの。ですから、友達に対してやってあげないし、その代わり、自分も求めません。どちらがいい悪いとか、オンナは薄情という話しではなく、家族が“安全基地”として機能している人とそうでない人とでは、友情に求めるものが異なり、家庭が楽しい場所でなかった人と、家族の話をするのが大好きな人は合わないのではないかと思うのです。

本書の帯には、息苦しくない「女の友情」の結び方を見つけたという意味のことが書かれていますが、正直、私はクレアはまた失敗するんじゃないかと思っています。なぜなら、女友達に気を使いすぎて、ちょっとしつこく感じられるから。しかし、それは彼女がこれまで痛い目にあってきた証拠もしくは女友達をそれだけ大事に思っているから。女友達がほしいけれど人付き合いが苦手だなと思っている人に、本書をおすすめしたいです。